2 Rescue me.



「あの小娘が!」

 すれ違いざま、はげ頭のでっぷりと太った男がそう言葉を吐き捨てるのが聞こえた。その言葉の不穏さに、ちらりと男を観察する。頬に赤い手形があるその男の階級は、マ・クベより一つ上の中佐であるようだ。

 マ・クベの側を通り過ぎると、男は、自分の副官らしき男に猛烈に八つ当たりをして怒鳴りつけた。

それでも怒りは収まらないらしく、「私を殴りおった。雌猫め!!」と吐き捨てるように言うと、こんな上官を持った哀れな男が慌てて周りを見回しながら、「お怒りはごもっともですが、相手はザビ家の一員です。言葉をお控えください」と小声で宥めた。

 それだけ見るとあの二人にはすっかり興味を失い、男が出てきた扉の向こうへマ・クベが入ってゆく。

そこには、先ほどの男を激昂させ「あの小娘」「雌猫」と評された、彼の新しく仕えるべき上官がいるはずだ。

 執務室へ入ると、挨拶をしようと開きかけた口が何も言えずにまた閉じた。そこがあまりにもマ・クベが知っている執務室という空間とはかけ離れていたからだ。

マ・クベは今まで文官としてジオンに仕え、軍人としての出仕は今日が初めてだったが、軍人と文官の差を考えてもこの部屋の異常さは説明できないだろう。



 執務室の床中に書類が散らばっていた。窓からは明るくて気持ちのよい光がさんさんと差し込んでくる。その光を浴びて、椅子ではなくデスクの縁に、ジオンの軍服を着た一人の若い女が腰掛け足をぶらぶらさせている。

 明るい光が娘の瑞々しい肌やしなやかな体を照らし、まだ着こなしていない軍服姿が初々しく、若々しい美しさが溢れんばかりであった。

その空間の非現実性と相まって、まるで一枚の絵か写真のようだ。

 一瞬見惚れたが、次の瞬間には、自分の仕事を思い出して内心顔をしかめた。

先が思いやられる……。

 それが彼の上官としてのキシリア・ザビに初めて会った時のマ・クベの正直な感想だった。

「呆れ顔だな」

 その若い女がマ・クベに気がつき、デスクに座ったままでそう声をかけた。

この二十歳になったばかりの女性が、マ・クベが新しく仕えるキシリア・ザビ中佐閣下なのだった。

「なんですか? これは」

「いい加減な報告をするから、頭に来た」

 マ・クベが尋ねると、ぷいとそっぽを向いてそうキシリアが言った。マ・クベが足元の書類を一枚拾って、ざっと目を通す。たしかに、すぐ見て判るほどにいい加減な文章が書き連ねてあった。

「私を馬鹿にしている」

 キシリアの声に悔しさがにじみ出ている。だが、込められた苛立ちは、先ほどの男へだけ向けられたものではなく、自分自身へも向けられているように思えた。

 報告書を持ってきた部下を平手打ちし、追い出すほどカリカリしているキシリアに、マ・クベが内心ため息をついた。まるで子供のヒステリーだ。世間知らずの我侭なお嬢様を、これから教育しなおさなければならないのかと思うと、気が滅入った。

「やりたい事は、たくさん有るのだ」

 そんなマ・クベの内心を知らず、キシリアがそう言った。

「でも、どうしたらいいのか判らない」

 そう言って、キシリアがマ・クベへ視線を移した。瞳がすがるようにマ・クベを見ている。

「周りの奴らは私を馬鹿にするし、父上は私を辞めさせたがっている」

 ポツリとそう呟き、キシリアは黙り込んだ。先ほどの姿とはうって変わり、途方にくれた子供のように、頼りなく弱々しい。

その姿を見て、ことりと音を立ててマ・クベの心の中で何かが動いた。否定的な感情が、みるみるうちになりを潜め、代わりに、守ってやりたいというような庇護欲がそそられる。どうもキシリアは、意識しても意識しなくても、マ・クベの気持ちを掴む才能があるようだった。

先ほど男に平手打ちを食らわせたのも、ただのわがままからではなく、ギリギリまで追い詰められているらしいキシリアの精一杯の虚勢と知り、その姿がいじらしいと思う。

「私はどうすれば良いのか、教えてくれ」

 マ・クベの瞳を覗き込み、素直にキシリアがそう言った。判らない事を判らないと言い、素直に教えを乞えるのは、より上へ行くためには必要な素質だ。どうやらキシリアは、その素質は持ち合わせているらしい。

「……私が教えて差し上げます」

 自分でも、驚くほど感情を込めた声がマ・クベの口から出た。窮地に追い込まれた鳥の雛が、懐に入ってきたのを、優しく暖めるのだ。吹雪や嵐に負けぬ力を付けさせ、再び飛び立てるようにするために。

 マ・クベの言葉に、キシリアの顔がぱっと輝いた。四面楚歌のキシリアにとっては、マ・クベの言葉が、何にもまして心強く嬉しかった。

 期待に満ちたキシリアの顔をちらりと見て、マ・クベがぴしゃりと言う。

「まずはデスクに座るのはおよしなさい」

 お行儀の悪さを、まずしっかりと絞られた。



 元々マ・クベは文官としてジオンに仕えており、しかも、宮仕えは止めるつもりであった。そこを急遽キシリアの部下にと強引に頼まれたものだから、事務手続きに時間がかかってしまい、マ・クベが軍人として初出仕したのは、キシリアの初出仕から一ヶ月ほど遅れてのことだった。

 いくら事務手続きに時間がかかるといっても、嫌がらせでやっているのではないかと不審な点も多く、マ・クベの初出仕もやたらと不安の多いものであったが、気を取り直して、さっそく自分の責務を果たすべく、デスクに座った。

 まずは事態を把握すべく、この一ヶ月で、キシリアがしてきた事を軽く見てみる。

 キシリアは完璧主義らしく、部下のする事はいちいち些細な事まで全てチェックしていた。細かく報告を出させ、自らも上官に細かく指示を仰いでいる。端末の中には、すでに資料やら、作成中の報告書やらが山のように入っていた。

 これはさぞかし大変だっただろう……。

 マ・クベのキシリアを見る目が少し変わった。どうやらただのお嬢様ではなさそうだ。

効率のよさはともかくとして、キシリアがやってきた勉強量や作業量は膨大なもので、とてもこの一ヶ月になされたものとは思えなかった。

「誰か、貴女に仕事を教える人はいないのですか?」

 モニターから目を離さずに、側で見ているキシリアに問い掛けた。マ・クベの細い指がキーボードの上を踊り、かちゃかちゃというキーを叩く音がリズミカルに部屋に響く。

「そなた」

 キシリアの簡潔な返事に、キーボードを叩く音が止まった。

「……私だけですか?」

「そうだが、なにか?」

 おもわずキシリアの顔を覗きこむと、キシリアのほうもきょとんとした顔でマ・クベの顔を見返した。

「いいえ、なんでもありません」

 キシリアの顔から、またモニターへ視線を移し、何事も無かったかのように作業を続ける。

 誰も付けてもらえなかったのか? ザビ家の者なのに?

 キシリア自身は、知らないがゆえに何の疑問にも思ってない様子だったが、マ・クベは驚いた。

 右も左も判らない環境に一人放り込まれ、周りは敵ばかり。そんななかで暗中模索してもがいていたのだ。

ザビ家の一人娘の仕官なら、もっと仰々しくお目付役が付き、ちやほやされているものだとばかり思っていた。

 嫌な予感は的中した。と思った。

 キシリアと自分が勤務する予定の部署を知らされた時も、信じられなくてわざわざ確認したのだが、今改めて見てみても主な仕事は在庫管理で、大して重要でもないにもかかわらず、煩雑で単調、硬直した書類相手の仕事がマ・クベとキシリアのやるべき仕事だった。

普通なら考えられなかったが、「父は辞めさせたがっている」というキシリアの言葉がよぎった。おそらく、最初からキシリアに仕事をさせる気が無いのだ。

キシリアが、わざわざ汚れた自分を部下にと思ったのも、父親との確執で、碌な部下をつけて貰えないと予想しての事だったのだろう。

 最初からここまで露骨に嫌がらせをされるのだから、これからの道はかなり険しいものになるだろう。そう思いながら、何枚かのキシリア・ザビのサインがされている命令書をちらりと見た。

 こんなものを熱心にやっていたのか?

 仕事内容の下らなさを、また口に出そうか出すまいか数瞬迷った。これをキシリアが一生懸命やっていたのかと思うと、少し同情の念が起こる。

 まさか、ザビ家の娘が、賞味期限切れのレーションの処理をしているとは、誰が思うだろうか……。

 華やかな仕事ぶりの兄達に対して、この仕打ちでは、あからさますぎるほどに「辞めろ」と言われているようなものだ。

「キシリア中佐……」

 マ・クベが口を開きかけた時、隣のキシリアが転寝をしているのに気が付いた。事務用の椅子の背もたれにもたれ、首をかしげるようにして軽い寝息を立てている。まだ少女の面影を残したあどけない寝顔に、マ・クベが無意識のうちに手を伸ばし、指の背で頬を撫でた。

「う……ん」

 マ・クベの手の感触に小さく声を漏らし、キシリアの目がうっすらと開いた。慌てて跳ね起きる。

「す、すまない」

 自分の失態に気がつき、申し訳なさそうに身を縮こませ、マ・クベを上目使いで見上げた。マ・クベが来たのに安心して、つい気が抜けてしまったようだ。

「寝ていないのですか?」

 手を休め、キシリアのほうに向き直ってマ・クベが尋ねる。

 もしかしたら、頭痛もするのかもしれない。こめかみに手を当てながら、キシリアが頷いた。

「仮眠室で少しお休みなさい。後は私がやっておきます」

 そう言って、またキシリアから視線を外す。キシリアの体を気遣いながら、それでも、甘やかす事のないような口調だった。キシリアとの間に微妙な距離を保っている。

「だが……」

 迷うキシリアに、マ・クベがちらと視線を送り、ぴしりと言った。

「自分の健康管理もできない人に、従おうという気にはなれませんよ」

「判った。少し休む。なにかあったらすぐに呼んでくれ」

 マ・クベの言葉に、キシリアがそう言った。言わされたというほうが正しいだろうか。

マ・クベの言葉は、もしかしたら、キシリアを休ませるために言ったのかもしれないし、キシリアの気を引き締めるために言ったのかもしれない。もしくは、その両方かもしれなかった。

 とにかく、マ・クベがそう言ってくれたおかげで、キシリアは一ヶ月ぶりに充分な睡眠を確保する事ができたのだった。



 ふうとキシリアが大きなため息をついた。

 仮眠から帰ってきてみると、キシリアが一ヶ月もの間格闘した仕事の山はマ・クベによってほんの数時間で片付けられてしまった後だった。

 この一ヶ月間、私は何をやってきたのだろうか。

そう思って、自分の不甲斐なさに悔しくて泣きそうになる。

「不甲斐ないな」

 端末のモニターを見ながら、またふうとため息をついた。

「やはり、父が言ったとおり私では勤まらないのか」

 圧倒的な力の差を見せ付けられ、自分の未熟さを思い知らされ、キシリアのプライドはボロボロに傷付けられた。ぽろりと泣き言が漏れる。

「慰めて欲しいのですか?」

 マ・クベの冷たい声が、ぞくりとキシリアの背筋を凍らせた。この男は、自分が主人たるに相応しくないと知れば、今までの男とは違い、すぐに私を見捨てるだろう。そんな男を選んだのは自分だ。という事を思い出した。

「すまない、弱音を吐いた。今の言葉忘れてくれ」

 気丈にキシリアがそう言った。空元気でも、そうしなければキシリアは見捨てられるのだ。だが、自分で選んだ道とはいえ、士官学校を卒業してすぐのキシリアにとっては、少々酷な事だった。

「こんな誰にでも出来るような仕事が出来るより、もっと貴重な才能を貴女はお持ちだ」

 キシリアが崩れ落ちそうになるのを必死で我慢しているのを見て、マ・クベが口を開いた。

ただの部下というだけではなく、叱咤するだけでなく、支えて励まし、育てる。キシリアの教師、または庇護者という役目を自らに課することを決めたようだ。

最初からキシリアが恵まれた環境にいれば、手助けしようなど思わなかっただろう。だが、窮地に追い込まれているのを見て、キシリアを潰そうとする周りの人間に対する妙な反抗心のようなものがむらむらと湧いた。

キシリアへの好意があるのが一番だが、マ・クベの中の天邪鬼な部分が、馬鹿どもに一泡吹かせてやる。という子供のような闘争心を持たせるのだ。

しかも、マ・クベ自身も結構それを楽しんでいる。 

給料以上の働きはしない。という以前のマ・クベを知る人が見たら、信じられない事だろう。

「なんだ?」

 落ち込んで、何事も信じられないというようなキシリアの暗い目を、しっかりとマ・クベが覗き込んだ。

「貴女は私を選んだではないですか。その上、私を落とした」

 マ・クベの言葉に、「あ」というように、キシリアの目が少し見開かれた。何を言われても信じられない気持ちだったが、それだけは信じなければいけない。それを否定する事は、マ・クベをも否定する事になるのだから。マ・クベはもちろんそれを判っていて、キシリアを励ますために言ったのだ。

「人を見る目があるというのは、得がたい素質ですよ」

 私を選ぶとは見る目がある。と、堂々と言うふてぶてしさと大胆不敵さに、落ちこんでいたキシリアの顔から笑みがこぼれた。

 キシリアの笑みを見て、初めてにしては、なかなか上手く子守りができている。とマ・クベも内心で自画自賛した。ひねくれ者の自分にそうさせたのは、もちろんキシリアなのだけれども。



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