◆Run M'Quve Run◆
「まだ着かないのか!? もうホテルは見えているんだぞ!」
マ・クベの苛々した声がエレカの車内の雰囲気を一層重苦しくした。
そのホテルのレストランでは、キシリアがマ・クベを待っているはずだ。
ほんのすぐ側に見えるホテルが異様に遠い。二十四日の夜の降雪は予定されていたものの、まさかそれに伴う偶発的な交通渋滞までは予測できなかったのだ。五分十分経っても、一メートルばかりの距離をのろのろと進むエレカに、マ・クベの苛々は爆発寸前だった。
「そうは仰られましても、この渋滞では……」
八つ当たりされた哀れな運転手が情けない声で言った。ちらちらとバックミラーを見るたび、マ・クベの顔が不機嫌の度合いを増していくものだから、彼の心労も相当なものだろう。
「……悪かった。取り乱したな」
彼の声に一つ大きなため息をつき、マ・クベが座席に深く座りなおした。
既に約束の時間から一時間が経とうとしている。遅れる旨は何度も伝えてあるが、マ・クベにとってキシリアを一分一秒待たせる事自体が耐えがたい苦痛の上、もし帰ってしまったらと思うと、居ても立ってもいられなかった。
キリキリと胃が痛む。組んだ足の上にある指の忙しない動きが激しい苛々を現しており、隣に座っているウラガンがマ・クベの不機嫌さに気付かれないようにうへぇと肩をすくめた。
激戦の末運と実力で勝ち取ったクリスマス・イブのキシリアとのディナー。
ホテルの予約も万全、料理も万全、その後の予定も万全。
プレゼントは何ヶ月も前から高名なデザイナーにオーダーメイドでアクセサリーを作らせている。
マ・クベも出来上がりを見た瞬間感嘆のため息を漏らしたそのアクセサリーを身につけたキシリアはどんなに美しいだろう。
マ・クベのためにドレスを選び、マ・クベのために紅を引き、マ・クベの為に髪を結い美しく着飾った最愛の女性と、美味しい食事を楽しみ、楽しい会話を交わす。勿論後の脱がす楽しみも含めて、最高に贅沢な時間と空間を楽しむ……はずだった。それが、こんな最悪の事態になるとは……。
唯でさえ軍務上の予想外のトラブルで時間を取られ、自宅に帰る暇も無く、着替える事も出来なかったのに舌打ちしたのだが、そんなのはこの渋滞の悪夢に比べれば、些細なことに過ぎなかった。
「お察しします」
絡まれないように小さくウラガンがそう呟いたが、自分の事で頭がいっぱいなマ・クベの耳には入っていない。
一分一秒が永遠のように長い。どうしようもないもどかしさにじりじりと苛々が募り、待たせている罪悪感と焦り、キシリアに早く会いたいという気持ちが錯綜する。
「もういい」
マ・クベの地を這うような低い声に一瞬車内が凍りついた。コートを取り出し、ばさっと狭い車内で羽織る。
「え?」
ウラガンが理解できずに素っ頓狂な声を出すと、手早くトレンチコートの紐を結びながら、運転手にエレカを止めろと命令する。
「ここから、走って行く」
「大佐、本気ですか!?」
「危険ですよ、お止めください」
マ・クベの言葉に仰天して二人がかりで止めにかかったが、全く聞いていない。車を止めろと命令したものの、渋滞ですでに動いていないも同然なので、出ようとしているマ・クベを止めようが無かった。
マ・クベがドアを開けると、ひやっとした空気が吹き込んできた。何車線もある道路の真中でいきなり車を降りたマ・クベに、周りのエレカが何事かと注視している。
もう一度、「お止めください」とウラガンが言おうとした時だった。
さっと人影が動き、既に駆け出している。
タイミング悪く、やっと進もうとした所をマ・クベに遮られ、とたんに辺りはクラクションで溢れ返った。マ・クベを責めるそのけたたましい音を少しも気にすることなく、コートの裾をはためかせ、車と車の間を縫ってかけてゆく。ウラガンがはらはらしながら見守っていると、片手を着いて中央分離帯のガードレールをひらりと乗り越えた。
「あ、反対車線にまで入ってますよ」
横断歩道まで行くのももどかしかったのか、中央分離帯から然程込んでない反対車線まで強引に突っ切り、またひらりと軽やかにガードレールを飛び越える。クラクションの洪水と、バカヤロー! 死にたいのか!! という気の短い叫びがあちこちで上がる。クラクションと罵声の渦のなかを突っ切っていくマ・クベの身のこなしの鮮やかさに、バイクの若者がヒュッと口笛を吹いた。
マ・クベは自分で運転している時は、信号待ちでは絶対に停止線を越えないようなルールに煩い男で、こんな非常識な事をするような人間ではない。
うちの大佐はあんなキャラじゃなかったはずだが……。とウラガンが思わず運転手と顔を見合わせる。
マ・クベの姿は歩道の人ごみの中に消えて行き、ウラガンがふと先ほどまでマ・クベが座っていたあたりに視線を落とすと、綺麗にラッピングされ、リボンをかけた箱が転がっている。
「あ、大佐、大佐〜〜〜」
車から降りてその箱を掴んで振り回しながら、はるか遠くに居るマ・クベに叫ぶウラガンに、プップー! と抗議のクラクションが鳴って、慌てて引っ込んだ。
目の前のグラスを、チンと指で弾いた。サーヴィスです。と出された赤いワインの水面に小さな輪が生まれて広がってゆく。
綺麗に赤く塗られた指先が、暇を持て余している。
風味が変わりますので、お早めにお飲みください。グラスのワインが無くなるまでに、お待ち合わせの人が来るといいですね。とソムリエがグラスを出しながら言ってくれたのだが、ワインがすっかり味が変わってしまっても、まだマ・クベは来ない。
マ・クベは来る、絶対に。
そう確信はしていたが、恋人同士の笑いさざめく声や、食器のぶつかる楽しい音がするきらびやかな空間で一人は辛かった。
あんなに綺麗な人を待たせるなんて、なんて罰当たりな男だろう。と、キシリアに聞こえないように周りで小さく囁かれる。
反対側では、キシリアの方ばかり気にしている男の足を、テーブルの下で女が思いっきり踏んづけた。
先にお料理をお出しいたしましょうか? という申し出もキシリアは丁寧に断る。
もともと今日はマ・クベとすごす予定ではなく、不運と偶然とマ・クベのプッシュでこうなったのだが、「不本意だが一緒にいてやる」と言った割には内心結構楽しみにしていたのだ。
唯一人の男に脱がされるために新しいドレスを下ろし、何時もより念入りにメイクする。
ただ、アクセサリーだけは「お贈りいたしますから」というマ・クベの言葉に控えていた。
マ・クベの為に綺麗にしたのに、最後の仕上げをするはずの当人がまだ来ない。
普段のキシリアなら烈火のごとく怒りそうなものだったが、うきうきしていただけに、裏切られたような気がして、少し悲しかった。
調子が狂うのは、楽しそうで幸せそうなクリスマスの雰囲気のせいだ。と思う。ここを出れば、いつもの通りそれも怒りに代わるだろう。
もう、帰ろうか……。と何度も思って、なぜか思いとどまっていた。
だが、もういい。と思って立ち上がった。
「あら、見て」
立ち上がったキシリアの耳に、隣のテーブルにいる老夫妻の声が聞こえてきた。
ほら、外。という声に、つられてキシリアもガラスの外の下界を覗き見る。
マ・クベ!?
キシリアの心臓が大きく脈打つ。
高い階にあるここからは、下の様子がよく見えた。ミニチュアの街のような下の世界を何の気なしに見る。
キシリアの目に映ったのは、雪の降る中、ジオンの大佐ともあろう男が、遥か上から見るとミニカーみたいな車の列の間に割り込み、車道に居るくせに手で車を制して止めさせ、コートを翻して凄い勢いで走ってくる姿だった。ガードレールをひらりと飛び越え、人ごみを縫って近づいてくるあの青い髪はキシリアの待ち人に間違いない。
あちこちでそれに気がついた人々がくすくすと笑っている。
それを知るはずの無いマ・クベが、長い足をフルに使って走る走る。
軽快に鮮やかに人々の間をすり抜け、冷たい冬の空気を切って、確実にキシリアに近づいてくる。
「今日はクリスマス・イブだから、待たせている女性でもいるのかもしれないね」
「情熱的だこと」
あの、馬鹿!!
のんびりと話している老夫婦の会話に、何故かキシリアの顔が赤くなった。
必死な様子を見ると、思わず笑い出しそうになる。すれ違いざま少し肩がぶつかって、「失礼!」と言うマ・クベの声さえも聞こえてきそうだった。
顔が緩んだところを隣のテーブルの上品な老夫人と目が合ってしまい、慌てて微笑んで会釈すると、お茶目にウィンクを返された。
思わず、あれは私の男です。という顔をしたのを見透かされて、また顔を赤くする。
キシリアが立ち上がったのを見て、慌てて先ほどから気を使ってくれていた若いソムリエが近づいてくる。
キシリアがついに帰る決心をしたのだと思い(事実そうだったのだが)引きとめようと、ワインをもう一杯いかがですか? と聞く彼にキシリアは婉然と微笑み、料理を二人分始めてくれと告げた。それに合うワインを、と付け加え、さらに遅れて来る男の為にグラスにも水をもう一杯オーダーした。
あと五分もしないうちに自分の前に平身低頭してくるだろう。走ってきたなんておくびにも出さずに。
「キシリア様、お待たせしました。申し訳……」雪で湿ったコートを預け、何事も無かったかのようにレストルームで身だしなみと呼吸を整えたマ・クベが、急いでキシリアに近づいてきた。
なにやらひそひそという囁きと視線を感じたが、今はそれが何かなどと考える余裕は無い。
席にも座らずに言いかけたマ・クベに、キシリアが、水の入ったグラスを無言で差し出した。疑問を感じる間もなく渇いた体が思わず受け取って一気に飲み干した。
「あ、ありがとうございます。申し訳ございませんでした」
「ん……」
とりあえず礼を言って、勢いをそがれて取って付けたように謝ると、キシリアが鷹揚に頷いた。
「この償いはどのようにしても……っ」
キシリアの反応が薄いのは怒っているからだと思い込み、青ざめて頭を下げたマ・クベに、キシリアがひらひらと手を振って制した。
「よい」
「は?」
何時ものキシリアならば、ここで帰っていないほうが奇跡に近い。この場で水をかけられても、平手打ちされても甘んじて受けるつもりだったが、まさかよいと言われるとは思わなかったのでかえって戸惑う。
「そなた、ここまで走ってきたのだろう?」
キシリアの声に、水をかけられるよりも激しいショックを受けた。
な、な、何故それを!? と狼狽するマ・クベの顔を面白そうにキシリアが眺めている。
「洒落者でものぐさなお前がまさか走ってくるとはな。楽しめたぞ」
貴族的な優雅さを好み、無駄に体を動かすなどと、頭の使えない人間が仕方なくすることだと言っていた男が、まさか走って来るとは思わなかった。
もちろんそれと体を鍛える事とは別で、いざとなれば充分体力があることを今回証明したわけだが。
必死な顔で息を切らし汗をかいて、みっともなく膝をがくがく震わせるなんて、マ・クベのスマートな美意識とは対極にあるはずだった。
「これはみっともない所をお見せいたしました」
ガラスごしに下の夜景が見える作りになっていることにすぐに気がつき、内心頭を抱えた。己の美意識に反して無様に走っているところなど見られたくは無かった。しかも人の迷惑を顧みることが出来ないほど必死になっている所を。
「よいと申しているだろう。この私を待たせるとはいい度胸だが、待たされてこれほど愉快だったのは初めてだ」
ころころと上機嫌にキシリアが笑った。
たしかに必死になってなりふり構わず走ってくるのはみっともないかもしれないが、そのみっともないほどの必死さで、コートを翻して鮮やかに人の間を縫うのは案外格好よかった。キシリアが惚れ直すくらいには。
「か、からかうのはお止めください」
よっぽど気恥ずかしかったのか、マ・クベが珍しく赤面して、話題をそらそうとコートのポケットを探った。
「あ……」
空を掴む手に思わず絶望の声を上げる。あ……もなにも、そういえば最初からそこには何も入ってない事を思い出した。
「どうした?」
マ・クベの不審な様子に声をかけたキシリアに、マ・クベががっくりと肩を落として言った。
「お渡しするはずのプレゼントを忘れました……」
「どのような?」
こいつ、どこまで馬鹿なのだ。と思わずまた顔が笑いそうになるのを必死に堪え、平静さを装ってキシリアがまた問うた。
「二連のネックレスです……。さぞかし、お似合いになると思ってたのですが」
揃いのネックレスにブレス、ピアスにリング。自分からの贈り物のそれを身に付けたキシリアはどんなに美しいだろう。とクリスマスが来るずっと前から夢想してきたので、落胆も激しかった。本当に今日はついていない。二重三重のミスをする不甲斐なさに、穴があったら入りたい気分だった。
「ふふふ、赤と金のか? それならもう貰ったぞ」
うなだれて元気の無いマ・クベを他所に、意味ありげにキシリアが笑った。
「?」
「よく見てみろ」
意味が判らずに怪訝な顔をしていると、キシリアにガラスの外の夜景を指差され、何気なく下を覗いた。
「!!」
下に広がる光景に息を呑んだ。赤と金のネックレス。とキシリアが言ったのも納得がいく。
マ・クベの目に入ったのは、渋滞のために、上り車線の赤いテールライトと、下り車線の金色のヘッドライトが作る長大な二本の光の蛇だった。
もちろん、そのような渋滞を引き起こしたささやかな原因の一つはここに居る。
「美しいな」
キシリアも下を見ながら言った。唇が笑みを形作っている。
雪が降る中を赤と金の沢山の小さな光が連なり、長い道にそって光のネックレスとなる。光の一つ一つは自分勝手に動いているのに、全体に調和がとれた金と赤の光が蛇のようにゆっくりと動く。
渋滞に巻き込まれた罪の無い人々には申し訳ないが、それは本当に美しい眺めだった。
「私のために……だろう?」
からかってくすくすと上機嫌に笑うキシリアに、恐縮してマ・クベが頭を下げる。タイミングのいい事に、前菜が運ばれてきた。待たされてすっかり空腹のキシリアが、優雅に座れとマ・クベを促す。
もうすぐ、上官思いの部下達がマ・クベの忘れ物を届けに来るだろう。
楽しいクリスマス・イブは今からでも遅くは無い。
ENDE
注:挿絵は、キシリア様スレ保管庫さんより、絵師様の転載許可を頂いてつけたものです。
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