「陀羅尼丸、山を出たら、アタシ達獣に話しかけちゃァいけないよ。都会の獣は、喋る事が出来ない馬鹿ばっかりだからねぃ。それに、アタシ達の声が聞ける特別な人間は、別の人間に、妬まれて苛められるよ。奴ら自分の理解できないものは認めようとしない、おまけに苛め殺して安心するんだ。だから絶対に心を許しちゃァいけない。お前は人間だけどアタシ達の仲間だから、苛められやしないか心配だ」
ここに来る前に、狐の姐さんはそう言ってアタシのためにさめざめ泣いた。アタシは姐さんの言葉がぴんと来なかったけれど、ここへ来てからはそれを痛いほど感じている。
この世には、霊が見えない人間がほとんど。
祖母は、アタシに、「お前は皆に必要とされているのだから強くなりなさい」と仰い、アタシを仏門に入れずに五嶺の家に送った。
「人の世はお前にとって辛いだろうけども、お前の役目を果たしなさい」という祖母の言葉が頭にこびりついている。
この世に生まれたもの全てに、果たすべき役割があるのだという。それを見つけ出しなさいと祖母は仰った。
アタシの役目とはなんなのだろう?
まだアタシにはわからない。
五嶺の本部に、殴られて血まみれになった女が逃げ込んできたのを見て、アタシはその姐さんの言葉を思い出していた。
顔は原型を留めぬほど腫れ、どす黒くうっ血している。
唇は切れて、乾いた血がこびりついていた。
履物を履く余裕が無かったのか、裸足で、着の身着のまま。
女は泣きながら、私に霊が見えるので、気味が悪いと夫が殴るのだと訴えていた。
霊媒体質を受け継いでしまった娘は学校で苛められ、それもまたお前のせいだと罵られる。
ああ、地獄だ、地獄だ。どうしてこんなものが見える。見たくも無いのに。この力のせいで私の人生はめちゃくちゃだ。死んだ方がましだ。
女はすすり泣いていたと思ったら、狂ったように叫んだ。
女がそうなった理由は複雑で、多分霊が見えるせいだけじゃないだろう。だが、それが大きな原因で人生が狂ってしまった事は確かだ。
「五百万貸してやる。それで旦那から逃げろ。その代わり、金を返しきるまでうちの事務所で働いてもらう。言っておくが死ぬかもしれんぞ」
事務所の事務員がそう言うと、ありがとうございます、ありがとうございます。とその女は土下座して玄関に頭を擦り付けていた。
霊媒体質のものは、うちの魔法律事務所では重宝するのだ。
霊のおとりに、煉の補充にと、最下層の危険できつい仕事が与えられる。そうして駄目になれば容赦なく捨てられる。
一方で、能力のあるものはうちで大切にされる。才能のあるものはすぐに上に取り立て、援助を惜しまない。底辺からうちの援助で執行人にまで上り詰め、莫大な年収を得るものも少なくないが、弱者は容赦なく切り捨てられた。
叫ぶ女はすぐに連れて行かれて、アタシはその女がどうなったのかは知らない。
アタシは、それ以来密かに霊が見える人間はどうしているのかを気にするようになった。
霊なんて見えるのは、心に病があるからだ。見えぬものたちはそう決め付け、アタシ達を哀れみ、うそつき呼ばわりし、蔑み、迫害する。
自分を否定されるという事がどれほど辛い事か。それがどれほど心をゆがませる事か。
運良く理解有る人に出会え、専用の学校へ通えるのは、よっぽどの幸運らしいと知った。
大抵は、苛められたり、迫害されたり。ひどい時には、自殺するまで追い詰められている。しかも、それは珍しい話ではない。
賢いものは、霊が見えることをひた隠し、いつ他人にその秘密がばれるかと怯えて暮らす。
五嶺の家は、密かにそんな子達から才能の有る者を集め、魔法律家を養成する学校に通わせていた。慈善事業じゃない。優秀な魔法律家が欲しいからだ。学校に通う代わりに、借金を抱えたその子達は、必然うちで働く事になる。ようするに人買いだ。
親達は、準備金という名のはした金で喜んで子供を五嶺の家に預けた。もちろんちゃんとした親もいたが、厄介払いできてせいせいしたと子供の前で平気で言う親もいた。
アタシの父上は、将来霊に関する事件が爆発的に増えると予測してらっしゃった。それはそのときのための投資なのだと仰っていた。
アタシは唇をかんでそのお言葉を聴いていた。
同じ霊の見えるもの同士、五嶺の家に生まれたアタシと、目の前の子供。なにも変わりゃしない。だが実際は、アタシは上からその子達を見下ろし、その子達は、目の前で頭を下げている。
アタシが今ここにいるのは、たまたまに過ぎない。
アタシはなぜここにいる?
それは、五嶺本家に来て以来、ずっと考えていた事だ。
「恩を返す方法はただ一つ。一生五嶺の手足となり、五嶺のために死ぬ事だ」
父上のそのお言葉にも、集められた子達は顔を輝かせて頷いた。
生きていてもかわまないのだとやっと言ってもらえた。
ようやく必要とされた。
そう言って、「ありがとうございます五嶺様、ありがとうございます五嶺様」とアタシくらいの年頃の子が頭を下げるのだ。
例えどんな酷い仕打ちを受けても、ここでは自分に嘘をついたり、自分を否定しなくてもいい、ありのままの自分でいられる。だからここへ置いて下さいと言う、哀れな子たち。
いたたまれなくて、アタシはその場を逃げ出し、後で父上にこっぴどく叱られた。
父は厳しい人だった。ご自分にも、アタシにも。
お仕事をなさる際は、アタシを側に置き、まだ年端も行かぬアタシにご自分のやり方を叩き込まれた。
正直に言えば、汚いやり方だ。
脅し、恐喝、はったり、騙し、無知なもの、弱いものからの搾取。
アタシはそれらがとても有効で強力な武器になる事を知った。
胸が痛む事ばかりだったが、自分の弱さばかりを嘆くだけで、怯えと怠惰で指一本動かさぬ弱者など、食い物にされて当然だ。悪人として死んで地獄へ行くのも構わぬ。と仰る父上の強さにアタシは憧れた。
魔法律界に巣くう魑魅魍魎と丁々発止と渡り合い、全力で立ち向かう父上の背がどんなに頼もしく見えたことか。
賢く勤勉な悪人と、弱く怠惰な善人。アタシもなるなら前者の方が良い。
今なら、アタシに頭首としての心得を厳しく叩き込む事が父なりの愛情だったのかもしれないと思うが、突然目の前に現れた父という存在は、冷たくて、厳しく、怖かった。
アタシは父の気配をうかがい、いつも父の前ではびくびくしていた。父の前で失態は見せられぬというプレッシャーで押しつぶされそうだった。
でも、父がアタシを褒めてくれるのは嬉しかった。
だけど、父上のやり方には胸が痛んだ。
父上への尊敬と反発に、アタシは二つに分かれてしまいそうだ。
ずっと、ずうっとアタシは考えている。
アタシ達は、どうしてこんな力を持って生まれてきたのだろう?
霊の見えぬものに迫害され、霊の見えるものに利用される。
どうして、霊が見えるってだけで不幸にならなきゃいけない?
あまりに惨めじゃないかぃ?
それはこんなに罪な事なのか?
絶対に違う。絶対に。
もやもやとしたものがアタシの心にこびりつき、消えない。
アタシが五嶺の本宅へ来てから三ヵ月後、縁側に座り、ぼんやりと庭を眺めていたアタシの耳に、懐かしい羽音が聞こえた。
逢魔が刻。
人の心に、魔が忍び込む時だ。
目の前に現れたのは、山伏装束に、鋭いくちばしと羽を持った魔。
「十郎坊じゃないか。久しぶりだねぃ」
アタシが言うと、昔馴染みは覇気の無いアタシを見てぎょっとした顔をした。じろじろと無遠慮にアタシを眺め、ようやっと口を開く。
「陀羅尼丸。お前俗世間に来てずいぶん汚れたなぁ。もったいない。酷くくすんじまってる」
「ああ、やっぱりそうかぃ? なんかもうお前の姿もよく見えなくなってきたよ」
カラス天狗の言葉に、アタシは自嘲気味に笑った。
確かに、アタシが闇の世界と交わる能力は、かなり無くなっていると自分でも感じていた。
汚れた食べ物と、汚れた空気がアタシの体を変え、なによりも、精神的にアタシはかなり落ち込んでいた。ここでの生活にすっかり疲れきっていたのだ。
慣れぬ新しい生活。自由をなくし、まるで籠の中の鳥のよう。
自分を偽る事の辛さ、父への尊敬、畏怖と反発。
アタシはどう生きたら良いのだろうという迷い。
辛い思いをしている同胞達への共感、この世への憤り、そして、救ってやりたいと思ってもどうしようもない無力感。
「お前、いっその事天狗になる気はないか? もともとお前、こっち寄りなんだ。人間の世界なんて捨ててこっちに来ちまえよ」
十郎坊は、そう言ってから皆からの土産だと山菜や茸をくれ、狐の姐さんからだと一通の手紙を渡してくれた。
その手紙には、たどたどしい字で「かへっておいで」と書かれており、見るなりアタシはわっと声を上げて泣いた。アタシを心配してなれぬ字を書く姐さんを思うと、涙が止まらなかった。
アタシの事を心配してくれる皆の気持ちに、堰が切れたように涙が溢れた。
思えばずっと、アタシは泣くのを我慢していたのだ。とようやく気がついた。
人間の誰も、アタシの事をこんなに心配してくれない。アタシはやはり闇の子なのだと思った。人間のはみ出し子なんだ。だから人の世でこんなに生き辛い。
「お前さえその気なら、愛宕山でも鞍馬山でも口を利いてやるよ。最近じゃ天狗も斜陽産業だけどよ、こんなとこでくすぶってるよりかはましだろ? お前ならドラフト一位間違い無しだぞ。どの山も優秀な新人は欲しいからな。嫌だったら別に顔赤くしなくても鼻とか長くしなくてもいいし。ビジュアル的にも安心だぜ?」
溢れるアタシの涙を優しく拭いながら、十郎坊がおどけて言った。
同じ人間によって辛い目に合わされ、退治すべき妖に救われる。どういうことだろう。
「どらふと……?」
アタシが首をかしげると、十郎坊は、「なんだ」という顔をした。
「お前人間の癖に野球も見ないのかよ。ま、いいや」
「天狗も楽しそうだねぃ」
エビスに言ったら爆笑されそうだが、その頃アタシは本気で天狗になろうと心を決めかけていた。
アタシは、今の生活を捨てる事に何の躊躇もなかったんだ。
その時誰かが来る気配がして、また返事を聞きに来ると言い、十郎坊はすばやく闇へ消えた。
アタシは貰った山菜と茸を厨に持って行き、仲のよい使用人に渡してこっそり料理してもらった。当然、どこから持ってきたのだと聞かれたが、アタシは言葉を濁した。
久しぶりに食べる山の味に、アタシは一人で泣きながら絶対に山へ帰ろうと決意した。
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