5、暗雲
天から細かな雨の雫が幾つも幾つも降り注いでくる。灰色の世界に、たくさんの銀の糸が引いているようであった。
小さな雨粒は天空からキシリアの居る部屋の透明な窓ガラスに落ち、自らの重みに耐え兼ねて下へ滑り、やがて地に帰る。
「私に付いてきてくれるのか」
窓際で言葉の先に居るはずのマ・クベに背を向け、伝い落ちる雨の雫を見ながら抑揚のない声でキシリアが言った。
「ええ」
マ・クベが短く返す。沈黙が下りた。
暗雲が立ち込めていた。空にではない。キシリアと、ギレンの間にだ。
ベッドを共にしながらも、不満が澱のように積もってゆくのは感じていた。
ギレン総帥を私は好かぬ。
ギレンの事は愛していると自覚した今でも、一方でそう思う気持ちは全く変っていない。キシリアが好かぬと思っているギレンの部分は、全く変っていないからだ。愛しているからと言って、盲目的にギレンの全てを肯定する事は出来なかった。
私が愛しているギレン、私が好きではないギレン。ギレンを半分に分けられたらどんなに楽になるか……。
そんな埒の無い事まで疲れた頭でぼんやり考える。
水と油のように相反する感情がキシリアの中でせめぎあっていた。そして今、キシリアの好きでないギレンが、キシリアの愛しているギレンを凌駕してしまおうとしている。
きっかけは、ギレンがデギン公を病気療養という名目で軟禁し、全ての権力を奪ったという情報だった。
絶対安静を盾にキシリアでさえもデギンに会わせては貰えず、デギンから一切の事を任されたというギレンの言葉も真実であるのかどうかを確かめる術が無い。
ギレンが父公王を疎ましく思っていることは知っている。自分もある程度父を押さえる事もやむをえないと考えていた。
だが、キシリアはあくまでもデギンを公王として戴くつもりであった。父として尊敬し、敬愛していた。いずれデギンがその座を退くにしても、それは今ではないと思っていたのだ。
だが、ギレンは違った。
ギレンを危険とみなして連邦との和平を企んでいるデギンを、ギレンの独断で事実上廃したに違いない。
ギレンめ、やりすぎだ。
キシリアがそう心の中で呟き唇を噛み締めた。
キシリアが子飼いの諜報機関から得たその情報は、二人の間の甘やかな感情を即座に切り裂いた。
真実を確かめようとキシリアが動いたと知るや、ギレンは今度はキシリアに罪をでっち上げ、捕縛しようとしているらしい。
その情報がキシリアの耳に入った時に限界を迎えた。
プライベートなギレンと公人としてのギレンは全くの別人だった。愛していると囁いた女を、必要だからという理由で公の場から排除しようとする。
キシリアもそれは同じだった。ギレンを愛していても、それだけでギレンに従ったりはしなかった。納得のいく理由がなければ噛み付き、従わない。
ベッドでは愛し合っていても、ベッドを出ればぶつかる事は多かった。相手に甘えず、相手を侮れぬ相手だと思っていたからこそ、キシリアは一歩も譲らなかった。
哀しい事に一方のギレンはそうは思っていなかったようだ。キシリアが懸命にギレンを追いかけていたのに、ギレンはキシリアのことなどどうでもいいというように今回の行動に出た。キシリアや他の家族を無視したこんな行動を取ったのだ。
幾ら会議室で議論を戦わせようとその不和がベッドを分かつような事にはならなかった。それができたのだ。
今までは。
だが、今回の事は我慢できない。理解する事が出来ない。自分を誤魔化してギレンとの関係を続けることは出来ない。
自分の父親に対してあまりにも酷い仕打ちに、キシリアは怒りに震えた。キシリアとて、独断で連邦との和平などを企んでいるデギンを押さえるのは必要だと判っている。だが、やり方があまりにも強引すぎる。肉親に対する情だけでなく、政治的に考えても、キシリアはギレンの行動をおいそれと許すわけにはいかなかった。
まだこの国は幼く未熟だ。父上あってのジオンだという事を兄上は判っていない。
兄上は自分の力を過信しすぎている。
このような強引な事を行えば、ギレンに対する反発が起こるのは判りきっている。兄上は内と外に敵を抱えるつもりか。
キシリアが苦々しくそう思った。
しかもギレンはこれらの事を独断で行った。あまりにも他の家族のことをないがしろにしている。その事もキシリアにとっては大きな不安だった。軽んじられているという怒りと共に、これではついてゆけぬというギレンに対する不満を強く感じる。
ギレンにないがしろにされた……という失望感は、キシリアをどん底に落とし、振り払っても振り払ってもキシリアにまとわりついてじりじり焦いた。
兄上は、我々の事を都合の良い道具とでも思っているのではないか?
家族は……、いや私は……、兄上にとって何なのだ?
キシリアが、何百回も心の中で呟いた言葉をまた思い浮かべた。
家族といえど、ギレンの野望を達成するための道具程度にしか思っていないのではないか。そして用が無くなれば、または邪魔になればいともあっさりと捨てられる。ギレンがデギンにした事を思うと、いつ自分もそうされるのか判らないという恐怖を感じる。
そして、事実キシリアはそうされかかっているのだ。
私はギレンの特別だと信じていた。その自信が足元から崩れ去る。
今回の不和は、起こるべくして起こったのだと思う。今回の事はきっかけにすぎない。
恐らく、自分を捕縛してさえも、ギレンは私を愛していると囁き、私を飼うつもりなのだろう。
認めたくはないが、一抹の寂しさを感じキシリアがそう思った。
キシリアの気持ちを無視し、自分の都合を押し付けるギレンが容易に想像できた。
ギレンは私を理解しようとしない。
それが、以前からキシリアが抱いていた不満の一つだった。キシリアの事を理解し、または理解しようと思えば、これはキシリアにとって我慢が出来ない事だとわかるはずだ。だが、ギレンはそれを行ってしまった。キシリアのことを判っていない、認めていないと自ら証明したのと同じだ。
ニュータイプに関する考えや、これからのジオンをどうするかという事について、ギレンとキシリアの意見は異なる部分も多かった。だが、今までは、共に議論を戦わせながらも、歩みより、一緒にジオンを支えてゆこうと思っていたのだ。
だが、今のままではそれは出来ない。これではギレンを尊敬し、認めることが出来ない。ギレンのやり方には従えない。
キシリアの女の部分が、ギレンから離れたくないと泣く。キシリアの理性と野心がギレンにはついていけぬと憤る。
心が真っ二つに裂かれるようだった。
でももう心はもう決まっている。キシリアは自らの考え方を捨ててまで、今のギレンについて行こうという気はない。自分が自分でいられないのなら、ギレンであろうと切り捨てる。ギレンの人形になるつもりは無いのだ。
ここでギレン恋しさに大人しく従うような女なら、ギレンは私を選んだりしなかっただろう。
兄上に教えてやろうではないか。
私は、兄上の所有物などではないという事を。私を理解しないのならば、私は離れていくということを。
もう、兄上には従えぬ。
キシリアが、兄から離れる事をはっきり決意した瞬間だった。
憤りと悲しみが、キシリアの身を蝕む。
ふと、疲れているのを感じた。
「私はお前が必要だ。だが、私はお前を裏切った」
キシリアの静かな声が部屋に響いた。マ・クベの手助けが無ければ、今のキシリアは兄を屈服させるどころか、自分の身を守る事さえ危うい。
だが、そのマ・クベを一度は愛していると言ったにもかかわらず突き放し、更には兄との行為に巻き込んだ。二度と協力できぬと言われても仕方がなかった。
それなのにマ・クベは、その事は気にしないと言い放った。だが、卑怯だと思ってもキシリアのほうが居たたまれなくてマ・クベと公の場以外に共にいることを避けていたのだ。
マ・クベはそんなキシリアを責めもせず、何事も無かったかのように振舞う。
今回の事が起きても、マ・クベはキシリアがギレンから離れる事を口に出す前に淡々と下準備を始めている。キシリアがようやくはっきりと問いかけても、事も無げに短く返事をしただけだった。マ・クベの気持ちが判らず、キシリアはマ・クベをまっすぐに見ることが出来ない。
窓の外を眺めるキシリアの体を、不意にマ・クベの腕が抱きしめた。マ・クベの腕の温かさに、疲れた心が涙ぐみそうになる。
「お止め、マ・クベ、お願いだから……」
キシリアが小さく呟いた。自分が傷つけた男に、お前が欲しいと言ってしまいそうになる。抱きしめられた腕を解く力は無い。
単に、自分の部下としてマ・クベが必要だというだけではなく、キシリアの心もマ・クベを必要としている。
私はまだこの男を愛している。
抱きしめられて痛いほどそれを感じた。こうなる事が怖かったのだ。マ・クベに近づけば自分が壊れると判っていたからマ・クベを無意識のうちに避けていた。
自分は卑怯者だと思った。都合のいい時だけ、自分が断絶を告げた男に頼るなんて、こんな人間にはなりたくなかった。いつでも誇りを持って生きてきたはずなのに、自分の弱さを思い知らされた。
マ・クベがキシリアに口付けた。
逆らえない。
ああ……とキシリアの唇から絶望のため息が漏れた。
長い口付けの後、マ・クベの唇は、キシリアの唇を啄ばむように角度を変えて浅く口付け、しなやかな首筋に口付ける。
手がキシリアの軍服を探り、マ・クベの手で外された黒いマントが床へ滑り落ちた。
「私を抱くのか? なぜ?」
マ・クベの意図を察し、キシリアが小さく呟いた。
「……私がそうしたいからです」
「私の罪は知っているだろう」
マ・クベの腕から、逃げるように身じろぎをするキシリアの両肩をマ・クベの手が強く掴んだ。
「自分を責めたかったら充分にそうしなさい。満足したら私を受け入れなさい。だが、私は貴女の気持ちの整理がつくまで待つつもりはありませんよ。私は私のしたいようにさせていただきます」
そう言うマ・クベの瞳には、これまでキシリアに見せた事の無い厳しい光がありキシリアを怯ませた。その目の光は、キシリアのぐちゃぐちゃとした汚い感情を全て見通しているようだった。
「どうして……? そなたは私を許してくれるのか」
「許すも許さないも、私は最初から貴女を咎めるつもりはありません。貴女、あれくらいで私から逃れられると思ったら大間違いですよ」
そう言ってふっと笑い、マ・クベの手がキシリアの軍服を剥ぎ取る事を再び始めた。キシリアの弱さも、甘えも、ずるさも、何もかも判っていながらマ・クベはキシリアを求めている。だが、マ・クベはキシリアにとって都合の良い存在などではけしてなかった。逆に、得体の知れぬ身の危険をキシリアはマ・クベに対して感じた。
「馬鹿な」
うめくように呟いたキシリアの声を無視し、マ・クベの手がぐいとキシリアの軍服の前をはだけさせた。
白く柔らかい二つの丘が、無防備に晒される。
「嫌なら抵抗なさい。そうしたら、貴女の耳元で囁いてあげましょう『私無しでどうするのですか?』とね」
キシリアの目を覗き込みながら、マ・クベがそう言った。
上官であり、愛する女であり、神聖な存在であったはずのキシリアに対し、マ・クベの声も、瞳も、その内容も、明らかに脅迫していた。拒めば、手助けはしないと。
「なぜそんな事を言うのだ? 自らを貶める様な事を……」
キシリアの顔が、信じられないというように歪められた。
マ・クベとキシリアの力関係は、今や完全に逆転していた。かつて支配していた男にいいようにされる屈辱よりも信じられないという思いのほうが勝った。
得体の知れぬ恐怖の原因に気がついた。今痛いほど感じているのはマ・クベに支配されるのではないかという恐怖だ。いや、それは恐怖というものではなく、今現実に起こっている『事実』だった。
マ・クベが自分に見せていた顔がいかに一面的なものであったのかようやく気がついた。
私はマ・クベを支配していたのではない。マ・クベが私に頭を下げていてくれていたのだ。
ようやくその事に気がついた。自分の自惚れと思い上がりに、マ・クベがそうしてくれるのを当たり前だと思っていた傲慢さに自分を殴り倒したいほどだった。
キシリアの内心などお構いなしに、マ・クベの唇が喉を這い、時折強く吸い上げられる。真っ白な胸元にも、赤い口付けのあとを付ける。
「私は貴女が欲しい。昔も、今も。それだけです」
口付けを落としていた顔を上げ、マ・クベがそう言った。その時だけ、ふと、昔のマ・クベの顔を取り戻す。
「貴女だって、私を愛しているではありませんか」
だが、それもほんの一瞬の事だった。そう言ったマ・クベの顔は、またキシリアが見た事の無い顔をしている。
マ・クベの言葉に、キシリアの体がびくりと震えた。自分の気持ちを見透かされた恐怖に、目が見開かれる。
マ・クベがこんな手段を使ってまでキシリアを手に入れようとしたのは、自分が曖昧だったからだ。マ・クベを完全に断ち切らなければいけなかったのに、付け入る隙を与えてしまったのだ。
ギレンに良いように引きずられながら、マ・クベへの思いを断ち切れなかった自業自得。
「手遅れなのですよ。もう優しくしてはあげません。楽になどしてあげませんよ。私は充分すぎるほど貴女を待ったのです。その果てに貴女を奪われた。貴女のお兄様は、私に教えてくださいました。奇麗事を並べて大切なものを掴み損ねる愚かしさと、欲しいものは、どんな手を使ってでも得た者が勝ちだという事をね」
「そんな事許されるはずがない!」
淡々と言うマ・クベの低い声が恐ろしくて、声を荒げた。
マ・クベとギレン、二人の男を愛する事など許されるはずが無い。そう理性は思う。だが、感情は、ギレンとマ・クベの両方を欲しがっている。
ギレンのエゴが、マ・クベのエゴが、そして自分のエゴが、絡み合って様々に形を変える。昨日までギレンに抱かれていたのに、ギレンに心を残したまま、今日はマ・クベに抱かれる。それが、許されるのか?
そう思って、はっとした。
ギレンに抱かれている時だって、マ・クベの事を胸に抱いていたではないか。
「誰が許すというのです? ギレンがですか? もしや、『神が』などと馬鹿な事を仰るつもりではないでしょうね? そんな事で迷うのに時間を費やすくらいなら、おとなしく私に抱かれた方がましですよ。私は、本来私のものであった貴女を奪い返しているだけです」
マ・クベは、私の醜い心を知っている。どちらの男も欲しがっている私の本心を知っている。
それでもいいと……言っている。
自己嫌悪に、気分が悪くなりそうだった。このまま、マ・クベからもギレンからも逃げてしまえば、どれだけ楽だろうと一瞬心が逃げかけた。
いっそのこと、責められた方がどんなにましだったか。
だが、マ・クベはキシリアを「甘やかさない」と言った。逃がすつもりは無いのだ。キシリアがマ・クベを裏切ったというのなら、なおさら許すつもりは無いのだ。
「お言いなさい、私が必要だと」
「ああ……」
マ・クベの厳しい口調に、キシリアはいやいやと力なく首を振った。
今までマ・クベは、私に頭を下げる事を『楽しんで』いたのだ。本当に余裕があったのは私ではなくマ・クベだった。
そのマ・クベが、私より完全に優位にいながら、それなのに今までに見た事の無い切羽詰った表情で私を責める。
その事実に頭がおかしくなりそうだった。
「お言いなさい、さあ!」
マ・クベはそれでは許さずに、キシリアの肩を掴み、揺さぶった。キシリアの唇が、白くなるまで噛み締められる。
愛しているという気持ちは純粋なものなのに、さまざまな利害関係がそれを素直に表に出す事を許さない。愛している、愛されている、そして裏切っている。支配している、支配されている、追いかけている、追いかけられている。この劇に明確な役割分担などなかった。先ほどまで追いかけていた相手が、今度は自分を追いかけている。支配していたはずが支配されている。
共通しているのは、誰もが焦って余裕が無いということだ。誰もが必死になっている。無我夢中で相手を求めている。
そうだ。
綺麗に取り繕っている余裕など無い。
私も、この男も。
不意にマ・クベの手が強く撥ね退けられた。
キシリアがマ・クベを睨みつけている。
「ああ、その通りだ、私はそなたを愛している。私にはそなたが必要なのだ。そなたも共に堕ちよ!」
キシリアの、有無を言わせない声がそう命じた。何かを壊され、変ってしまったキシリアが、目をぎらぎらさせ、荒く息をついている。
言わされた……!
マ・クベにいいように操られ、本心を吐かされた。自分を律する事の出来なかった悔しさからか、キシリアの目から涙がいく筋も落ちた。髪は乱れ、目をかっと見開き、ただ涙だけを流している。
覚悟を決めた。もう構うものか。
突き抜けた者の覚悟がキシリアに備わり、これまでの弱々しさが嘘のようにマ・クベを見る。
何かを捨て、その代わりにより一層の力を取り戻した彼の女神を見て、マ・クベが満足そうに微笑んだ。
「その言葉をお待ちしていました。それでこそ、私のキシリア様です」
優しい顔にマ・クベが戻り、臣下の礼をとるように、慇懃に頭を下げる。
急な変化に、キシリアが戸惑う。これもマ・クベの策略だと判っていても、辺り中に張り巡らされた罠だと知っていても。
この男も、私を甘やかせるつもりは無い。隙を見せれば、瞬く間に食い尽くし、何もかも奪うつもりなのだろう。
強くならなければ、いいようにされるだけだ。ギレンにも、マ・クベにも。甘えていれば、どちらにも奪い尽くされてしまう。最後に何も残らなくなったつまらない女に、何の価値があろうか?
「貴女、私を誤解してらっしゃるようだ」
キシリアの、マ・クベを見る瞳の険しさに、マ・クベが少し笑って言った。
従順な部下だった自分しか知らぬキシリアには、今の自分の変貌は信じられないだろう。今まで欲しいものは手段を選ばず得てきた。なのにキシリアにはそうできなかった。そして一番欲しいものをむざむざ他人に取られたのだ。
「これが本当の私なのですよ」
マ・クベがそう付け加え、キシリアの反応を伺う。キシリアは無言でマ・クベを睨みつけたままだ。
これはこれで良かったかも知れぬ。とマ・クベは思った。
ギレンがいなければ、自らの本性を押し隠し、綺麗な愛の言葉を囁く事から抜け出せなかったかもしれぬ。
こんな私でも、本当にあの時は貴女を想っているだけで良かったのですよ。
そう心の中で呟いた。自らの心の内に、そんな少年のような青臭い感情があるのに驚いたのは誰よりもマ・クベ自身だった。キシリアの前では、綺麗な自分を見せていたかった。
だが、キシリアの口から、自分を愛している。という言葉を聞いてから、キシリアを欲しいという気持ちが押さえきれない。
どんな手を使ってでも取り戻したい。今までキシリアに見せていた、「マ・クベ」という存在を壊してでも。
汚い手を使う自分を見せ、嫌われるかもしれないという危惧はもちろんあった。だが、このままみすみすとキシリアを失うよりはずっとましだ。
ギレンと同じ手を使ってでも。
キシリアの瞳の奥に、まだ自分を想う気持ちが覗くたび、どれほどその場に強引に押し倒し、自分への気持ちを吐かせてしまいそうになったか。
そのキシリアが、他の男に抱かれている事が、どれほど苦しかったか。それをじっと堪え、機会をうかがっていた。
人の、自分の欲深さというものに呆れるが、心は最初から決まっている。
どんなに苦しむと判っていても、キシリアを欲しいという気持ちを消すことは出来ない。
「私はそう善人ではありませんよ。貴女と総帥が離れる事を好都合だと思っている。だから協力するのです」
ゆっくりと、キシリアに言い聞かせるようにそう言う。キシリアは無言でマ・クベを見た。ただキシリアに見つめられる事に耐え切れず、そっと手をのばしてキシリアの頬に触れた。
「その事は全て連邦に勝ってからの事。よろしいか?」
マ・クベに厳しい瞳を向けながらキシリアがそう言った。
キシリアに敵愾心をもって睨みつけられている。自分のした事の結果とはいえ心が痛い。
どんな手を使ってでも……という残酷な気持ちと、嫌われたくないという純粋な気持ちがマ・クベの中で同居している。
何も恐れるものなど無いが、その瞳だけは怖い。
どれほど愛していても、いや、愛しているからこそ。どれほど自分の優位を確信していても、自分はこの女の虜なのだと自分が一番良く知っている。どれだけ小細工を弄しても、その眼差し一つで、キシリアはマ・クベを従わせてしまうのだ。
「判っております。……汚れた女と汚れた男。お似合いではありませんか」
そう言い、そっとキシリアに口付けた。
その瞳を閉じさせるために。
NEXT
注
最初は原作通りデキン死亡で書いていたのですが、その前提ではギレン×キシリアハッピーエンド(?)は絶対に無理だと思ったので一部捏造しました。
ゲームのようなIF世界と思って見てください。
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