夢中人









 三つ目の夢を見た後、そろそろ目を覚まさねばならぬと思った。

 イサビの見る夢は、人の見るような漠然としたものではない。イメージではあるが、現実とかわらず、五感もはっきりしているリアルなものだ。思い通りの世界をつくりだし、そこですごす事もあれば、夢の中で親しい人と会ったり、過去や未来の夢に入り込み、未来の出来事を探ったり、過去を見たりすることも出来る。

 今も、意識を、過去へ未来へ飛ばしてひとしきり遊んだあと、ゆっくりと覚醒への準備を始める。イサビにとっては簡単なことだが、本来、意識を飛ばすのはとても危険な術だ。夢に取り込まれたり、帰り道を失い、肉体に戻れず永久に目覚めぬ事も少なくない。

 いつもの通り、肉体に意識を納めるためイメージをまとめようとしたはずが、ふと違和感を感じた。薄い膜がまとわりつくような感覚の後、あたりの空気が変わったのを感じ取る。

 なにか、しくじったかの……。

 異変を感じ、イサビが目を細める。

 あたりは闇。


「アラ、いきなりアタシの夢に入ってくるなんて、なんてぶしつけなお方でしょうねぃ」

 目を閉じて、ここはどこか探ろうとした時、からかうような口調の艶めいた声が闇の向こうから聞こえた。

「イサビ殿」

 親しげに名を呼ばれ、イサビが身構える。

「ぬしの夢……じゃと」

 思わず声を漏らす。

 意図的に誰かの夢の中に入ることはあったが、今はイサビが望んだ訳ではない。意図せず誰かの夢の中にいると知って警戒する。

 お互い深く思いあっている同士が呼び合い、無意識のうちに相手の夢の中に迷いこむ事も極まれにある。

 怖いのは、夢へ誘いこまれたのではないかということだ。

 夢の中は、夢の持ち主が支配する世界。夢の中へ誘い込み、相手を無力化してなぶり殺しにする妖もいる。世界の創造主である夢の主の力が絶対的に強いのだ。万が一イサビに敵意の有る相手に誘い込まれたのだとしたら厄介な事になる。

「ぬしは何者じゃ。なぜわしの名を知っている」

 厳しい声を出すと、闇の奥から、しばしの沈黙のあと震える声が漏れた。

「……情けない。イサビ殿、長くお会いしていないとはいえ、アタシをお忘れになったか?」

 声に失望と悲しみが滲んだ。

 ぽっとあたりが明るくなる。

 そこは、こじんまりとした、適度に散らかった居心地の良さそうな家だった。文机に書きかけの書がほったらかしにされ、隣の部屋の敷きっ放しの寝具のそばには読みかけの本が転がっている。鏡台や小さな花器に生けられた花を見て、女の部屋だと想像した。

 襖の奥からゆっくりとやってきたのは、真っ黒な毛皮に、金色の目をした美しい猫。

「猫に知り合いはおらぬ」

 イサビが素っ気無く言うと、猫が我慢できないといったように顔を背けた。

「ならもう結構。早うアタシの夢から出て行ってください」

 猫の声があまりにも辛そうで、思わずイサビがじっとその美しい猫を見つめる。猫はイサビからわざと目をそらし、顔も見たくないといった頑なな態度をとる。

「なぜ泣く?」

 イサビが思わず問うと、そっぽを向いていた猫がきっとイサビを向き直った。

「猫が泣くとでもお思いか? ましてイサビ殿のために泣くものですか」

 でも、泣いておる。

 深い悲しみの波動が伝わってくる。その思念がよく知っているものだと気がつき、それが誰のものかと思い当たった時、その事実に驚いた。ありえない事だからだ。

 そうだ、わしはこの猫をよう知っている。だがこんな強い念は知らない。

「……ぬしゃ、陀羅尼丸じゃな」

 思わず声を漏らすと、その言葉を肯定するかのように、猫が金色の瞳でじっとイサビを見た。

「驚いたぞ。これがぬしの夢じゃと? 人がこんな強い夢を見られるわけがない。このような強い夢を見るには鬼にでもならねば……」

 言いかけて、はっと気がつく。

「ン……。そうか、なるほどのう」

 ふっと口元に笑みを浮かべ、何度か納得したというように頷いた。

「わしは今のぬしを知らん。わしの知る陀羅尼丸はまだ十をいくつか過ぎたばかりじゃからの。ぬしと判らぬでも怒るな」

「では、アタシに会いに来て下さった訳ではないのですねぃ……」

 猫は悲しそうに俯き、イサビに聞こえぬよう小さく呟く。

「ぬしの事を考えておったゆえ、ぬしの夢に迷い込んでしまったようじゃ。ぬしもわしの事を考えておったのじゃな」

 悲しそうな猫と違ってイサビは嬉しそうに笑い、能天気な声を出して、猫に手を伸ばす。

「猫の姿では味気ない。元の姿に戻らんか、陀羅尼丸」

 そう言って抱き上げようとするが、猫はするりとイサビの腕からすり抜けた。

「抱いてやろうというのになぜ逃げるのじゃ」

「……イサビ殿に抱かれるのはイヤです」

 イサビが不満げに言うと、猫はそう返事をして、イサビより少し離れたところに座る。容易に近づかせてはくれないようだ。

「なにしろ山を二分しての大喧嘩中ですので」

 つんと澄ました顔で言うと、イサビがふんと鼻を鳴らした。

「今のわしの知った事ではないの」

 言葉を言い終わらないうちに、さっと手を伸ばして猫を抱き上げる。

「あっ、何をするのです」

 猫が抗議の声をあげ、肉球のついた前足を突っぱねるが、イサビは構わず猫の耳元で変化をとく呪文を唱える。この夢の持ち主は、イサビと同じく、夢の中で自分の世界を作れるほどの強い力を持っているが、イサビの方がさらに強い。

 それもそのはず、この夢の主に力を与えたのはイサビなのだから。

 本来ならここの神であるはずの陀羅尼丸を力でねじ伏せる。

「やめ! ん……っ」

 猫が苦しそうに身をよじると、とたんにイサビの腕の中にあるのは、猫ではなく柔らかい女の体に変わった。

「酷いですよぅ! 無理やり、こんな……」

 怒りの篭った目でイサビを睨みつけ、抗議の声をあげたその唇を、イサビが無理やり塞ぐ。

「んぅ……」

 荒々しい口付けが身も心も揺さぶる。イサビを怒っているのだから、なれなれしい態度は許さないと突っぱねようとするが、痛いほど強く抱きしめられ、イサビの熱い思いに飲み込まれる。

 無理やり虜にしたかと思えば、請うように優しく甘噛し、思わず与えてしまう。

 この人はどこまで傍若無人なのか! そう思って怒ろうとしても、思いと裏腹にイサビの体に回した手に力が篭る。切ない想いが堰を切ったようにあふれ出し、夢中でイサビを求める。

「陀羅尼丸……!」

 愛おしくてたまらぬ。と耳元で乱れかすれた声が囁く。抱きしめられ、首筋に顔を埋め、甘やかな香りに酔うイサビの背に回す手にいっそう力が篭る。

 イサビに身を任せ、求められるままに全てを捧げたいという強い気持ちを振り払い、陀羅尼丸が身をよじった。

「いやです、優しくするなんて卑怯ですよぅ」

 辛そうな顔をして、悲鳴のような叫びをあげた陀羅尼丸の顔をイサビが覗き込む。

 ぎゅっと目を閉じ、イサビを求めてしまいそうになるのを必死に堪えている。

 どうしようもなくイサビを愛しているのだと思い知らされる。怒りも恨みも、イサビの前では淡雪のように解け、その腕に抱きしめて欲しいと願ってしまう。

「一体、わしは何をしたのじゃ?」

 イサビがそう言うと、そっと閉じていた目を開いた。聞いて欲しかったのだろう、切羽詰った顔で口を開こうとすると、イサビが陀羅尼丸の唇に触れ、それをさえぎる。

「ああ、やはり言わなくてよい。聞きとうない。未来のわしが何をしようと関係ないわい」

 酷い人! とむっとした顔でにらみつけるが、イサビは構わずその顔を両手で包み込み、じっと覗き込む。

 冷たい、大人びた目をした少女は、時を経て輝くように美しい女となっていた。

 イサビの知る、ふっくらとした頬が幼さを残し、大きな目でイサビを見上げていた可愛らしい少女は、今、イサビとほぼ変わらぬ高さの目線でイサビを見つめている。愁いを帯びた切れ長の瞳はイサビを捕らえて話さず、形のよい唇を何度でも奪いたいと思う。匂い立つような色気、すらりとした気品の有る姿、時は、陀羅尼丸の魅力を増し、より完璧な美しさへと近づけたのだ。と嬉しくなる。

 イサビの目がうっとりと陀羅尼丸の顔を見つめ、逆に見つめられたほうが恥ずかしくなるくらいだった。

「美しゅうなったのう、陀羅尼丸。わしが思っていたより、ずっと綺麗じゃ」

 そう言ってイサビは無邪気な顔でにっこりと笑った。沢山言いたい事はあったのに、その笑顔で怒る気も失せる。

 何度も顔を見ては、美しい、綺麗じゃ。と歯の浮くような台詞を言って笑い、嬉しくてたまらないといった風にぎゅーっと抱きしめる。

 大好きな玩具に夢中になり、手放さぬ子供のように、いつまでも陀羅尼丸を抱いた手を離さない。

 もう何度目か数えるのも馬鹿らしいほどの口付けを交わした後、ふとイサビが花器に生けられた赤い花に目を留める。

「椿か。まだあの時の事は覚えておるか? わしがぬしを抱いて庭を歩いた……」

 大事に抱きしめ、白い貝殻のような耳に口を近づけて囁くと、腕の中で陀羅尼丸が大きなため息をついた。

「忘れる事なんかできませんねぃ……」

 呟く声に悲しみの色が混じる。イサビは手を伸ばし、椿の花を一輪折り取った。何をするのかとじっと見つめる陀羅尼丸の髪に挿してにっこりと笑う。

「やはり陀羅尼丸じゃな。変わらずよう似合うておる」

「そんな昔のこと……っ、思い出させないで下さい」

 イサビの言葉に、陀羅尼丸は顔をゆがめて言うと、見られたくないのか袖で顔を覆った。

「……思い出したなんて嘘。アタシはずうっと、その時の事ばかり考えていました。あの頃は、夢のように幸せでした。アタシも今みたいな惨めな思いに囚われず、イサビ殿も掛け値なしにアタシを可愛がってくれた」

 袖で顔を隠しながら、震える声で、搾り出すように言う。

「泣くほどわしが恋しいか?」

「はい」

 イサビが問うと、素直に返事をして頷いた。イサビと心をすれ違い、悲しみのあまり震える体があまりにも頼りなく、たまらなく愛しく感じる。

「わしも愛しゅう思うておる。今も、未来も、ずっとじゃ」

 優しく抱きしめていたイサビの腕の力が、ぎゅっと一瞬強くなる。安心させるように言って、そっと手を取り、袖を退かせて顔を見る。

 恐ろしいほど気が強く、苦痛にも苦労にも、なにがあろうとめったに涙を見せなかった女が、今は微かに目を赤くして、一心に、すがるようにイサビを見ている。涙が一筋頬を伝い、イサビの指が優しく拭い取った。

「だから、泣くな」

 囁いて口付ける。陀羅尼丸の目がそっと閉じて口付けを受け入れる。優しい口付けの後、唇を離すと、イサビが陀羅尼丸の体を横抱きにして立ち上がった。

 夜具の上に体を横たえ、頬にかかる一筋の黒髪を退けてやると、陀羅尼丸がまるで初めて抱かれる生娘のように恥らって目を伏せた。

 もう一度口付けると、イサビの手が袴の紐を解く。しゅっという衣擦れの音に身を固くするが、イサビの手は容赦なく衣服を緩める。

「あ……」

 首筋に口付けられ、思わず声が出た。久しぶりに感じる、イサビの手が乳房をまさぐる感触に体が熱くなる。

「ん……、っふ」

 すぐに唇から甘い声が漏れる。甘い吐息は途切れる事なく漏らされ、イサビの触れるところ全てに甘く疼くような快感を感じる。

 飢えた獣が獲物を食らうように、性急に、荒々しく求められる。

 それがとても甘い。優しくされるよりも、イサビが理性をなくし、欲望の赴くままに、乱暴に自分をむさぼるのが嬉しい。

 乾いたからだがイサビを与えられ、歓喜している。恥ずかしいほど体がイサビを欲しがって潤い、熱い蜜が足の付け根を伝うのが判った。

 イサビ殿にアタシがこんなに歓んでいるのを知られてしまう

 はしたない思いを知られてしまうという恐怖と恥じらいが白い体を朱に染める。乳房を揉みしだき、首筋を強く吸い上げていたイサビが、強引に袴を引きずり下ろし、足の間に手を忍ばせる。

「んっ、あぁああっ」

 高い声が唇から漏れ、びくびくっと体が痙攣した。イサビにそこを触れられた瞬間に、絶頂に達してしまったのだ。

 触られただけで……!

 顔がかあっと熱くなる。イサビが驚いて一瞬動きを止め、それがまた羞恥を煽る。恥かしさに思わず腕で顔を覆った。

 くくく……。とイサビが意地悪く笑うのが耳に入り、唇をかんだ。

「本当に、可愛い奴じゃ……」

 くちゅ。と音を立ててイサビの指が優しく愛撫する。先ほどまでの荒々しさが嘘のように、陀羅尼丸の体の動きを敏感に察し、繊細な指の動きで体から快感を引き出す。

 ぬる……とイサビの指が陀羅尼丸の体の中に入る。

「あああああっ……」

 ぞくぞくっと焦けるような強い快感が全身を貫き、思わず背を反らして声を上げた。自分のそこがイサビの指を締め付け、ひくひくと痙攣しているのが判る。

「わしの指を物欲しげに締め付けておるぞ。ぬしのここはずいぶんと具合がいいようじゃ。味わうのが楽しみじゃのう」

 イサビが意地悪く囁くが、指の動きに翻弄され、言い返せない。

「はぁっ、ああっ、んっ、あっ、ああっ」

 イサビがほんの少し指を動かすだけで、陀羅尼丸の唇から面白いように声が漏れる。

 イサビがしとどに濡れるそこを愛撫しながら、優しい口付けを落とし、開いている手で乳房の柔らかさを楽しむ。意地悪く乳首を吸い上げられると、また体を大きく反らせる。

 汗ばんだ女体がひくつき、息も絶え絶えで、いやいやと涙目で首を振った。

「おねがい……ですっ」

 荒い息をつき、陀羅尼丸が快感に濡れた目でイサビを見る。

「早く、ここに、イサビ殿を……」

 手を伸ばして、自分の中を愛撫するイサビの手に自分の手を重ねる。

「もう、欲しくて、欲しくて、我慢ができません……」

 熱い体の中をぐちゃぐちゃにかき混ぜて欲しくて、恥も外聞も捨てて懇願するが、帰ってきたのは冷たい返事。

「まだじゃ」

「意地悪しないで下さいッ」

「わしが酷い男だということ、身にしみて知っておろう? 欲しければ、もっと乱れよ。まだ足りぬぞ。まだぬしは理性を捨ててはおらぬ」

 一層指を奥にいれ、かき回した後引きぬく。

「ひぁ……っ」

 ひくんと大きく体を痙攣させ、引き抜かれた指が自分の蜜で濡れ、透明ないやらしい糸を引いているのを悲しい目でぼんやりと見つめていると、イサビが大きく足を開かせた。

「まだぬしを苛めたりぬ」

「イサビ殿は意地が悪い」

 責めるような目で見られ、肩をすくめた。

「なにも求めておるのはぬしだけではないぞ」

 陀羅尼丸の手を取り、自分へと導く。

「あ……」

 思わず声が漏れた。

 手の中に、熱いものが脈打っている。

「すごい、こんな……」

 感嘆の声を上げながら、しなやかな手を絡ませ、その熱さや硬さを確かめるように軽く扱く。

「ぬしが欲しくてこうなったのじゃぞ? 焦らずともこれはぬしのものじゃ。後で存分に与えてやるからの、少しだけ我慢するのじゃ」

「これが、アタシのもの……。こんなにアタシを欲しがってくれているなんて嬉しいです。なんて愛しい」

 うっとりと見つめる陀羅尼丸を見て、イサビが満足そうに笑うと、そっと手を退かせた。名残惜しそうに手を離すので、宥めるように髪を撫でる。

「わしがぬしの体をじっくりと味わってからじゃ。うなじも、乳房も、尻も、ぬしのすべてを、感触もにおいも味も全て知ってからじゃ。その頃には、ぬしもわしも、人の皮など脱ぎ捨てて、獣の本性のままになっておろう」

「これ以上焦らされるとおかしくなってしまいます!」

 叫ぶと、イサビが凶暴で残酷な雄の顔で笑った。

「狂えばよい。ここにはぬしとわししかおらぬ夢の中じゃ」

 アタシは、捧げられた生贄のように、容赦なくむさぼりつくされるのだと陀羅尼丸が気がつく。

「恥を知らぬ獣のように交わろうではないか」

 獲物を食らう肉食獣のように、イサビは舌を出して唇を舐めた。

 ゆっくりとした動きで、体に被さる。

 恥ずかしいところに舌を這わされ、イサビの髪に指を潜らせた。味を確かめられているのだと思うと、気が遠くなりそうに恥ずかしい。

「ああ……」

 喘ぎ声が漏れ、髪に潜らせた指に力が篭る。

 涙がこぼれる。

 貪られる甘美な快感に溺れてしまおう。

 欲しければ好きなだけ貪れば良い。求めるだけ与えよう。

 この貪欲な獣が満足するまで。

 今、こんなにも求められているのに、夢から覚めればイサビはいない。

 いつまででもアタシを与えるから、いつまでもアタシを求めればいい。と思った。



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