「ママぁ。ボク訓練所行きたくないヨ」訓練所へのバスを待ちながら、トロロが傍らの母親を見上げて言った。
「トロロ、お願いだから我が侭言わないで」
ママが困った顔をして、少しかがんでトロロと目線を合わせた。
ママの目にある心配そうな光に、トロロの心が痛む。訓練所になじめないトロロを心配しているのだ。
「だって、ボク以外皆バカばっかなんだヨ! あんな所行くのヤダ!」
ママを心配させるとわかっているけど、それでも、訓練所には行きたくない。トロロが駄々をこねて叫ぶと、ママはますます悲しそうな顔をした。
その時、タイミングよく現れたバスがドアを開き、運転手がおはようと二人に話しかける。
「トロロ、そんな事言っちゃダメ。さ、行って」
ママがおやつのベイビーキャロットの入ったブラウンバッグをトロロに持たせ、背を押した。
「行ってきます……」
背中に触れるママの手は優しかったけれど、死刑室に連れて行かれる囚人のような足取りでトロロがバスに乗り込む。
隣に座りなよ! と声をかけてくれる同級生は誰もいない。トロロは無言で誰も座っていない席を探した。
「無くなればいいんだヨ、訓練なんて……」
だれもいない席に一人で座り、窓を流れる景色を見ながらトロロは呟いた。
「あ〜あ、ピザが食べたい。おスシでもいい」
愚痴りながら訓練所の門をくぐると、三人の同級生に道をふさがれる。
三人はニヤニヤしながら俯いて歩くトロロを見て、ときおりからかうようにトロロのランドセルを引っ張る。トロロは三人を相手にせずに、少し俯きながら教室への道を急ぐ。
「おい。今日の訓練、楽しみじゃね?」
「こいつまたビリだぜ」
一人が言いながらトロロを小突く。トロロが嫌がってちょっかい出された腕を振り払うと、いじめっ子達はげらげらと面白がって笑った。
「前の樹海訓練の時みたいにまた死にかけるかもなぁ」
「お前、メッチャ嫌われてるし。死んだほうがいいんじゃない?」
いじめっ子の声が遠く聞こえる。
今日も訓練で辛い思いをして、みっともないとからかわれる。ダメな奴だと蔑まれる。
今日は十五日。大嫌いな樹海訓練の日。
訓練所なんか、いきたくないヨ。
そう何千回心の中で呟いた事か。
家でPCを触ってる時のボクが、本当のボクなんだ。
本当のボクは凄いんだぞ!
こいつらにも、ゼッタイ仕返しをしてやるからな!
軍にアタックを繰り返すハッカーの話題が連日新聞の話題をさらう。
きょうは何時間サーバーが落ちただの、敵性宇宙人のしわざだとか、いや現代の病んだ若者の仕業だとか、好き勝手なことを書いている間も、当のケロン軍本部ではハッカーの正体探しにやっきになっていた。
ケロン軍中央司令室で、件のハッカーの追跡画面を見ながら、黄色いケロン人が呟いた。
「……進化してるぜぇ」
まるで独り言のように呟かれた言葉に、傍らの部下が振り返る。
「は? 今なんと、クルル少佐?」
「こいつだよ。スペース・カウボーイ」
巷を騒がすハッカーの名を口にし、つんつんと黄色い指がディスプレイをつつく。
ク〜ックックック。と陰険な笑みを浮かべる。その笑みが妙に嬉しそうなのを不謹慎だと彼の部下は思ったが、口に出しはしない。
「最初はバカの能無しスクリプトキディかと思ったが……」
呟きに、かすかに感心と面白がる成分を含んでいる。
ケロン軍本部にアタックを仕掛けるハッカーの行動パターンは、攻撃を繰り返すたびに変わっていった。
最初は、ハックツールを使った、多少の知識があれば誰にでもできる幼稚な攻撃。
オペレーターたちは、よくある事だとその攻撃を簡単にいなした。
十日、コンピューターへの侵入者を撃退。そう一行だけ記録に残した。
十一日、オペレーターたちは、またサイバー攻撃を防いだ。だが、今回は前回より少し時間がかかった。
十二日、フレイムウォール第一層を突破された。
オペレーター達がおかしいと思い始めたのはこの頃だ。
致命的な被害は受けていない。だが。それは、「まだ」被害を受けてないというだけだ。
攻撃を仕掛けているヤツが同一人物だとすると、化け物だ。
そう一人のオペレーターが呟いた。
なにか、恐ろしい化け物が誕生してしまった事に一部のオペレーターが気がついた。やがて、ケロン軍に所属するオペレーターたちは皆思い知るだろう。そして、世間もその事実に気がつくに違いない。
「化け物」は、凄いスピードで学び、成長している。オペレーターたちが恐怖を感じるほど。このままでは、自分達の手に負えなくなるのは、時間の問題だと誰もが思った。
そしてその瞬間はすぐにやってきた。オペレーターたちが思っているよりずっと早く。
ケロン軍のオペレーターのレベルは低くない。むしろ、宇宙でもっとも優秀だと言っても良い。そのオペレーターたちが対策を練るより、相手が成長する方がはるかに早いのだ。
十三日、フレームウォール第二層を突破された。かろうじてそれ以上の攻撃を防いだ。
このころから、サーバーダウンがあちこちで起き、新聞やテレビで軍を攻撃する謎のハッカーがいると報道され始めた。
十四日、大きな検索サイトや大企業のHPが軒並みサーバーダウンし、メールの遅延などが相次ぐ。混乱に乗じてケロン軍コンピューターのフレイムウォール第三層が突破された。その場にいたオペレーターの誰もが、コンピューターに進入を許すのは時間の問題だと思った。だがこのときは、なぜか午後十一時過ぎに攻撃はぴたりとやんだ。ケロン軍のオペレーターたちにとっては幸運としか言いようが無い。
新聞やテレビは大々的にこのことを報道し、軍の偉い人が頭を下げるテレビ中継がケロン星のお茶の間に流れる事となった。
十五日は何も起こらなかった。胃を痛くしていたオペレーターたちはほっと一息ついた。
十六日、ついにフレイムウォール最下層を突破されそうになり、オペレーターたちは敗北の悲鳴をあげ、最後の切り札を使う。
すなわち、チーフ・テクニカル・オフィサーのクルル少佐を引っ張り出してきたのだ。
く〜っくっくっく。と、クルルは嫌な笑い声を上げながら、あっさりとハッカーを撃退した。
ケロン軍が誇る天才、クルル少佐相手だと、さすがに手も足も出ないとほっとしたのもつかの間。
十七日、前日とは比べ物にならないほどの速さでフレイムウォールの最下層を突破されそうになる。かろうじて呼び寄せたクルルが間に合い、侵入は阻止された。
オペレーターたちを更に恐怖させたのは、この侵入者は、クルルを相手にした場合、それよりも何倍もの経験を積んで成長するということだ。はぐれメタルを倒した勇者みたいになっていると一人が言い、地球製ゲームマニアはその例えに頷いた。
軍のオペレーターが束になっても手に負えず、チーフ・テクニカル・オフィサーのクルルを引っ張り出し、直々に相手させるまでになったこの化け物が、この先どうなるのか。
クルル以外には、もう誰も相手できない。
「俺とやりあうたびに、腕上げてやがるぜぇ……。ククッ、ある意味こいつをツブす立場の俺がこいつを育ててやってるって訳か」
前回と同じ防御策では、確実に突破してくる。これなら大丈夫だろうと後を任せても、次の日には部下が泣きついてくる。
学習してやがる。とクルルは思った。乾いた大地が水を吸うように、俺のテクニックを盗み、次には、より早く、より大規模にアタックを仕掛けてきやがる。
ある意味、このハッカーはクルルの弟子と言えなくも無い。皮肉な事に、クルルの周りにいるどの部下よりも優秀な。
「魚が陸に上がろうとしてるぜぇ。進化する場面に立ち会ってる気分だな……。ク〜ックックック」
スクリプトキディからハッカーへ、遠い星の進化に例えて面白そうに笑うクルルに、さすがに「少佐、不謹慎ですよ」と小声で声がかけられたが、クルルは気にも留めない。
ディスプレイの向こうの誰か。ケロン軍に戦いを挑む憎むべきハッカーのはずだが、不思議とクルルは悪い印象を抱けない。
これが自分のサーバーに対してのハッキングだったら完膚までに叩きのめす所だが。幸か不幸か、自分のではない、軍のコンピューターなので、他人事だと面白がっている。
もちろん、データを壊す、書き換える等のクラッキングをするなど、お痛が過ぎれば制裁を加えるつもりだが、今のところはその気は無い。
ツブしてもツブしても、確実に大きくなってめげずに向かってくるのは、呆れると共に感心もする。餌をやれば、確実に大きくなるのが面白いのだ。
ハッキングがあるたびに引っ張り出され、やれやれ面倒だ、ウザイとは思うが、相手をしたくないとは思わない。むしろ、次はこいつがどこまでやるのか興味がある。
「もうすぐ何かしでかすかもな。早く捕まえた方がいい。ま、俺はこいつが何をするか見たい気もするんだがな、ク〜ックックック」
進入間近。
クルルのその言葉に、となりのオペレーターが顔を真っ青にした。
ただのスクリプトキディだと甘く見ていたため、捜査は遅れている。
ハッキングを防ぐには、クルルをコンピューターの前に二十四時間はり付けておけば良いが、多忙なクルルはそうもいかない。
このままでは、クルルの言葉どおり、コンピューターに進入を許すことになるだろう。
「クルル少佐、捜査にご協力を……」
懇願の言葉を最後まで言わせず、クルルは億劫そうに手を振って断った。
攻撃を仕掛けてくるアタッカーを撃退するまでがクルルの仕事で、捕まえるのはクルルの仕事ではないのだ。
ケロン星内だけでも、中央情報局、国家安全保証局、国防情報局など、サイバーテロを扱う部署はいくつかあり、軍や政府、または軍内でもお互いに縄張り争いをしている。下手に手を出せば、縄張りを荒らしたと文句を言われる可能性だってある。正式に要請があれば別だが、クルルにはそんなごたごたに巻き込まれてまでこのハッカーを捕まえてやる義理は無い。
「おっと。これ以上はそっちでやってくれ。俺は、こいつの攻撃を防げないって泣きつかれたから、一時的に協力してやっただけだぜぇ。これ以上のことはしない。そういう約束だろ?」
クルルの言葉に、相手はがっかりと肩を落とした。
「俺のプライドにかけてハッキングを阻止してやる」
そうクルルが言わない限り、侵入を許すのは時間の問題だった。
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