「バッファローマンがあんたに何を言ったかは知ってる」

 ブロッケンJrがまっすぐにラーメンマンを見ながらそう言った。

 昼間、バッファローマンとラーメンマンが話をしたことをバッファローマンから伝えられている。

「次はお前の番だ」

そう言われ、唇を噛んだ。だが、彼は逃げる事無く決着をつけに来たのだ。

その言葉を聞いたラーメンマンの眉が少しだけ上がる。

「それで、ブロッケン、君はどうしたいんだ?」

「俺は……」

ラーメンマンから問われ、ブロッケンJrが少しだけ言いよどんだ。

「俺は、ラーメンマンが良いと言うんなら、それで良いとバッファローマンに言った」

「つまり……、お前はバッファローマンの事が好きなのか? 彼の望むようにしても良いと思っているのか?」

 ラーメンマンが許可するのなら、バファローマンに抱かれる。

 そういう意味の事を言ったブロッケンJrの言葉に、ラーメンマンが少し顔を顰めた。

「ああ……、かまわないと思ってた。だけど、あんたがやめろと言うなら、俺は……」

 言いにくそうにブロッケンJrが俯いた。

「どういう意味だ?」

「あんたが嫌だと言うのなら、俺はあいつには抱かれない」

 ラーメンマンの疑惑が益々大きくなった。それを知らず、ブロッケンJrが顔を上げてはっきりと言う。

「ブロッケン、それは違う。それは自分で決める事だ。私の意見に左右されるべき事ではない」

 未だに自分の問題を他人に決めてもらおうと思っているのなら、それは逃げだ。何のためにここへ来たのか判らない。それを諭そうとしたラーメンマンの言葉の後、ブロッケンJrが叫んだ。

「違わない! 俺は、あんたに止めろと言って欲しいんだ。『あいつに抱かれるな』」って言って欲しいんだよ」

「ブロッケン、それは……」

「あんた、気が付いてたんだろう? 俺があんたをどう思ってるのか? なのに、あんたは何も言わない。あんたは俺がほかの男に抱かれても平気なのか? ヒデェよ……あんた」

 言いかけたラーメンマンの言葉を無視してブロッケンJrが続けた。勢いで言ってしまわないとどうにかなってしまいそうだった。

 バッファローマンに抱かれたくないのではない、逆に抱かれたいのだ。だが、ラーメンマンにはそれを止めて欲しい。自分勝手な思いだが、それがブロッケンJrの正直な気持ちだった。

 それが勝手な事など承知している。でも言わずにはいられない。どうしていいか判らない。

「酷いのは、どっちだ?」

 一瞬の沈黙の後、ラーメンマンが静かな声でそう言った。

「ガキだと思って甘やかしていたら私の心をもてあそんだのは? 私が平気だったとでも?」

 ドキッとした。

「私は君が思ってるほど大人でも忍耐強くもないぞ」

「じゃぁ、あんたは俺を抱いてくれるのか?」

 そうブロッケンJrが問い掛けると、ラーメンマンの表情が険しくなった。

「……駄目だ」

「なぜ!?」

「私は、お前を駄目にする。お前は勘違いしているんだ。お前が私に求めているものを私は与えてやれない」

 お互いに求めているはずなのに拒絶されて、ブロッケンJrが泣きそうな顔になった。必死に訳を知りたがるブロッケンJrに、諭すようにラーメンマンがそう言う。

「お前は私を慕ってくれている。それは私も嬉しく思う。だが、お前は『父親』の愛情と『恋人』の愛情を混同している。私はお前の父のまま恋人としての愛情を与えるわけにはいかない」

 ブロッケンJrが無言でラーメンマンの顔を見た。ラーメンマンは言葉を続ける。

「お前は私に甘えているのだよ。お前が私に求めているものは、お前が傷付くことなく与えられる愛情だ。父としてなら、私はいくらでもそうしてやろう。だが、お前が本当に欲しいものは違う。それは、お前が一方的に与えられるものではない。もう一人の対等な相手と、与え合うものだ。お前は傷付く事を恐れている、だから、私の所に来た」

 ブロッケンJrが耐え切れぬように呻き声をあげ、手で目を覆った。

「ブロッケン、おまえ、怖いのだろう? バッファローマンが。いや、愛される事や、愛す事が」

 ラーメンマンがそう言い、ブロッケンJrの顔をじっと見た。何もかも見透かすようなラーメンマンの瞳が、ブロッケンJrの心の中までも射通すようだった。

「君の父親は、お前にもっといろいろな大切な事を伝える前に私が奪ってしまった。君の父の代わりに、私が君にできる事なら何でもしよう、だが、これは駄目だ」

「俺は償って欲しいんじゃない。俺はあんたを縛りたいんじゃない。哀れみの愛情なんかいらねぇ!」

「だからだ、ブロッケン! 私はお前に応えてやれない。私がどんなに、お前を思ってもだ」

 気持ちを吐き出すようにそう言ったブロッケンJrに、負けじとラーメンマンも叫んだ。普段冷静なラーメンマンが声を荒げるのを見て。ブロッケンJrが絶句する。

「ラーメンマン……」

「逆だよブロッケン、我慢しているのは、私だ」

 そう言って、ラーメンマンが少し悲しげな微笑を浮かべた。ラーメンマンは大人すぎるのだ。

「すまねぇ、ラーメンマン、俺……。バカは俺だ。バカでガキで、何も判ってねぇ」

 苦しんでいるのは自分だけではない。当たり前だ。ラーメンマンも苦しい事になぜ気が付かなかったのか。

 やっぱり俺はガキだ。ほんとうに、どうしようもない位、ガキだ。

 情けなくて涙が出てきそうだった。

「俺は、あんたにも、バッファローマンにも、申し訳ねぇ。本当に、バカだ」

 自分が不甲斐なくて、悔し泣きするのを隠そうとしない。その正直さと素直さをラーメンマンは眩しく見つめた。

「お前にそれを与えてやれるのは、判るな? ブロッケン、君の心に聞くといい」

 静かな声でそう言った。身を切るような想いだったが、出た言葉は自分でも驚くほど穏やかだった。

「バッファローマンは、全て知っている。君が何を思ってあんな事を言ったのかも、今夜君がここに来る事も。それでも君を待っている。君が気づくのを……待っている」

 そう言って微笑んだ。なによりも大切なものを他の男の手にゆだねる役目を担いながら。

 私は彼の父だ。その誇りと責任感、そしてブロッケンJrへの愛情だけがラーメンマンを突き動かした。自分の事よりも他人の方を大事に思えるその高潔な精神がそう言わしめた。

「俺、行くよ。ラーメンマン」

 照れくさそうに涙を拭い、決意したようにブロッケンJrがそう言った。その表情に最早迷いは無い。

 ラーメンマンが言う通りだと思った、傷つきたくないくせに愛情が欲しい。そんな身勝手な思いを、ラーメンマンもバッファローマンも呆れもせず諭してくれた。 

甘えを取り去って、成長するため、自分の心に正直になるため、ブロッケンJrは決める。

バッファローマンとラーメンマン、今はまだ答えは出ない。だが、自分がいつかもっと成長したら答えが出るのではないかと思う。 

「ああ、行くといい。君を待ってる人のところへ」

 穏やかなラーメンマンの表情が、ブロッケンJrの心に焼きつく。

「……すまねぇ」

「謝る必要は無い。私は君を迎えに行くよ。必ず」

小さく呟いたブロッケンJrに、ラーメンマンは微笑んだ。

その微笑を見て、ラーメンマンの唇に、すばやい動きでブロッケンJrが口付けた。

「これだけは、受け取ってくれ」

 最後にそれだけ言うと、ブロッケンJrが悪戯っぽい顔でにやっと微笑んだ。

 軽く触れるだけのキス。謝罪の証なのか、約束の証なのか。

「全く……。困ったやつだ。言われずとも君の全てを奪いに行くよ」

 ラーメンマンが苦笑し、そう言ってまた穏やかな顔で微笑んだ。





 ラーメンマンの部屋に軽いノックの音が響いた。もう、夜というよりは朝に近い。

「寝てないのか?」

 来客は予想していた通りの男だった。そう声をかけられたが、ブロッケンJrが他の男に抱かれているというのに眠れるはずも無く、老酒をちびりちびりと舐めながら、いろいろな事に思いを馳せていた。

「当然だろう」

 招き入れられ、のっそりと部屋に入ってきたバッファローマンにそう言う。バッファローマンとてそんな事は判っているのだろうが、なんと声をかけていいのか判らなかったのだろう。

「ブロッケンJrはどうした?」

「まだ部屋で寝てる。起きる前に帰らないと機嫌悪くするな、へへ」

 惚気られ、一瞬殴ってやろうかと思ったが、かろうじて自制した。奴もやっと想いが叶ったのだ。友人としてそれくらいは許してやる。

「あー、その、なんだ……」

 言いにくそうに口篭もったバッファローマンを細い目でじろりと見た。

「別に何も言う必要は無い。私は彼をお前に短期間預けているだけだ。自分のものはいずれ取りに行く」

 余計な情けなど無用だと強気なラーメンマンの言葉に、大げさに肩を竦めて言い返す。

「……どうかな? そのころにゃあ俺にメロメロかもしれないぜ」

 バッファローマンがそう言うと、フンと馬鹿にしたように大きく鼻を鳴らした。

「せいぜい努力することだ。私は手ごわいぞ」

大した自信だな……。

バッファローマンが半ば呆れているのを知ってか知らずか、ラーメンマンは老酒をくいっとあおってみせた。

「ありがとな……」

 暫し無言だったが、バッファローマンがそうポツリと呟いた。

「なんだ?」

「あの時、俺にブロッケンを返してくれて」

 問い返すと、バッファローマンがため息をつきながらそう言った。

「実は俺は五分五分だと思ってたんだ。あんたがジュニアを持って行っちまわないかって」

 自信家のバッファローマンらしくない言葉に、ラーメンマンの心中は少し複雑だった。

 誰もが不安で揺れている。

 誰かが誰かを求め、皆が幸せになりたいだけなのに、誰かが傷つく。

「……別に君のためではない」

 そっけなくそう言ったラーメンマンを、バッファローマンがちらっと盗み見た。

「判ってるよ。それでも言いたかったんだよ『ありがとう』ってな」

「……」

 無言でラーメンマンがグラスを差し出した。バッファローマンも無言で受け取り、グラスの中になみなみと注がれた老酒をぐいっと飲み干した。

「ああ、お天道様が昇るなぁ」

 薄暗い夜を払い、神々しい朝日が昇ろうとしているのが窓から見えた。

 闇を駆逐し、明るく輝きだす朝日を見る二人の間に、これまで以上の何かが生まれる。

 生身の感情を剥き出しにして傷つき、傷つけあった。リングの上でのファイトのように、相手に敬意を払い思う存分戦う事が出来たのは、相手が素晴らしい男だったからだ。

 言葉には出さずとも、お互いがそう知っている。

 そしてそのファイトは、始まったばかりなのだ。



ENDE

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