3、Never never give up.







「これ、何とかならないものだろうか……?」

 執務室のデスクに座り、キシリアがそう言うと、側で書類のチェックをしていたマ・クベがキシリアの側に来て手元を覗き込んだ。

「ああ、規格が違うのですよ。だからこれ以上のコスト削減は無理です」

「やっかいだな。こうあちこちで規格が違うと、応用はきかないしコストは高くなるし……」

「私も前から気になっていたのですが」

「お前もちょっと考えておいてくれ」

「はい」

 軽い会話の応酬の後、マ・クベが軽く頷くと、キシリアが何かに気がつき、はっとしたようにマ・クベの顔を見上げた。

「そうだ、今度の会議に出す提案書は仕上がったか?」

「ええ」

 マ・クベの返事に、そうか、とキシリアが少々緊張した顔で頷き、考え込むように目線を伏せた。

 マ・クベが来てからまた数ヶ月が立ち、キシリアはもう慣れた顔で端末に向かっている。最近ではつまらない仕事はさっさと済ませ、ここから出る方法や、出てからの事を熱心に考えているようだ。

 こんな所にいる不満や恨み言は漏らさず、内心では色々悩みもあるだろうが、明るく前向きに振舞っている。どんな経験も、絶対に無駄にはならぬと言い、貪欲に自ら色々な事を買って出て、貴女はそんな事をしなくてもいいとマ・クベが言っても、人が嫌がるような仕事も進んでやった。

その成果は確実に現われ、日一日とキシリアはものすごい勢いで成長していく。経験が無いゆえのミスや思い違いはあるが、時折口にする疑念は鋭く、的を得ている。頭の回転が速く、一を教えれば十どころか百を理解する。いったんこつを掴むと、応用まで利かせてマ・クベを驚かせた。

乾いた大地が水を吸うように、キシリアは色々な物を貪欲に吸収していく。お嬢様育ちにもかかわらずハングリー精神に満ちていて、何か判らないことがあれば、マ・クベを骨までしゃぶり尽くすかのように食い下がってくる。曖昧な返事ではキシリアを満足させることは到底出来なかった。

目に見える部分では大した成果は上げられていないが、大地に根をのばし。キシリアは確実に力を蓄えている。今は準備期間なのだ。

マ・クベ以外の誰も知らないうちに、そっと、キシリアは大きくなってゆく。機が来れば、すぐにでも緑が芽吹き、大きな花を咲かせるだろう。人々が気付く頃には、キシリアは既に艶やかに咲き誇っているに違いない。

 この人は、本当に天才なのだ。とマ・クベは、キシリアとすごす時間が長くなるたびに強く思った。ジオンを、いや、宇宙を動かす英雄を育てる快感は、なにものより変えがたかった。

 自分が得た知識や経験を、他人に伝えるというのは、思った以上に面白かった。キシリアは、マ・クベから教えを請い、マ・クベのほうも、キシリアによって自分の知らない自分が目覚めるのを感じていた。

 影響は、マ・クベとキシリアの間だけにあるものではなかった。いつのまにか、役立たずの集まりだった部署に活気が生まれている。

 飛ばされてきた無能の輩達の理不尽な八つ当たりに耐え、地味な仕事をこなし、ここを支えてきた下の者達にとっては、キシリアの前向きな姿は大きな励ましになりつつあった。

最初は、ザビ家の娘がこんな所に何しに来たと反発していたが、キシリアが冷やかしや嫁入り前の腰掛けなんていう軽い気持ちでなく、本当に「やる気」だという事が知れ始めたのだ。父公王に反発し、報復でこんな所へ飛ばされても、望みを失わず頑張っているキシリアの姿勢を見て、なかなかやるじゃないか……と好ましく思う気持ちが人々の間に広まりつつある。

 その上、この公女は、怠け者で人のせいばかりにする馬鹿どもを、実に小気味良く次々と退治していくのだ。耐えていた人々はキシリアに喝采を送り、キシリアは、虐げられ、不満が募っていた人々の希望の星となった。

マ・クベはマ・クベで、巧みに他の関連部署の仕事や権限を奪い、徐々にキシリアの影響力と発言力を増していった。

そういった点では、この辺境の地にいるのはかえって好都合だった。キシリアの才能は、周りの引き立て役のおかげでより一層強調されて見えたし、役立たずの集まりの中では誰もマ・クベの敵ではなく、やりたい放題ができた。もちろん表立って派手にやると叩かれるだろうが、そこは上手くやっている。

実務的な部分はマ・クベの力が大きかったが、モチベーションの部分では、キシリアの力が大きく作用した。

ザビ家の人間という事で、まともに評価される機会を失っていたが、キシリアはどうやら本当に人の上に立つ素質があると、この小さな部署では認識され始めていた。

キシリアの才能の才能の一つに、人使いの上手さがあった。部下達の本人も気が付いてないような長所を見つけ、適材において蘇らせることに非常に長けている。頭が切れ、先見の明があるのと、人を見る目は天性のものらしく、おだてたり、すかしたりといったテクニックで部下を発奮させ、成果をあげさせるのには、正直マ・クベも舌を巻いた。

もちろんどうやっても使えぬものはいたが、それはそれで封じ込めるのに成功している。

 その長所とマ・クベの能力をフルに生かし、ほんの短期間のうちに、キシリアのいるここは不毛の荒地からなんとか組織として形になり、改善提案書を提出するまでになったのだ。

 少しずつ、少しずつ、キシリア・ザビは予想に反して成果を上げつつあった。もちろん、父公王がその気になれば、すぐに吹き飛ぶようなものであったが、数ヶ月経つうちに、この辺境の地を徐々に征服しつつあったのだ。

 だが、出る杭は打たれる。キシリアが力をつけてくれば、比例してキシリアのことを快く思わぬ輩も増えてくる。実際に実務を担当している下の者には、キシリアは密かに絶大な人気を誇ったが、組織を腐らせる元凶のような軍人達にはすこぶる評判が悪かった。明らかに悪意を持っているものも少なくない。

 今度行われる会議で、キシリアが出す提案は至極まっとうなもので、マ・クベの目から見てもいいものだと思われたのだが、嫌な予感がする。

キシリアはその会議に参加する資格はあるのだが、発言までさせてもらえるかは微妙だ。

もちろん、まともな会議ならそんな事を考えなくてもすむのだが、今のキシリアの状況を考えると、少々悲観的に考えざるをえない。簡単に言えば、なんらかの嫌がらせがあるのではないかとマ・クベは心配していた。

キシリアが飛ばされた部署は使えない軍人達の墓場で、墓場のゾンビたちはキシリアの家柄と地位を羨み嫉妬した。未来が完全に閉ざされた自分たちに比べ、士官学校を卒業したばかりで何の実績もあげていない小娘がいきなり中佐なのだから、その妬みはまあ判らないでもない。

下種なもので、妬みながらも権力のおこぼれを狙って甘い言葉を使って擦り寄ってみれば、キシリアに手ひどく平手打ちを食らい、逆恨みが募る。

キシリアはここではあきらかに異分子だった。人間には、自分と違うものを排除する傾向にある。ぬるま湯のような環境で安穏とすごし、会議なんてものは、紙に書かれたものを読み上げ、公費で美味い飯を食って終りだと思っているような奴らには、物事を改善しようなんていう思想自体が自分たちを脅かす危険そのものであり、やる気のあるキシリアが疎ましくてしょうがないのだ。そのただでさえ危険なキシリアが、彼らを「役立たず」「無能」とさんざんに非難する。ならお前はどうなんだと言いたい所だが、キシリアはきちんと自分の仕事はやっているので、反論も出来ない。

そのキシリアが、得体の知れぬ、評判の悪い男を連れて自分たちを脅かし、やりたい放題しているのだから、面白い訳がない。

そういう輩のキシリアに対する不満や、不穏な動きを、マ・クベは何度も耳にしてきた。

これまでは陰口程度で済んでいたのだが、今回はっきりと嫌がらせをしてキシリアに害を加えるのではないかとマ・クベは心配している。

会議ではキシリアの味方は誰もいない。表立ってキシリアに味方し、わざわざ公王の不評を買おうという頓狂な人間は今のところマ・クベしかいないのだ。

 なのに、反発と嫉妬、恨みを滾らせ、何をするか判らない馬鹿が会議の参加者の大多数を占めているときている。公王がキシリアの仕官をやめさせたがっているという事をかさにきて拡大解釈し、キシリアを攻撃してくる可能性は大いにあった。

マ・クベの心配している様な事など考え付きもしないキシリアが、純粋に力を試すチャンスだと期待しているのを見ると、気が重くなる。

「燕雀、安んぞ鴻鵠の志を知らんや」という言葉がある。空の低い所しか飛べぬ鳥には、空の高い所を飛ぶ鳥の気持ちは判らぬ。という意味だが、逆に、空の高みを飛ぶ鳳凰であるキシリアには、地を這いずり他人の足を引っ張る事に血眼になっているものの卑小な考えは判らない。なぜそんな事を考えるのか判らないだろうし、知りたくも無いだろう。

頭を振って、その心配を追い払った。マ・クベもなんとか根回しはしてみるが、今はその事を考えても仕方が無い。

組織の暗部を見せ付けられショックだろうが、早めに現実に気がつく事ができれば、それはそれで良いのかもしれないとも思う。これでへこたれる様なら、ここで辞めてしまった方がキシリアのためだ。

それでもキシリアが心配で、気付かれない様、ちらりと目だけでキシリアの様子をうかがう。

キシリアは、少し笑みさえ浮かべながら端末に向かって手を動かしている。 

 来週の今ごろは、どうなっているのだろうと、マ・クベが複雑な気持ちでキシリアから視線を外した。



 行われた会議はキシリアのみ参加を許され、マ・クベは会議室の外で落ち着かない様子で時計を見た。もうすぐ終わるはずだ。

 できるだけ根回しはしてみたが、何分、マ・クベもここでは新参者であり、有力なコネも無い。しかも、キシリアを辞めさせたがっているというデギン公の意向は行き渡っており、キシリアへの反発と、キシリアを辞めさせる事によって、デギン公の関心が得られると勘違いしたものによって、キシリア外しが行われるのはほぼ確実だろうと思われたのだ。

 事前にその旨は伝えてあるが、いくら覚悟をしているからといって、ショックな事には変わりない。

 マ・クベがまた時計を見た。ちょうど、終わる時刻だ。

終了時刻ぴったりにドアが開き、会議に参加した将官、佐官たちが談笑しながらぞろぞろと出てきた。ドア近くに控えているマ・クベを意味ありげにちらりと見た後、嘲笑うように声を上げて笑い、また談笑を続ける。「あの小娘の顔、見ものだったぞ」と聞こえよがしに言ったのは、マ・クベが最初に見た、以前キシリアに平手打ちを食らった奴だ。

「いくらザビ家の息女といえど、組織の秩序を乱した制裁は受けてもらわねばならん。公王陛下も、キシリア中佐の権力の乱用を苦々しくお思いだそうじゃないか。公王陛下のご意向に沿い、我々忠臣が乱れを正したのだ」

また別の男が、誇らしげに言った言葉がマ・クベの耳に入ってきた。その言葉を聞き、マ・クベが握った拳に力を入れた。

その下種な言葉だけで、彼らがキシリアに何をしたのかが大体判った。

何が制裁だ!

自分たちの怠惰な安寧のために、事実を捻じ曲げ、正しいものを虐げ、引き摺り下ろす。その腐った根性に気がつかずに、まるで武勇伝のように話してさえいる。その醜さは、マ・クベの美意識にことごとく反し、吐き気がしそうだ。

どうしようも無く嫌な予感がした。なぜか太った男の多い会議の参加者たちがぞろぞろと出て行った後、最後にキシリアが真っ青な顔をして出てきた。

いくらキシリアに才能があり、公女だとしても、所詮は世間知らずの小娘でしかない。かたや相手は人を陥れる事や嫌がらせをすることに関しては百錬練磨のつわもの達だ。

 血の気のうせた唇を噛み締め、表情は強張り、真っ直ぐに前だけを見ている。足取りは確かだったが、マ・クベを省みる事無く、早足で通り過ぎていく。

 どんな屈辱を受けようが、キシリアがあんな下種どもに情けない顔を見せるわけがない。何をされても、毅然として、気丈に振舞っていたに違いないのだ。

内心に嵐が吹きすさんでも、胸を張って顔を上げて、最後まで堂々と女王の心を持ち、卑怯者には絶対に負けぬ。と態度で示している。

 感情を表に出せないだけに、キシリアの溜め込んだダメージは相当のものだと予想された。

「キシリア様!」

 そう声をかけてマ・クベが追いかけようとした時、同じく会議に参加した将官の副官で顔なじみになった男から肩を叩かれた。

「かなり嫌がらせを言われたらしい。発言は一度も許されなかったそうだ。行ってやれ」

 柱の影でそう小声でマ・クベに伝えた。キシリアに同情ぎみのその男は、上官が自慢げに、ザビ家の娘をへこませてやったと語っているのを聞き、わざわざそっとマ・クベに伝えに来てくれたのだ。

 彼らは、キシリアがこれ以上の地位につくことは無いと踏んでいる。自分の上官になるかもしれないという事など、万が一にでも考えていない。それだけキシリアをなめているのだ。

「君の上官に伝えておいてくれないか?」

 まるで自分の事のように、怒りに震えるのを感じた。唇の端が痙攣しそうになるのを、必死に押さえて、マ・クベが冷静な口調でそう言う。

 道義的な怒りというよりも、大事な人を傷つけられた怒りの方が、はるかに大きかった。

 あんな下種どもが、私のキシリア様を傷つけたのだ!

 ただではおかぬよ、絶対にな。

そう思い、気が付かぬうちにマ・クベは薄い笑いを浮かべている。

怒りが大きくなればなるほど、自分の中のある部分が冷たくなっていき、妙に冷静になるのを感じた。今なら、どんなに非道な事でもできる気がする。

 マ・クベの目があまりに冷たく、言われた男がびくっと怯えた。

「虎の子を猫と見まちがえる愚をいつか後悔する時が来る。とな」

恐ろしさのあまり馬鹿のように頷く男を省みる事さえせず、そう言い捨て、マ・クベは足早にキシリアの後を追った。「あの男も、あんな小娘に尻尾を振るとは馬鹿な奴だ」と、下卑た嘲笑が追いかけてきたが、そんな事はどうでも良かった。



キシリアは、ただ、早足で真っ直ぐに進んでいく。マ・クベが少し距離をおいてその後を急いで追った。行き先の見えぬキシリアの足取りを、マ・クベが根気良く追っていく。

 会議室が続く一帯を通り抜け、だんだんと人気の無いエリアへと足を進める。ほとんど誰も来る事の無い資料室が並ぶ区間へ来ると、キシリアはいきなりその中の一室へと入っていった。マ・クベも追って中へ入る。

 入った瞬間見たのは、キシリアが狂ったようにそこにあった椅子を投げつける光景だった。椅子はスチール製の資料棚にぶち当たり、派手な音を立てて床へ転がった。棚に綺麗にしまわれていたディスクがばらばらと床に落ちる。

 それでも怒りが収まらなかったのか、今度は雑然としたまま片付けられていないデスクの上を、キシリアの手が乱暴に払った。うっすらと溜まったホコリが舞い、バサバサとペンや紙が放り出される。もう一度デスクの上を払おうとしたキシリアの手がびくっと引っ込められた。

「痛い……」

 先ほどの荒々しさからうって変わって、ぽつりと弱々しく一言呟いた。

 白魚のような指先から、鮮血がぽたぽた落ちている。八つ当たりに腹を立てたのか、出したままだったカッターの刃がキシリアの指を傷つけたのだ。

 気丈なキシリアの瞳から、みるみるうちに涙が溢れた。

「痛い……」

 もう一度呟くと、耐え切れないというように顔を歪めた。大粒の涙が、ぽろぽろと零れ落ちる。

 その涙は指先の痛みからではなく、外へ出るきっかけを得たキシリアの悔しさと悲しさからだということをマ・クベは判っている。

 床にキシリアの血と涙がぱたぱたと落ち、白い手は血に染まった。マ・クベが慌ててキシリアの手を取る。傷口は、小さいが深かったのか血が止まらず、止血が上手くいかないのにマ・クベが苛立った。

「悔しい」

 マ・クベに手を任せながら、震える唇からそう呟いた。

「私は無力だ」

 そう言ってぐっと目を閉じた。体が震え、涙がまた頬を伝う。人に弱みを見せるのを嫌うキシリアが、泣き顔を他人に見せるなど考えられぬ事だった。マ・クベには自分の心を見せてもいいと、心から信頼している証だった。

ようやく血の止まったキシリアの指にマ・クベがハンカチを手早く巻いた。

「力が欲しい」

 マ・クベのなすがままにされながら、キシリアがまたそう呟く。小さな声だったが、キシリアがどれだけ真剣にその言葉を口にしたのかと思うと、マ・クベの心が痛んだ。

「大丈夫です。私が貴女をカッサンドラにはさせませんから」

 キシリアを励ますように、力強くマ・クベがそう言った。

トロイの滅亡を予言したにもかかわらず、力が無いためにどうする事もできなかった王女カッサンドラの二の舞をキシリアにさせるわけにはいかない。「武器を持たない預言者は、自殺する」というマキャベリの言葉を現実のものにしてはならない。

力が欲しい。というキシリアの悔しさが、痛いほど判る。

 キシリア様に力を。強大な力を。

 この私の手で!

 その時初めて、マ・クベはキシリアの存在を他の何よりも大切に思っている事に気が付いた。

 キシリア様の為に。

 使命感が、マ・クベを突き動かした。キシリアのことを考えるだけで、何事をも成す事ができるような力が、体の奥から湧いてくる。これまでに味わった事のない高揚感がマ・クベを満たした。

「このくらいの事で、負けてたまるか……」

 握った拳を、ぶるぶると震わせ、キシリアがそううめくように呟いた。こんな時でも、他人にすがろうとせず、意地を張って一人きりで泣いているキシリアの心を、支えてやりたかった。

「そうです。キシリア様の事を理解できない無能な奴らに、後悔させてやりましょう。でも今だけお泣きなさい。今は、いいのですよ」

 マ・クベが、自分からそっとキシリアの体を抱きしめた。頼りなさげにかすかに震えている細い体が、とても大事に思えた。壊れ物を扱うように、大切な宝物に触れるように、キシリアに触れた。

「大丈夫、大丈夫ですから」

 キシリアの耳元で繰り返し囁く。

 マ・クベの低い声が優しい子守唄のようで、キシリアはマ・クベにしがみついて子供のように泣いた。



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20040527 UP

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