◆Orange Wind◆ 







視線を新聞に向けて余所見をしたまま、ナミの細い指が器用にみかんの皮をつるりとむく。そのまま新聞を読みながらみかんのふさを器用に片手で分けて、口元に運ぶ。

 その白い指と流れるような手つきに見とれながら、ゾロがナミに話しかけた。

「お前、またみかん食ってるのか?」

 ゾロの言葉にナミが不思議そうな奇妙な顔をしてゾロを見上げる。
「…………」
「どうした? マズイのか?」

 ゾロの言葉に、口元を緩めてナミがかすかに笑う。マズイからなんて単純に直結するゾロの言葉もおかしかったけれど、それ以上にゾロに対する好意がナミの口元をほころばせた。

「そういえば……、私、なんでみかんばっかり食べてるんだろう?」

 ナミが新聞を読んでいたテーブルに軽く腰掛けているゾロをからかうように見上げる。大きな黒い瞳に吸いこまれそうな錯覚を覚えながら、ゾロは椅子に座ってひじをついてるナミを見下ろした。

「は? おかしなヤツだな」
「みかん見たら、つい食べちゃうのよね。ちっちゃい頃からみかんばっかり食べてきたからかしら?」

 両手を頭の後ろで組み、行儀悪く椅子を傾けながらナミが言う。ナミには不思議と行儀の悪さも魅力にする力があった。一見小悪魔のように振舞っても、時折見せる笑みがびっくりするほど純粋で、そのギャップがゾロは好きだった。どんなに嫌な奴のように振舞っても、天性の愛嬌で許せてしまう。

「フフフ、みかんにはあんまり良い思い出が無いわ。でも好きなの、不思議ね。ちっちゃい頃いやってほど食べさせられたのに。でも、みかんなんか見たくないと思ってもつい食べちゃうの」

 ナミがゾロの目を小首をかしげて見上げながら、みかんの房を人差し指でゾロの口の中に押しこむ。

 みかんには良い思い出が無い。というナミの言葉に、ナミの辛い思い出がにじむ。

 大好きな人を奪われ、大切な人の命を盾にするようなやつらに従わなければならない屈辱。殺してやりたいほど憎いやつらのために働かなければいけない血の出るような苦しみ、もどかしさを笑って良い思い出が無いという一言で我慢しようとするナミをゾロは抱きしめてやりたいという強烈な欲求に襲われた。だが、不器用な自分では、こんな時どう言葉をかけて良いのか判らない。

「嫌な……思い出ばかりって訳でもないんだろ?」

 ありきたりな事しか言えない自分に苛立ったが、無性に今までのナミの人生が辛い事だけだったなんて思うのは嫌だった。ナミを見守っていた村の人の思いや、ベルメールとすごした幼い時の思い出など、幸せな時もあったはずだ。それを忘れて欲しくなかった。

 そして、自分勝手だと思うがナミが辛い思いばかりしてきたなんて思いたくなかった。

 ナミには幸せであって欲しい、ナミにはいつも笑っていて欲しい。

「……そうね、嫌な思い出ばかりでもないわ。みかんには嫌な事も、楽しかった事も沢山詰まってる」

 ナミが、その言葉に少し遠い目をして窓の外の海を見た。嫌な思い出ばかりではない。というゾロの言葉が、楽しかった幼い時を思い起こさせる。

 嫌なことだけじゃない。ベルメールさんやノジコと出会った事が、私にとってはかけがえの無い幸せだわ。と心の中で呟き、気がつかせてくれたゾロに感謝する。ゾロの言葉は、不器用ではあったが、いつもナミに大切な事を気づかせてくれた。

「それに、どんなに辛くても忘れられないわ」

 目の前で大切な人を奪われた痛み、笑いたくなくても笑わなければならない屈辱。
 ベルメールさんの思い、ノジコの思い、見守ってくれた村の人たちの思い。大切な人たちのやさしい気持ち。楽しい事も、辛い事も、すべてを受け入れて今のナミがある。

「辛かろうがなんだろうがお前が忘れられねぇんなら、それがお前にとって譲れないもんなんだからなんだろうさ。お前はあの魚人の野郎どもに支配されてたかもしれねぇ。だがその気持ちはお前のもんだ」

 ゾロがまっすぐにナミを見て言った。お前は魚人に心まで売ったわけじゃない。そう言ってくれる何事にも屈しない気高くて強い瞳。その瞳の中に自分の姿が小さく映っている。まるで、ゾロの中にちいさな自分がいるみたいだ。

「ゾロ……」

 その強くて、優しい瞳にナミが魅かれる。ゾロの瞳に自分が映ると、どきどきする。瞳に映ってる自分が、そのままゾロの心の中に住んでしまえば良いと思う。その瞳に自分が焼きついて、他の誰も見えなくなるといいと思う。

「誰にも支配も命令もされてねェお前の本当の気持ちだ。だから忘れられないんだろうさ」

 ゾロが笑ってナミの頭を優しくぽんぽんとたたいた。ゾロのあたたかくて大きな掌。優しくて大きくて強い。暖かいゾロの優しさが、ぬくもりとなってナミにの中に染み渡っていく。ゾロの前では照れくさくて正直になれないけど、ゾロの前では優しくなれる自分に気がつき始めていた。

「あんたはまっすぐだわ」
 ナミがそう言ってゾロを見た。ゾロはまっすぐで、強くて、大きくて、暖かい。ゾロの優しさが嬉しかった。ずっと今まで一人でやって行けると思っていたし、実際なんでも一人でこなしていた。他人なんか必要無いと思ってたし、いらないと思ってた。仲間なんか邪魔で足でまといだと言い聞かせてきた。

 でも、ゾロは別。

 ゾロはナミがどんなにそう思おうとしても、心の中に入りこんでくる。もっと、もっとゾロに優しくして欲しい。もっとゾロのことが欲しい。我慢しようとすればするほど、その思いは大きくなってゆく。

「あん?」

 突然のナミの言葉に、ゾロが怪訝な顔をする。

「ただし、バカがつくほどね」

 その顔を見て、ナミがそう言ってくすりと笑った。

 馬鹿みたいに前しか見ていない男。どんなに傷ついてもけして道を曲げようとはしない男。

 最初はそんな生きかたをバカにしていた。そんなのは賢くないことだわ。と思いこもうとした。だが、心のそこでは憧れていた。まっすぐな強さに憧れて、いつしか気がつけばゾロの姿を目で追っている。

「一億ベリーで村を買おうなんて事してた女にバカなんて言われたくねぇな……」

 ゾロが小声でそう言うのを、ナミが完璧に無視する。逆にわざと呆れた声を出して、大げさに「あきれた」というジェスチャーで肩を竦めて見せた。

「ほんとバカよね〜〜。世界一の大剣豪になるとかなんとか夢見たいな事言ってさ〜」

 「無視かよ……」と思ってるに違いないゾロにそう言ってからかった後、ふと、ナミの瞳が真剣な光を帯びてゾロを見つめた。

「でも……、この世のすごい事は全部アンタみたいなバカが夢見てはかなえてきた事なんだわ。私は知ってる。ベルメールさんが教えてくれた。他人に馬鹿にされようがなんだろうが、私は私の夢をかなえる。そのためにはどんな事をしても生きてやるの。あんたも同じでしょ?」

 ベルメールさんは、命をかけて私達を肯定してくれた。戦場で捨てられて行き場の無い私達の心を救ってくれた。あの時嘘をついたら、ベルメールさんは助かったかもしれない。

 でも、でもベルメールさんは私達を裏切らなかった。その為にベルメールさんは死んでしまって、死んでしまってはどうにもならないとも思うけど、でも、でも、大切なものの為に生きる事を教えてくれた。譲れないものの為に命をかける生きかたを教えてくれた。

 ゾロのまっすぐな生き方は、ベルメールさんを思い出させる。ベルメールさんのようなまっすぐな強さをゾロは持ってる。

 あんたはまっすぐで強いわ、ゾロ。ベルメールさんみたいに。

 私もあんたのように強くなれるかしら?

 ナミがそう思ってゾロをまぶしいものでも見るみたいに、少し目を細めて見た。

「他人なんか関係ねぇ。俺は世界一の大剣豪になるっつったらなるんだよ」
 きっぱりとゾロがそう言い切った。なれないかもしれない。なんて迷いはゾロにはない。他人がどう言おうと、どんなに道が困難だろうと、己を信じて進んで行くのみ。

「あはは、そこがバカだって言ってんの! ……でも好きだわ。アンタのそのまっすぐな所」

 何度ゾロのまっすぐなバカ正直さにつけこんでひどい事したか知れないし、騙したかも判らない。

 でも、あんたなら大丈夫だと思ったの。そして、やっぱり貴方は私を助けてくれた。
ナミがそう心の中で呟く。

 嘘も小細工もハンデも何もかもゾロはまっすぐに打ち砕く。

「アンタの目は惑わされずにまっすぐ前を見てる。私とは違うわ。私は惑わされてばかり」

 一瞬、誰にも見せたことの無い儚くてもろい、子供のような目をしてナミがゾロを見た。誰にも負担をかけたくない、同情されるなんて真っ平だと気丈に振舞う裏で、ナミはその細い体で精一杯頑張ってる。その気丈さとけなげさがゾロにはたまらなく愛しく思えた。

 俺はお前を支えてやりたい。迷惑かけたくないなんて他人行儀な事思われたくない。俺はナミの特別になりたい。そのためにはどうしてやれば良いのだろう?

 そう思うと自分がただ強さだけでは解決できない問題の迷路にはまってしまった事に気がつく。

「違うだろ?」

「え?」

 どうして良いかなんてやっぱりわからねェ。俺の気持ちをナミに正直に伝える事しかできねェし、上手い言葉なんかもみつかんねェ。ただ、俺がナミの苦労を知ってる、俺がナミが頑張った事を知ってるという事をナミに伝えたい。俺の言葉で少しでもナミが楽になったら良い。

 ゾロがそう思って、不器用な自分に舌打ちしながら、必死に言葉を探す。

「お前も俺と同じだ。お前の目もまっすぐ前を見てる。ただな、お前は優しすぎるんだ。お前はたくさんの人をなんとかしてェと思ったから考える事が多かったんだよ」

 ナミは沢山のものを背負ってる。俺は一人だから無茶出来るが、ナミは皆の事を考えなくっちゃならねェ。向こうを守ろうとすれば、こっちが傷つく。相手に負担をかけたくないと黙っていれば、誤解されて嫌われる。

 そんな立場で、いつも自分が一番傷ついているナミをいたわってやりたかった。でもヘタな同情なんて入らないと言われたらやっぱりどうして良いかわかんねェな。と、そう少し不安になりながらナミにそう言うと、ナミは呆れたような顔でゾロを見ている。

「……あんた、よく私の事『優しい』なんて言えるわね」

「あ? 優しいじゃねえか?」

 真顔でそう言うゾロに、ナミが心底呆れたような、もういっそのこと感心しているような表情で言い返す。本当は少しうれしかったけど、やっぱり少し照れくさい。こんな時素直になれない自分が疎ましいが、これが自分なんだからしょうがない。

「……よくそういう事真顔で言えるわね! アーロンパークで私にあれだけ酷い目にあわされてさ!」

 小バカにしたような表情でゾロにそう言うけど、これ以上ゾロに優しい言葉をかけてもらうのが少し怖かった。私はそんな弱い女でも乙女でもないわ! と思っても、これ以上ゾロに優しい言葉をかけてもらったら、自分がもう後戻り出来無くなるほどゾロのことが好きになってしまうに決まってる。

 でも、もう手遅れかしら……?

 そう思ってるナミの心を知ってか知らずか、相変わらずのマイペースでゾロが肩を竦めてナミに言って見せた。

「……別にどうって事無いだろ? あれは。判ってるよ、お前、村の人も傷つけたくなかったし、俺達を巻き込むのも嫌だったんだろ?」

 ナミがなんで騒いでるのか判らなくて、きょとんとした顔でゾロが言う。いろんなところで酷い目に会わされて、この野郎とも思ったが、今はもうすっかり納得している。

 何度酷い目に会わされてもナミの事をちっとも嫌いになんてなれなかったのだ。村の為に……、なんてけなげな理由だけじゃなくって、ナミはそういうやつだ。と言う事もちゃんと判ってる。そんな所もゾロは好きなのだ。

「お前ぐらい優しいやつはいねェよ。頑張ったな」

 他人から見たら、惚れた弱みとしか思えないほどのバカぶりでゾロは真顔で言って見せた。ナミがどんなに悪ぶっても、ゾロにはかないそうにない。

「…………」

 不覚にも涙が出そうになるのをナミがぐっとこらえた。涙なんか見せるもんか、そんなのナミさんじゃない! と思って歯を食いしばるが、本当に、本当に涙が出るほど嬉しかった。ゾロは判ってくれてる。そう思うとたまらなく涙が出そうになる。

 自分がしてる事を、ご大層にひけらかすなんて嫌だった。自分で選んだ道だから、誤解されて嫌われても良いと思った。誉めて欲しいとも、恩に着て欲しいとも思ってなんかいない。でも、心の底から笑えない苦しさを判ってくれる人がここに居る。「頑張ったな」と言ってくれる人がここにいる。

 あんたが好きだわ、ゾロ。

 もう後戻りなんて出来ない。ほんとに、なんて事してくれたのよ!

 涙をこらえて変な顔になってしまいそうだから、そんな顔を見られるのは絶対嫌だから。ゾロが反応するまもなくナミが素早くゾロの頬を両手で挟み、何事かと驚いている呆れるほど無用心なゾロの唇を奪った。

 柔らかいナミの唇の感触と、突然のナミの顔のアップにゾロの目が驚いて大きく見開かれる。

「!」

「ばーか、ふざけた事言ってるからよ。あんたのキスを盗んでやったわ。これに懲りたら二度と私は優しいなんてバカな事言わな……」

 変な顔にさせようとした仕返し、私の心に住みついてしまった仕返し。

 これからはもうゾロなしでは生きていけない気さえする。私をこんな風にしてしまった事を後悔すれば良いんだわ。恨むんなら自分の無用心さと私の心に勝手にずかずか入ってきた無遠慮を恨むのね! とそう思いながらバカにしたように肩を竦めて言おうとしたナミの細い肩がいきなりゾロの大きな手でがっしりとつかまれる。いきなりの行為と、ゾロの迫力におもわず殴られでもするのかとナミが一瞬怯えてぎゅっと目をつぶった。

「キャッ!! んッ!」

 目を閉じていたから見えなかったけど、触れてきたのはゾロの唇。さっきの軽いキスとはちがい、ゾロがナミにむさぼるように深く口付ける。熱くて、野蛮で、荒々しいゾロのキス。息も出来ないほど長く口付けられ、ナミが苦しくて少し身をよじると、やっと許して唇を離した。

「これでおあいこだ」

 そう言ってゾロがニヤリと笑う。それは闘っている時の不敵な笑みとよく似ていた。ゾロの宣戦布告に気の強いナミの闘争心がめらめらと燃えあがる。

 ようし、そっちがその気ならやってやろうじゃないの。

 そう思って、不敵な笑みを浮かべているゾロを負けじと睨みつける。

「やってやろうじゃないの。私をその気にさせたのはあんたのせいよ、ゾロ。責任は取ってもらうわ。私は高いから覚悟しておくのね」

「それはこっちのセリフだ。俺は負けねェ、誰にもな」

 そう言いあうと、お互いの目を見て合わせた様に吹き出した。二人だけにしか判らない理由で、いつまでもクスクス笑ってる二人を、ベルメールさんのみかんが優しく見守っている。

 これからはもう一人じゃない。嫌な事も楽しい事も、分かり合える特別なお互いでたくさん体験していきたいと思う。


 嫌な事は二人で分け合って半分に、楽しい事は二人分に。

 みかんに詰まった思い出よりも、もっと、もっと多く。

                             
ENDE

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