業斗童子
黒の布で目隠しをした主が、俺の目の前で座っている。
五嶺家お抱えの年取った魔具師が、その布に手をかけるところだった。
「五嶺様、お手を」
俺は、自室から縁側に出た五嶺様にそう言って、五嶺様の差し出した手をそっと握る。
五嶺様のお目には、黒い目隠し。
一人では歩く事もままならぬ。
食事も、入浴も、俺が目となってお世話した。
手探りで茶碗を探す手に茶碗を差し出し、箸を握らせる。しまいには、ええい面倒だお前が食べさせろぃ。と仰って、俺は親鳥となり、この横柄な雛鳥のお口にお食事を運んでいたりしたのだ。
それが内心どんなに幸せだったか。
「ん、不便だねぃ」
五嶺様はそう仰って、かすかに眉をひそめる。そろそろと廊下を歩きながら、俺は五嶺様のお顔を見上げた。
目が見えずに不安そうな五嶺様のお顔、俺に全てを預けてくださっているのをひそかに誇りに思い、嬉しく思っていた俺は、もうすぐこんな様子の五嶺様のお世話が終わるのを内心残念に思っていた。
「日が沈むまでの辛抱ですから」
慰めるような俺の言葉に、五嶺様はふんと鼻で笑った。
「判ってるよ」
言葉は強気なくせに、そろそろと廊下を進む。
五嶺様がこうなったのは、昨日の夜にさかのぼる。
たっぷりと煉を練りこんだ朱を筆に取る。老魔具師は出来を確かめると満足そうにかすかに頷き、目を閉じている五嶺様のお顔に触れた。
くいと顎を持ち上げ、すーっと筆を滑らせる。
両の目の周りをぐるりと朱で囲み、仕上げに目じりから筆をくいと上に上げた。
俺は、五嶺様の白いお顔と朱の鮮やかさの対比に息を呑む。
「さぁ、目をお開けなされ」
老魔具師の言葉と共に、五嶺様のお目がすうっと開かれる。
なんと美しい。
と、俺は内心で呟き、食い入るようにそのお顔を見る。
化粧を施された五嶺様のお顔は、いつもよりもっと中性的に見えた。
男でもなく、女でもない魔を俺は感じたのだ。
俺がそう感じたのも無理は無いかもしれない。五嶺家の秘術で、五嶺様は人の身でありながら魔の力を得るのだから。
「これより明日の夜まで、お目に日の光を当ててはなりませぬ。術が解けてしまいますゆえ」
そう言われて黒の目隠しをされてから、早一日。
日はとっぷりと暮れ、五嶺様の目隠しを取る時がやってきた。
「若様、取りますよ」
「うん」
するりと黒い布が解かれ、下から五嶺様の顔が一日ぶりに現れた。
五嶺様がゆっくりと目を開けると、おお……と周りから思わずどよめきの声が上がる。
瞼の下から現れたのは、人ならぬものの黄金の瞳。
細い縦の虹彩の瞳は、まるで猫のようだった。
もともとお綺麗な方だ。それが今人ならぬ妖しさを纏い、目の前に居るこの人は、本当は神話や伝説の中で生きているのではないかと俺に思わせた。
ある日突然、俺達の前から姿を消してしまい、元の世界へ帰ってしまうのではないか。と埒も無く思い不安になる。こんな事を五嶺様に言ったら笑われるだろうけれど、俺は時々本気でそう思う。
「五嶺様……」
猫の瞳を持つ五嶺様はいつもと違った雰囲気で、俺は急に心配になって恐る恐る声をかけた。
「どうした?」
きろりと金色の瞳が動き、俺を見る。その様子はいつもの五嶺様で俺は内心ほっと安堵の息をついた。
「なにか、不都合は御座いませんか」
「ない」
五嶺様がきっぱりと仰ったとき、後ろで「なぁ〜」と猫の声が聞こえた。振り返ると、縁側から五嶺家に住み着いている猫が一匹、二匹と座敷に上がりこんでいる。
「……しかし副作用ってほどのものでも無いんだがやたら猫が寄ってくるねぃ」
新入りを歓迎しに来たのか、猫は五嶺様の膝の上に乗り、体に手をかけて五嶺様の顔をじっと物珍しそうに見つめている。
一匹や二匹なら良い。
なーなー言いながら五匹六匹と体に乗られ、五嶺様が焦って俺を見る。
「エビス、エビス、ね、猫に、猫に埋もれる」
「こっ、こらこらこら、お前たち!」
俺は、抱き上げてぐでーんと伸びる猫たちを一生懸命引き剥がすのだった。
五嶺様がぞろぞろと猫をお供に引き連れ、五嶺家の敷地内にある武道場へ入る。
俺もよく見知ったその場所は、今は異様な雰囲気に包まれていた。
武道場の内側が結界の書かれた白い布で張り巡らされている。部屋の四隅には、結界を維持するために四人の裁判官が控えていた。
「各々、準備はよろしいか?」
そう声をかけられて、俺達は頷いた。
中央には、使者を呼び出すための門。
これより、五嶺様が新しい使者との登記をかけて戦うのだ。
門が、ひらく。
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