蒼白い月の反逆
「油断のならぬ女め、また私に逆らうつもりか!」
ギレンの荒げた声が、燭台の炎を揺らした。明かりを押さえた室内で、炎に照らされてギレンの長身の影と、高く髪を結った女の影が言い争っている。
「その様な事、ございませぬ。先方がぜひわたくしにと……。だから兄上にこのように申しているではありませんか」
女の声が、抵抗するように言い返した。声は戸惑ってはいるが、折れるわけにはいかない。そんな必死さを含んでいる。
「ならん。お前を絶対にグラナダへは行かせんぞ」
きっぱりとギレンの声がそう言い、キシリアの顔が途方にくれた。
グラナダで行われる交渉の席で、ジオン側の交渉人を先方がわざわざキシリアにと言ってきたのだ。キシリアがまだグラナダに居た頃の顔見知りで、キシリアの能力と人と為りを買ってのことだった。
そのためにギレンの側を離れ、グラナダへ赴く許可を得ようとしたのだが、ギレンには取り付く島も無い。
珍しくギレンの機嫌が良いのを見計らって話を切り出したのだが、見る間に暗雲が立ち込め、怒りの雷鳴が轟き始める。濡れ衣を晴らそうと、キシリアが必死で抗弁したが、それも徒労に終った。
以前ならば、その様な些末事は、誰の許可も貰わずにキシリアの独断で行えた。だが今は違う。何をするにもギレンの許可が無くてはならない。
キシリア少将、謀反の気あり。
その報が極秘裏にジオンの上層部を駆け巡ったのは半年前の事であった。
有無を言わさず、キシリアは逮捕、拘禁され、調査が行われたのだったが、結論としては、限りなく黒に近いが「証拠不十分」という曖昧なもので済まされた。
実際の所、それは当のキシリアにとっても身に覚えの無い事だったのだ。確かに不満は持っていた。だが、それはキシリアの側近以外の誰も知らない事であったし、目に見えるような形では、父デギンの不幸な事故死(とギレンは主張していた)を調査しようとしていただけにすぎない。
噂好きの知ったかぶりたちは、まことしやかにこう囁きあった。即ち、今回の事はギレン総帥の策略であると。勢力を伸ばしつつあるキシリア少将を牽制し、押さえつけるために総帥が一芝居うったのだ……と。
キシリアにとっては思いも寄らぬ不意打ちであった。兄を甘く見ていたと思わざるをえない。自分の持っていた力をほとんど奪われ、デギンの死についての疑惑はますます深まったが、それを確かめる術も無い。
ただ、不可解だったのが、ギレンはキシリアの軍籍を剥奪する事はしなかった。
ギレンはキシリアに自分付の新しい役職を任じた。突撃機動軍司令官と兼任せよとの沙汰だったが、ギレンはキシリアがグラナダに帰る事を許さず、なし崩し的にグラナダでの実務は今の所マ・クベに任されている。だがその権限も何れ奪うつもりでいるのだろう。
当のキシリアは四六時中ギレンの側に居り、秘書のような仕事をさせられていた。決裁権はかなりの部分与えられていたが、キシリア本人や突撃機動軍の処遇に関しては厳しく管理されており、ギレンの許可無くてはコロニー間の移動もままならなかった。
兄上は何を考えてらっしゃるのか……。
それがキシリアの思う正直な所だった。自分が何れは兄に逆らうということを知っているはずだ。ならば、処分すればいいものを中途半端に側に置いている。なぜ翻意を持つ危険な女を側に置くのかも理解できなかった。
私を見張るつもりなのか、それとも、追い詰めて尻尾を出させるつもりなのか……?
どれも理由としては弱い。
ギレンは合理性を好む頭のいい男、むだな事はしないはずだ。
だからこそ理解できなかった。
「私の側を離れる事は許さんぞ」
キシリアの懇願にも、ギレンは冷たく応えた。
何故……? 何故……?
キシリアの中で疑問符が回る。何故ギレンはキシリアを側から離すのをこれほどまでに拒否するのか。
そして、もうひとつ。
ギレンを睨みつけるキシリアの顎を指で持ち上げた。
「!? あにう……」
ギレンの行為にキシリアが驚いたように目を見開き、そのまま強引に唇を塞がれて身悶える。キシリアを抱くギレンの腕はがっちりとキシリアの体を捕まえ、逃げる事を許さない。
「ん……ふぅ」
舌を絡められ、顔を背ける事もできず、キシリアがうっすらと目を開けてすがるようにギレンを見た。キシリアの願いを冷たく拒絶し、ギレンの手が背中のファスナーを下げてゆく。右肩を、そして左肩をずらし、一気に下ろした。
ぱさっと軽い音を立てて、キシリアの足元にドレスの布地がまとわりついた。
「あっ……。兄上、嫌です」
下着姿になったのを恥じるようにキシリアが自分で自分を抱きしめて兄の目線から体を隠そうとしたが、それは逆効果だった。小さな布地に収まって窮屈そうだった胸はさらにキシリアの腕で寄せられ、見事な盛り上がりと深い谷間を創っている。豊満な体を縮こまらせると、余計にキシリアの体のエロティックさが際立った。
「お許しを、兄上。もうわがままは言いません。だから……、あっ」
キシリアの懇願は、ギレンの強引な口付けによって流された。
ギレンの手が荒々しく乳房を掴む。体を開かれ、あられのない所にも口付けを落とされる。
女に不自由などしていないはずだ。屈辱を与え、自分に従わせようとしているのかとも思ったが、ギレンの態度を見ているとどうやらそうでもないらしい。なのに何故こんな形で自分に執着するのか。
判らない……。
判らない……。
混乱した頭のまま、ただ体はギレンの愛撫に素直に答え、ギレンを受け入れるために潤う。頭と体がバラバラになったようだった。
ギレンが部屋を出てからしばらくして、誰かが入ってくる気配がした。気配は部屋を横切り、やがて、水音がかすかに聞こえる。
一連の動きを無視して、ベッドにぐったりと横たわるキシリアにその誰かが触れた。キシリアは目を閉じ死んだように動かない。
それが誰か判っているからだ
ぐったりとしたその体を、男の腕が横抱きに抱え上げた。そのままゆっくりとバスルームへと行き、暖かい湯の張ったバスタブにキシリアの体を沈める。
白いバスタブの中に、キシリアの長い髪がふわっと広がった。そのまま湯の動きに合わせてゆらゆらと揺れる。
その時初めて、キシリアがうっすらと目を開いた。瞳にキシリアをここまで連れてきた青髪の男が映る。だが、その瞳は何も見ていない。
キシリアの豊満な体は、男にされた陵辱の痕を痛々しく残していた。噛み付かれた痕も、キスの痕も、ギレンにされたすべてのことを記録しているかのように。
かわいそうに、気の狂ってしまったオフィーリア。
青髪の男、マ・クベが心の中でそう呟いた。空ろな瞳と、水に広がる長い髪は、マ・クベに一枚の絵を思い出させる。
「失礼」
そう言って、マ・クベがキシリアの顔に水しぶきをかけた。キシリアの瞳が、はっと生気を取り戻す。水しぶきに目を閉じて顔を背け、やっと生きている人間の姿を取り戻した。
「なにをする!」
怒気のこもった声でそう言い、キシリアがマ・クベを睨みつけた。キシリアの瞳が、ようやくマ・クベを見た。
「情けないお顔をするからです」
キシリアの怒りにもポーカーフェイスでそう言った。マ・クベの顔には、キシリアの姿に対する驚愕も、同情も、何もかも浮かべてはいない。
そうした方がキシリアが救われると判っているからだ。
「なれぬものだな、何度こうされても。それでも最初の頃に比べるとずいぶんましになった」
マ・クベの言葉に、怒りを納め、キシリアが苦笑しながらそう言った。泣いても、怒っても、ギレンは何も変らなかった。なすがままにされ、笑う事しか出来ない。
そのキシリアの手を、マ・クベが不意にぎゅっと掴んだ。
「マ・クベ……?」
マ・クベにキシリアの不審そうな目が向けられる。キシリアの手を握りマ・クベは、俯いたままじっと何かを考え込んでいる。キシリアがもう一度声をかけようとしたとき、マ・クベの顔がゆっくりをキシリアを見た。
「逃げてしまえば宜しいではないですか」
マ・クベがキシリアの目を見ながら、微笑を浮かべながらそう言った。
「え……」
「何もかも捨てて、逃げてしまえばこの苦しみから解放されます」
キシリアのことを黙ってただ見守っていたマ・クベが、初めてキシリアにそう言った。
逃げてしまえと。
それは甘いささやきだった。
「だが……。いや、そうだな」
キシリアの顔に戸惑いが浮かんだ。キシリアには全てを捨てて逃げるなど考えられなかった。だが、いままでずっと黙ってキシリアを支えていたマ・クベがそう言った気持ちを考えると、キシリアの心が激しく揺れる。
逃げてしまえばどれほどいいか。
今まで信じていた物全てが壊され、奪われた。これ以上ここに執着する必要がどこにあるだろう?
「もし、もしそうしたら…。お前は、私に、付いて来てくれるか……?」
キシリアが、戸惑いながらそう言った。
「どこまでも」
微笑を浮かべ、マ・クベがキシリアを優しく見ながらそう言った。キシリアの手を取り、そっとその手の甲に口付ける。
キシリアの目に涙が溢れた。
このようなどん底に有って、マ・クベの言葉が心から嬉しかった。
肩を震わせ、嗚咽が漏らすキシリアを、マ・クベの瞳がいつまでも優しく見ている。
「なんです、それは? 私を囲うつもりですか?」
ギレンからて手渡された命令書を見て、キシリアが柳眉を逆立てた。
ギレン付きの武官となって、ザビ家が持つ屋敷の一つに待機し、補佐をする事。
その旨かかれた命令書の一字一句を睨みつけるように読みすすめるうち、キシリアの手がかすかに怒りで震える。
「騒ぐ事でもなかろう」
お前には休養が必要だ。ここでゆっくりと休みなさい。とギレンは続けた。その顔には、後ろめたさなどひとかけらも感じさせない。
少将から雑用係りへ。しかも、実の兄に愛人として囲われる生活。
キシリアのプライドはこれ以上無いほど傷つけられた。何より、ギレンが自分の事を、人間として認めていないのだという事実を突きつけられ、思わずその場に崩れ落ちそうなほどの絶望を覚えた。
こんな仕打ちを平気でするほど、貴方の中で私の存在は軽い!
「もう、我慢が出来ません」
激しく頭を振ると、きちんと結った髪がほつれた。怒りに任せ、髪留めを取ると、赤い髪がまるで蛇のようにうねって落ちる。
「私を信じられぬ。と言うのなら、私の軍籍を剥奪していただきたい!」
髪を振り乱してそう言ったキシリアの言葉に、ギレンがかすかに目を見開いた。
「なんだと……」
ギレンのささやかな動揺。だか、その姿を見ても、キシリアの絶望はますます深まるばかりだった。
本気で私がこの命令に従うと?
私のプライドをずたずたにした事にどうして気がつかない?
貴方は、こんな事も判らないのですか!?
「地位も権力も要りません。ザビの名も捨てるとお約束します。だから、私の自由をお返し下さい!」
怒りに目をぎらぎらと光らせ、ざんばらになった長い髪を整える事もせずに、狂ったように叫んだキシリアの手首を、ギレンの手が掴んだ。
ぎりぎりと、キシリアの女の手首をギレンが強い力で締め上げる。
その能面のような顔は、怒りに震え、その目は恐ろしい光を湛えキシリアを睨みつけている。
「あの男か?」
今までキシリアのどんな懇願の言葉にも眉一つ動かなさかった男が、怒りをあらわにして、キシリアの手首をまるで折れそうなほどに強く掴む。
「え?」
「マ・クベか? 何をそそのかされた?」
ギレンの豹変に戸惑った表情を浮かべたキシリアだったが、ギレンの口からマ・クベの名が出ると、再び表情を固くした。
「マ・クベを殺せば、私も生きてはおりません」
その瞳に決意を込めて、キシリアはきっぱりと言った。
誰もが逆らえぬ、ジオンの独裁者に向かって、キシリアはそうはっきり言った。
「キシリア!」
キシリアの言葉に、ギレンが叱り付ける様な厳しい声をあげる。
「お前は、私の女だ。私から逃げようなどとくだらない事は考えるな」
ギレンはそう言って、臆することなく睨みつけるキシリアの顎を捉え上向かせた。
二人の目線と目線がぶつかり合い、まるで青白い火花が飛び散ったような錯覚を覚える。
その時、はっきりと。
激しく争っているのも関わらず。いや、だからこそだろうか?
お互いの中にお互いがいるのを、二人ははっきりと感じた。
「何故なのです。他に女など幾らでも居るではありませんか」
緊張の糸が切れたように、キシリアの目から涙が溢れた。
ギレンが判らない。
ギレンは私を理解してはくれない。
それが、なぜこんなに悲しいのだろう。
「キシリア……くだらない事を言うな。お前は唯一人だ」
キシリアをなだめる様にそう言ったギレンの声は優しくキシリアを包む。
自分を全く理解しようとしないばかりか、いいように踏みつける、鬼のような非常な男が本当のギレンなのか、この優しい声を自分にかける男が本当のギレンなのかわからなくなる。
「私は悪人だ。お前に警告しておく。私はお前に憎まれても、お前が他の男に抱かれても気にはしない。だが、もし、お前が私から離れるような事をすれば、私はお前に何をするかわからぬぞ」
理解できない。
貴方が理解できない。
キシリアは、ギレンの言葉を聴きながら、目に涙を浮かべてゆっくりを首を振った。
心は無くとも、ただ側にいるだけでいいなんて、そんな愛し方があるものか。
「地の果てまで追っていく」
ゆっくりと言い聞かせるようにギレンは言った。低い落ち着いた声。ギレンはキシリアに死刑を執行したに等しい。
「それほどまでに私が憎いのですか!」
キシリアにそう言われた時のギレンの顔を見て、思わずキシリアが一瞬怒りを忘れた。
ギレンは、冷たい目でキシリアを見つめている。
何を言っているのだと、そんな表情。
かすかに唇を尖らせるようなその無表情は、どこか見覚えがあった。
まるで、拗ねた子供のような……。
「ギレン……?」
思わずギレンの名を口に出した瞬間、キシリアはすべてを理解した。
その瞬間、絡まった糸がほつれるように、キシリアは全ての事を悟ったのだ。
「そう、そうなのですか……」
ギレンの顔を見ながら、キシリアが呟いた。
ギレンは、知らないのだ。本当に。
判らないのだ。
初めて感じた感情をどうしたらいいのか
ジオンの独裁者の愛は、幼い。力づくで奪う事しか知らない。
「フフフ、愛し方も愛され方も知らぬ馬鹿な人」
キシリアの口から、笑い声が漏れた。
哀れみと言うには、蔑むと言うには、その声には情がこめられていた。
「よろしいでしょう。ギレン、あなた」
顔を上げた女を、ギレンはまるで別の生き物を見るような目で見ている。
先ほどまで泣き崩れんばかりだった女が、急に力を取り戻し、傲然と顔を上げるのは、一種呪術的な力さえ感じた。
「私があなたを愛して差し上げましょう。憎む代わりに。何故こんな簡単な事に気が付かなかったのか」
魔女のような微笑を浮かべ、キシリアはギレンに近づいた。
ギレンは微動だにしない。ただ、キシリアの目から自分の目を離さない。
キシリアはギレンの太い首に腕を回し、ギレンを抱きしめる。
首筋にキスをし、熱い息を吐きながら耳元に口付ける。
「契約のキスを、ギレン」
耳元のささやきに、ギレンがキシリアの髪を掴み、顔を上向かせた。
ギレンを見るキシリアの微笑み。口元に血が溢れていないのが不思議なほど。
ギレンの噛み付くようなキスに、キシリアが答える。
復讐か?
それとも……?
二人の新しい戦いは、キスによって幕を落とされた。
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