6、Woops!!








「マ・クベ、欲しいものがある」

 きらきらと瞳を輝かせ、キシリアがマ・クベにそう言った。

「おねだりですか? どうぞ」

 マ・クベが口元に笑みを浮かべながらキシリアを促すと、キシリアが身を乗り出し、マ・クベの耳元で囁いた。

「黒い三連星が欲しい……」

「……また物騒なものを欲しがりますね。彼らの評判は最悪ですよ。優秀なパイロットだが、上官に従わないとか。今も面倒をおこして営巣入りのはずです」

 キシリアの言葉ではあるが、三連星の評判を聞いた事のあるマ・クベの眉が潜められた。

 たしか、三連星は上官を殴ったかどで営巣入りしたはずだ。自分の上官に逆らう、それだけでなく暴力までもふるうという行為は、規律を乱すとして嫌われ厳罰に処された。

「このままでは、彼らは首になってしまうのだろう?」

キシリアの問いに、マ・クベが頷いた。

今までは彼らが優秀なパイロットだからという理由でいくらかは見逃がしてもらえたが、今回ばかりは幾ら優秀でも、そんな問題を起せば切られるのは当然だった。もし辞めさせられなくても、誰もそんな部下を引き取りたくないだろうし、路頭に迷うのは必然だ。

「私は、彼らをいずれMSに乗せたいのだ。優秀な機体に、優秀なパイロット。素晴らしいと思わないか?」

 キシリアはそう良い所だけ言ったが、厄介ごとを引き取るという事もちゃんと判っているのか……。とマ・クベの悩みの種がまた一つ増えた。それとも、荒くれの猛獣のような男どもを飼いならす自信が相当あるのか?

「……貴女がそう仰るのなら、やってみますが」

「うん、頼む」

 それでも、できないと言うのはプライドが許さない。後で後悔しても知りませんよ。と目で言ったが、キシリアは自身有りげに笑っただけだった。

「同年代の女の子が、ファッションや恋にうつつを抜かしているというのに、本当に貴女はMSが好きですな」

 キシリアの様子に呆れてため息をつき、話題を変えてそう言うと、キシリアがチラッとマ・クベを見た。

「恋人と言えるような男はいたが、もう別れた。今はMSが私の恋人だ」

「これは、失礼しました」

なるべく感情を表に出さずに、平静を装った風にさらっと言ったキシリアに、マ・クベのほうもスマートに返す。

 もしかしたら、生まれや気立てはいいが、ジークフリートのような男とは、あなたの別れた男の事ですか? と一瞬言いかけたが、賢明な事に口に出さない事に成功した。

「別に謝ってもらわなくてもよい」

 こほんとわざとらしくせきをし、キシリアがそう言うと、ちょっと迷った顔をしたが、また口を開いた。

「マ・クベ」

「はい」

「今晩、暇がありますか?」

「ええ。予定はありませんが」

 マ・クベの言葉に、少し緊張したキシリアの顔が、ほっと緩んだ。だいぶ親しくなった今でも、マ・クベという人間はキシリアにとって判らない事だらけで、どれだけプライベートな部分に入っていいものか迷うのだ。

「私に付き合ってくれないだろうか? 士官学校の同期とパーティがあるのだ。内輪だけのパーティだから、そんなに堅苦しいものじゃない」

「よろしいですよ」

「本当か、よかった」

 安心して嬉しそうに微笑むキシリアを見て、「そんなに私は怖い存在だったのだろうか……」とマ・クベが自問自答した。

 後から思えば、キシリアがマ・クベに対して遠慮するのはこの時だけだったなとしみじみ思うのだが。





「気をつけろ」

 パーティ会場の入り口の前で、キシリアがマ・クベにそう注意を促した。

「こいつらの開くパーティは、いつも馬鹿な趣向が凝らされてるんだ。ほら、今回もまた」

 キシリアが指差した先を見ると、金モールで飾られた手書きの看板にこう書いてある。

 「天井に飾られたブーケの下にいるものは男女問わずキスしてもよい。キスされたものは絶対に怒らない事!!」

 なんだそれはとマ・クベが思っていると、キシリアが隣で呟いた。

「前の、『男は女に、女は男に変装する事!』よりはましだな。でもきっと中はブーケだらけだぞ。お前、気をつけろ、狙われるぞ」

 キシリアがそう言って親しげにマ・クベの肩をぽんと叩いたが、何の事かよく判っていないマ・クベは返事を返せなかった。



 会場に入ると、マ・クベの疑問も氷解した。

 キシリアが内輪のパーティと言った通り、そこは手作りのアットホームな感じで、士官学校を卒業したばかりの若い仕官たちがビールを片手にわいわいと楽しんでいる。

天井には、バランスというものを全く無視してあちこちにブーケが釣り下がっており、その下にいる若い男女、時に男と男、女と女が冗談でキスしあっては、どっと大きな笑い声が生まれた。

最高級の料理や、酒、色々な趣向を凝らしたパーティを知っているキシリアが、こんな所に来るとはと一瞬以外に思ったが、すぐに考えが変った。ここは子供っぽくて洗練されてはいないけれど、気取ったパーティとは違って、皆心から楽しそうに酒を飲み、おしゃべりに花を咲かせている。

「キシリア、久しぶり!」

 キシリアとマ・クベが会場に入った途端、キャー! という黄色い声と共に女の子が抱きついてきた。

 キシリアも懐かしそうに微笑み、二言三言言葉を交わすと。お互いの体をぎゅっと抱きしめて再会を喜んだ。

「キシリアお姉様!」

 旧友との再会を懐かしむ暇もなく、またもう一人、今度はまだ在校生らしい女の子が慌てて飛んできた。入り口に入っただけで、あっという間にキシリアは人々に囲まれ、あっちで話をし、こっちで握手をしと大忙しだった。

「ちょっと待って。紹介したい人が!」

 あまりにも埒があかないので、遂にキシリアが大声を上げると、今度はキシリアの隣にいるマ・クベに皆の視線が集まった。

「私の副官のマ・クベだ。私を助けてくれる」

 誇らしげにキシリアがそう言った。

 キシリアが自分の友人に紹介してくれるほど、自分を大切に思ってくれているという事と、キシリアのまた別の面を見て、マ・クベも悪くない気分で滅多に見せない微笑を浮かべた。

紹介されたマ・クベが、軽く会釈をして、よろしく。と言うと、たちまち今度は二人で沢山の人に囲まれる。

ほんと久しぶり、元気にしてた? 今何をしているの? 彼氏はできた? などの質問に、キシリアが年相応の屈託の無い笑顔で答えている。

会場にいるのは、士官学校出のエリートといえど軍に入ったばかりの未熟者達で、すでに実務を長い間こなしているマ・クベの方も質問攻めだった。

若く、希望溢れる若者に受け答えするのは、マ・クベとしてもそんなに嫌な事ではなかった。マ・クベの返事を聞くと、すぐにあちこちで鋭い議論や新しい質問が始まり、その議論をいつのまにかマ・クベがまとめていたりと、久しぶりに学生時代に戻った様だった。

すっかり頼れる人として尊敬を集めているマ・クベを見て、キシリアが自分の事のように嬉しそうに笑った。

「キシリア、こっち!」

 急に声をかけられ、キシリアが振り返ると、また別の輪から、一人の快活そうな女の子が手を振ってキシリアを呼んでいる。

「お前も楽しめ」

キシリアが満足そうに笑いながら、マ・クベにそう言い、輪を抜ける。キシリアが向こうの輪に入ると、またわっと歓声が起こった。



「ふふ、キシリアはよっぽど貴方を見せびらかしたかったのですね」

 ようやくの事質問攻めから抜け出し壁際で休んでいると、黒髪の軍服を着た女性に話し掛けられた。言葉の代わりに、苦笑で返事を返す。

「マ・クベ!」

 自分の名を呼ぶキシリアの声を聞き、マ・クベが黒髪の女から声のした方を見た。人ごみを掻き分けて、キシリアが近づいてくる。ほんの数メートルの距離をいくのにも、ひっきりなしに声をかけられては返事をし、握手を求められている。

普通に歩いてくるより、何倍もの時間をかけてマ・クベの元にようやくたどり着くと、グラスを手にしているマ・クベにキシリアがいきなり口付けた。

「馬鹿、油断するなと言っただろう」

 キシリアのくすくす笑いに上を見上げると、確かにマ・クベの頭上にはブーケがぶら下がっている。

 してやられたと、マ・クベが肩を竦めた。それにしても、それだけの為にマ・クベの所へ来たのだと思うと、悪くない気持ちだ。

 マ・クベに笑顔を向けたまま、キシリアが数歩後ろ向きに下がり、くるりと踵を返して行こうとした瞬間に、とんとキシリアの背中が誰かにぶつかった。

キシリアは気が付いていないが、その頭上にブーケがあるのにマ・クベが素早く気付いた。

 キシリアが後ろ向きでぶつかった相手が、キシリアが振り向こうとした一瞬のすきに、キシリアの体を捕らえた。その男は、先ほどからキシリアの様子をうかがい、この会場で一番の獲物を狙ってベストな位置で待ち伏せていたのだ。

百パーセントに近いほど自分の勝利を確信していただろう。キシリアがよく判らないまま、流れるような動きで肩を抱き、顎を上向かせ、口付けようとした瞬間。

「きゃっ!」

 キシリアの口から小さな悲鳴が漏れた。ぐいと強引に腕を引っ張られて体勢を崩した。

「マ・クベ? 何だ?」

 気が付けば、マ・クベの腕の中で、訳がわからずにマ・クベを見上げる。

 マ・クベの視線は、先ほどキシリアの唇を奪おうとした男に冷たく向けられていた。

「……残念!」

 金髪の短い髪をした男は、失敗を悟ると、思わずむきになったマ・クベをからかうように悪戯っぽくそう言ってすぐに人ごみの中へ消える。

「なんだ?」

「……いいえ、別に」

 当のキシリアだけが、自分を巡る男の戦いに気が付かずに、きょとんとした顔をしている。

 子供相手に思わずむきになってしまった自分に、マ・クベが内心舌打ちした。

 おかしい。なにかがおかしい。まずい。

「マ・クベ、離せ」

「あ、ああ、失礼」

不埒者から奪い返し、思わずキシリアの体を抱きしめていた腕を緩め、解放した。

「変だぞ、お前」

 キシリアが不思議そうにそう言って、また人ごみの中へ消える。

 そうだ、確かに変だ。

 キシリアの後姿を見ながら、マ・クベが小さく呟いた。

「子供には興味なかったはずなのに……」





「唇の貞操は守れたか? 私の同期の女はみんな獣みたいだからな」

 帰りのエレカで、少し酔っているらしいキシリアがそう言って上機嫌に笑った。

「お前、ずいぶんと口説かれていたな? 嫌だったろう。すまなかったな」

 そう言って、マ・クベの感情を確かめるように目を覗き込む。

「……なぜです?」

 「嫌だったろう」というキシリアの言葉に引っ掛かりを感じ、何の気なしに聞いてみたマ・クベは、次の瞬間仰天する事となる。

「だってお前、女に興味がないのだろう?」

 さらりとそう言うと、はしゃぎすぎて眠いのか、キシリアが上品に小さいあくびをした。

「は……? 違いますよ」

 聞き捨てならない言葉に、マ・クベがキシリアのほうを見る。

「隠さなくてもいい。別に」

 マ・クベが隠しているのだと思って、キシリアが手をひらひらさせて軽くそう言った。

「……違いますよ」

 マ・クベが短く否定し、不機嫌そうに黙り込む。

「え? 本当に違うのか」

 マ・クベの様子に、さすがに自分の間違いに気が付いたのか、眠気の吹き飛んだらしいキシリアが頓狂な声を上げた。

「違います」

マ・クベがまた短く言うと、二人の間に沈黙がおりる。

「お前の身辺調査書にそう書いてあったから、私はてっきりそうだと……」

 言い辛そうに、キシリアが語尾をぼかした。

「その身辺調査書を書いた馬鹿は今度一切信用されない事をお勧めしますな! とんでもない間違いです」

「だが、男との恋愛絡みでトラブルが有ったって。二度も」

「私は一方的に好かれただけで、私自身はその気は全く有りません!」

「そうだったのか……」

 キシリアが気まずそうにそう言い、何か言いたそうにもじもじと座っているお尻の位置を変えた。

「マ・クベ」

 意を決したように、キシリアがマ・クベに話し掛ける。

「なんです?」

 ちらりと、マ・クベがキシリアを見た。

「す、すまなかったな。その……、思い違いをして。お前は女に興味がないと思っていたから、つい、色々甘えてしまった。謝る」

 つまり、あのキスも、しがみついて泣いたのも、私が絶対安全だと思ってしたと……。

 勘違いとは言え、またキシリアに振り回されたのかと心の中で毒付いた。

 最初、子供は眼中に無いと思っていたのはすっかり忘れている。

「いいえ、気にしていませんよ」

 にっこりと笑って、マ・クベがキシリアにそう言った。

 嘘だ。

 「キシリア様のせいじゃないですから」

表面上は、そう口に出す。心の中で、私をその気にした責任は取ってもらう! と思いながら……。




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