Ten-year love




「次の戦いに、出ます」

 落とした室内の照明がキシリアとライデンを照らした。ライデンの上官であるキシリアが、ライデンの部屋でこのような報告を受けているのは義務からではない。

偶然に出会ったようでいて、実はお互いを探していた事、ライデンの誘いにキシリアが応じたのは、キシリアも思うところがあるからだった。

「そうか……」

 ライデンの声にキシリアが小さくそう言い、ぎこちなく頷いた。

手を伸ばして、「行くな」と言えればどのように良いか。とほんの少し考えた。

ザビ家の長女、彼の上官としての立場として、彼女はそれを口に出す事は出来ない。自らの想い人を、自らの手で戦場に送り出すその皮肉に、心の中で少し自分を笑った。

「必ず、戻って来い。これは命令です」

 愚かな女になるには彼女は賢すぎた。それでもそう言ったのは、精一杯のキシリアの気持ちだった。

「約束してくれ……」

 そう言ってライデンを見上げたキシリアの瞳にライデンがはっとした。今にも泣き出してしまいそうなその瞳に、キシリアの想いを知る。命令だと言いながら、キシリアの瞳は懇願していた。どうか生きていて欲しいと、キシリアの心が呟いた切なる思いがライデンに聞こえたような気がした。

「……ありがとうございます。必ず戻ってきます。キシリア様の元へ」

 初めて会ったときと変わらぬキシリアの優しさが切なかった。キシリアのかすかに震える肩をきつく抱きしめたい。ずっと愛していたと耳元で囁きたい。許されぬその思いに、ライデンの心が焦ける。

戦いに出る事には恐怖は無かった。

ギレンの言う壮大な理想に共感したわけではない。ただ、キシリアの役に立ちたいという事と、戦功を上げて昇進すればもっとキシリアの近くにいける。その二つの理由だけがライデンを突き動かしていた。

「もっと、貴女に、近づけるように。……っつ、すいません」

 溢れる思いは押さえれば押さえるほどライデンの中で大きな波となり、理性を押し流す。言うまいと思っても、胸に焼きついたキシリアの瞳がちらつき、当り障りの無い返答をしようと思っているのに、つい出てしまった本音に苦しそうに顔を歪めた。

 苦しげに伏せていた顔を上げると、そこには真剣な瞳でライデンを見るキシリアが居た。ライデンもキシリアを見返す。

息をするのも忘れて何かを待っているその瞳。その意を知ることは出来なかったが、自分を見つめるキシリアの瞳の美しさに魅了された。

その瞳に我慢ができなくて、悲壮ともいえる目をしてとうとう口を開く。戸惑いの果てにようやく決意をしたライデンの真剣さに、どきりとキシリアの心臓が大きく脈打った。

「自分は、貴女を、愛しています」

 自分で自分の言葉を確かめるように、ゆっくりと、でもはっきりとそう言った。

キシリアを想う心は止められぬ。心の中で想うだけなら許されるだろうと隠してきた恋心も、ほんの些細なことで現れる。

隠し通せるなどという考えが甘い事だと、キシリアが側に来ればすぐに判る。我慢できていたのではないのだ。ただ遠くに居て手が届かなかっただけ。

こうして手の届くほど近くに居ると、キシリアに触れたい。瞼にキスをし、柔らかい体を抱きしめて甘い吐息ごと口付けてしまいたいという思いを押さえきれない。

あと五分もすれば、俺は本当にそうしてしまうだろう。そう確信している。

俺がキシリア様を想うのを止めるのは、俺が死ぬ時だけ。

簡単だが、絶望的な真理。それに気が付いた時、ライデンは彼の女神に罪を裁いてもらう事を決意した。

「ライデン、今何と?」

 キシリアの驚いた声がライデンの耳を打った。キシリアの驚愕の声にライデンの罪悪感が一層深まる。だが、一度口にした思いは止める事など不可能だった。

「許されない事は百も承知です。何も知らぬ子供のままで時が止まってしまえばどんなに良かったか!」

 血を吐くようにライデンがそう言った。キシリアと自分の間にある絶対的な越えられぬ壁。そんな物があるのは百も承知している。

キシリアが差し伸べてくれた手を取る事ができたのは、子供だったから出来た事だと成長するたび思い知らされる。

「時が経って貴女が美しくなっていけばいくほど、俺には手が届かなくなるんだ」

 その壁を乗り越えて時折見せるキシリアの視線が、軽やかな笑い声が、ライデンの生きる全てだった。

キシリアが美少女から美女へ変わり、自分の背がキシリアを遥かに追い越す頃、階級という見えない壁、家柄という足をすくう障害に気が付く。

近くに居ても、ライデンの方からは手を伸ばして触れる事も出来ない。子供の頃、自分に手を差し伸べてくれた優しさで、キシリアがこちらを見るのを息を潜めてずっと待っている。

「苦しいのか?」

 キシリアの声が、ずっと遠くから聞こえてくるような気がした。ライデンにもう少し余裕があれば、その声がとても優しい事に気が付いただろう。

「苦しいです。貴女を思うと胸が苦しい。胸が張り裂けそうだ」

 キシリアの声に導かれるように、ライデンが己の心の中を吐露した。無骨な男の大きな手が、苦しそうに胸元をぎゅっと掴んで、胸が裂けたようなしわを作った。

「二度と見詰め合えぬなら、貴女を忘れさせてください」

 思わず言葉を吐き出した。

呼吸をする事さえも苦しい。あの頃のようにお互いを真っ直ぐ見詰め合える事がもう出来ぬのなら、いっそ忘れさせて欲しかった。何もかもを投げ捨て、逃げ去りたいほどに恋の炎はライデンを追い詰める。

「貴女の慈悲で俺の心を壊してください」

 当り障りの無い優しい言葉などかけずに、氷のような冷たい言葉で一息に切り捨てて欲しい。

傷口から血が溢れ出し、最後の一滴まで流れ尽くせば、あるいはキシリアの事を忘れられるかもしれない。青ざめた顔でキシリアの事を忘れると誓えるかもしれない。そうライデンの心が逃げ道を探して言った後に、はっと気がついた。

 俺はまだ、キシリア様の側に居ることを考えている。

 忘れられれば、キシリア様の側にいても良いのではないか? と考えている。

 それが出来ぬ事など判っているくせに、言い訳を見つけてはキシリアの側に居ようとする。

 忘れられる訳など無い。それは自分が一番良く知っている。

 思わず口にした軽率な言葉に、己のみっともない不甲斐なさを感じて嫌になる。

「それが本当にお前が望む事なのか? お前の心は私を忘れる事ができるのか?」

 キシリアの声が、その瞳が、ライデンの中を探るように走査した。

何もかも探り出すその瞳に、この期に及んで偽った自分の心をも見透かされる。がっくりと力が抜けていくような錯覚を覚えた。

いくら理性でキシリアを忘れようと思っても、無意識のうちにライデンの瞳はキシリアを探し、その体は触れたキシリアの感触を忘れない。

 俺はキシリア様を想うのを止める事なんて出来ない。

「できません……。貴女を忘れるなど。すいません」

 苦しそうに目を閉じ。唸るようにそう言ったライデンに、キシリアの緊張した表情がほっとしたように緩んだ。目を閉じているから、ライデンにはその顔が見えない。

「たとえ記憶を消されても、貴女に心粉々に砕かれようとも、俺は何度でも貴女と会うたびに恋に落ちるんだ!」

 もう、どうしようもない。絶望的だ。

 ライデンの心がそう叫んだ。忘れる事も出来ず、心を殺す事も出来ない。

「貴女に初めて会ったあの時のように……」

 そう言ってぎゅっと閉じていた瞼を開き、微笑んだ。諦めきったような、絶望しきったような悲しい笑み。

もし忘れる事ができても、キシリアを一目見ればまた恋に落ちるだろう。血の一滴も無い心臓は、それでもキシリアを見れば高く脈打つだろう。

内に秘めた恋心は、それほど激しくキシリアを求めていた。己を偽れぬほど激しく自己を主張していた。

「ならば死ね、ジョニー・ライデン。私の為に」

 キシリアの声が、神の裁きの稲妻のようにライデンの体を打った。びくっと体を震わせた後、大きく息を吐きながらゆっくりと目を閉じる。

 それしかないのだと、もうとっくに判っている。それでも、ライデンはその道を選択するのを迷っていた。死ぬ事よりも、キシリアと別れる事のほうが辛い。

 だが、キシリアがそう望むのなら、それで良い。

よかった。と思った。最後にキシリアにそう言ってもらえた事で、自分は心置きなく明日はキシリアの為に戦い、命を落とす事が出来るだろう。キシリアが上辺だけの優しい言葉などかけず、自分にとって一番良い選択をしてくれたのを感謝した。

「あなたが望むのなら」

 伏せた目で穏やかな笑みを浮かべ、そう言った。言葉の後に目を上げ、吹っ切れた表情でキシリアの目を真っ直ぐに見て微笑む。硬い決意を秘めた者の、悲壮なまでに美しく、凛々しい微笑みが嘘ではないと告げていた。

「今すぐに今までのお前を殺せ。お前の心に巣食う私を邪魔する全ての物を殺して捨てるがいい!」

 キシリアの厳しい声が、ぴしりと空気を震わせた。キシリアの言葉の意味が判らず、どういう事かと驚いて目を丸くする。ライデンの瞳に映るキシリアが、ライデンを睨みつける。破壊の女神のように全てを壊し尽くす事を望む苛烈な瞳。その瞳に焼き尽くされてしまいそうだった。

「上官と部下という関係も、家柄なんて煩わしいものも、理性も、常識も、そんなものに思い悩むお前も、全部捨てなさい。私の邪魔をする者は誰も許しません。たとえ、お前でも」

 ライデンの表情が戸惑って揺れた。その隙をキシリアは見逃さない。

「私も貴方を愛しています、ライデン。ずっと前から」

 瞬きを一つすると、嘘のようにキシリアの表情が変わった。慈愛の女神のような微笑みを浮かべ、ライデンを見上げる。

少し照れたようなその声の意味が理解できると、ああ……とライデンが呟き、天を仰いだ。信じられないというように頭を振る。

「キシリア様……?」

 それも一瞬の事だった。戸惑った声がキシリアの名を呼ぶのにつられて顔を見上げると、ライデンが捨てられた子犬のような目をしてキシリアを見ている。キシリアがやりすぎたかとおかしくてついくすりと笑った。

「だから、私を愛するのに邪魔な物は今すぐ捨てなさい」

 手を伸ばしてライデンの頬に触れる。自分の言葉を信じさせようと、あやすように優しくそう言い目の中を覗き込む。

「どんなにお前のその言葉を待っていたか……。何を迷う? ライデン」

 ライデンの瞳の中に、自分が映っている。自分の瞳にも戸惑った顔のライデンが映っているのだろう。そのままその中に閉じ込めて意地悪してしまいたいような気持ちに駆られた。

おまえがそんな顔をするからいけないのだぞ。と心の中で囁きかける。

「すいません、俺、貴女に相応しくないとずっと思っていました。くだらない事、色々考えて……」

 嘘をつけない性格なのだろう。生真面目にそう言って勢いよく頭を下げる。不器用なのは年をとってもとうとう直らなかったらしい。

「私の前で金や地位が通用すると思っているのか?」

 立場の違いにかなり引け目を感じているらしいライデンが不満だった。ライデンのような性格の男に、器用に忘れろとは言えないが、そのために自分は何年も待たされてきたのだ。我侭だと思うが、そんな引け目など吹き飛ばすほどに激しく愛して欲しい。

「い、いいえ!」

 ライデンが直立不動でそう答えた。物事を軽く考える事が出来ない彼の性格からするといたしかたない。ライデンが本気になればなるほど、キシリアに想いを伝えられなかったのは皮肉だった。

「私が欲しいのはお前の愛だけ」

 ライデンの瞳を見ながら、キシリアが素直にそう言った。ライデンの目がとても緊張している。

「よくもまあ、この私を何年も待たせたものだ」

 あまりライデンが緊張しているので、キシリアが冗談めかしてそう言い、手を口元に持っていき、ライデンの馬鹿正直な性格を好意的に思ってくすくす笑った。厳しい態度の中で不意に見せる女らしい上品な仕草に、ライデンがどきっとさせられる。

「す、すいません」

 キシリアにやんわりと責められた上に、その仕草に余計どぎまぎして、不味いとは思っても気のきいた返事ができない。

「謝るな。弱気な男は嫌いだ」

「……では、お待たせした十年の埋め合わせは必ずすると誓います」

 笑顔だったが、はっきりとそう言ったキシリアに、ライデンが襟を正してそう返した。自分の弱気がキシリアとの間の一番の障害だったと気付かされ、もう二度とキシリア様にもどかしい思いをさせないと誓う。

「ふふ、それでいい」

 満足そうにキシリアがそう言い、ぽふんとライデンの胸に体を預けた。おずおずとライデンがキシリアを抱きしめる。

「新しく生まれ変わって私に恋をしろ」

 広い胸に自分がすっぽり収まってしまう事に満足し、ライデンの肩に手をかけ、お互いの体温が伝わるほど密着して瞳を見上げそう言う。

「もう、とっくにしています」

 熱に浮かされたようにライデンがそう言った。ノーマルスーツごしに触れるキシリアの体は柔らかく、触れた所が熱を持ったように熱い。

「ならば、私に愛を誓え、ライデン」

 ライデンの熱が伝染したのか、熱っぽい瞳でキシリアも息がかかるほどの近くでそう囁く。

「永遠に貴女を愛します、キシリア様」

 ライデンがそう言うと、キシリアの顔が一瞬苦痛に耐えるような表情になった。もちろん、苦痛からではなく、喜びから来るものだったのだが。

今まで隠してきた苦しさが報われる瞬間に、痛みも喜びも、全てのものが昇華されてゆく。

「ああ、お前のその言葉をどんなに待っていたか! キスを」

 感極まってそう言うと、ライデンがキシリアに口付けた。何時ものライデンからは想像もつかぬ、奪うという言葉が相応しいほどの熱い野性的なキスに翻弄される。

「私に愛を誓ったこの唇で、今夜は私を離さぬと約束してくれ」

 キスに酔わされ、うっとりとキシリアがそう言った。

ライデンが、欲しい。

何年も待ちつづけたこの体と、この心を奪って欲しい。待ちつづけた時間を埋めるように激しく、荒々しく愛して欲しい。

上品にその心を取り繕うなど、馬鹿なことはしたくない。もう充分待ったのだ。欲しいものは欲しいと言って何が悪いだろう。

「キシリア様……」

 自分の想いを隠そうとしないキシリアの激しさに飲み込まれそうだった。自分の体の奥から溢れ出る想いで、キシリアを飲み込んでしまいたかった。

キシリアをとても美しいと思う。キシリアがとても欲しいと思う。その体に口付け、甘い声を上げさせ、目も眩むほど愛し合いたい。

ライデンの知らぬキシリアを知りたい。快楽も痛みも分かち合いたい。

俺にとってキシリア様は全て。

貴女は俺の世界、貴女は俺の生きる意味、貴女は俺の……。

どんなに言葉を尽くしても言い足りない。 

キシリアが自分を愛していると言ってくれた瞬間に、世界がこんなにも変わる。

「お約束します。それは俺の望みでもあるのですから。俺は貴女が嫌だと仰っても、今夜貴女を離しません」

 言葉で伝えられないのなら、キスで、指先で、体の全てで。それでもとても足りない。

 ライデンを見上げるキシリアがゆっくり目を閉じた。顔を傾けたライデンがそっと近づき、赤い唇に触れる。月の光のように柔らかいキスに込められた思いが二人を包み、出会った頃から今まで、長い年月を経て、より深く濃厚になった美酒に酔った。



ENDE


150704 UP







SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送