機械仕掛けの聖人







 微かな……。助けを求める声を聞いたような気がした。

 か細く誰かを呼ぶ声。

 どこか懐かしいような感情がざわめき、半分機械となってしまってからは久しく失っていた心の動きに戸惑った。

落ち着かなく、ひらりと舞い降りる木の葉を機械の体に仕込まれた刃で切り裂く。

はらりと切断された木の葉を、薄い色の瞳で見る。

心が、ざわめく。

ガルルをのぞく他の者に言えば嘲笑されるだろうが、冷たい機械の体でも、まだそう感じる。

その声の元を見つけなければ、この心のざわめきは治まるまい。

本能的にそう悟り、声を求めて彷徨う。

獣のように神経を研ぎ澄まし、常人には聞こえぬであろうその声を辿って歩を進める。

木立の間を通り抜け、やがていつも身を潜めている森から、軍の設備や居住区域に出てきたとたん、己の事をひそひそと話す声が耳に入った。

「ゾルル兵長だ……」

 怯えの混じった声。

「あれが……。気持ち悪い……。身も心も狂ってるんだ」

 聞こえて来るのはいつも同じ会話。

 ゾルルが話し声がする方にちらと視線を向けると、話していた二人は慌てて目をそらした。先ほどの会話が無かったように、明日の天気はどうだと、くだらない事を話している。

 好奇の視線をゾルルに向けるくせに、いざゾルルを目の前にすると見て見ぬふりをし、ゾルルをまるでいないかのように振舞う。

 ゾルルはここでは「幽霊」なのだ。たしかにそこにいるのに、いてはいけないもの、いないものとして扱われている。

 その異様な外見から想像される、ゾルルの身に起きた悲惨な出来事と、「ゼロロ」というケロン人を殺すためだけに生きている執念と狂気は、ここでは異物だった。

 権限はとうに剥奪され、軍籍は辛うじてまだあるようだが、正式に何かの任務につくという事はもうありえないはずだった。

 そのゾルルがここにいられるのは、ゾルルのした事の責任を全てガルルが請け負うと上層部と密約を交わし、ガルルが身元を引き受けたたからだ。

 軍はゾルルの存在を黙認する。その代わり、起きたすべてのことはガルルに責任がいく。それで、軍はこの厄介者をガルルに押し付け、ガルルはゾルルに自由をくれた。

 他者が自分をどう思おうと興味は無い。むしろ、ゾルルの邪魔をしない。という一点においては好都合さえあった。

全てを捨て、恨みと妄執を引き摺って生きるゾルルには、他者など必要でなく、まただれもゾルルを必要としなかった。






 声を求め新兵宿舎に入ると、きゃぁっと女の悲鳴が聞こえた。ゾルルの異様な外見に恐怖を感じたのだろう。

 騒ぎ立てる女を無視して、ゾルルは宿舎の中を何かを確かめるようにゆっくりと進んでいく。

 普段、ゾルルがこんな所までくる事は絶対になかった。

 怪我をした時に医療室に来るくらいか、倉庫や厨房から生きるのに最低限必要な物を取りに来る位で、ふだんは人前に滅多に姿を現さない。

もちろんそれすらも許可されたものではなかったが、ガルルに奴の好きにさせてやってくれと頼まれている兵や医療スタッフは黙ってガルルのしたいようにさせてやっていた。見て見ぬふりをして逆らわなければ害は無いと知っていたし、後でガルルに簡単な報告をすればいいと判っているからだ。

 だが、新兵宿舎の寮母はゾルルの事は知っていたが、実際にゾルルを目の前にしてパニックに陥った。

 その異様な外見と、まともでない雰囲気をすれば無理も無い。狂気を纏った殺戮者が、まだ幼年期の子もいるここに入り込んだのだから。

 悲鳴に人が集まりだし、騒ぎ出すが、ゾルルを遠巻きにし、怯えた目で見るだけでだれも止めようとしない。

 その騒ぎの中を、ゾルルが一言も言わずに無言で進む。

 カシャン、カシャンと歩くたび規則的に鳴る金属の音が、ある部屋の前で止まった。

「やめて!」

 部屋のドアにゾルルが手をかけると、寮母が悲鳴をあげる。それを無視して、ゾルルが部屋に入った。

 こじんまりとした部屋のベッドの上に、小さなふくらみがあった。

 ゾルルが近づき、その小さなふくらみを覗き込む。

 ベッドの中で、まだ幼い、熱に浮かされたちいさな顔が、ハァハァと荒い息をついている。

「ト、ロ、ロ……」

 ゾルルがベッドで苦しんでいる小さな男の子にそう呼び掛けた。ガルルには判っただろう。どこかゾルルの声が戸惑いを含んでいた事に。

「ど、う……した?」

 そのトロロの様子は、ガルルが知るものではなかった。

 生意気にキラキラ光る瞳に好奇心をいっぱいにして、ゾルルを恐れる事無くまとわりつく。

 ゾルルの機械の体を思いっきり蹴飛ばし、「痛い? プププ」と平気で聞いてくる。

 目の前にいるのは、熱に顔を上気させ、苦しそうに顔をゆがめるトロロ。

 元気と好奇心と生意気の塊で、ゾルルを無視も怖がりもせずにちょこまかとまとわりつくトロロが、力なくぐったりと横たわっていた。

「お水ちょうだい」

 ゾルルの声に反応したのか、熱に浮かされ、焦点の定まらない目でトロロはそう言った。おそらく、目の前にいるのがゾルルという事も判っているまい。

 その声に、側のテーブルに置いてあった水差しからコップに水を注ぎ、口元へ持っていこうとしてはたと気がついた。

 このままでは水がこぼれてしまう。

 一瞬迷ったが、そっとトロロの体を抱き起こした。上体を起こし、自分にもたれさせて支え、口元にコップをもっていく。

 小さな両手がコップを掴み、性急に水を飲み干す。

 んくん、んくんと水を飲むトロロの体の動きを感じながら、ゾルルは心のざわめきが収まるどころか大きくなっていくのを感じていた。

 生身の部分が触れるトロロの体がとても熱い。

「ママ……、苦しいよ、ママぁ……」

 小さく泣きじゃくるトロロをどうしていいか判らずに戸惑い、ゾルルはそっとトロロの額に手で触れた。柔らかい子供の肌を傷つけないように細心の注意を払い、優しく。

機械の手がトロロに触れると、一瞬ふっと苦しそうな表情が和らぐ。

「キモチイイ……」

 金属の冷たい感触の心地よさに、トロロが一瞬苦しさを忘れて笑った。

 わらっ、た……。

 その笑顔が、ゾルルの中に染み渡る。

忌まわしいこの金属の体が、トロロを笑わせた。

 俺を呼んだん……だな?

 なら……ば助けてやる。

 小さな命が自分を必要としてくれたという事に、ゾルルの心のざわめきが大きくなる。狂気にどす黒く染まった心に、一筋の明かりがさす。

「俺が……助け……て、やる……」

 そう言って、ゾルルがトロロの体を抱き上げた。

 トロロは、苦しそうに眉根を寄せ、毛布に包まって荒い息をついたまま大人しくゾルルの腕の中に収まる。

 一瞬の後、切り裂かれたガラス窓から飛び出すゾルルの金属の体がキラリと太陽の光を反射した。





 パリィンというガラスの割れる高い音に、皆に制止されていた寮母がたまらず周りを振り切ってトロロの部屋に飛び込んだ。

 半狂乱になってトロロを探すが、小さな姿はどこにも無い。

「どこ!? どこ!? あの子はどこ!?」

「連れて行かれた……」

 顔を青ざめさせ、苦々しげに誰かが呟いた。誰もが、トロロは無事では済むまいという気持ちを抱えている。最悪の事態が容易に予想できた。「トロロは病気なのに!」と悲鳴を上げる寮母に、すぐ探させましょうと誰かが声をかける。

切り裂かれ、床に落ちて砕けたガラスの破片が太陽の光を受けてキラキラと輝く。

ガラスの無い窓から入る風に部屋のカーテンが微かに揺れた。







 子供を抱く銀色の影が、廊下を行く人々の間をすり抜ける。

 来た時とは反対の素早い動きに、すれ違った人々は微かに影と風を感じただけで、振り返っても姿はどこにも無い。






「薬……」

 医務室の医者が気が付いたのも、ゾルルがそう声を発したからだ。

 その声に慌てて振り向くと、どこから入ったのか、全く気配を感じさせずにトロロを抱いたゾルルが立っていた。

 慌ててトロロを診察台に寝かせ、診察をする医師たちを、ゾルルがぴくりとも動かずに見つめている。

「注射、ヤダヨ……」

 注射器を準備している医者を見て、トロロがそう言う。

「がまんしてね」

 そう言って注射しようとする医者の前に、すっと刃が突きつけられた。

 壊れた機械のように、瞳に忙しく働く医師たちを映すだけで立ちすくんでいたゾルルが、いつのまにか背後に立ち、注射器を手にした医者に刃をつきつけたのだ。

「嫌……、がっている」

「これは必要な治療なんだ。この注射をしないと治らないぞ」

邪魔に入ったゾルルに医者がそう言って睨みつけると、暫しの無言の後、納得したのか刃が離れる。ほっとまわりの医療スタッフから息が漏れた。

「痛いヨ……」

熱に浮かされ、注射をされて半泣きでそう言うトロロを見て、下ろしたゾルルの刃が震える。刃とゾルルの金属の体が触れあい、チチチチっと金属同士が擦れ合う不愉快な音がした。

その音は、何を考えているのか判らない表情の下で、たしかに色々な感情がゾルルの中で渦巻いているのだという証拠だった。

トロロに薬を注射し、治療が終ると、またゾルルはトロロを抱き上げた。

その手は、数々の命を奪い、血に濡れた手。命を奪う事にいささかの逡巡も覚えぬ手。同じ手で、ゾルルはトロロを助けようとしている。 

 剥き出しの刃物と狂気を纏った殺戮者が、子供をまるで宝物のように大事に抱えている姿は実にアンバランスだった。

その姿は、彼から最もかけ離れていると思われる幼子を抱く聖母を思い起こさせた。

イコンに描かれた聖人のように、トロロを抱くゾルルは奇妙に神々しく、心を打たれる。

だが、トロロを抱くのは聖母ではなく、金属と壊れた心で出来た男。

 緊張感が走る。トロロを大事に抱くその手は、ほんの気まぐれでトロロの喉を切り裂くことが出来るのだ。そしてそうする可能性はとても高いように思えた。

「患者を渡しなさい。相手は子供だぞ、何を考えているんだ!」

「トロロが、死んだら、お前も、殺……す」

いつゾルルが動いたのか、全く判らなかった。

いつのまにか心臓に突きつけられた刃の冷たさに、声を張り上げた医者の背筋がぞっと凍りついた。

何の感情も感じられないゾルルの声が、彼が本気だと伝えていた。

 子供を抱きかかえた、狂った殺戮者の意図が判らず、戸惑いが走る。

 以前にも、ゾルルが骨折した動物を連れて来たことがあったが、今連れているのは動物とは訳が違う。

「これが薬と栄養剤だ。患者は絶対に安静に。彼になにかあったら、私はお前を許さないぞ」

 しかたなくそう言って、必要な薬と栄養剤をゾルルに渡す。ゾルルは無言でそれを受け取る。

医者の声を聞いているのか聞いていないのか、その無機質のような瞳からは何の感情も伺えなかった。






「報告ご苦労、この事は極秘裏に処理しろ……」

 報告を受けるガルルの声が低く沈んでいる。

その場にいる兵たちがいくら探しても、トロロの姿はどこにも見つからなかった。

まだ騒ぎが広まる前、医務室にトロロを連れたゾルルが現われたのを最後に、ふっつりと姿を消している。

医者の話では、トロロは単なる風邪で、治療を施したので安静にしていれば二、三日後には回復するだろうという事だったが、環境によっては、風邪が悪化し、取り返しのつかないことになるのも考えられる。

この非常事態を納めたのは、やはりガルルだった。関係者を宥め、口止めし、同時にトロロ探索の陣頭指揮をとる。

ゾルルがトロロに危害を加える事は無いとガルルは判っているが、それを他の者に納得させるのは容易ではない。だから病院にでも閉じ込めて置けばよかったのだ。という周りの雰囲気をガルルは感じた。

トロロのためにも、ゾルルのためにも、早急に二人を探す必要がある。

だが「アサシン」が本気で身を隠そうと思ったら、誰も行方を探る事が出来ない。そう判っただけで、トロロの行方は杳として知れなかった。



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