Dances With Devils








 六歳になるまで、アタシは祖母と暮らしていた。

 かろうじて電気と水が来るような人里はなれた山奥で、小さな寺がアタシと祖母の棲家。祖母は尼僧で観音様をお祭りしていた。

 時折人が尋ねてくる以外は、アタシと祖母は二人っきり。だけど、寂しかったかといえばそうでもない。

 アタシは、祖母の寺を出て五嶺の本家に行くまで、狸や狐が喋るのはおかしな事だという事を知らなかった。

 陽気なカラス天狗や、怒らせさえしなければ気の良い山神は、どこにでもいるのだと思っていた。

 祖母は、アタシが、「山の狐が雨が降るといっていた」と言っても、「山神に、母君の葛葉殿はお元気か?」と聞かれた(アタシの母上はそんな御名じゃない)と言っても、おかしな顔一つしなかったからだ。

 後から、アタシは恐ろしいくらいの霊媒体質で、生まれてすぐに良いものも悪いものもみんな団子になってアタシの周りに群がってたらしいと聞いた。

 はいはいをするアタシの周りを、皿が飛び交うなんて日常茶飯事で、誰も手をつけられない。物心つくとすぐ祖母の寺に預けられた。

 祖母と、祖母のお祭している観音様のお力のおかげで、アタシは守られていたのだ。


 祖母は毎朝毎夕の観音様へのお勤めを済ませると、アタシに勉強を教え、勉強だけでなく書道や日本舞踊も教えて下さった。仏様のお話や、漢詩や和歌を沢山聞かせてくれた。

 アタシは祖母と一緒に掃除や洗濯もしたし、「陀羅尼丸は食べられないものが多いのだから、自分の食べるものは作れるようになりなさい」という祖母の教育方針で台所にも立った。

 時間があれば、狐や狸と遊んだ。山菜を探し、食べられるきのことそうで無いきのこを教えてもらい、川で取った魚を皆で分けた。

 「お前ェはオイラの弟分だからな」とアタシをずいぶん可愛がってくれた狸はまだ元気だろうか?


「六歳になるまでは、子供は仏様のもの」

 それが祖母の口癖だった。それまでは、子供はこの世よりもあの世に近いのだという。

「仏様にお返しするかどうか、それまでに決める」

 五嶺本家から人が来るたび、祖母はそう言って追い返した。アタシは何のことだか判らなかったが、多分、アタシを引き渡せと言われていたのだろう。

 祖母は、アタシが「こっちの世界」よりも「あっちの世界」に近いとずいぶん心配をしていて、陀羅尼丸は仏様にお仕えした方が幸せかもしれない。と何度も仰っていた。

 確かに、夜中得体の知れないものに起こされるのはしょっちゅうだった。足元に絡みつく黒いものを、「ここじゃないよあっちだよぅ」と寝ぼけながら観音様の元に案内したりした。

 いまだに当時のアタシがなんでそんな事してたのか判らないんだが、そうすれば良いということをアタシは本能的に知っていた。今じゃすぐ魔法律に頼っちまって、そういうカンみたいのはずいぶん身を潜めてしまったんだけど、霊媒体質を抑えたそのおかげで人並みの生活が出来るようになったのだから仕方が無い。さすがのアタシも、四六時中霊にしがみつかれたり、皿が飛ぶ中で生活するのは辛いからねぃ。


 子供の頃のアタシは、大人の心配や都合など関係無しに、天衣無縫に生きていたのだ。悩みもなく、ただこの質素だが楽しい日々がいつまでも続くのだと思っていた。


 身を切るほどに冷たい冬の朝の雑巾がけも、濃い牛乳のような朝もやも、怖いほどに星が光る夜空も、喋る狸や狐も、アタシに茸や栗をどっさりくれた山神も、弓や剣術を教えてくれたカラス天狗も、今では遠い記憶の中。





 六歳になった頃、五嶺の本家から迎えが来ると言われても、ぴんと来なかった。一週間もすれば、またここに戻ってこられるのだろうとたかをくくっていた。

 なぜこの生活が終わってしまうのか。全く訳がわからないまま、二度と山へ帰れないと知らずアタシは都会に連れてこられた。



 最初の頃、五嶺の本宅での生活は、そりゃあ辛いものだった。

 空気は汚いし、夜空は何も見えやしない。犬は話しかけても返事しない。

 山の清浄な空気を離れ、アタシの体調は一時急激に悪化した。次第に汚い空気に染まっていくにつれアタシの体力は回復したのだが、他にも問題はあった。

 こっちの霊は性質が悪く、霊媒体質のアタシはよく取り付かれては熱を出した。

 その時初めて、魔法律というものを知ったのだ。

 初めてそれを見たときは、アタシは大変なショックを受けた。

 無理やり霊を捌く事を、何て野蛮で暴力的なんだと思ったのだ。

 きちんと供養すれば、成仏するのに! と抗議するアタシに、「それでは効率が悪すぎます」と山岡と名乗る執行人は言った。確かにそいつの言うとおりだ。何年も供養して成仏を待っていては、救える人も救えない。

 だけど……とは今でも思う。今では、魔法律のことを、野蛮だとも暴力的だとも思わないが、あの時感じた違和感は忘れてはいけないと思う。

 魔法律は人を救うために有る。

 なら、霊は? 霊はどうでも良いのか?

 誰にも言いはしないが、今でもその思いをずっと抱えながら執行を続けている。エビスに知れれば、「あの五嶺様が!?」と素っ頓狂な顔をされるだろうが。

 こんなんだから、あの世に近いと言われるのかもしれないねぃ。






 今まで祖母と二人だったアタシの周りに、人はどっと増えた。

 だけど、アタシは一人ぼっち。

 誰もが腫れ物に触るような扱いで、アタシに近寄るのを極力避けている。

 五嶺様、五嶺様とちやほやするやつはどれもこれもしょうもない人間ばかりだった。

 勝手に外に出てはいけない。台所に立ってはいけない。布団の上げ下ろしは女中にさせてください。

 してはいけない事ばかり。しょうがないから日がな一日字を書いたり踊ったりしてたので、アタシの書道や踊りの腕はかなり上達した。


 この家にきてしばらく経ち、だんだん判りかけてきた。

 アタシは、役者みたいにアタシの役割を演じなければいけない。

 五嶺陀羅尼丸は、自分で自分のことをしてはいけない。誰かの仕事を奪ってしまうから。

 誰かを喜ばせるためにできる事をしないというのも変な話だ。でもそれがアタシの役目。

 アタシがにこにこと微笑めば、みんなが喜ぶ。それはちょっと嬉しい。

 アタシが癇癪を起こせば、皆は困るけれど、「若様が……」と困ったように言う使用人の口調はどこか誇らしげだ。

 アタシは皆に与えてやらねば。

 変なことに、アタシは慎重にタイミングを計りわがままを言うようになった。

「若様は、本当にやりたい放題ですのねぇ」

 新入りの女中が、アタシがいるとも知らず愚痴を零したのを聞いた。

 本当にそう思うか? ならばアタシの勝ちだ。


 でも、息苦しい。



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