◆Promise◆
「キャスバル、皆と遊ばないの?」
キラキラと明るい光に包まれた広い庭に子供の無邪気な声が響く。楽しそうに遊んでいる他の子達と離れて、一人芝生の上で俯いているキャスバルに声がかけられた。
「…………」
見上げると、四つ上のキシリアがキャスバルを見下ろして微笑んでいる。爽やかな風に、キシリアの長い髪とリボンがふわりと揺れた。光を背にした活発な笑顔は眩しかったが、キャスバルはその声には答えずに、キシリアの顔を見上げてもすぐ俯いてしまう。
「どうしたの?」
俯いてしまったキャスバルに、キシリアがしゃがんで目線を合わせた。もう一度そう優しく問い掛ける。
「……なんでもないよ」
「なんでもないという顔じゃないでしょう? いつもお喋りなあなたがそんな顔してるの、変じゃなくって?」
それでもかたくなな態度を取るキャスバルにそう言うと、少し考えるように眉根を寄せた。
「ガルマかドズルが貴方になにかした?」
乱暴な兄か我侭な弟が問題を起こす事は十分考えられるという結論に達したのか、今度は少し険しい顔でそう尋ねた。
「ううん」
さすがに濡れ衣を着せられたドズルとガルマに悪くて、少しだけキャスバルが態度を崩した。俯いたまま首を振る。
「では、なあに?」
キャスバルの目を覗き込むキシリアの瞳に逆らえなくて、しぶしぶ理由を口に出す。
「……死んじゃったんだ。僕の犬」
そのまま拗ねたように口をつぐむ。
「まあ……」
キャスバルの言葉にキシリアが大げさに目を見開いた。拗ねて目を伏せたままぶちぶちと芝生を抜くキャスバルの目に、隣にキシリアが座るのが見えた。なんだか意地を張って目を上げられないから、視界に入るのは白いスカートと赤い靴だけ。
「それで、悲しかったのね?」
お姉さんのキシリアの方が背が高い。キャスバルの頭の上から聞こえてくる声が優しくて、思わず素直に返事をした。
「うん……」
返事をすると、意地を張れずに顔を上げ、キシリアを見た。ようやく顔を上げたキャスバルに、キシリアがにっこりと微笑む。
「大事なお友達だったのね?」
「うん……」
本当は誰かにかまって欲しかった。初めて理解してもらえた嬉しさに、先ほど意地を張っていた事はとうに忘れて溜め込んでいた言葉が勢い良く出てくる。
「なのに、ジンバったら、犬が死んだくらいで泣いちゃだめだって。今度は雑種じゃなくてもっといい犬を買ってあげますって言うから、僕……」
言っているうちに、悔しさと悲しさが込み上げて来た。寝るときも一緒だった友達が死んでしまった悲しみを伝えたかったのに、ジンバはそのような事で男子が泣くなどと……といい顔はしなかったのだ。思わずしゃくりあげそうになるキャスバルの手を、キシリアの手ぎゅっと掴んだ。
「酷い事言うのね」
「え?」
キシリアの真剣な声に、思わず目を丸くする。てっきりジンバのように否定するか、召使達のように適当な事を言って誤魔化すかと思っていたのだ。
「お友達が居なくなったら悲しいに決まっているわ」
まるで自分がそうされたかのように憤慨して力説するキシリアに、キャスバルがすがるような視線を向けた。
「ほんと? 本当にそう思う?」
キャスバルの気持ちを考えない大人の勝手さで、更に深くなった悲しみに共感してくれるキシリアに、何度も確かめるようにそう言う。
「ええ、もちろん。私だって泣くわ」
深く頷き、キシリアがそう言った。キャスバルの悲しみが判るのも勿論だったが、なんとなく、大人の不理解に傷つけられたキャスバルの事を放って置く事が出来ない。キャスバルは、優しいのね。と言うと、キャスバルが何か言いたそうに二、三度口を動かした。
「僕、変じゃないよね?」
おすおすと小さな声でキャスバルがそう言った。「たかが犬が死んだくらいで」という態度を取られた事がよっぽどショックだったのか、恐る恐るそう言うキャスバルを安心させるようにキシリアが力強く頷いた。
「当たり前よ。そんな事を言われたら、私、言い返して喧嘩してやる」
「ええ!? 駄目だよ」
キシリアの過激な発言に、思わずキャスバルが素っ頓狂な声を上げた。
「どうして? お友達の事を悪く言われたら腹が立つわ、私の気持ちをぜんぜん判ってくれないのって、頭に来るわ」
聞き分けが無い訳ではないが、誤魔化しが効かない子だと回りの大人にいわれているキシリアなら本当にそうしかねない。
「でも、喧嘩はだめだよ……。キシリア姉さんは女の子なんだし」
「そう? キャスバルって案外お上品なのね」
今度はキャスバルがキシリアを宥めるようにそう言うと、ちらりとキャスバルを見てキシリアが済ましてそう言った。本当は、内心で「『女の子だから』なんていうなんて、キャスバルも頭が固いのね」と思っている事などおくびにも出さない。
「こいつはとんでもない女だぞ、キャスバル」
突然大きな声で話しかけられて驚いて二人で声のした方向を振り返る。からかってやろうというオーラ出しながら、ドズルがニヤニヤして二人を見ている。
「え?」
キャスバルが無邪気に聞き返すと、ドズルがにやーっと笑った。
「こいつ、お前の前では猫被ってるんだ。騙されるなよ!」
普段へこまされているキシリアに逆襲するいい機会だと思っているらしく、大声でそう言った。後でどんな目にあわされるかを全く考えていないのがドズルらしい。
「兄様! 変な事言わないであっちへ行って!」
キシリアが怒りと恥ずかしさで真っ赤になってドズルに叫び返した。
「怖い怖い! おまえたちがこそこそ話してるから気になったんじゃねぇか」
からかうようにそうおどけて言うと、がははと笑いながら心配そうに見ているガルマとシンの所へ帰っていく。
「あっち行きなさいったら!」
本当は走っていってビンタの二、三発でも食らわしてやりたかったが、キャスバルの前でそれは一応止めておいた。今はキャスバルの側を離れたくない。
「男の子って、そうしてあんなにバカで乱暴で子供なのかしら? ドズル兄様のポケットの中には蛇の抜け殻とか入っているのよ、信じられない!」
唇を尖らせてそう言うと、二人のやり取りにあっけに取られているキャスバルを見て、フォローするかようにお済まし顔を作る。
「あ、キャスバルは別よ。キャスバルはとっても綺麗」
「う、うん」
なんだかまだ納得しかねる事がありそうな様子だったが、一応キャスバルは頷いた。
「まだ悲しい?」
辺りに沢山咲いているシロツメクサやレンゲを手を伸ばして摘みながら、キシリアがそう言った。
「うん」
小さくキャスバルが返す。
「じゃあ、側に居てあげる。貴方の隣で、お花を編んでいるから」
キャスバルの瞳を覗き込んで、とても綺麗ににっこりと微笑んだ。
「少しだけ元気になったら、私に笑ってね?」
ピンク色の唇がきゅっと両端をあげて綺麗な三日月を作った。そう言ってキャスバルに向けてくれたキシリアの笑顔に、どきんと心臓が脈打つのをキャスバルは感じた。なんだか恥ずかしくてキシリアの顔が見られない。心地いいような、くすぐったいような気持ちで胸がどきどきした。
まるでキャスバルなど居ないように、キシリアは小さく歌を歌いながらシロツメクサを摘んでは小さな手で編んで行く。キャスバルの事を忘れていないのは、ちらっとキシリアを盗み見るたびに目が合ってにっこり微笑んでくれるから判った。
空気のように自然にキャスバルの隣に居てくれる。押し付けがましくなく、必要な時だけ微笑んでくれる。
気持ちがいいな。と思った。
「さあ、出来た」
悲しかった事よりも、キシリアの方が気になってもじもじしていると、急にキシリアがそう言った。キシリアが気になってしょうがない事が判ってしまったかと一瞬ドキッとしたが、キャスバルの内心などお構いなく、にこにこ笑いながら手にした花輪をキャスバルの金色の頭に飾る。
「ほら、とっても綺麗」
女の子みたいで、いやだ。と何時ものキャスバルなら言ったかもしれないが、キシリアに押されてなすがままにされている。キャスバルがキシリアを見上げると、やっぱり優しくにこっと笑ってくれた。
「髪に触ってもいい?」
そう言うので、少し照れくさかったが小さく頷いた。キシリアの手が伸びてきて、そっとキャスバルの金色の糸のような見事な金髪に触れる。髪の中に潜ってきた優しいキシリアの手の感触が心地よい。
「いいな」
「え?」
ぽつりとそう言ったキシリアの声に、キャスバルが思わず聞き返した。
「内緒よ、絶対誰にも言わないで。私、大きくなったら金髪の男の人と結婚して、キャスバルとアルテイシアみたいな金色の髪の綺麗な子供が欲しいの」
きょろきょろと周りを見回し、誰もいないことを確認すると、そっとキャスバルの耳元に囁いた。
「ほら? 私の髪はこんなに赤いでしょう? キャスバルの髪は金色に光ってとっても綺麗だから、羨ましい」
ほうとため息をつきながら、自分の髪の毛を指ですくい上げた。赤い髪がコンプレックスなのか、キシリアが自分の髪の毛を悲しそうに見る。
すくい上げた髪の毛が、風にさらさらとなびいて、キシリアの手から逃げ出した。
キシリア姉さんの髪の毛も綺麗だと思うけどな。とキャスバルは思った。じゃあ僕と結婚すればいいのに。と思って、なんとなく恥ずかしくて慌ててその想像を打ち消した。長い髪に触れてみたい衝動が押さえられなくて、おずおずと手を伸ばす。キシリアは嫌がらなかった。
触れてみた髪は艶やかで美しく、指の間を滑る感触が少しくすぐったい。「姉さんの髪も綺麗だよ」と何故か言いたいのに言い出せなくて、何度もキシリアの髪に触れる事でそう伝えようとした。
「お父様がね、キシリアは誰と結婚させようって冗談を良く仰るの。そう言うとガルマがとっても怒るものだから、面白がってよく仰るんだけど……」
キャスバルの小さな手の感触に、少しくすぐったそうな表情をしながら、キシリアがそう言った。急なキシリアの言葉に、「え?」という表情をすると、その顔が可笑しかったのかくすりと小さく笑った。
「私、何時もは絶対に嫌って言うの。でも、昨日ね、『キシリアはキャスバルと結婚させよう』って仰ったから、私、『はい』って言ったわ」
少しはにかみながら、それでもはっきりとキシリアはそう言った。
「キャスバルなら、良いなって思ったの」
恥ずかしいのか、小さな声でそう囁いた。
「キャスバルが嫌だったらいいのだけど」
心配そうにそう呟くと、慌てて付け加える。
「……あ、気にしないでね。私がそう思っているだけだから」
「嫌じゃないよ」
キシリアが言い終わるより先に、キャスバルがそう答えた。
「僕も、姉さんだったら、いい」
きっぱりとそう言うとキシリアの顔を見上げた。先ほどまでのもじもじした態度が嘘のように男の子らしい。さっきのどきどきした感じが行き先を見つけたようでなんだか嬉しかった。
「本当?」
キシリアが真剣な目をしてキャスバルにそう言うと、キャスバルが大きく頷いた。
「嬉しい」
目を伏せ、はにかむように俯いて微笑んだキシリアを見ると、またなんだか胸がきゅんとする。
「あ、だから」
ふと思い出してキャスバルがそう言った。
「え?」
「ガルマが口をきいてくれなかったんだ」
キシリアが聞き返すと、キャスバルが先ほどガルマにされた事を思い出してそう言う。いつもは仲のいいガルマが、今日はキャスバルが話し掛けてもぷんと拗ねた顔で向こうへ行ってしまったのは、キシリアとデギン、ガルマの間でそんな会話があったからだと納得した。
「ええ! ガルマったら貴方にそんな事をしたの? 待っていて、すぐにガルマを連れてきて貴方に謝らせるから!」
キャスバルの言葉に、キシリアが慌てて立ち上がりかけた。
「やだ、行かないで! 一緒に居てくれるって言ったよ!!」
キシリアが居なくなってしまう! そう思った瞬間にキャスバルは叫ぶ。小さな手でキシリアのスカートの端をぎゅっと掴み、すがるような目でキシリアを見上げる。
「キャスバル?」
キャスバルの様子に驚いて、キシリアが今にも泣きそうなキャスバルの顔と、スカートの裾を掴んで離そうとしない手を交互に見た。まさか、キャスバルがここまで嫌がるとは思っていなかったのだ。
「だって、折角、キシリア姉さんが僕と一緒に居てくれるのに……。いつもガルマばっかり、ずるいよ」
いつもはやんちゃなキャスバルが泣きそうな顔をしてそう言った。ぎゅっとスカートの裾を掴む手に力が篭る。
その手に自分の手を重ね、優しく微笑むと、すとんとキシリアがキャスバルの隣に座りなおした。キャスバルの顔がぱっと明るくなる。
「ねえキャスバル、口を開けて」
秘密めかしてそうキシリアが囁いた。
「?」
キシリアが何をしたいのか判らなくて、キャスバルが首をかしげていると、キシリアがスカートのポケットから小さな物を取り出した。
「キャスバルは、私の旦那様になってくれる人だから」
そう言いながら、スカートのポケットから出したもの、キャンディの綺麗な包み紙を開ける、甘くいい匂いのする薄いグリーンのキャンディを小さな指で摘み上げた。
「だから、キャスバルにだけ、特別優しくしてあげる」
キャスバルの目を見ながら、キシリアが微笑んだ。思わず見惚れているキャスバルの少し空いた桜色の唇の隙間に、キシリアが人差し指でグリーンのキャンディを滑り込ませた、
「美味しい?」
口の中に広がる、ペパーミントの味。
「うん……、とっても甘い」
キシリアから目が離せずに、キャスバルがそう言った。本当はキャンディの味どころじゃなくて、なにか胸がどきどきしていたけれど、ぺパーミント味の甘さが胸のどきどきまでも痺れるような甘さに変える。
「ガルマには内緒よ? 誰にも言っては駄目。私とキャスバルだけの秘密」
キャスバルの小さな耳に、ひそひそとキシリアが囁いた。「秘密」と言う言葉にキャンディが一層甘く感じられる。
胸が一杯になって、押さえきれない衝動にキャスバルが身を伸ばした。自分の背丈より上にあるキシリアの唇に素早く口付ける。
触れるだけの幼いキスだったが、ちゅっと可愛い音がして、まさかもじもじしていたキャスバルがそんな事をするとは夢にも思わずキシリアの目が驚きで丸く見開かれた。「キャスバル、いやだ! あなたおませさんね」
顔を真っ赤にして、キシリアがそう言った。恥ずかしくて俯いているキシリアを見て、キャスバルがかわいいなぁと思う。
「だって、結婚するんだからいいでしょ?」
すっかりいつもの悪戯っ子の目でキャスバルがそう言い、俯いているキシリアの顔を覗き込んだ。キシリアがキャスバルの目を見ると、またキャスバルがさっと動いてキシリアのキスを奪う。
両手で唇を抑え、恥ずかしくて泣きそうな顔をしているキシリアの事がとても可愛い。
四つ上のお姉さんで、いつも子供扱いされていたのに、今はキシリアの事をぎゅーっと抱きしめてあげたいなと思う。先ほどの不満顔が嘘のように満足そうににこにこ微笑んでいる。
キシリアが恥ずかしがって伏せていた目をそうっとキャスバルに向ける。キャスバルがあんまり無邪気に笑うものだがら、キシリアもつられて笑みがこぼれた。
そっと手を伸ばし、キャスバルの手を握る。
キシリアが、キャスバルの手をぎゅっと握りながら恥らうように俯いて囁いた。
「約束を、覚えていてね」
ENDE
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