Verweile doch! Du bist so schön!

 ごにょごにょと山の怪達が術を唱える声に混じり、場違いなほど陽気な声が上げられる。

 床に描かれた陣と、山の怪が唱えるスペルによって引きずり出された西の悪魔は、そんな状況でもへらへらと楽しそうに笑った。

 見た目はイサビのように人型を保ち、長身で金髪の短い髪、色素の薄い青い目をしている。姿かたちは人当たりの良さそうな初老の男性のようだが、荒んだ異様な雰囲気が漂っていた。目の周りは落ち窪み、どす黒い隈ができている。肌の色は不健康に青白い。顔立ちは整っていたが、内面から病的な狂気がにじみ出て、生臭い獣の臭いがする。

「いやいや、まったく侮っていた。グリモワールを回収しなかったのが運のつきだ。でもまさかあの本を解読して、しかも応用までするなんてねぇ! どんなにおねだりされても渡すんじゃなかった!」

 そう言って、ぐるっと芝居がかって周りを見渡し、肩をすくめる。

「ぬしは何者じゃ? 何ゆえ陀羅尼丸を食うた」

 低い声でイサビが問うと、おや! とわざとらしく悪魔が驚いてみせた。

「これはこれは、はじめましてイサビ殿! 山の怪の王にして、生意気な陰陽師の情人! 一方的に存じあげております。お目にかかれた記念に何かくださいませんか? その角なんか欲しいなぁ。いいなぁ、コレクションしたいねぇ。ねぇ、下さいませんか?」

 慇懃無礼な挨拶にふざけた言葉。バカにされているのかと思い、イサビの目が険しくなる。だがそうではなかった。その悪魔はイサビをぎらぎらと欲望に満ちた目で見ながら涎を垂らしている。ああ、凄く珍しい。いいなぁ、欲しいなぁ。と呟かれ、嫌悪感にますます目が険しくなる。

「私のことはなんと自己紹介すればいいのかな? あの、女の癖に男になりたがってた、滑稽な五嶺の頭首殿に魔法律を教えてあげてたんですよ。ひどいコでねぇ、私の教える魔法律は好きでも、私のことは大嫌いなんです。二人きりで何度も夜を一緒にすごしてたというのに」

 悪魔の口調は明るかったが、妙にどす黒い印象を受けた。陀羅尼丸の事を気安く話し、ことさら仲を強調するような、ちくりとイサビの気に障るような言い方をする。

「とても優秀でとてもかわいそうな子だった」

「かわいそうじゃと?」

 イサビが不愉快そうに繰り返すと、おや? というように眉を上げた。

「ご聡明なイサビ殿の事、ご自分の情人の事は何でもご存知かと思ったのに、そうではないんですねぇ。どんな手段で五嶺がのし上がってきたか知らないわけじゃないでしょう? 強いものには恥も外聞もなく擦り寄り、邪魔なものは、身内だろうと平気で切り捨てる。金のためなら何でもするし、冷酷、残酷、悪どい手を使うのに何の躊躇もしない。その女頭首の実態はと言えば、実は背負う荷物の重さに息も絶え絶え! 体も心も疲れ果てて悲鳴を上げてるのに、皆の前では強い頭首の演技を続けているなんて泣けるじゃないですか。天才のイサビ殿には、こんな凡人の苦しみなど判んないんでしょうね? 女には納まれず、男にもなりきれず、いびつに歪んで、やがて綺麗なあだ花となったものの気持なんか!」

 イサビに口を挟む隙を与えず一気に言うと、一呼吸置いて悪魔はにっこりと笑った。

「イサビ殿には、五嶺家のために必死になる姿が愚かにしか思えなかったでしょう? 五嶺家のために身も心もすり減らして尽くす奴隷だと。あなたに判ってもらえずに、どんなに苦しかったでしょうね? いやいや責めているのではありません。最初から分かりあえぬ仲だったって事ですよ。価値観の違いですれ違うなんてよくあることだ。うひひ。他人の不幸は蜜の味と言いますが、想像するとたまりませんよ」

 ああ……。とイサビは内心でため息をついて思った。

 こいつはわしが嫌いなのじゃ。死ぬほど。

「どんなに偉そうにしたって、あなただってあの女の宿命からは救えなかったじゃないか。何度生まれ変わろうと、あの女は魔を引き付け、魔に食われる。誰にも救えない」

 ニヤニヤと笑いながら口にした言葉に、不覚にも一瞬驚いて動きを止めた。

 な、に。

 悪魔の言葉に、イサビが目を見開く。

 こいつも知っておったのか。

 何度運命を視ても、イサビがいかにそれを変えようと力を尽くしても、出る結果は同じ。

 魂が魔を引き寄せ、魔に命を奪われる。

 それはあまりにも強すぎる運命で、イサビをしても断ち切る事が出来ない。死に繋がるものを一切遠ざけようと努力してみたが、それも無駄だった。

「まさか、ぬしは陀羅尼丸にその事を話したのか!」

「言いましたとも。君は長くは生きられないって。そのうち魔物に殺されるってね。まあ本人もうすうす気付いてたみたいですけど。あなたはずいぶんと運命を変えようと頑張ってたみたいですが、やはり無駄だった。誰か他の奴に渡すくらいなら私がとは思っていましたが、やはり殺したのは私でしたね」

「よくも余計な事を言うたな。あんな無茶をしたのはぬしのせいか……!」

 まるで他人事のように話す悪魔をイサビがにらみつけた。

 ただ死ぬよりは、せめて五嶺家のために華々しく散ろうと思ったに違いない。

 悪魔は、イサビが何か言う前に、なれなれしい言葉遣いで一人でぺらぺら勝手に喋りだす。

「時間よとまれ、汝はいかにも美しい! という訳ですよイサビ殿。可愛そうに、頭がよくて、若くて、キレイだったのに、宿命どおりに死んでしまうなんて、なんて悲劇なんだろう。身の程知らずの力を求めて死んじゃう愚かさがまたいい。その悲劇性が胸を打つよ。フフッ、まぁ食べちゃったのは私なんだけどねっ。その代わり願いは叶えてやった。でも魂には逃げられた。まさか私を騙して地獄の馬と契約していたなんて予想外だったなクソッ! もうちょっとで捕まえられたのに」

 途中から自分一人の世界に入り込み、最後は苛立たしげな表情でぶつぶつと呟く。陀羅尼丸を食べた時の事を思い出したのか、顔が紅潮し、涎が糸を引いて床に落ちる。

「偉そうにほざくな。貴様の下手なやり方のせいで、星の歪みが酷い、おかげで陀羅尼丸は氷の下じゃ」

 イサビが言うと、急に悪魔は顔を上げ、イサビを睨みつけながら怒鳴りつける。

「偉そうなのはどっちだ! 私は、ずうっと昔から、お前に会うよりずっと昔の子供の頃から見てたんだ! あんなに特別なコだったのに、お前が台無しにした。ただの女にしてしまったんだ。悪いのはお前だ、私のコレクションを盗るからしかたなくああしたんじゃないか。私が悪いんじゃない! 五嶺君も五嶺君だ。誰のおかげでここまで成り上がることが出来たと思ってるんだ。私がいろいろ教えてやったからじゃないか!!」

 へらへらしていた態度が嘘のように、急に激怒した姿を見て、こやつ、いかれておる。とイサビが内心で呟く。

「私のことはご存じなかったでしょう? 私は五嶺の恥だ。知られるのは我慢ならなかったでしょうからね。魔法律を教える代償に、嫌いな私と淫らな事だってしてたかもしれないですよ。なんせあんな汚れた女だ。あなたに抱かれた時、本当にヴァージン、ウフフ、生娘だったかも怪しいもんです。五嶺家を取り立てるという約束だって、どうやってとりつけたかんだか。あなたに抱かれて覚えた手管で、体を使って、閨の中で約束を取り付けたのかもしれませんよ! ククッ」

 卑屈ないやらしい目をしてイサビを見る。二人の間を汚そうと口から毒を吐く。

「なぜ、手塩にかけて育てた弟子の事をそのように悪しく言うのじゃ? たしかにぬしの言うとおり、わしは陀羅尼丸の事を判ってやれぬ所はあった。だが、わしはぬしと違って、陀羅尼丸の事を信じておる。そのような事を言って誑かそうとしても無駄じゃ」

 毒のような言葉は、イサビにかすり傷一つ付ける事できず、逆にその自信に満ちた様子に悪魔は傷付けられた顔をした。

「奇麗事だ。お前に何が判る? 私は五嶺の心の闇を知っているんだ! 食われたのは私を裏切った当然の報いだ。ずっと孤独でいる事を条件に魔法律を教えてやってたんだからな! 誰も好きになどならないと言っていたのに、なぜお前なんかに恋をした。私に食われると判って、それでもお前に恋をしたのはなぜなんだ? 恋などしなければ、生かしてやったのに!」

 思いがけず悲痛な叫びだったが、イサビの無表情は感情のかけら一つも浮かべていない。

「お前のほうが私より強いと見て、私を捨てて乗り換えようとしていたに違いないんだ。あんなによくしてやったのに……!」

 醜く顔をゆがめて、言葉を吐き捨てる悪魔に、イサビが呆れた口調で口を開いた。

「ぬしはそれほど陀羅尼丸と共にいて、なぜ気がつかなんだか? 陀羅尼丸は、心の底から嫌いなやつを打算のためとはいえ師と仰ぐ器用なことは出来ん。我侭なやつじゃからの。陀羅尼丸を信じず、ありもせん妄想に踊らされる愚か者め、陀羅尼丸にぬしがからっぽの男とばれるのが怖かったか?」

「なんだと……」

 イサビの言葉は図星だったらしく、獣じみた目で、押し殺した声で呻く。

「孤独と言うたな。誰も心に入れるなと、ぬし自身もその心に入れるなと陀羅尼丸に言うたのじゃな?

 ぬしは、陀羅尼丸に愛される事からも、陀羅尼丸を愛す事からも逃げた。得られぬ事に苦しむのなら望まぬほうがましとでも思うたか? そんな程度の男が陀羅尼丸を縛ろうとしたのがそもそもの間違い。あの女が、ぬしのような薄っぺらい男の側で満足する訳が無かろう。ぬしを必要としなくなるのも時間の問題だったのじゃ。誰かに取られるのがそんなに嫌なら、自分が奪ってしまえばよかったのじゃ。ぬしは、なにもせぬ自分を棚に上げて陀羅尼丸を責めるだけのクズじゃな」

 きっぱりと言い切ったイサビが、一呼吸置いて問いかけた。

「ぬしゃ、陀羅尼丸を好いておったのか……?」

 イサビの言葉に、間髪いれず返事を返す。

「好き? 冗談じゃない。なぜ私が人間なんかを。愛なんかのために苦しむのも、プライドを捨てるのも嫌だね。あれは私の大事なコレクションだから盗られるのが我慢できなかったんだ。誰が大事に育てた蝶を逃がすもんか。コレクションにするためにここまで育てたんだ」

 その言葉を聴いて、イサビが心底軽蔑した表情を浮かべる。

「くだらん。滑稽なのはぬしのほうじゃ。自分の気持ちにも気がつかず、愛した女をものとしか見られず、あげくぐちぐちと恨み言をぬかすとは……。貴様のようなからっぽでつまらん男に陀羅尼丸が得られるわけなかろう」

 嫌悪感を露にし、吐き捨てるように言うイサビに、悪魔も激しく言い返す。

「不愉快だな……。勝ったのはどっちだと思ってる? お前は敗者だ。お前は失ったんだ。私が勝者なんだ!」

 イサビに敵意をむき出しにし、目を血走らせ、唾を飛ばして叫ぶ姿を見て、イサビが鼻で笑う。

「何をそんなに焦っておる? ならば、勝ったと言うぬしが、なぜそんなに不幸なのじゃ?」

「不幸、だと……」

「いい加減目を覚ませ。ぬしは自らの愚かさゆえに取り返しのつかぬ事をしたのじゃぞ。陀羅尼丸を失のうたのじゃ。自らの手で大事なものを壊したのじゃ!!」

「失うつもりなど無かった。魂を、捕らえようと思ってたんだ!」

 イサビの言葉が終わらぬうちに、悪魔が叫んだ。

「私は優しいから、裏切ったのも許してあげようと思っていた。私が魂をコレクションしてやれば、もう生まれ変わって魔に殺される事もない。かわいそうな運命から救ってやろうとしたんだ! それを何で嫌がるんだ」

 地団太を踏み、駄々をこねる子供のように顔を歪ませてう〜う〜と唸る。

 これで願いが叶うと得意の絶頂だった。辛い運命から解き放ってやるために、魂を捕まえようと手を伸ばした瞬間、密かに発動していた術で攻撃された。

 逆らわれるなど思ってもみなかった。

 せっかく救ってやろうとしたのに!!

 二重に裏切られたと怒りに震え、魂に逃げられてひとしきり暴れて罵った後、ふと気がついた。

「いなくなっちゃったんだ。そして、私はまた一人きり」

 どこを見ているのか判らない狂った目をして、ぶつぶつと呟く。

「私は暗闇に一人孤独。ここは冷たい。五嶺君の魂も一人きりでとても寂しそうで、でも暖かな光を放っていた。私は、ただ側にいて、その暖かさを感じたかっただけなんだ。分かりあおうなんて思わない。苦しくて嫌な思いなんかしたくない。孤独なもの同士、ずうっと寄り添っていたかっただけなんだ。だけど五嶺君は別の誰かを求めた。私を裏切ったんだ」

 深い悲しみを浮かべ、涙に濡れた顔がイサビを見上げた。だがその深い悲しみは、自分が食った女に向けられているのではなく、かわいそうな自分に向けられているのだということをイサビは知っている。

「同じ孤独にいた陀羅尼丸が、孤独から抜けようとしたのが許せずに殺したか……」

 疲れきった、イサビのやり切れぬ声。

 変えられなかった運命。

「次こそわしは、陀羅尼丸の因果を断ち切ってみせるぞ。本当は判っておるのじゃろう? 本当の勝者はわしじゃ。時間はかかろうが、陀羅尼丸はわしの元へ戻って来る。ぬしゃただの邪魔者じゃ」

「そうだ、邪魔してやったんだ。ざまあみろ」

 再び卑屈な目をして、悪魔はイサビに聞こえぬよう小声で呟いた。

 絶対に渡さない。と暗い決意を固める。

「いずれお前も私と同じ事をせざるをえない。さだめを変えたって、人の命はいずれ尽きるんだぞ? 永久に欲しいと望むならお前も魂を所有するしか方法は無い」

 私のコレクションになれば、辛い運命からも逃れられるんだ。と自己を正当化する。

Verweile doch! Du bist so schön!

 もう一度叫んで、にやりと下卑た笑いを浮かべた。

「氷に閉じ込められた姿もキレイだったなぁ。せめて千年はあのままでいてほしい。グリモワールには西の地獄の事も書いてあるから見に行ったほうが良いですよ。あなたに行けるもんならですけどねえ。自分ひとりのコレクションに出来ないのが残念だけど、想像したよりずっと綺麗だった。ねぇこれ見覚えありませんか? この髪を纏めていた紐! 記念に貰っておいたんだ。まだ髪の移り香が残ってる、私の一番お気に入りのコレクションなんですよ。おっと、欲しがられても差し上げられません」

 いやらしい表情で白い紐の匂いを嗅いで、次の瞬間ににっこりと無邪気な微笑みを浮かべる。

「強くて、冷酷で、一途で、滑稽で、愚かだった。あれほど美しいものはなかなか無い。美しいものはずうっと美しいままにしておかなきゃ」

 うっとりと夢切るような瞳で朗らかに言うと、イサビが顔をゆがめた。

「貴様、わざとやったのじゃな……」

 うめくような声に、場違いなほど陽気な返事を返す。

「わざとじゃないですよ。お恥ずかしながら力不足で! 上手く私から逃げたつもりなんだろうけどねえ、地獄の氷に閉じ込められるんなら一緒さ。感謝して欲しいな、私の手であんなに綺麗な姿になったんだから」

 綺麗なものが好きなんですよ、心を暖めてくれるんです。と続ける。

「あの黒髪と黒い瞳、あれは本当に綺麗なものだ。ブルネットなんかとは全然違う。まさにジェットだ。宝石のように美しい。一気に頂いてしまうにはもったいない。地獄の蟲を体中に這わせてやって、苦痛と屈辱に悶える姿が見たかったよ。もっと少しづつ、じっくりと嬲るように味わいたかったんだけど、残念だ」

 死んだ女を汚すような胸が悪くなる言葉に、イサビの全身から殺気が放たれる。身の危険をいち早く察知し、チッチッチッとわざとらしく舌打ちして、大げさに後ろへ飛びのいた。と言っても山の怪に囲まれているので、ほんの数十センチだったが。

「おっと、恨むなら自分を恨まなきゃ!」

 嫌われて信用のなかった私が、どうやって肉体を同調するなんて危険な契約を交わすことができたと思います? と秘密めかして囁くが、イサビが無表情なのを見て、残念そうに自分で種明かしする。

「なんせそれしか方法は無かったですからねえ。情人に冷たくされた女の耳に、私が君の望みを叶えてあげるよ。って囁いただけで堕ちましたよ。嘘かもしれないと思っても、殺しはしないという私の言葉を信じるしかなかった。そこまで追い詰めたのはあなたなんだよ? ねェ山の怪の王殿」

 最初から私は食ってしまうつもりだったんだけど。と言った後、あはははっ! とバカにしたように笑い、目に溜まった涙を拭いながら、横目でイサビを見る。

 長年教えを受けた師だからという思いもあったろう、幸運を逃したくないという思いと、なんとしてでものし上がるという野心もあっただろう。いずれ殺される運命の短い命を焦る気持ちもあっただろう。

 なぜこんな愚かな選択をした……!

 長い間、闇の中でずっと寄り添ってきたこやつの甘言を信じたかったのか?

 それとも、こ奴になら食われても良いと思ったのか?

 そう思うと、イサビの胸を嫉妬がぎりぎりと締め上げる。

 悪魔はイサビが自分を知らないと思っていたが、イサビは知っていた。

 かつてアタシの一部と言って良いほど近かった、アタシの闇に住む魔。

 陀羅尼丸は悪魔の事をそう言っていた。

 イサビが気がつかぬほど重なり合っていた二つの星が、やがてぶれ始めたのでイサビはその存在に気がついたのだ。

 二つで一つと言って良いほど重なっていた星がずれ始めたのは、アタシがイサビ殿と会ったからでしょうと陀羅尼丸は言った。

 もう孤独には戻れない。死ぬまで孤独を分かち合い、傷を舐めあうのだと思っていたあの悪魔を、今は哀れだと思うと言った。

 哀れと思い、情けをかけたか? 哀れと思い自分の体を食われても良いと思うたか?

 心はやれぬが、体をやろうとでも思ったのか……?

 イサビの怒りと嫉妬を知らず、陀羅尼丸の気持ちを知らず、悪魔は喋り続ける。

「おかげで私は初めて陰陽師ってやつの体を味あわせてもらったけど。血と肉を全部奪ってやったんだ。野心に生き、野心に滅びた。私の手で究極の美に昇華された姿がどれほど美しかったか! 見せてやりたかったよ、本当に。きっと惚れ直した」

 うっとりと陶酔し、べらべらと喋り続ける。自分の武勇伝を語るのに夢中で、イサビの周りに瘴気が漂い、魔力を持った何千何億もの菌糸が静かに周りを囲むのに気がつかない。

「フフフ、最高だった! あんな激しい快感、思い出すだけで身震いする。千回射精するよりもよかった。たまらないよ。血も、肉も、極上のワインみたいに濃くて甘くて、いくらでも力が湧いてきてねぇ。私が私じゃないみたいだった。さすがイサビの女は極上の美味だ! 悔しいかい? 悔しいよねぇ。死ぬほど好きになった女だもの! こりゃケッサクだ! 私みたいなクズが、イサビみたいな普通なら到底歯が立たない相手をどん底に突き落としてやったんだからね」

 イサビが手を伸ばし、よく喋る悪魔の頭を掴んだ。ぐっと力を入れると、めきめきと頭骸骨が歪み、衝撃で片目が飛び出す。

「わしの大事なものを掠め盗った挙句にその暴言、覚悟は出来ておるじゃろうな? ただでは済まさんぞ」

「ぐが……っ。ヒヒヒ、痛いよ。何に怒ってるんですか? 私にじゃないでしょう? 本当に腹を立てているのは自分自身にでしょう? 地獄の使者である私は、ご存知のとおり地上での仮の姿がやられても実態へのダメージはさぼどない。残念でした」

「果たしてそうかのう……」

 脳漿を飛び散らせ、眼球の飛び出た醜い顔でまだ笑う悪魔が、足元から這い寄る霊気を帯びた菌糸に気がつき、恐怖に身を凍らせた」

「なっ、なんだこれはっ!! ヒィッ! わ、私の体が消える。やめろ、やめてくれ」

 足元から菌糸が悪魔の体内に入り込む。白く輝く菌糸が、急速に体を分解し、魔力を吸い取っていった。通常ならば、いくら地上でダメージを受けようと、本体が消滅するほどの影響はない。だが、イサビの力はそれを許さなかった。地上のかりそめの姿を通して、地獄の本体までもが侵食され崩れ去って行く。

「愚かものめ。地上の仮の姿でならいくらやられても消されぬと踏んでいたか? 力を奪い輪廻の輪に叩き込んでくれるぞ。もはや貴様は地獄の使者ではない。人となって地上を這いずるのじゃ」

「わ、悪かったよ。本当にすまない。だからそれは許してくれないかな。嫌だ、嫌だ、嫌だよ!! 今まで私が大事に集めてきたものはどうなっちゃうんだ? 誰かに取られてしまうよ! それにまだコレクションしたいものも沢山有る! 私が悪いんじゃない。私ごときに星を動かせる訳ないじゃないか! グリモワールを私に渡してそそのかしたのはティ……」

 涙も鼻汁もたれ流し、必死に懇願する悪魔を見るイサビの目に、慈悲などかけらもない。

 地上での仮の姿を攻撃されてもさほどダメージはなく、いざとなればイサビの入り込めぬ西の地獄に逃げ込めばいいとたかをくくっていた悪魔が、予想外の展開に驚いて懇願するが、イサビは一切容赦しない。

 悪魔としての力を完全に奪われ、消滅する寸前、イサビが頭を握りつぶした。

「ヒィィィィ!」

 胸糞悪い悲鳴を残し、悪魔が霊気のチリとなって粉々に崩れ落ちた。

 さらさらと崩れ落ちる黒いチリを、無感動に眺める。

 どれほど苛立ちを他へぶつけても、失われたものは帰ってこない事を知っている。




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