4、Time Limit
マ・クベにも専用のオフィスは用意されていたが、キシリアの執務室に居る事が多い。その日も、マ・クベは、当たり前のようにキシリアの執務室で一緒に仕事をしていた。
しばらくマ・クベがキーボードを打つことに熱中していると、「どうぞ」と言うキシリアの言葉の後、執務室の扉が開き、兵の敬礼と共に思わぬ人物が顔を現した。
キリング中将!?
マ・クベが思わぬ人物の来訪に驚いて少し眉を上げると、側のキシリアの顔がぱっと輝いた。
「キリングおじさま! あ、いいえ、キリング中将! 何かご用がありましたら、私の方から出向きましたのに」
「いえいえ、あなたの様子を見に来たかったからいいのですよ。上手くやっていますか?」
親しげなキシリアの声に、キリング中将の方もにこにこと微笑み、人の良さそうな声でそう聞く。キリング中将は、以前からザビ家と親しく付き合っており、キシリアも幼い頃から彼を知っているのだ。
「あ、え、ええ。今はまだあまり成果が上がっていないのですけど、マ・クベが来てくれたから、きっと上手く行きます」
キリング中将にとっては、挨拶がわりに何の気なしに聞いたことだったのだろうが、キシリアにとっては少々痛い所を突かれ、彼女らしくなく口篭もる。
「それはよかった。それで、マ・クベ少佐」
キシリア言いにくそうにしているのを気にせずに、娘を見守る父のように微笑み、キリング中将はマ・クベのほうに向き直った。
「は」
呼びかけられ、マ・クベは即座に返事をしたが、内心、声をかけられた事に驚いていた。当然、キリング中将はキシリアに用があるものだとばかり思っていたのだ。
「少し話があるのだがいいかね? ああ、キシリア中佐はここに居ていい。忙しいだろうからね」
平静を装っているつもりなのだろうが、下手な演技でかえってキリング中将がマ・クベを呼び出すという不自然さが際立ってしまう。
「なんですか? 私を外して何のお話です?」
「なんでもないよ」
案の定、キシリアが眉をひそめてそう言うと、キリング中将は慌てた様子で手を振り、何でもないを繰り返した。これ以上追求されるのは不味いと、マ・クベに目配せをし、キシリアの不審そうな目から逃れるようにそそくさと部屋を出て行った。
「今から話すことは、他言無用だよ。無論キシリア中佐にもだ。いいね」
別室に場所を移し、キリング中将はそう切り出した。
「承知いたしました」
マ・クベがポーカーフェイスで頷くと、中将は安心したような表情を浮かべる。
「キシリア様の様子はどうかね?」
「頑張っておられますよ。お疲れ気味だったようですが、最近はお元気を取り戻されたようです」
マ・クベの言葉に、キリング中将の表情が少し曇った。マ・クベが、おや? と思う。キシリアと親しくしているキリング中将が、キシリアが元気を取り戻したと聞いて顔を曇らせるのは変だ。
「うむ……。辞めたい。とは言っていないかね?」
言いにくそうなキリング中将の声と表情が戸惑っている。キリング中将はキシリアの直属ではないが上司にあたり、キシリアの身の振り方も任されている。デギン公から、キシリアを辞めさせるように。と直接命令を受けているのは、恐らくこの人なのだろう。だが、本当は、こんな事を聞きたくないのだろうなとマ・クベが想像した。
「いいえ」
マ・クベが即答すると、キリング中将が、ますます困った顔をする。
「そうか。……困ったな」
その言葉と表情で、やはり、キリング中将はキシリアを辞めさせるようにと言われていることを確信し、マ・クベは探りを入れてみる事にした。キリング中将は、基本的にはキシリアの味方のはずだ。いくばくかの情報は教えてくれると踏んで、以前から気になっていた事を聞いてみることにする。
「キシリア中佐は後方支援をなさるご予定なのですか?」
なるべく非難がましい言い方をしないように気をつけ、マ・クベがそう言った。キシリアが後方のつまらない仕事をしている事についてや、将来の事も聞いておきたかった。
「今はそうだが、すぐに移動の予定だ。儀仗兵達を束ねる団長をお願いしようと思っている。女性らしい華やかな仕事だろう?」
話題が変ったのに、少しホッとしたようにキリング中将がそう言った。やはり、辞めさせるというのは彼の性格に合わなかったらしく、一見華やかでさしさわりの無い所へ移動させようと考えているらしかった。
「今もそうですが、お仕事内容と階級が釣り合わないような気がしますな」
キリング中将が彼なりにキシリアを心配しているのは判ったが、キリング中将も、周りの都合でキシリアを縛る敵には違いない。ちくりと嫌味をマ・クベが口にした。
「君、判っているとは思うが、キシリア様に余計な事は言わないでくれよ」
急に真剣な顔になり、キリング中将がそう言った。マ・クベは、キシリアがザビ家の娘だからという理由で不釣合いに高い階級を得ている事と、キシリア一人にこれだけ大騒ぎしている事を皮肉ったのだが、キシリアのほうは、さすがに自分の階級が不当に高いことは判っているが、経験がない事もあり、自分の事について、マ・クベは気がついている事に気が付いていない事も多い。知ればキシリアが怒ったり傷付くような事は、あえて知らせるな。キシリアが余計な行動に出る事が無いように黙っておけと中将はマ・クベに釘を指したのだ。
「デギン公は戦場になど絶対に出さぬと仰っている。キシリア様が軍に入る事はしぶしぶ了承したが、キシリア様がここにいるのは、デギン公の本意ではない」
ついに、キリング中将がそうはっきりと言った。デギン公の名が出た以上、キシリアの敗北はほぼ確定したと思われた。最初から勝ち目が無い事は判っていたが……。デギン公の本意ではない。そう言われたという事は、これ以上キシリアに味方するな。と言われたのと同じ事だ。
「そうですか」
キリング中将が思っていたよりも、あっさりとマ・クベはそう言った。それが返ってマ・クベの本心を判らなくした。了承したとも取れ、逃げたとも取れる。
くだらない親子喧嘩に巻き込まれたという訳か……。
そう思って、言葉の後マ・クベが皮肉げな笑みを浮かべた。キシリアは、父親の世話にはならぬ! と息巻いていたが、まだ自分の行動がどんな影響を及ぼすか判っていないようだ。自分がわがままを言えば、誰か困る人が出てくる。それを知って、キシリアは軍に入ったのだろうか。
「サスロ様の事もある。嫁入り前の娘に何かあったら大変だ」
自分がキシリアを追い詰めているという事は、かなりキリング中将の負い目になっているらしく、中将は言い訳のようにそう付け加えた。
「ご本人の希望とかなり違うようですね」
マ・クベがまたちくりと言った。キシリアの望みを潰し、別の生き方を押し付ける。あまりにもやり方が強引だと言外に匂わせる。
「あの方のご気性だと、承知なさるかどうか……」
嫌味たらしく、ゆっくりと首を振りながらそう言うと、途中にキリング中将の声がかぶった。
「そこをさせるのが君の仕事だよ! 君は仕官を嫌がっているのだろう。気まぐれな若い女性の我侭に付き合うのは、君だってうんざりなはずだ。余計な事は何もさせないでくれ。うまくやれば、半年もしないうちに君は解放される。退職金への上乗せもする」
「キリング中将は、キシリア中佐は支配者たる器ではない……とお思いですか?」
キリング中将の本心を探るため、マ・クベはそう言った。中将は、本当にキシリアの行動を気まぐれな我侭だと思っているのだろうか? それではあまりにもキシリアが可愛そうすぎる。
「キシリア様は優秀だ。誰よりもな……。でもあの子は女なのだ!」
マ・クベが思ったとおり、中将は苦悩に顔を歪ませてそう言い捨てた。中将とて、キシリアの優秀さを判っている。戦場に出す事への心配はもちろんしているが、本当はキシリアのやりたいようにさせてあげたいのだ。
「この国には、優秀な人材を女性だからという理由で使わなくてもいい余裕があるとは思えませんが」
中将の立場は判っているが、あえてそれを無視してマ・クベが言った。今はキシリアのことだけを考え、キシリアに少しでも有利に持っていかなければならないのだ。
「キシリア様はただの女性ではない。公女だよ。大事な身だ」
つまり、他にも使い道が有ると……。と皮肉が喉から出かけたが、さすがにそれは飲み込んだ。
「マ・クベ少佐、判っているね。余計な事は何もしないでくれ。私もこんな事は言いたくは無いが、何か不祥事があった場合に、君の今の身分は保証されない。それどころか、君の人生に大きな傷がつく。例の会議の件も聞いたよ。キシリア様に嫌な思いはさせたくない。あんな思いをさせるくらいだったら、もっと強引にでも辞めさせるのだった」
「あの方は猫ではなくて虎ですよ。どんなに押さえても、世に出てくるお人です」
キリング中将の言葉は、はっきりとした脅しの意味を含んでいた。デギン公の名まで出してきたキリング中将に対し、マ・クベはそれでもキシリアを庇って、平然とそう言った。
通常の人間なら、即座にキシリアを見捨てるであろう状況にあって、マ・クベは当たり前のようにデギン公に逆らい、キシリアに味方すると言ったのだ。
打算や計算などそこにはなかった。意地と、キシリアを思う気持ち、自分とキシリアを信じるほんのかすかな勝算が、マ・クベを無謀な賭けに突き動かした。
「君が煙たがられている理由が良く判ったよ。優秀だが、扱いにくいというのは本当のようだ」
暫しの沈黙の後、キリング中将がそう言った。言葉の中に、かすかにマ・クベを賞賛する響きが含まれている。
「失礼をお詫びします」
「いや……」
キリング中将は、マ・クベの無礼をあまり気にしていないらしく、マ・クベの言葉にも上の空で返事をした。迷っていたが、決心した様子で口を開く。
「今から言う事は、独り言だ。当てにはしないで欲しい」
そう言うと、中将はマ・クベに背を向けた。
「君がそこまでキシリア様に肩入れしてくれるとは思ってもみなかった。優秀なのはザビ家の血かな? キシリア様もまた、良い部下を選んだ」
これは中将の独り言だ。だから、マ・クベも返事はしない。
「私からも公王をなんとか説得してみよう、それに、もうお一方、キシリア様を救ってくれそうな方に心当たりがある。但し、時間はあまり無い」
キシリアの情熱がマ・クベを動かし、キシリアに動かされたマ・クベとキシリアがまた、人を動かす。新たなに強力な味方をキシリアは得た。小さな連鎖が、やがて大きな力になろうとしている。自らの道を、少しだけ切り開く事ができたのだ。
「期待はしないでくれ。さっき言った移動の件はすでに決定事項なのだ」
疲れた顔で中将はそう言い、マ・クベが感謝の念をこめてした敬礼に頷くと、部屋を出て行った。
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