囚人







 ふと遠くを想うその横顔に、涙が一筋流れた。

 じわりと溢れ出した涙が目じりに溜まり、重力に引かれて頬を伝う。何かを一心に見つめる瞳の先にいるのは、もう今は判り合える事の無い誰かか、それとも……?




「泣いて……いたんですか?」

 カブトが囁くようにそう言った。大きな椅子に腰掛け、背もたれに身を預けていた大蛇丸は涙を隠そうともせず、瞬きすらもしない目から透明な涙が頬を伝うに任せている。その横顔は繊細で、今にも消えてしまいそうに儚かった。

「ばかね。そんな訳ないでしょう。眠かっただけよ」

 微動だにしなかった大蛇丸が背もたれからゆっくりと起き上がり、指で涙を拭った。カブトのほうを向き直る。ただ遠くを見つめ、何も映していなかった大蛇丸の瞳にカブトが映った。

「そう、ですね」

 カブトが口元にかすかな作り笑いを浮かべてそう答えた。大蛇丸の瞳の中にいる自分を見つめる。

 逃げ出せぬ牢獄にいる自分は微笑んでいる。瞳の中のカブトも、今の自分も。

「……なぜそう思ったの?」

 大蛇丸が悪戯っぽく笑い、カブトのほうを意地悪く見た。自分が涙を流すような人間ではない事など、側にいるカブトには判り切っている筈だ。なのに何故そんな事を言ったのか?

「いえ、なんとなく」

 曖昧に言葉を濁し、またカブトは微笑んだ。本当は泣いていたくせに。とかすかに思う。口に出せば即座に首が飛ぶだろう。

 貴方が思っているほど、貴方は泣けないわけじゃない。

 過敏すぎる精神は、発露の仕方が普通の人間と違うだけだ。

 貴方が思っているほど、貴方は感情を切り捨てる事ができない。

 貴方はきっと気が付いていない。

 遠い日の自分を思うとき、遠い日に愛した人を思うとき、貴方の顔はほんの少し泣きそうになる。

 だけどボクは、貴方にそれを教えてあげない。

 きっとそれを知っているのはボク一人だから。ボクだけが、それを知っている。

 唇を微笑みの形にしたまま目を伏せ、カブトは大蛇丸の瞳から逃れた。

「貴方は、思ったより私をよく見ているのねぇ」

 目を伏せたカブトを許そうとはせず、大蛇丸がそう追求した。

「…………」

 知られていた? と一瞬焦りを感じる。カブトが大蛇丸をずっと盗み見ている事を、大蛇丸は知っていたのだ。

「どうしてかしら?」

「いえ、自覚していませんでしたから。僕のくせなんです、多分。気に触ったらすいません」

 一瞬の動揺を巧妙に押し隠し、ことさら平静を装ってカブトがそう言った。

「ならいいのだけど」

 大蛇丸はそれ以上は追求しなかった。私は眠いの、寝かせてちょうだい。と言い、目を閉じる。

 カブトを支配する大蛇丸の瞳が閉じられても、カブトは立ち去ろうとはしなかった。むしろ、今まで以上にじっと大蛇丸を見つめる。

 ボクは貴方に支配されている。力と恐怖で支配されている。

 自分の立場を確かめるように、そう心の中で呟いた。

でも本当は違う。ボクは貴方に支配されたいのだ。

貴方がそう気が付いたらボクの事をどう思うだろうか? 貴方の事だから、残酷に弄んで、代わりが見つかったらすぐにボクを捨てるだろうか?

奇妙な感情がカブトを支配した。そうされるのは怖い。という感情と、そうされたい。という破壊を望む別の感情。

大蛇丸様の事が好きなんだろうか? と自問自答してみた。

……判らない。

ただ、この人に付いて行きたいと思う。打算はもちろんある。だが、本音の奥底に、その力になってやりたいと思う想いがある。

自分より遥か上を行くこの人に対し、時折奇妙な愛おしさがわいてくるのだ。時に繊細なガラス細工のように脆いこの人を守ってやりたいと思うのだ。ちっぽけな自分が、何故?

貴方を愛した貴方の師匠もこの気持ちを感じたのだろうか? とカブトは思った。




「ほら、やっぱり私を……見ている」

 大蛇丸の言葉に、はっとした。気が付くと、大蛇丸がカブトの方を見て意味ありげに笑っている。自分とした事が、ぼんやりと大蛇丸を見つめて考え事をしているうちに、大蛇丸がこちらを伺っている事に気がつかなかったのだ。

「私が怖いの?」

 そう言って、大蛇丸の目が真っ直ぐカブトを捉えた。獲物を見る目だ。カブトはその目に魅入られたように目が離せない。気のきいた返事など返せるわけも無かった。

「それとも、何か他の訳があるのかしら?」

 大蛇丸の白い手がカブトの頬に触れた。大蛇丸の指はほっそりとしてしなやかで長く、触れられたとたん、痺れるような甘い感触が触れた個所から広がっていった。

「やめましょう。不毛ですから」

 大蛇丸の手をそっと遮り、頬に触れるのを止めさせた。所詮、支配するものとされるもの。その間に潜む甘やかな感触を探って何になると言うのか。

 たとえ求めた所で、大蛇丸の記憶の中にいる想い人を超える事は出来ない。

大蛇丸が木の葉にこだわるのは、憎んでいるからだけではない。

愛しているからだ。

 愛しているからこそ、憎い。

自分を選んではくれなかったあの人を恨んで、まだ愛している。

 自分が何を想おうと、どうにもならない。

 何にもならないのならば、いずれ捨てられるこの身のうちに留めておき、誰にも知られぬまま朽ちてしまった方がいい。

 そう思って、心の奥から出かかった言葉を飲み込んだ。

「あら、ずいぶん生意気な口を利くじゃないの」

 大蛇丸がくすくすと笑い、止めようとしたカブトの手を振り解いた。そのままゆっくりとした動作でカブトの首に両腕を回す。

「私はしたいからこうしているだけ。嫌ならそう言いなさい、やめてあげる」

 蛇を思わせる切れ長の目がそっと閉じられ、大蛇丸がカブトの唇に口付ける。カブトは拒まなかった。

「…………」

 長い口付け。大蛇丸がゆっくりと唇を離すと、二人の唇を繋ぐ透明な糸が引かれた。大蛇丸が目を開けるとカブトの表情が目に入る。カブトはほんの一瞬だけ、迷子の子供のような途方にくれた表情をして、すぐにいつものポーカーフェイスに戻った。

「キスのとき位は目を閉じなさい」

 小さく大蛇丸がカブトを叱った。すみません。という形にカブトの唇が動く。声にならない。

「可哀想な子ねぇ。頭が良すぎる。頭が良すぎるから、判らなくていいことまで判ってしまうのよ」

「いえ」

 くすくすと笑いながら言う大蛇丸の言葉に、カブトがかすかに頭を振った。

「僕は、自分が可愛そうだと思ったことはありません」

 木の葉を裏切る事など、怖くない。大蛇丸に捉えられたことを後悔する気も無い。

 自分は望んで大蛇丸に捉えられたのだと。そう思った。






20050317 UP
初出 UPPER JAM (発行20030503)

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