Sweet release







「ガルマを愛していたのかい?」

 ベッドの上で、髪の長い女が傍らにいる金髪の男に問い掛けた。

女の口にくわえられた長くて細い煙草から白い煙が立ち昇り、ベッドルームの薄暗い闇に融けていく。

二人の間に先ほどまで何があったのか、乱れたシーツや体にまだ残る相手の残した感触で感じられたが、心は同じベッドにいるとは思えないほど遠い。

「ええ、愛していました。キシリア様」

 男は短く答えた。自らが殺してしまった男の姉に。

「なら、辛かろうに。哀れな男だ、シャア・アズナブル。救いようのない馬鹿な男だ」

 キシリアは自分の感傷は何ひとつ見せず、シャアにそう言った。キシリアの言葉には、ガルマを殺した恨みや非難など一切感じられず、ただシャアのした行為は自分を苦しめるだけの馬鹿な行為だったとそれだけを告げていた。

「そういう貴女はどうなのです?」

 キシリアの言葉に、少しむっとした声でシャアが言い返した。ベッドに横たえていた身を起こし、キシリアのほうを向く。

「貴女はなぜ私を生かし続ける? それこそ馬鹿馬鹿しい」

 シャアが苛立たしげにそう言った。

 シャアがキャスバル・レム・ダイクンと知ってなお、キシリアはシャアを生かしつづけている。

シャアがいかに危険な存在かと知っていながら。

 キシリアは、お前は役に立つと言い、生かし続ける理由を同じ未来を目指す者同士だからだ。と言ったが、それだけではない事にシャアも気が付いている。

「私は、貴女の白い胸に噛み付く毒蛇というところだ。貴女こそ、矛盾している」

 そう言い捨てて、ぷいとシャアがそっぽを向いた。キシリアは自分をペットのように飼っているのだ。キシリアは、自分を脅かす危険をあえて身の側におき、そのスリルを楽しんでいるのだと思った。

「私はお前を飼いならしたいのだよ」

 キシリアが楽しそうに言った。

自分の身を脅かす存在をどうして側に置くのか、キシリア本人にも良く判らない。今には何の不満も無いが、自殺用のピストルを机の中に隠し置いているような、拾った手榴弾をいつか何かに使えるかも知れないと手で弄ぶような、奇妙な感傷だった。その危険な未来を可能性としておいてもいいとなぜか漠然と思っている。

「私は、お前に抱かれながら、お前と無邪気に遊んでいた頃の自分を慈しんでいるのだよ。同時に、ガルマを奪ったお前を憎いと思いながらね。お前は、私の矛盾の結晶。感情の掃き溜めに過ぎないよ」

 金髪の可愛い子供が欲しかった昔の自分。まだ何も知らなかった幸せな時間。

その象徴はキャスバル坊や。

言いながら、キシリアが気付く。私は、シャアという存在に自分の闇の部分を全てを押し付けているのだと。たまったストレスを発散するのに手首に躊躇い傷をつける代わりに、弟を殺した男に抱かれているのだと。

いざとなったら、シャアという引き金を引こう。そういう甘美な妄想がキシリアを甘く痺れさせる。

もちろん、普段のキシリアはそんな愚かな事は考えていない。だが、とてつもなく疲れたときにふとそう一瞬だけ思い、シャアを求めるのだ。シャアはキシリアのお守りのようなものだった。

「酷いことを言う。私を愛してないというのか!」

 シャアが、青い瞳に怒気をはらんでそう言った。自分を求める女が、自分を愛していない。他の目的で自分に抱かれているというのはシャアのプライドが許さなかった。そう言うシャア自身もキシリアなど愛しておらず、キシリアの権力目当ての癖に、それでもシャアは腹を立てるのだ。

「お止め! みっともない。お前、どうしてそう強欲なのです? お前は私を愛してなどいないし、私に愛されたいとも思っていない。なのになぜそんな事を言う?」

「私は……」

「心にも無い薄っぺらい嘘など聞きたくも無い」

 口を開きかけたシャアを有無を言わさずキシリアの声が止めた。

「ここは私のベッドだ、シャア。与えるのは私の方だとよく覚えておくがいい。ここに入りたければ、よく考えろ。おまえは今までの女達に一体何を教わってきたのだ? お前にそれを教えるほど私は暇じゃないし、余裕もない。誰もが皆お前の都合よく動くと考えるな!」

 キシリアが苛立ちを隠そうともせずにそう言い、新しい煙草に火をつけた。

 普段はキシリアは煙草を吸わない。むしろ嫌いなほうだ。

 キシリアが煙草を吸う時は、よほど苛ついている時だともう一人の男は判っていた。自分の前で煙草は吸わせまいとしたその男に対して、シャアの前ではいつも煙草を吸っているキシリアにシャアは気が付いていない。

 そんな男に抱かれるのはごめんなはずなのに、キシリアはシャアを許している。やはり自分はシャアに甘いなとキシリアは煙草を口にしながら思った。

 やはりシャアを愛しているのか?

 そう自分に問い掛けてみるが、そうだとははっきり言えない。むしろ否定の気持ちの方が強い。だが、そうじゃないとも言い切れない自分がいる。

 愛していると思うよりも、シャアが哀れだと思うのだ。ザビ家を憎めという他人の刷り込みに己を見失い、自分で自分を追い込んでいるこの若者を救ってやりたいと思っている。

どうしていいのか判らなくて惑うこの男を導いてやりたい。

そう思うのは自分の傲慢だと気づいているけれど。その傲慢さがいずれ自分を滅ぼすのではないかと判っているのだけれど、キシリアはシャアを捨てきれない。キシリアのそのらしくない甘さは、キシリアが女ゆえのものなのか? やはりキシリアはシャアを愛して

いるのか。答えは見つからない。

「マ・クベはどうなのです」

 シャアが、キシリアの内心を何も知らずそう言った。キシリアが今一番聞きたくない名前。失ってしまったもう一人の男の名。

シャアは、キシリアのことを判ろうとしない。キシリアも、シャアにそこまで告げようとは思わない。すれ違うからこそ、この男を側に置いている。権力を得るため、表面的にしか媚を売らず、肝心なキシリアの好みも、仕草の裏に隠されたサインも、自分のことを何も判らないシャアを苛正しく思いながら、切り捨てずに、どれほどシャアが自分に興味が無いかを観察している。

 私は、シャアが私を見るのを待っているのかも。

 ふとそう思った。まるで子供のような無いものねだりだ。

「……呆れたよ。お前はもっと聡い男だと思っていたんだがね。マ・クベはお前とは違う。お前も覇者にならんと欲しているのなら、遅かれ早かれいつか気が付くだろうよ。同じ夢を見てくれる人間が、どれほど貴重かどうかを。そして失ったものの大きさに、取り返しのつかぬ事に、絶望を感じるのだ!」

 そうだ。私は疲れている。

 キシリアがふとその事に気が付いた。気が付いた途端、鉛のようにどっと体が重くなるのを感じた。マ・クベを失った事実が、どれほど自分の体と心を蝕んでいるのか思い知らされた。

「シャアよ、お前のために言っておく」

 キシリアが煙草を消してシャアに向き直った。

「お前は人に飼われた猛獣だ。一人で生きてゆく術を知らぬくせに、飼い主の手を離れる事を望めば、お前は滅びるだろうよ」

「貴女の手のひらに居るのが、私のためだと?」

 シャアが、キシリアの頬に手をのばした。シャアの手が頬に触れ、ついと頬から首筋を撫でた。首筋をゆっくりとシャアの手が撫でる。シャアの目にかすかに殺意が浮かんだ。だが、シャアの手は首筋を離れ、肩まで行く。そのまま肩にかかった長い髪の毛を後ろへ持っていき、露になった首筋に口付けた。

 そうすれば、私が満足すると思っているのか?

 あ……と甘い声を小さく上げながら、キシリアが内心で冷笑した。

 シャアの唇がキシリアの首筋を執拗に這い、口付けを落とす。シャアの右手がキシリアの乳房を持ち上げ、円を描くようにこねまわす。

「私は、自由になるぞ。貴女の呪縛から……、ザビ家の呪縛から逃れる」

 熱い息と共に、シャアがキシリアの耳元にそう言葉を吹き込んだ。

 貴女に逆らうとシャアがはっきりと言ったのだ。キシリアの下にいるのではなく、自らが覇者とならんと欲すれば、シャアにとっては越えねばならぬ試練の壁、それがキシリアだった。

 私がこれで誤魔化されている訳ではない。ということには気が付いているようだな。と内心でキシリアがシャアに話しかけた。

「ほう……。やっと本音を現したね、シャア。ああは言ったが、お前となら、夢を見られるんじゃないかと少しは思っていたんだよ。でも、お前は私の手を離れる事を望むのだな?」

 シャアの顔を両手で愛おしそうに挟み、キシリアがそう言った。私がシャアを切り捨てられないのは、シャアに未練があるからだ。そうかと納得した。

 シャアも滑稽だが、私もずいぶんと滑稽だ。得られぬものを得ようとするのは、私の傲慢か。

 一瞬シャアから目を反らし、少しキシリアが考え込んだ。また視線をシャアに移すと、愛撫の最中に心ここにあらずといった風のキシリアを、シャアが心配げに見ている。ただし、その心配はキシリアを案じているものではなくて、自分の体でキシリアを繋ぎ止められるのかどうかという自分の事を心配しているのだ。

 鎖に繋がれて安心を得るより、自分の意志で迷って野垂れ死にする方を選ぶか。

 キシリアが、シャアの不安げな顔を見て微笑んだ。シャアの首を引き寄せ、優しくキスをする。キシリアの優しいキスに、ますますシャアが戸惑った表情をした。その顔を見て、キシリアがまたくすりと笑って口を開く。

「いいよ、もし、お前が復讐を果たすチャンスがあるのならそうすればいい。私は他の誰にも殺されない。私が最後を感じたならば、お前の手にかかってあげよう。その位はしてやるほどには、私はお前を愛しているよ」

 キシリアはシャアにぐっと顔を近づけた。

「その代わり、後々苦しむのはお前だ」

 恐ろしい魔女の予言のようなキシリアの言葉。

 馴れ合っているのか、突き放しているのか。

 シャアとキシリアの間には微妙な均衡があった。いなくなってしまったもう一人の男とはまた別の物をシャアに求めている。別な物を求めていながら、同時にもう一人の男に求めているような愛情と信頼をも期待しているのだ。

 おかしな事。

 キシリアが内心で自分のことを笑った。その瞬間、体が乱暴に男の力で組み伏せられる。驚いてシャアを見ると、青い瞳にぎらぎらした光を宿らせたシャアがキシリアを見ていた。

「終らせたがっているのは貴女のほうだ。なら、私が終らせてやる」

 そう言い、強引にキシリアの中に己をねじ込む。そのまま、滅茶苦茶にキシリアの体を突き上げた。

 自分を攻めるシャアのぐずる駄々っ子のような目に、キシリアが思わず目を閉じてその目から逃れた。

私はその目を受け止められない。シャアの全てを受け入れてまでシャアを救ってやろうとは思わない。

 

お前が私を救ってはくれないように。

 

迷走するシャアがとても愛しかった。








 シャアか!?

 キシリアの目が驚きで見開かれた。ドロスを捨て、ザンジバルで脱出する寸前にそれは起こった。

 まさか。という思いと、遂に来た。という矛盾した思いがキシリアの脳裏を駆け抜けた。

 まさか……という思いと共に、やはり……と同時に思う。


 次の瞬間には、キシリアの魂は宇宙に霧散する。








 同じ過ちを繰り返しながら、お前はこれからも彷徨って行くのだろう。愚かで純粋で、そして傲慢なお前の魂は、お前が呼吸を止めるまで救われぬだろうよ。


 いつかそう言ったキシリアの声が、バズーカを持ったシャアの頭の中に響いた。

 頭を一つ振り、魔女の不吉な予言を追い出す。そう言ったキシリアは自分が殺したではないか。何を恐れる事がある。

 復讐などもはや意味をなさない。それは自分が一番良く知っている。なのになぜキシリアを殺したのか?

 シャアにとっても、キシリアは複雑な存在だった。倒すべき敵。それだけではない何かが有った。

幼い頃遊んでくれたという記憶はほとんど無い。だが、自分を庇護してくれる存在だというイメージはあった。そのせいかキシリアの元にいるのは安心感がある。このままキシリアの下にいるのも悪くないと思う自分に気がつき、愕然としたのだ。このままキシリアに飲み込まれて丸くなっていくのが怖かった。いや、それだけじゃない。復讐さえすれば全てが解決すると信じていたのが、どうやらそうではないと気が付きだして怖くなった。


世界はそう単純ではない。私はそんなに大きな存在ではない。


このままキシリアの元にいる十年後の自分を想像すると、家を出た時自分が目指したものとは大きくかけ離れていた。


泣きじゃくる妹を振り切ってまで得たものがこれか?

そんなはずはない、違う、私はもっと大きな何かができるはずだ。


心の中で大声で喚いた。

キシリアの下にいると私は駄目になる。だから引き金を引いた。

引く瞬間まで、キシリアを自分が殺せるだろうかという変な気持ちがあった。

だが、次の瞬間にシャアが見たのは、いともあっさりと自分がキシリアの命を奪ったのだという事実だった。

だが、キシリアを超えたという実感は湧かない。庇護者であったキシリアを自らの手で消し、途方にくれた迷い子になってしまった自分に気が付いた。


本当に殺したかったのは、キシリアではなくて先が見えてきた自分の未来だ。


シャアはそれに気が付かない。

 いつかキシリアに見せた目をして、シャアが呟く。


「貴女、どうして私に隙を見せたのです?」

 

答えはもちろん、ない。



ENDE



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