人ではない……!?

 五嶺の顔に緊張が走る。

 突然現れた目の前の人物から、威圧感のようなものをひしひしと感じる。けして大柄な訳でも、こちらを威嚇している訳でもないが、深海に閉じ込められたような圧力に気おされる。本能的に相手を恐ろしいと感じる。

 この感覚は……。

 思わず警戒して目を細める。首の後ろの産毛がちりちりする。

 この感覚を知っている。

 この圧倒的な威圧感と恐怖の感覚は、高位の地獄の使者を目の前にした時と同じ……!

 しかも、今まで感じた事の無いほど、その感覚は大きかった。

 だが、目の前の人物は、地獄の使者の多くがそうであるように、恐ろしくも醜くもなかった。頭に二本生えた鹿のような角は人のものではないが、それや髪の色を除けば人とほとんど違わない。

 白い肌に、美しい銀の髪、整った容姿をしているが、女のようだとは感じなかった。背はそんなに高くはないが、低い声や、骨ばった手に、男の色気を感じる。

 整った美しい顔にも関わらず、荒々しく野性的で、でも野卑ではない。その不思議な雰囲気に思わず呑まれる。

 裸を見られた恥かしさにヒステリックに叫びたかったが、突然現れたその男があまりにも泰然としているので調子が狂う。

「……っあ、ありがとうございます」

 人の調子を狂わせる事はあっても、他人の雰囲気に呑まれる事など今まで無かった五嶺が、俯き、早口でお礼を言う。

 後ろを向き、急いで襦袢を羽織り紐を結ぶ。肌は隠しても、濡れた薄い襦袢ごしに体の線は露で、こんな格好で外へ出てきた事を死ぬほど後悔するが後の祭りだ。

 どうしよう……と唇を噛んでいると、後ろから話しかけられる。

「ぬしゃ、人か?」

「えっ?」

 思わず振り返る。

「物の怪か?」

「人です」

「迷うたのか?」

「たぶん……」

「名は?」

「五嶺……陀羅尼丸と申します。さしつかえなければあなたのお名を教えてください」

「イサビ」

 素っ気無い返事。よほど珍しいのかなんなのか、じっと五嶺の顔を見つめている。

「陀羅尼丸とは男の名前ではないか? ぬしは男には見えんが」

「男の跡継ぎが生まれませんでしたので、アタシが男名を名乗り家を継いでおります」

 五嶺がそう答えると、ほう。とイサビと名乗った男は興味を惹かれたようだった。

「わざわざ女の身でそのような苦労を背負わずとも、ぬしほど美しければ、家を継がせる男などいくらでも選べるじゃろう?」

「ご冗談を。アタシは全てを自分の手で動かしたいのです。これほど楽しい役目を他人に譲る気などありませんねぃ……!」

 それは嘘偽りない五嶺の本心だったが、自分が強がっている事を本当は判っている。

「面白い女じゃな、ぬしは。見た目はそのように美しいのに、中身はまるで男じゃ」

「かわいくない女だとはっきり仰って頂いて結構ですよぅ。誰も女のアタシなんか望んじゃいないから、男の為りをして男みたいに振舞ってるんです」

 五嶺は軽口を叩いたつもりだったが、イサビは思いのほか真剣な顔をして口を開く。

「馬鹿を言うな。美しい女はこの世の奇跡じゃぞ。ぬしは自分がどれほど素晴しゅうて貴重なものか知らんのか? 千金の価値がある事に気がついておらんのか? 意地を張らずに素直に男に可愛がってもらえばいいものを粗末にするのは許せんの!」

 こいつ、しょうもない女ったらしだねぃ! と思ったが、そのあまりのストレートさに毒気を抜かれる。

 美しいと言われる事には慣れている。羨望の眼差しや欲望の入り混じった目で見られる事などいつもの事。優越感を感じる事もあるが大抵はわずらわしい。

 だがイサビの素直な言葉は、媚びているのではなく本気でそう思ってくるのが伝わってきて、五嶺に気に入られようと男たちが口にした賞賛の言葉の白々しさに比べて、ずっと血が通っている。

 意地を張る……というイサビの言葉になんとなく反発を覚えてムキになる。

「別に意地なんかはってませんよぅ。アタシが良いと思うような相手がいなかっただけで。アタシに手を出すような度胸のある男もおりませんでしたし」

 男なんて自分より強くて自分より背の高い女ってだけでびびっちまって嫌がるくせに。と腹の中で毒づく。どいつもこいつも高嶺の花だと涎を垂らすだけで、手折ろうという勇気のある男はいない。そのくせ自分が手に入れられないと判るとあの葡萄は酸っぱいとぬかす。

「そうじゃな、ぬしほどの女に釣りあう男もそうそう居るまいの。あー、人と話すなど久方ぶりだったゆえにいろいろ詮索して悪かったの」

 イサビの言葉に、そうか。と五嶺は思った。ここはきっと物の怪のすむ世界。とんだところに迷い込んだと思ったが、ここの住人からしてみれば、五嶺こそが珍しい侵入者なのだろう。


 イサビ……。

 どこかで聞いた事の有る名だと五嶺が首をかしげて考え込むと、不意にイサビがこめかみを押さえ、苦痛のうめき声を漏らす。

「痛ゥ……」

「どうかなさいましたか?」

「頭痛がする。なにやら古い記憶が……。ん、まだよく思いだせん」

「具合がよろしくないのでしたら、横になってはいかがです?」

 五嶺が薦めると、座れ。とイサビが木陰を指差す。何事かと思いながらそうすると、イサビがいきなり五嶺の膝に頭を乗せて寝転がった。

「!!!」

 普段なら絶対こんな無礼は許さないが、相手が相手だけに機嫌を損ねる訳にはいかずぐっと我慢する。一瞬かなり腹が立ったが、膝に頭を乗せ、ぐったりと目を閉じるイサビが本当に具合が悪そうで、そっと額に手を当てる。

 熱があるねぃ……。

 手を当てると、心地よいのか、かなり苦しそうなイサビの表情がやがて安らいでくる。それを見て、ほっと安堵した。

 さわさわと風が木の葉を揺らす。

 初めて会った男を膝枕するなど、普段の五嶺ならありえないことだったが、なぜか嫌ではなかった。

 それは多分イサビの不思議な雰囲気のせいだろう。

 水浴びを覗かれたり、とんでもない事を言われもしたが、なぜか全て許せてしまうのは、イサビがおおらかで、ずるさやいやらしさ、下卑たものが一切無いからだ。

 山のように泰然と構え、天衣無縫に振舞う。

 嘘や悪意にまみれ、権謀術数を巡らす五嶺からすれば、信じられないほど素直に自分の心を晒す。

 膝の上にイサビがいる事に、胸が高鳴る。

 男など、周りにいくらでもいる。だが、それは部下だったり下僕だったり、敵だったりで、異性として意識した事などなかったのに、イサビには男を感じてしまう。

 イサビは、これまで五嶺の周りにいたような、安全な男ではないと直感している。女慣れした、色気の有る男といる居心地の悪さと、スリルが胸を高鳴らせる。

 触れ合った箇所から、お互いの体温を交換し合う。甘く疼くような痺れが触れ合った箇所から胸の奥へと伝わり、じわりと体を疼かせる。

 膝の上のイサビを慈しむような気持ちさえ生まれていた。

 泣きたいような甘い疼き、相手を優しく慈しむ気持ち。心地よい風に、美しい木漏れ日。

 このアタシが一体どうしてしまったものか。と思う。膝の上の男は人ですらないのに。

「こんなところに人が迷い込むなど、珍しいのう」

 膝の上のイサビが唐突に口を開いた。

 先ほどまであんなに苦しそうだったのに、いつのまに良くなったのか、五嶺の膝の上ですっかり寛いでいる。

 もうお加減はよろしいのですか? おかげでだいぶよくなったぞ。と会話を交わしながら、イサビが起き上がる。

「ここはどこなのですか?」

「地上と冥府の狭間じゃ。こんな所に生きた人間が来るなど……」

 考え込む表情のイサビに、どこからともなく現れた山の怪がキーキーと話しかける。

「やはりぬしらの仕業だったのか……」

 呆れたように言うと、イサビが五嶺を振り返った。

「陀羅尼丸、悪いのう。ぬしをここまで連れてきたのはこいつららしい」

「ええ!?」

「心配するな、帰してやる」

 思わず非難する声を出した五嶺を宥めるように言って、何もかも見透かすような目でじっと五嶺を見つめる。居心地が悪くておもわずもぞもぞすると、ふいっと視線を外しながら言った。

「しかしぬしも、元いた場所から逃げ出したかったのではないか? でないとここへは来れぬ」

 イサビの言葉に、どきっと心臓が大きく脈打つ。認めたくは無いが、心の奥底にそういった願望があったのは確かだ。

 ここがもと居た自分の世界とは違うと気がついた時、必死に帰りたいと思わなかったのは、元の世界に戻りたくないという気持ちが少しあったから。

「ここのものをなにか口にしたか?」

 しばらく山の怪と話していたイサビが五嶺を振り返りながら問うと、五嶺は不安に眉をひそめる。

「お水を頂きましたが……」

「それはまずいのう……。そのままではぬしの体は腐れて落ち、魂のみになるぞ」

 青ざめる五嶺をじっとイサビが見つめる。値踏みするような目。女として見られているのを意識して、嫌だと感じる気持ちと恥ずかしいと感じる気持ち、そして、アタシは気に入ってもらえるのだろうかという期待がない交ぜになる。

 最後の気持ちは、認めたくなかった。女として見られるなど、今まで嫌悪としか感じなかったのに、そんな媚びるような感情を抱いてしまった自分に怒りと戸惑いを感じる。

 だけどその気持ちは確かに心のうちにある。しかも、五嶺の中でどんどん大きくなっていく。

「ぬしゃ美しいの。それに、生娘じゃ」

 イサビの口から出た無遠慮な言葉に、おもわず真っ赤になる。

「なっ。なにを根拠にそんなこと……!」

 信じられねぇこと言いやがる!!!

「体を見れば判る。男を知らんかたい体じゃ」

 そういえば見られたんだった。と恥かしさに湯気が出そうになる。今の信じられない言葉で、生まれかけた甘やかな気持ちなど吹き飛んだ。

「気に入ったぞ」

 五嶺の内心など知らず、イサビはにっこりと無邪気に笑った。

 あまりにもあっけからんと言うせいか、イサビの言葉にはいやらしさを感じない。

 その理由にはたと気がついた。

 媚びたり、相手にどう思われるかなど気にしない。自分を飾ることをしない。ただ美しいと思ったから美しいと口にし、生娘だと思ったからそう口にする。

 よほど強い人なのだろう。

 それが良いのか悪いのか判らないが、その素直さを一瞬強烈に羨ましいと思った。

「戻りたくなくば、このままここに留まり、わしの女になるか? ぬしのように迷った女をわしは沢山置いてやっている。みな楽しく暮らしておるぞ」

「アタシには成すべき事があり、待っている人がおります。アタシを元の場所にお戻し下さい」

 焼き討ちにあい、ぼろぼろになったグループを立て直さねばならない。そう思って五嶺はきっぱりと言った。少し目をそらしはしたが、自分がしなければならない事は判っている。

「それは残念じゃ。なに心配するな、方法はある」

 逆に五嶺が拍子抜けするほどあっさりとイサビ言って、来い。と先を歩き出した。




 先ほどとは違う方向に少し歩くと、また荒れ果てた庵があった。

 先ほど五嶺がいた庵よりかなり大きい。中へ入ると、長い廊下がまるで迷路のように伸び、妖しげな小部屋が並ぶ。不安はあるが、なるようにしかならないねぃ。と腹をくくる。

「蘇芳、わしじゃ、開けよ」

 庵の奥の奥にある戸の前でイサビが言うと、すぐに引き戸が開いた。

 戸の奥から、心から嬉しそうに顔を輝かせた女が姿を現す。開いた戸から中を見ると、素っ気無い庵の中というのが嘘のようにきらびやかに整えられている。イサビが普段過ごしているらしき場所よりずっと綺麗だ。

「イサビ様、奥の間にお越しくださるなんて久しぶりではございませんか! まぁなんてつれない憎いお人でしょう。女たちは皆イサビ様のお越しを首を長ごうしてお待ちしておりましたのに」

 色っぽい秋波を送る女に、一瞬気まずそうな顔をして、イサビは五嶺を顎でしゃくった。

「ああ、今日はの、そうではない……。あの女の世話を頼みたいと思うてな」

「まあ、また新しい女でございますか。よろしゅうございますとも。イサビ様の大切なお人なら私達にも大切なお方、心こめてお世話いたします。その代わり、私どもの元にもたまにはお越し下さいまし」

 女はにっこりと笑い、「さぁ、おいでなさいませ」と五嶺に声をかけた瞬間に顔を引きつらせた。

「い、イサビ様、その女は……!」

「そこで拾った」

 けろっとした顔のイサビの言葉とは逆に、女はみるみる顔色をかえ、よろりとよろける。

「その女は、その女は……」

 明るく美しかった女の顔が真っ青に青ざめ、まるでこの世の終わりのような顔をしている。

「なんじゃ、知り合いか?」

「い、いえ。さあ、いらっしゃいませ」

「夜にわしの元へよこせよ」

「はい」

 女は頷き、ぐいと五嶺の手を引いて戸を閉める。

 息が苦しいのか、大きく深呼吸した後、五嶺を振り返りきっと睨みつけた。

「イサビ様のお言いつけに逆らって死んだ馬鹿な女が、いまさらどの面下げてイサビ様の前に顔を見せにきたのじゃ! ええ、五嶺!」

 なぜアタシの名を知っている!?

 いきなり罵倒され、五嶺の顔が険しくなる。

 女の美しい顔が、憎悪に歪んでいる。初対面の女にいきなり憎悪をぶつけられ、五嶺が怒りより前に戸惑う。

「イサビ様はまだお主に気がついていらっしゃらない。おかわいそうな事に、辛いご記憶を封じてらっしゃったからじゃ。ええい、このままずうっと忘れてくださったほうが良いのだけれど」

「なんの話か判らん。言いがかりは止めてもらいたいねぃ」

 五嶺もきつい口調で言い返す。身に覚えはないが、喧嘩を売ってくる気なら完膚なきまでに叩き潰す。

「都合の悪い事は綺麗さっぱり忘れていい気なものじゃ。生まれ変わったくらいではお主の犯した罪は消えぬぞ」

「だからなんの話をしている!」

「なぜ私が五嶺にいちいち説明してやらねばならぬ? 勘違いせぬほうがよいぞ。イサビ様がお主に興味をもたれたのは、毛色の変わった女を手に入れたいという気まぐれに過ぎぬ。手に入れそこなった玩具を惜しく思っただけ。男なんて皆そうじゃ。手に入れたとたんに興味を失う。後は押入れにしまってそのまま。お主もそうなる。嫌じゃがイサビ様のご命令ゆえ世話はしてやる。来や!」

 悪意のある言葉を一方的に吐き捨て、イサビに蘇芳と呼ばれた女は歩き出した。

 腹は立つが、今はこの女に従うしかないと五嶺が後をついて行くと、きゃっきゃっと楽しそうな声が聞こえる広間の前で立ち止まる。

「イサビ様がまた女を拾うてきた」

 広間に入るなりそう言うと、その場に居た大勢の女たちが、一斉に五嶺へ目を向ける。

 色っぽい女、あどけない顔をした女、可愛らしい女……。さまざまなタイプがいたが、どの女も輝くように美しい。絵巻物の中でしか見たことの無いような、髪の長い、美しい唐衣を着た女たちが、あそこでは双六をして遊び、こちらでは絵巻物を眺めて楽しそうにしている。

「あら、新入りさんですか、蘇芳殿?」

「濡れて汚れた下着姿でうろつきまわるような下品な女じゃ。そなたらの手でなんとか見れるようにしてやってたもれ」

 蘇芳が言い終わるなり、どっと女たちが興味に顔を輝かせながら五嶺の周りを囲む。

「ここは楽しい事ばかりだから安心なさって。私たちを家族だと思って仲ようしてくださいませね」

「まぁなんて綺麗なお方! 磨きがいがありそうだわ〜」

「でもイサビ様より背が高いんじゃない?」

「直衣を着てくださったら、わたくしの理想の光源氏だわ! まあどうしましょう!」

「あ〜、気にしないでこの娘絵巻物の読みすぎでちょっとヘンなのよ」

「大丈夫よ、心配しないで。イサビ様は優しくしてくださるわ。目を閉じて素直にしていれば全て良くしてくださるから」

「うふふ、すぐに終わらないで欲しいって思うかも。貴女もすぐにイサビ様の虜になる」

 退屈していた女たちの間に放り込まれた五嶺は、女たちに囲まれ、目を白黒させる。湯殿に連れて行かれ、あっというまに脱がされて頭の先から足の爪の先まで磨かれる。一人でやると嫌がっても、女たちは五嶺という新しい玩具を離さない。

 この紅い裳はどうであろう? いやいやこの青の方がお似合いじゃ。重ねの色はどうなさる?

 まるで着せ替え人形のように次から次へと着替えさせられ、その後ろでは、お閨に焚き染める香は? などと女たちが話し合っている。

 いいかげんにしろ。と堪忍袋の緒が切れかけた時、一人の女が口を開いた。

「そういえばお名前を聞くのをすっかり忘れていたわ。新入りさんのお名前はなあに?」

「五嶺」

 ぶすっとした顔で素っ気無く言うと、無邪気にはしゃぐ女達が、一斉に黙り込んだ。

「五嶺ですって……!」

 一人が悲鳴のような声を上げる。

 まるで葬式のように静かになり、曇った表情で顔を伏せた女達を見て、だからアタシが何をしたというのだ。と苛立つ。

「まぁ、ではイサビ様はさぞかしお喜びになった事でしょう。ずっとお探しになっていた五嶺殿にようやっとめぐり会えたのですから」

 長く気まずい沈黙の後、一人の儚げで美しい、優しい目をした女がそう言った。

 悲しげな瞳で五嶺に微笑む。

「でもあたし達はどうなるの!」

 涙を流しながら、堪えきれぬように別の女が叫ぶ。

「記憶の戻らぬイサビ様はこの女が五嶺だとまだ気がついておらぬ。いらん事しいの山の怪が五嶺と知らずつれてきた。この女のせいで私たちはお払い箱じゃ。みなもお覚悟なされ」

 蘇芳の言葉に、あちこちからすすり泣きが聞こえる。ちやほやされていた先ほどとはうって変わって恨みがましい目で見られ、ますます腹がたち、堪忍袋の緒が切れる。

「そんなずるずると長い着物など動きにくい。これで結構。化粧も必要ない。誤解しているようだが、アタシはイサビ殿の女などにはならん。すぐにここを出て行く身。お前たちの大事なイサビ殿に興味など無いから、下らん嫉妬をぶつけるのは止めてほしいねぃ!」

 五嶺は着せられた衣を乱暴に脱ぎ捨て、小袖に緋袴だけの姿になる。そのままその場を出て行こうとすると、厳しい声が引きとめた。

「いけません。私どもはイサビ様よりあなたを任されたのですから、ここにいるあいだは私達にしたがっていただきます。イサビ様が貴女に今宵の伽をさせよと望むなら、必ずお勤めを果たしていただきます!」

 厳しい言葉で言われ、五嶺が怒りの篭った目で見返すと、女たちがひっと恐怖の声を上げて扇の後ろに顔を隠した。

 おそろしや。なんという怖い目をする女じゃ。あの女、本当に五嶺か? イサビ様に興味が無いなど……と、こそこそと呟く声が聞こえてくる。

「ほっときなよぉそんな奴。自分じゃ何も出来ないくせに、馬鹿みたいに突っ張って、賢しげにしてるけどさぁ、それがどんなに他人に迷惑かけてるか判っちゃいないんだよ」

 五嶺を睨み返す一人の女がそう言い、一触即発の険悪な雰囲気になる。

 その時、一人の小柄な女がさっと立ち上がり、五嶺の手を取って、早足であっという間に部屋を出て行く。

 無言で五嶺の手を引き、自分の部屋らしい局につくと、五嶺を上座に座らせた。

「みなを許してあげてください……。私たちは、五嶺殿がお戻りになるまで。というお約束でイサビ様に拾ってもらった迷える魂なのです。イサビ様とお別れして冥府にいかねばならぬのが悲しくて怖くて、その気持ちを貴女にぶつけてしまったのです」

 五嶺の手を取り、頭を下げるその女の儚げな優しい顔には見覚えがあった。先ほどもかばってくれた女だ。

「お前たちが何に怒っているのか、何がなんだかさっぱり判らないんだけどねぃ。アタシはここに迷いこんだだけだ。すぐに出て行く。イサビ殿ともそう約束した。お前たちの邪魔をしたりしない」

「いいえ。貴女はここに迷ってこられたのではございません。貴女がここに来たのは前世の縁による必然。やはり、貴女様とイサビ様の絆は、何よりもお強いのですね。生まれ変わり、永の時を隔てて再びめぐり逢えるなど。本当にお羨ましい……」

「前世の縁……とは?」

 ほう……とため息をつく女に、眉をひそめて五嶺が問う。

 古参の蘇芳殿からお伺いした事ゆえ、私も詳しい事は存じませんが。と前置きして女が語ったのは、遠い昔にイサビと恋仲であった五嶺が、自分の野心を叶えるため、イサビが止めるのも聞かず禍星を退け、それが元で命を落としたという話だった。

 イサビ様は五嶺殿を失ったのがあまりにもお辛かったので、ご記憶を封じておりましたが、五嶺殿が再びいらっしゃったのできっともうすぐ思い出されるでしょう。と微笑むが、五嶺は複雑な顔をした。

「アタシが、前世でイサビ殿の情人だったっていうのかい、へええ。でもねぃ、前世で何があろうと、今のアタシには関係ない。アタシは帰る。そしてきっともう二度とイサビ殿には会わない」

「いいえ」

 前世だのなんだのと言われても、正直ピンと来ない。話が本当だとしても、イサビには悪いと思うが、このまま何も無かったようにもとの生活に戻りたい。そう思って五嶺が言うと、女は首を振った。

「五嶺殿はきっと、イサビ様に再び恋をする。そういうさだめなのです」

「さだめねぃ……」

 五嶺は胡散臭そうな顔をしたが、絶対の確信を持って女はそう言い、微笑んだ。

「イサビ様も、きっと前以上に五嶺殿を愛してくださいます」

 なぜそんなにはっきりと言いきるのか判らず、五嶺は顔をしかめた。

 さだめだのなんだの、五嶺にはヨタ話にしか聞こえない。

「魂となったお前たちならともかく、人と、人でないものの交わりは許されないだろぅ?」

 たしかにイサビには惹かれているが、禁忌を破るほどイサビに惹かれているとも言いがたい。相手は地獄の使者、恋をするなど考えた事も無いし、そんな重い事を言われては困る。

「第一、そんな酷い女……ってアタシの事だが、イサビ殿は顔も見たくないんじゃないのかぃ?」

 五嶺の言葉に、女はまじまじと五嶺の顔を見る。

「五嶺殿は、恋をした事が無いのですね?」

 そう言って、ふわっと花がほころぶように笑った。

 うふふ、じゃあ今からいろいろイサビ様に教えていただくんだわ。となぜか楽しそうに笑う。

「でも五嶺殿の仰るとおり、五嶺殿はイサビ様を悲しませたのですから、償いをなさらないといけませんよ」

 そう言った後、あっと小さく声を上げて、上目使いで五嶺を見る。

「あっ、あの、私たちのことはどうかお許し下さいませ。イサビ様は五嶺殿の事をお忘れだったし、お寂しかったのです。それに私たちの元へはたまにしかいらっしゃらなかったし、いらっしゃってもお酒を飲んだり舞を舞ったり……」

「でも抱いたんだろぃ?」

 言葉をさえぎって言うと、恥ずかしそうに頷いた。

「いや、別にいいんだけどねぃ。イサビ殿が誰を抱こうが」

「そんな事を仰ってはいけません!」

 なぜか怒られた。と五嶺が思っていると、ぎゅっと手を握られる。

「イサビ様は私たちにとても優しくしてくださいましたが、一時の慰め以上には思ってくださいませんでした。いくら貴女の事を忘れていても、私たちではイサビ殿のお心を満たす事は出来なかったのです。だから私、五嶺殿が来て下さった事嬉しく思います。お別れは辛いですけれど」

 女の言葉に、今度は五嶺がまじまじと女の顔を見た。なぜそんな事を思うのか、五嶺は理解できない。まだ、五嶺に憎しみや戸惑いをぶつけてきた女たちのほうが理解できる。

「お前はイサビ殿を本当に好きなんだねぃ」

 ぽつりと呟いた五嶺の言葉に、はい。と小さく頷いた。

「どうか今度こそ、ずっとイサビ様のお側に。イサビ様は気の遠くなるような長い年月をずっと待っていらっしゃったのですから」

 強い意思を持って言われた言葉に、五嶺は困ってあいまいに目を反らした。





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