千年情人









 風が吹くと、さあっと音を立て、まるで夜の海のように竹林がうねった。

 竹林を抜け庵へと続く小道に、月明かりに照らされ、寄り添ってゆっくりと歩く人影。

 まるで二つで一つかのようにぴったりと寄り添っていた人影が、不意に離れた。

「星を動かせと、またその話か、陀羅尼丸」

 不愉快そうな男の声が漏れる。

 整った容姿を持った男は人ではなかった。その証拠に、長い銀髪、頭には鹿を思わせる角を持っている。

 本来この世にいてはならぬもの。

 男は地獄の使者だった。

「禍津日神(まがつひのかみ)が現れ、未曾有の災いが訪れると、アタシの朴占に出ております」

 もう一つの人影が、男にすがりつくような口調で口を開く。

 白の直衣に、腰には刀を履いた男の姿をしている。だが、細い肩、しなやかな白い指は男のものではなかった。長く美しい黒髪を軽くまとめただけで背へ流し、そのかんばせは地上の月かと思うほどに美しい。

「災いを避けようと思えば、直毘神(なおびのかみ)を呼び禍を直さねばなりません。陰陽寮の馬鹿どもは、右往左往するばかりでどうしたらよいか判らぬようですが、アタシにはすでに策はできております。あとはイサビ殿のお力を借りれば……」

 紅を差さずとも赤い唇が開く。

 あたりの女のように化粧もせず、家に篭って男に従う事もしない。その代わり教養は並の男よりある。漢字を使い、文道、陰陽道、暦道を修め、星をよく読む。

 体は女なのであろうが、誰しもこの女を男として接していた。

 女ながらに陀羅尼丸という男の名前をもち、男の格好をして舞と陰陽術を生業とする一族を率いる。妖しげな術を用いて闇を跋扈する妖と戦い、金さえもらえれば、呪いを返す事も外法を使う事も厭わない。

 臆せずに自分の目を見る女の顔は生き生きとして、自信に満ちている。

 耳に心地よい、しっとりした声。普段ならばうっとりと聞きほれる女の声だったが、イサビと呼ばれた男はますます険しい顔をした。

「たしかに、わしならば出来ぬ事は無いじゃろう」

「なら!」

 イサビは地獄でも相当に力を持つ使者。その力を得られれば、星を動かすという大それた術を行うのもたやすい。そう思って陀羅尼丸の顔が輝く。

 しかし、一方のイサビは快くは思っていなかった。

 この女の喜ぶ事ならば何でもしてやりたいと思うのに、イサビの禁ずる方向へと向かうのを止め、望みを断ち切りその顔を曇るのを見なければいけない。その苛立たしさがイサビの顔をますます険しくする。

「だがわしは手を貸さぬぞ」

 きっぱりと言うと、陀羅尼丸の顔に失望が浮かんだ。予想はしていたが気分の良いものではない。

「星の運行を変えるなどとやめておけ」

 取り付く島もないほど厳しい声で言われ、陀羅尼丸が悲しそうに瞬きをして思わず責めるように呟く。

「イサビ殿……」

「逆らわず定めを受け入れる事じゃ、陀羅尼丸」

 肩を落とした女を宥める様に、イサビは声を優しくした。

「星の運行を無理に変えれば、どこかに歪みが生じる。今はよくとも、その歪みがいずれ新たな災いをもたらす」

「それは判っておりますが、それでも、アタシはそうしたいのです。歪みを正す術についてもアタシは考えております」

 伏せていた顔を上げた陀羅尼丸の声に決心の固さ感じ、舌打ちしてしまいそうなほど苛立つ。

「アタシの煉も、この体も、魂も。捧げるのなら、イサビ殿に」

 うっとりとした囁き声。

 持てる力の全てを尽くし、力尽き倒れようと、あなたに全てを捧げて死ねるならそれで本望。

 最高の美酒に酔っているかのように、陀羅尼丸の目は熱を帯びていた。

 陀羅尼丸は、自分の野心に酔っているだけじゃ。

 内心で、イサビは言葉を吐き捨てた。

「諦める事じゃ。わしは星の定めを捻じ曲げる気は無い。星を動かすほどの力など、わしでも、ぬしの血肉全てを使う事になるかもしれんぞ。伊豆能売(いづのめ)気取りで犠牲になる気か?」

 ぬしの血肉を奪うなど出来るはずがない。

 野心に目がくらみ、イサビの気持ちを置き去りにしている陀羅尼丸の言葉に怒りを感じる。

 心も体も同調し、愛する女がゆっくりと死へと進んでいくのを味わうなど、どれほどの苦痛か。

 万が一ぬしを死なせてしまえば、わしがどれほど悲しみと苦痛、そして後悔の汚泥を這いずるのか考えた事もないのか?

「アタシを受け取ってはくださらないんですねぃ……」

 イサビの内心を全く知らず、責めるような口調に、イサビが呆れて首を振った。

「なぜそこまでする?」

「アタシの野心が疼くので」

 ふふふ。と陀羅尼丸は笑った。

 美しい笑顔だった。その笑顔をもう一度見ることが出来るのならば、どんな犠牲を払っても構わないと思うほどの。ただ容姿が優れているというのではなく、その体のうちで燃え盛る命の炎が、女の内面からにじみ出て輝く。

「アタシには夢がございます」

 月明かりの下で、男の格好をした女は微笑を浮かべて言った。

「アタシの夢は、五嶺家を千年栄えさせる事。そのためには、なんだってしますよぅ」

「そう、その言葉は嘘ではないの。わしはよう知っておる。ぬしはなんでもするじゃろう。わしに苦痛を与える事も、自らが死ぬことも、平気でするじゃろう」

 イサビの言葉ににじむ嫌味に、一瞬顔を曇らせたが、より一層決意のこもった目をイサビに返す。

「こたびの凶事は、五嶺家の力を世に知らしめる好機。アタシは、どこまでやれるか自分の力を試したいのですよぅ。禍星を退ければ、五嶺にそれなりの地位を与えてくださると上皇よりお約束を頂いております。これを機に五嶺家繁栄の礎を築く事ができれば、千年もの栄華も夢ではありますまい!」

 陀羅尼丸の言葉に熱がこもる。陰陽寮の役職は実質的に加茂氏と阿部氏の世襲制で独占されている。いくら五嶺の一族が力を持っていても認められる事が無かった。その、影に甘んじていた一族に日の当たる機会がようやく巡ってきたのだ。

 諦めきれない。諦めるつもりもない。例えどんな犠牲を払っても。

 陀羅尼丸の目はそう言っていた。

「傲慢な女じゃ」

 死をも恐れぬと言い、他人を傷つける事も厭わず、ただひたすら自分の夢のために進んでゆく。

 その姿はとても傲慢で、なりふり構わぬ必死な姿は醜く、そして何よりも一途だ。

「ぬしの傲慢は、ぬしを滅ぼすぞ。過ぎた力を求めるな。ぬしがいてこその五嶺の家じゃろうが」

 か弱き人間の癖に。と苛立つ。定められた短い命を夢のために投げ捨てようとするのに腹が立つ。

 だが、羨ましくも感じる。

 持てる力を尽くし、それほどまでに打ち込めるものがあるというのが羨ましいと心の奥底で感じ、加えて、愛する女をその夢とやらに取られた事に嫉妬を感じる。

「まぁアタシだって自分の身が一番大事ですからねぃ。死にたくなんかありませんから無茶はしませんよぅ」

 冗談めかして言うが、イサビの顔は厳しいまま。

「この秋津島には、わしに逆らってまでぬしの望みを聞くものはおらん。諦めろ」

 わしとて本当は陀羅尼丸の思うがままにやらせてやりたい。だが、ここで陀羅尼丸に折れるのは悪いほうへ甘やかしているだけじゃ。

 嫌われてでも止める。その覚悟でイサビは陀羅尼丸に言う。

「地上に何が起ころうと、わしはぬしだけは救ってやる。わしは、ぬしさえいればあとはどうなろうと知らん」

 人に関わる気は無いというのはイサビの口癖だった。人の世を救うために力を貸して欲しいなどと訴えても無駄だと先に言われ、唇を噛む。

 アタシにはアタシの正義があるのなら。イサビ殿にはイサビ殿の正義が有る。

 互いに一歩も譲れぬ。

「下らぬ事は考えるなよ。わしはいざなぎのようなヘマはせん。例え死のうと、ぬしの魂を黄泉の国より連れ帰るぞ。さすればぬしの魂は永久にわしに囚われる事になるぞ、よいのか?」

 いくらアタシがちっぽけな人間だとからといって、一方的に庇護されるのは嫌だ。と、初めて口付けようと抱きしめた時に陀羅尼丸は言った。せめて気持ちだけはイサビ殿と対等でいたいと訴えていた陀羅尼丸の瞳が蘇り、それに賭ける。

 死して魂となり、イサビに絶対服従の道具になるなど、この女には耐えがたいはずだ。

 二人の間にしばしの沈黙が下りる。

「イサビ殿」

 不意に名前を呼ばれ戸惑ったのは、固い決意とかすかに悲しみの色が混じった声の響きのせいだ。

「千年、アタシをお待ちいただけるか?」

 緊張した硬い声。

 食い入るようにイサビを見つめる漆黒の瞳があまりにも真剣すぎて、あまりにも一途にイサビを見るので思わず目をそらした。

 直視したくなくて、思わず目をそらしたくなるほど嫌な予感がする。

「何を急におかしなことを」

 不安の裏返しに声がきつくなる。

「まぁ千年っていうのはものの例えですけどねぃ。アタシだって今はこんな可愛くない女ですが、次の世でなら、アタシは素直にイサビ殿のものになれるかも……しれませんよぅ?」

 自分のせいで、イサビまでもがこわばった顔になった事に気付き、笑った顔で冗談めかして言う。だがその瞳の光は変わらない。

「待てぬわ馬鹿者め」

 不安を消そうと、ぐい。と腕を引き、陀羅尼丸を抱きしめる。

「千年経とうが、万年経とうが、ぬしはぬしじゃ。傲慢で、鼻持ちならぬじゃじゃ馬に決まっておる」

 ここに居る。たしかにわしの腕の中におる。と確かめる。

 どこへも行かせたりなどするものか。と、何度も心の中で呟く。この暖かさがなくなるなど、考えられぬ。

 考えたくない……!

 不安の原因は判っている。この女が居なくなってしまうのではないかという予感のせいだ。

 陀羅尼丸が儚い人間であると思い出されるたびに、いつかは失うという不安が胸を締め付ける。今宵は一層居ても立っても居られぬほど、その不安が胸を押しつぶす。

「アラ酷いお言葉ですねぃ」

 暖かくて柔らかい体を抱きしめて囁くと、耳元でくすくすと笑いながら陀羅尼丸が言う。

 体を離し、向かい合って見つめあう。

「わしがどれほどぬしを愛しゅう思うておるのか知らぬのか? 知らぬのなら、今すぐにでもイヤと言うほど教えてやるわ。五嶺家など捨てさせ、浚ってわしの庵に閉じ込めてしまいたいものを」

「駄目……」

 このまま押し切ろうと、口を塞ごうとするイサビを、陀羅尼丸がやんわりと留める。

「アタシにとっての一番は五嶺の家、イサビ殿は二番目ですからねぃ」

「それほどはっきり言われると、怒る気も失せるわ」

 肩をすくめ、庵に向かって再び歩き出す。

「イサビ殿だって、一番はアタシじゃないくせに」

 イサビの背に向かって言った。

「アタシのために、ご自分の道を曲げては下さらぬ」

「お互い様じゃ。ぬしにも、わしにも譲れぬものがある」


 でも、そんなお人だからアタシはイサビ殿を愛したのでしょうねぃ。と陀羅尼丸が言う。

 ぬしがそんな激しい女だから愛したのじゃろう。とイサビが返す。


「今生で結ばれずとも、来世でなら……」

 再び並んで歩きながら、悲しみと熱を秘めた夢見るような瞳で月を見上げ、陀羅尼丸が呟いた。

 イサビが立ち止まり、きっと睨み付ける。

「やめよ! その話は二度とするな。よいな陀羅尼丸」

 止めるまもなく強引に口付けし、イサビは陀羅尼丸を黙らせた。


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