「何処まで送ればいいんだい……? 家は近いのかい? 」

 私はさっきからずっとそっぽを向いている彼女に向かって話しかけた。先ほどから、何に気分を害したのか、ずっと向こうを向いたっきりだ。

見ず知らずの女の子を車に乗せているなんて私らしくないなぁと変な事を思う。だが、こうなった以上は仕方が無い。詳しい事情も知らずに彼女を車に乗せてる私もどうかと思うが、教師として自分が受け持っている生徒とおなじくらいの女の子をほっておく事はできない。

第一、私の事よりも彼女が心配だ。私が断れば彼女は他の男にも声をかけるつもりだったのだろうか? それは年頃の女の子にとってとても危険だ。彼女がどういうつもりかは知らないが、タクシー代わりに家まで送ってあげようと思った。

「帰りたくないの……」

 私の問いにかすれた声で彼女が囁いた。暗い車内に時々差し込む街灯や自動販売機の光がぼんやりと彼女を照らす。そのたびに彼女の綺麗な顎の線や黒髪が見え、やがてまた薄暗い闇の中にとけていく。それは余計に非現実な感じを私にもたらした。

「え?」

「貴方の家に泊めて頂戴」

「ええ?」

 私は素っ頓狂な声を上げた。何を言っているのだこの子は……。

「バカな事を言うもんじゃないよ。むやみに男の人にそういう事を言うもんじゃない。第一未成年なのにあんなところで、あんな時間に働くのも良くないと私は思うよ」

「未成年じゃないわ、22歳よ! バカにしないで。それにバーで歌ったのは私が歌うのが好きだから頼まれてやった事! 本業は違うの」

 むきになって言い返す彼女に、逆に私は落ち着き払って答えた。大人びてはいても、やはりこの子は私が高校で受け持っている女の子達と変わらない。

「普通本当の22歳の女性は若く見られると喜ぶものだと思うけど違うのかい?」

「……のほほんとしてるくせに妙な所で鋭いのね」

 私の言葉に彼女が悔しそうに言った。やはり22歳というのは嘘だったようだ。

「高校の教師をしているからね、君ぐらいの女の子は見なれてるんだよ」

 私の言葉に彼女はなぜかはっとしたようにこちらを向いてまじまじと私の顔を見た。私もつられて彼女の顔を見かえす。

「……見ないで、化粧落ちてるんだから」

 目が会うと彼女は恥らったようにまたぷいと向こうを向く。もしかして、素顔を私に見られたくなかったからさっきからずっと向こうを向いていたのだろうか?

「君達ぐらいの年頃の女の子は、化粧をしなくても十分可愛いのに、もったいないなぁ」

 私がのんきにそう言うと、彼女が一瞬何かを考えるように沈黙した後口を開いた。

「……本当にそう思う?」

「思うよ」

「じゃぁ見てもいいわ」

 私がそう答えると、女心はさっぱりわからない、何が彼女のお気に召したのか判らないが、そう言ってようやく彼女は向こうを向くのをやめた。これでやっとまともな会話が交わせそうだと踏んで、先ほどから抱えている問題を口に出す。

「困ったなぁ……。君が帰る所が無いんだったら、何処かホテルにでも泊まらせてあげたいんだけど、手持ちが無いんだよ」

 ただでさえ給料の少ない月末に、私は昨日また資料の本を買ってしまったので、食費にもこと欠くありさまだった。その上先ほど飲みに行ってしまったし、銀行ももう閉まってしまった。もちろん、ホテル代が出せるほどの現金なんて持っていない。

「貴方の家に泊めてよ……」

「バカな事言うんじゃないよ」

 彼女が再びかすれた色っぽい声で囁いた。が、私は眼中に無い。

この子はまだ未成年だし、第一私をこんな綺麗な女の子が相手をしてくれるはずが無い。

期待すると裏切られる、騙される、傷つく。そう思うと、普通の男なら嬉々とするだろう彼女の囁きも、子供のたわごとにしか聞こえない。自己防衛に凝り固まった私の心は彼女の声を聞き流した。

「貴方さっきから失礼よ、私を誰だと思ってるの! 私の誘いを断るなんてバカは貴方が初めて! 屈辱だわ」

「すまないね……。でも君はやけになってあんなこと言ったんだろう? 君が後で後悔するような事はしたくないよ。何があったかは知らないけれど、自分をもっと大事にしなさい」

「馬鹿じゃないの? 意気地なし!! こんなチャンスをむざむざ逃すなんて!!」

「バカで結構。私はそんな事できない意気地なしだからね。分不相応な事はしないよ」

 プライドを傷付けられたのか金切り声で私に怒鳴り散らす彼女に苦笑しながらそう言うと、しばらく彼女は私の説教じみた言葉に激怒していた様子だったが、やがて、唇を噛んで下を向いた。

私は彼女の唇が口紅を塗っていなくてもとても赤い事に驚いた。女の子を知らないわけでは無かったが、女の子を見てそんな事を思うのは初めてだった。

「……貴方みたいな事を言った人は初めてだわ。男なんて、女の事なんかちっとも考えないやりたがりのバカばっかりだと思ってた」

 黙っていた彼女がポツリとそう言った。私は苦笑した。私だって高尚な気持ちであんな事を言ったのではない、ただ自分が傷つくのが嫌で逃げたにすぎないのに。

「男なんて……、簡単に操れると思ってたのに……。悔しい。見てたんでしょ? 私とあいつの事」

 彼女がますます悔しそうに、私の方を見ないでそう呟いた。

「え、ああ、ううん、まあね……」

 彼女が言った事は、あの誰かとのキスシーンの事だろうと言う事はすぐに判った。見るつもりは無かったが、結果的に彼女と誰かのキスシーンを見ていた事が彼女にばれていた気まずさで私も上手い言葉が見つからずに言葉を濁す。

「今日は最低だわ。自信無くすわ」

 そう独り言を呟いてまた彼女は唇をかんだ。先ほどの男との間になにかがあったのかと思ったが、聞いていいものか悪いものか迷った。結局ほかの疑問を口にする。

「困ってた事ってなんだい?」

「……あの男とケンカしてなにも考えずに店を飛び出してきたから、財布の入ったバッグも着替えも置いてきちゃったのよ! ちょっと、笑ったら殺すわよ!」

 なんとなく間に困って言った私の問いは余計彼女の触れて欲しくなかった点を刺激したらしく、彼女は恥ずかしいのを誤魔化すように一気にそう怒鳴ると、今度は私を睨みつけて笑うなとけん制した。

その様子がかわいくてまた笑いたくなったが、彼女のプライドのために我慢する事にした。

「笑ったりしないよ」

 そう私が言うと、何があったのかは私には判らないが、その時の事を思い出したのか見る見るうちに彼女の大きな瞳に涙がたまった。

「あの人、TV局のプロデューサーで、私の方から誘ったの。判るでしょ? 私は女優で、もっと良い役が欲しかったのよ。でも、怖かったの……。大丈夫だと思ってたのに、悔しい。私本当にまだ子供なんだわ。何もできないし力も無い。情けないわ、悔しい……。貴方には子供扱いされるし、今日は最悪だわ。言っておくけど、私、年誤魔化してばれたことも誘いを断れたことも一度も無いのよ。なのに貴方には一目で見破られたわ」

 心当たりが無かったので、私が訝しげに彼女を見ると、彼女は私が何を考えているか察したらしく、私の疑問の答えを口にした。

「あなたの声、聞こえたの」

 どうやら、最初に彼女を見た時に彼女が私を見たような気がしたのは気のせいでは無かったようだ。私と隣の彼の会話が聞こえたから、こちらを見ていたのだろう。

 彼女が多分あまり言いたく無かった事を私に言ってくれた事に対して、彼女の言葉以上には何があったのか詳しく聞くべきではないだろう。とそう判断した。

恐らく、彼女は自分の身を張って先ほどの男を上手く手玉に取ろうとしたが、相手の方が上手だったか、怖くなったかで失敗したのだろうと想像した。

本当は彼女の目を見て言ってやりたかったが、運転中なので仕方なく前を向いたまま私は口を開いた。

「君はまだ子供なんだから、無理しないでもいいと思うんだけどなぁ。あ、いや、子供扱いしているという意味じゃないよ。背伸びしすぎると疲れるし、もっと等身大で良いと思うんだけどな。君は、私が受け持っている高校生の子達となんにも変わらないよ……と言ったら気を悪くするかな? もちろん君の方がずっと大人びているし、目標に向かって努力や苦労しているような印象を受けるけど、傷つきやすい成長過程であることは確かだと思うんだ。だから必要以上に力が無い事を悔しがる事はないと思うよ。ある意味当たり前なんだから。君達はこれからどんどん大きくなっていくんだよ。説教くさいことを言ってすまないけれど」

「…………」

 私がそう言うと、彼女はそれを聞いたっきり無言で私の横顔を見つめた、チラリと一瞬だけ視線を彼女に移すと、彼女と目が合った。私の瞳の奥からなにかを探るような視線をじっとぶつけられて戸惑う。

「私……、なんでこんな事貴方に言ってるのかしら? おかしいわ。むきになったりして。なんだか貴方と居ると私の正体がすべて見透かされるような気がするの、変ね、でも……」

 彼女は私のほうをじっと見てゆっくりと言った。

「悪くないわ。無理しなくて良いもの。貴方は多分うだつの上がらない教師で、出世する見込みもほとんど無いヘボなんでしょ? そのせいかしら? 貴方の前ではどんな醜態をさらしても平気な気がするわ」

「それはちょっと酷いんじゃないかな……。当たってるだけにね……」

 彼女がそう言っても、なぜか私には腹が立たなかった。私が苦笑してると、先ほどよりは気分が良くなったのか、明るい声で私に話しかけてくる。

「ねぇ、私の顔に見覚えない? テレビとかで」

「テレビはあまり見ないからなぁ。テレビに出てる人なのかい?」

 私は適当に答えた。テレビにはほんとうにあまり興味なかったし、見てもいなかったのだ。

「女優……なんだけど」

 やや不満そうに彼女はそう言ったが、私にはさっぱり見覚えがなかった。

「へー、女優さんなのかい、女優さんの卵なのかい? 頑張ってるんだねぇ。君はとても綺麗だし、なにかオーラを持ってるから、きっと成功すると思うよ。早まった事して後々後悔しないようにした方が良いと思うな」

 私はその時彼女の事をほんのちょい役かなんかで出ている女優だと思いこんでいた。彼女はとても美しかったが、自分が全く知らないのでそう思ってしまったのだ。

「…………」

 私の言葉に彼女は無言だった。今思えば、この時この無言の意味を良く考えておけば良かったが後の祭だ。

「ああ、そう言えば君の名前を聞くのを忘れていたね。私は橿原明成」

「知ってるわよ……」

 彼女がなにか小さく呟いたが、私には聞き取れなかった。

「え? 何か言ったかい?」

「何でも無いわ」

「君の名前は?」

「……貴方は私の名前を知ってるはずよ。私が自分で言うのは癪だから自分で思い出して」

「……そうなのかい?」

 先ほどから一転して相当不機嫌そうにそう言う彼女に私はそうしか言えなかった。彼女の機嫌を害したことでしまったなぁと思い、知ってるはずだと言う彼女の言葉に必死で記憶を探ってみるが、情けない事にやはり思い浮かばない。

 くしゅんと彼女が小さくくしゃみをした。あの肌が見えすぎるドレスのままでは寒いのだろう。なんだかんだ言って車は私の家の方向へと走っている。誉められた事ではないが、なんだか迷子の子供を保護するようなのりと成り行きで彼女を今夜は私の家へつれて帰る事にした。



                          ◆◆◆


「案外綺麗ね」

「まあね。家事は結構好きなんだ」

「へぇ、あなたと結婚すると楽かもね」

 そんな会話を交わしながら彼女は私の部屋をじっと観察するように見ている。なにか審査されているようで妙に気恥ずかしい。

 結局彼女を家に連れてきてしまったのだが、彼女は男の部屋に一人で上がりこんだにもかかわらず平然としている、私がなめられているのか彼女が慣れているのか、度胸があるのか……。

 とにかく風呂に入りたいと言う彼女に、タオルと着るものが無いのでしょうがなく私の服を渡した。

 彼女がシャワーを浴びているあいだに、私は彼女のために缶詰のスープを温めながら考える。

 彼女をまさか床に寝かせるわけにはいくまい。今からベッドのシーツを変えて……、私はソファで寝るしかないだろう。それからどうしようか?

 私は大ききため息を付いた。とんでもないトラブルに巻きこまれてしまったものだ。良い解決策も浮かばないし、彼女をどう扱って良いのか判らない。なにか悩みがあるのなら聞いてやりたいが、何処まで深入りして良いのかはさっぱりだ……。

 正直もてあましている。どうして良いか判らずに戸惑っている。元来こういうハプニングに強い方ではないのだ。

彼女の事は女とは見ることができなかった。教師として、自分の教え子ほどの年の女の子をそういう目で見ることはできなかったし、私の石のようになった心は余計な感情の変化を嫌った。むしろ彼女の事を女としてみていたのなら、面倒を嫌って私は家にはつれてこなかっただろう。私はそういう人間だ。

 どちらかと言うと彼女の押しの強さに負けてしまい、迷子の子供を家で保護するような気持ちで彼女を家に入れてしまった。

「おフロありがとう……」

 そんな事をつらつら思いながらシーツを整え、スープの鍋をかき回していると、背後から風呂から上がってきたらしい彼女に声をかけられた。なんの気も無しに振り向くと、私の目に飛び込んで来たのはなんとも刺激的な彼女の姿だった。

「きっ、君!?」

「下は要らないわ。あなたのズボンぶかぶかで動きにくいもの」

 そう言いながら濡れた髪をかき上げた彼女は私の長めのワイシャツ一枚で、ほんのりピンク色に上気した肌がとても色っぽい。ワイシャツの裾から覗くすらりとした長い足がとても綺麗で魅力的だった。あっけにとられてしばらく呆然としていると、彼女が動くたびにワイシャツの裾から彼女の白い太ももがちらりと覗く。慌てて視線を上げると、今度は彼女の豊満な胸が薄い布地を押し上て綺麗な曲線を描いていのが目に飛びこんできた。

「なにか着なさい! みっともない」

 年頃の女の子なのにあまりにもみっともない格好に私が呆れてそう言うと、彼女は私を馬鹿にしたように赤い舌をべーっと出してダイニングの椅子に腰掛ける。

「いやよ。私貴方を誘ってるんだもの」

「残念だけど、いくらやっても誘われないよ、意気地なしだからね。それよりお腹減ってるだろう? スープを温めておいたよ、缶詰だけどね」

「……後で絶対後悔させてやるわ。でもスープは頂くわね」

 そう言うと彼女はほんとにお腹が減っていたのだろう、瞬く間に鍋に暖めておいたスープを全部食べてしまった。

良く食べて良く笑う、そして良く喋る。わがままを言っては口を尖らせる。怒ったり笑ったり拗ねたりとくるくると表情が変わる。どの表情もとても魅力的で、やんちゃな子猫みたいな彼女にいつのまにか私は心を許していた。

ステージの上の神秘的な彼女とはまるで別人のようだった。普通の高校生の女の子の顔と、神秘的な女優の顔。二つの顔を持つこの子に私はしだいに引かれ始めているのに、年下だのなんだのと変な理由をつけて、私は自分の気持ちに全く気が付こうとしなかった。

「ねぇ、さっき見ちゃったんだけど、あの部屋なんなの? すごくたくさん本とか変な壷とか仮面があるみたいだったけど?」

 面白おかしく話す彼女の仕事上の嫌な奴の愚痴を聞いてひとしきり笑ったあと、ふと彼女が悪戯っぽい目をして私にそう尋ねた。

「ああ、私の寝室兼書斎だよ。びっくりしただろう? 本がいっぱいで」

 バスルームからキッチンに来る途中にドアでも開きっぱなしで見えたのだろう。私の寝室兼書斎はたしかに普通ではなく、本棚に収まり切れない大量の本が床に積んであり、ほかにも置き場所の無い壷やら仮面やら土偶やらの倉庫とも化していたのだ。まず見たらなんこれはと思うだろう。

「ええ! あんなところで寝てるの! どうして本があんなにたくさんあるのかしら? 変な物も?」

 私の答えに、彼女は信じられない! と言った表情で目を丸くした。まぁ、実際に朝目が覚めたら部屋に置いてある仮面や土偶と目が合ったなんて気持ち悪い体験をしているのだからそう言われるのも無理はないだろう…。

「ああ……、実はね。私は、論文を書いてるんだよ。本や君が言う『変なもの』は資料さ」

 私が論文の事をあまり知られたくなくてもごもごとそう言うと、彼女の目が興味できらきらと輝き始めた。

「論文? スゴイ! 見せてくださらない!」

「いや……、笑うからダメだよ」

 私は力なくそう言った。実はこれまでに私の論文を他人に見せた事はなかった。マイヤ人の事を話した事はあったが、いずれも一笑に付され、正気かと馬鹿にされた。だから私はマイヤ人がいるという確かな証拠を元にしっかりとした論文を仕上げるまでは誰にも見せないでおこうと思っていたのだ。中途半端に見せても、笑われるのがオチだ。そんなのは耐えられなかった。

「笑ったりしないわ。ねぇ! 見せて見せて見せて!!」

 彼女は目をきらきらさせて私にそうねだった。何度も何度も見せて欲しいと私に言っては、私の腕をつかんで揺さぶって催促したり、拗ねてほほを膨らませたりするのだった。

私は彼女だけには笑われたくなかった。この後に及んで、まだ良い格好をしようとしている自分に呆れたが、彼女があんまりせがむのでだんだん私の心も傾いてきた。

本当は誰かに認めてもらいたくてしかたが無い自分の研究をこんなに熱心に見たがっているのだから、悪い気はしない。本当は誰かに見せたくてしょうが無いのだ。

 もしかしたら、彼女は笑わないでくれるかもしれない……。だんだんとその思いは強くなって、私の腕をつかんで離さない彼女に向かって私は口を開いた。

「しょうがないなぁ……。少しだけだよ……」

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