3、S.O.S ― That’s her destiny ―
So when you’r near me darling
can’t hear me S.O.S
The love you gave me,nothing else
can save me, S.O.S
雨が降ってきた。灰色の空から降ってくる冷たい雫は、光子の髪をぬらし、肩を濡らし、体を冷えさせてゆく。
心などとっくに冷え切っているけど、冷たい心の中で、またあの曲が流れた。光子の脳裏に、あの薄暗い部屋での泣きたいような感覚が蘇る。この曲が流れるたびに、光子の心が少しだけ動く。少しだけ悲鳴をあげる。あの時、桐山の目の中をのぞいてから、その中に居る自分に気が付いてから。
あたし、本当は助けて欲しかったのね、誰かに。
ずっと出してたのね、S.O.Sを。
でも、それは誰にも聞こえないみたい。
光子が手の中の拳銃を握りなおした。
もう、手遅れかしら。
光子が物音を立てないように、身を潜めていた茂みから歩き出した。
目の前には、杉村の死体を前に、自分のした事の愚かさと重大さに泣きじゃくる女の子、琴弾加代子がいる。加代子は光子が忍び寄るのに気が付いてない。こんなに近くに居るのに。
ばかね、あなた。本当におばかさんだわ。
こんなに近くにあなたを愛してくれている人がいたのに。
それに、私がこんなに近くに居るのに気が付かないなんて
加代子はわんわん泣きじゃくっている。このゲームにおいて、それがどんな危険な事だか知っているはずなのに。
加代子のすぐ後ろに立っても、まだ加代子は気が付かない。
光子は微笑んだ。唇の端をきゅっと吊り上げて。そのまま、そう……っと加代子の耳元に唇を寄せた。「心中するつもり?」
杉村君は、「逃げろ」と言った筈よ、加代子。
加代子は、まだ自分がどんな状況にいるか判ってないらしい。一層泣きじゃくりながら、光子の言葉に激しく頷いている。
加代子、あなたはあたしがずっと欲しがっていたものを持っていたはずなのにね、ここで終わるの。
あなたがもしもっと大切な事に早く気が付いていたなら、あなたは杉村君を手に入れ、死ぬ事も無かったのに。
あなたは、杉村君の気持ちに気が付かなかっただけでなく、杉村君が命をかけて守ろうとしたあなた自身さえ自分の愚かしさで滅ぼすのよ。ばかね、あなたはあたしがあんなに欲しがっていたものを持っていたのに。
これも、あなたの運命ってやつかしら。
光子の白魚のような細い指が、引き金を二回引いた。弾丸を打ち込まれた瞬間、弾かれたように加代子の体が二回痙攣した。その後はもうぴくりとも動かない。
……結末なんてこんなものよね。泥まみれになった加代子の死体を見下ろし、光子が乾いた頭の中で考えた。
これほど欲しがって居る光子には誰も与えてくれない。手を伸ばせば届く所にあった加代子はそれに気が付かない。
そして、杉村が死んで、加代子が死んだ。自分はまだ生きている。でも、からっぽだ。
愛して死んだ杉村君と、私。愛されて死んだ加代子と、私。
……どうでもいいわ。
光子がぼんやりとした頭でそう考えた。なんだか、ぐったりと疲れていた。雨に塗れて体力が落ちたせいだろうか? それとも、別の理由だろうか?
光子がほぼ無意識のうちに足下の青い銃に手を伸ばした。腰をかがめ、手を伸ばす。手で銃を掴み、上体を起こす。それから、「さて、これからどうしようか」と少し考える。
……はずだった。
現実は光子の予想通りにならなかった。ぱらららら……という聞き覚えのある軽い音。
ねえ、そんなばかな事ってある?
その音を耳にしたとたん、その熱が体を貫いたとたん、あまりにも信じられなくて、光子は誰にとも無く問うた。
なんてことかしら。私とした事が。疲れてたのね。
あなたの事を、すっかり忘れてたなんて。(忘れていた訳ではないのよ、あなたがここまで出来るとは思わなかったの。あなたの事を判ってなかったと言った方が正しいわね)
背中が熱い。何かがぶつかってめり込んでいく激しい衝撃の後、そこを中心にかぁっと熱くなる感覚がした。痛みはまだ無い。
あなたでしょう。桐山君。いつか来ると判っていたけど、ついにこの時が来たみたいね。
あなたが勝つか、私が勝つか。
光子は振り返った。執念と言っても良かった。
光子を見る見覚えのある冷たい瞳。
……やっぱりね。
桐山を見た瞬間、無性に笑いたくなった。自分の予想が当たっていた事が嬉しかったのか、桐山と会えた事が嬉しかったのか。
それとも、このくそったれなゲームとくそったれな人生が終わるのがおかしかったのか。とにかく無性に笑いたかった。あーあ、いやんなっちゃうわ。これがあたしの運命ってやつ?
あたしを殺す人がいるのなら、それはあなただと思ってたけど、ただでは死なないわ。あんたも道連れよ。二人、似たもの同士で殺しあうなんて滑稽よね。
光子の撃った弾丸は、間違いなく桐山の胸に命中した。
スミスアンドウエスンM19・357マグナムの弾倉の中に弾は4発。角度も距離もO.K.
あなたの人生も終わらせてあげる。あなたが私を終わらせてくれたように、今度は私があなたを終わらせてあげる。あなたには私、私にはあなた。似たもの同士で終わらせましょう。
光子がそう確信して引き金を引いた。
だが、桐山はさしてダメージを受けた様子も無く、着弾した瞬間だけ少しだけよろめくと、冴え冴えとした瞳で光子を見た。
桐山の銃を持った腕がねらいを定め、桐山の指がイングラムの引き金を引くのがやけにゆっくりとスローモーションのように見えた。ああ、何てことかしら。
最後に光子は思った。何てことかしら。
桐山は倒れなかった。
終わらせてあげようと思ったのに。
ばかね、光子。また忘れたの。
あたしが桐山に近づいても、桐山はあたしに気が付かない。いいえ、気がつけないのよ。だから、私は桐山を終わらせてあげられない。ここであたしだけが終わるのも当然かもね。
かわいそうな桐山君。誰もあなたを理解できないし、あなたは誰も理解できない。
あたしとあなたはある面ではとても似ていたけれど、本質的には全然違ったわね。
だって、あたしはまだ人間だったから救いようがあったかもしれないけれど、あなたにはないのよ?
楽にしてあげられないでごめんね。大きなお世話でしょうけれど。
あたし、あなたの事嫌いじゃなかったわ。
あなたは地球に遭難した星に帰れない宇宙人。
あたしはS.O.Sに気づいてもらえなかった哀れな宇宙飛行士ってとこかしら?
◆◇◆
4、エピローグ ― S.O.Sが聞こえる ―
触れた唇はまだ、温かかった。
だが、光子の唇にまだ感じるそのぬくもりも、やがて消えるだろう。
光子の事を見ていてくれた男の子。光子の事を庇って撃たれた男の子。その行動に出た気持ちは理解できなかったけど、その子は光子の心の奥の、閉じ込めていた何かを揺り動かした。全てのものに裏切られ続けてきた光子に、彼だけが真心を込めた言葉と、行為を示してくれた。
ありがとう。多分忘れないわ、一生。
光子が素直にそう思った。彼の暖かさは消えても、時々彼の事を思い出すたびに光子の心にその温かさは蘇る。
ほんの一瞬だけだけど……。
もし、こんなクソゲームの中でじゃなくて、もっと普通の時に彼にそう言ってもらえたら。
たまたま教室で隣になった時とか、同じ委員になっちゃって話す機会があったりとかして。(最初はとても馬鹿にするでしょうね、あたし)
ほんのかすかな可能性。それも、もう潰えてしまった。
……そうしたら、なにか変わったかもね。
光子がゆっくりと瞬きした。本当は、そんな「もしも」の想像がバカバカしい事だと判っている。彼の目はもう光子を見る事も無いし、彼の唇はもう言葉を発しない。あのはにかんだ様な笑みは、もう思い出の中にしか残っていない。
でも、いいのだ。
光子のS.O.Sが聞こえた人がいた。光子のS.O.Sに答えてくれる人がいた。
それだけでもういい。
たとえ、その子がいなくなったとしても。
光子は、軽く頭を振ってその想像を追い出した。
もう手遅れなんだと判っている。もしもの想像に浸るような余裕は光子には残ってない。
光子は優一郎の側からそっと立ち上がった。もうここまで来てしまった。後は前に進むしかないのだ。行く先がたとえ破滅であっても、もう後戻りはできない。
後、どのくらい行けば良いのかしら?
ふとそんな事を思った。あとどのくらい経てば終わるの? あとどのくらい行けば着くの?
立ち上がった光子に、太陽が沈む前の最後の一閃を投げかけた。沈む前の最後の光はとてもまぶしくて、光子は手でその光を遮った。
もう、後戻りは出来ない。
夕日が落ちれば、あたりは見る見るうちに暗くなっていくだろう。
スミスアンドウエスンM19・357マグナムを手にした光子が茂みの奥へと消えていく。あたりに茂る緑の隙間から、光子の学生服の紺色が覗いていたが、やがて何も見えなくなった。
光子が諦めた何かを、加代子が諦めきれずに死ぬまで、あと数時間。
桐山がその銃声を聞きつけるまで、あと数時間。
ねぇ、あたしのS.O.Sが聞こえる?
ENDE
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