◆オデッサ・クライシス◆
乾いた紙の上をペンが走るさらさらと言う心地よい音が、小さくクラシック音楽をかけている執務室に響く。最後の一枚にサインし終わり、ペンの走る音が止まった。ちらりと壁にかかっているアンティークの時計を見ると、時計の針は十時近くを指している。仕事に没頭しすぎて思わず勤務時間がだいぶ過ぎているのを忘れてしまった。視線をデスクの上に移し、インターフォンを押すと、緊張したウラガンの声が機械越しに聞こえてくる。
「御用でしょうか、閣下?」
何百回と呼び出された事があるはずなのに、ウラガンの声はいつも緊張している。
「帰宅する。遅くまですまなかったな、ウラガン」
「あ、いえ」
簡潔に要件を告げ、遅くなった事をわびた。これが副官の勤めだと、マ・クベが帰るまで、いつまでも自分も帰ろうとしない。それ故、マ・クベとしては、適度な時間に仕事を切り上げなければいけなかった。正直、ウラガンがいるからと言って仕事がはかどる訳でもなく、本当は一人で構わないから、もっと遅くまで仕事をしたいのだがそうもいかない。ひょっとすると、上官の体を気遣ったウラガンの心使いかもしれないが、彼にそんな気の利いたことができるとは思えないので、馬鹿が突くほど真面目な性格のせいであろう。
「ウラガン、いつも言っているが、お前まで私に付き合う必要はないのだぞ?」
「何を仰います! 閣下お一人に重責をお任せするわけには行きません!」
勢い込んで言い張るウラガンに、一人でいいから仕事をさせろとも言えず、明日の指示を簡単にした後スイッチを切る。
書類の束を執務室に来たウラガンに渡し、私室のある住居ブロックへ向かって歩き出す。
ここオデッサは広大な基地だ。鉱山資源を掘り出す現場や、それを精製する工場、輸送する港や、住居、オフィスまで合わせると、一つの都市といってもよかった。そこを任される重圧は並大抵なものではない。心配するのはソリウムやボーキサイトの生産量だけではない。やれ事故がおきました、輸送機が足りませんというところから、兵同士の喧嘩さわぎで軍法会議を開いたりと、ただでさえ忙しい事この上ないのに、何よりも連邦が攻めて来ようとしている今、先の業務に、軍備を固めて警戒する、敵方の情報を探る、残っている資源や貴重な機材を解体して万が一のために全てグラナダへ輸送する……などが加わり、てんてこ舞いの忙しさだった。
猫の手も借りたいほどだったが、今日はここまでで切り上げようと思ったのも、先日の白いモビルスーツ騒ぎがまだマ・クベの中でショックを引きずっているからだった。
よりにもよってキシリア様の前で失態を犯してしまった……。
思い出すだけで目の前が真っ暗になって胃がキリキリと痛み出す。このままでは駄目だと判っているが、ショックが大きすぎて上手い気分転換ができない。
早めに切り上げて、気に入りの壷でも愛でる事にしよう。
そう考えて、疲れた体で自室の前までたどり着く。
「……何をしているのかね、人の部屋の前で」
ゆっくりしたい……というマ・クベの期待は大幅に裏切られた。しかも、良くない方向に。
唯一くつろげる場所であるはずの自室の前で、着替えるのがめんどうくさかったのか、ノーマルスーツを着けたままのガイア、マッシュ、オルテガの黒い三連星がマ・クベの部屋の前で溜まっている。当然汗臭いことこの上なく、しかももう一杯引っ掛けてきたらしく、汗の匂いの中にアルコールの匂いも混ざっている。嫌味にならない程度に、品のいいコロンを愛用している洒落者のマ・クベが不快そうな表情をした。「鍵が開かねぇ」
何をしているのか? と問われ、オルテガが全く悪びれる様子も無く当然のようにマ・クベに答えた。
「当然だろう! 何かね? 君達は開いたらどうするつもりだったのかね? 不法侵入は犯罪だぞ!」
他人に自分の部屋の鍵を勝手に開けられてたまるか! と、あまりの非常識さに当然の怒りを覚えてマ・クベが声を荒げた。三連星がしていた事を思えば、マ・クベがそう言うのも無理は無い。
「まあ、硬い事言うなって!」
マ・クベの抗議はもっともなものだったが、残念ながら相手が常識人で無ければ正論も全て無駄になるようだ。言い訳にもなっていない言葉でマッシュにあっさりとかわされる。相手に自分と同じレベルの常識を求めていたのが間違いだったのかもしれない。マ・クベが有効な手立てを見つけられない数瞬のうちに事態は悪化の一途を辿る。
「開いたぜ」
マッシュに気を取られているうちに、電子錠のコードを入れていたガイアがなんとマ・クベの私室のドアを開けてしまった。止める間もなく、ガイアを先頭に、オルテガとマッシュもさも当然のようにずかずかと部屋に入っていく。
「なぜ貴様がコードを知っている! 私の部屋に勝手に入るな!」
コードとキーの二重ロックになっていたはずの部屋が開けられる訳が無い。という油断が一瞬の命取りだった。はっと気がつき、止めようとしても腕力で三連星に適うはずが無い。マ・クベの制止など蚊ほどにも感じていないのか、反対に相手の馬鹿力に半ば引きずられるように部屋に入っていく。
「ああ? キーか? コードか? 『マ・クベ大佐に頼まれた』と言うとすぐくれたぞ」
そこでようやくマ・クベが何か言いたげなのに気がついたのか、煩そうにガイアがそう言った。あまりのことにマ・クベが絶句する。まともな手段で手に入れたわけでは絶対無いだろうが、明日は電子鍵管理者を締め上げなければならないだろう。だが、まずは今そこにある危機をどうにかする方が先だ。
「へ〜、なかなか綺麗じゃねーか」
三人が三人、ばらばらになって部屋のあちこちを無遠慮にじろじろ見た挙句、部屋のドアを断り無く開けて覗いたり、引出しを開けたりと遠慮会釈無く部屋を漁り始める。
「勝手に人の部屋を漁らないでくれるかね!」
不機嫌さ全開で言っても全く効果が無い。まるで空き巣のようにがさごそし始めた三連星を制止しようとするが、目の前のガイアを止めようとすると後ろでオルテガの声が聞こえた。
「ガイア! ビール」
「おう」
声と供に、備え付けの冷蔵庫から勝手に取り出した良く冷えたビールと栓抜を軽く放り投げる。受け取ったガイアも当然のように栓を開けて、溢れる泡をものともせず豪快に飲み出した。
声のした方を慌てて振り返ると、「これだけしかないのか」と文句をいいながらオルテガとマッシュが備え付けの冷蔵庫の中を物色している。
「貴様らには常識と言うものが無いのか!」
マ・クベが叫ぶと、ビンビールをあっさり飲み干したガイアが言った。
「マ・クベ、お前ビールはあまり飲まないんじゃなかったか?」
ガイアにとっては何気なく聞いただけの一言だったが、それはキシリア様が私の部屋に来られた時の残りだ。とは勿論言えず、一瞬ひるむ。
一瞬動きが止まったその隙にマ・クベの隣を通り過ぎ、三連星がビール片手に壁際のマ・クベのコレクションを眺め始める。
壁には棚が設えてあり、高価そうな陶器が整然と並べられていた。大皿などもあるが、やはり圧倒的に壷が多い。
「なんだこりゃ?」
「高いのか?」
滑るような艶かしい白磁も、素朴な味わいの素焼きも、黒い三連星には理解しかねるようだった。まったく判らないといった表情で大切なコレクションをいじくり回すのだからたまったものではない。
「貴様らには判らんだろうが、いいものだ!」
そう言うと、オルテガが触ろうとした一番お気に入りの北宋の壷を間一髪で奪い去り避難させる。万が一割られでもしたら三人のドムを売り払ってでも弁償させるつもりだ。
マ・クベがそんな事を思っているとは露知らず、三連星は胡散臭そうな顔でマ・クベのコレクションを眺めている。オルテガとマッシュなどはもう飽きたのか、もう壷なんか見向きもせず、くだらない冗談を言い合っては馬鹿笑いをしている。
その中で、ガイアだけが熱心にマ・クベのコレクションを眺めていた。こいつにだけは芸術を理解する心を持っているのか? とマ・クベが思った瞬間。
「で、どれが一番高いんだ?」
……こいつらを追い出す時は身体検査が必須だとマ・クベは思った。部屋にはマ・クベが厳選したアンティークの小物類も置いてある。ポケットの中にちょろまかされないよう気をつけなければならない。
「エロビデオとか無いのか?」
壷なんかには全く興味の無いマッシュがベッドの下やサイドボードの下を除きながらそう言った。十代の子供でもないのだから、そんな所にそんなものを隠してあるか! と言いたかったが、言っても無駄な事は先ほどから十分理解させられている。
「有る訳なかろう!」
短くそう言うと、今度はオルテガが声をかけてくる。
「マ・クベ大佐、腹減った」
「私がなぜ貴様の腹具合まで責任を持たねばならんのかね!」
冷たく言い放ちながら、酒が無くなったら飽きて出て行くだろう。早く出て行ってくれとひたすら念じているマ・クベの目に、本日何度目かの信じられない光景が映った。
「まあ、なにか取るか」
そう言いながらガイアが手にもっているそれは……。
「それは私の端末だ!」
不機嫌そうに足を組み、座っていたソファーから慌てて飛び出し、奪おうとする。ガイアが持っているのは、軍の中でもかなり要職に付いている者しかもらえない小型の情報端末機だった。メールの送受信や、動画や音声での通信、情報の検索から事務仕事までほぼ何でもできる。
取り返そうとするが、相手は熊のようにごつい大男、マ・クベが伸ばした手も端末を持っていない反対の手だけで子供のように簡単にあしらわれてしまう。「お前、骨董品屋からしかメールが来てないぞ?」
「君は人のプライバシーを覗き見る趣味があるのかね! 恥を知りたまえ!」
抗議しつつなんとか取り返そうとするが、急にぐいっと後ろへ引きずられた。何事かと後ろを振り返ると、にっと人の悪い笑みを浮かべ、オルテガがマ・クベを羽交い絞めにしている。あっけに取られているマ・クベを見て、マッシュが馬鹿みたいに大笑いした。
貴様ら全員、減給だけではすまさんぞ……。
と、いくらマ・クベが念じても、今はどうしようもない。じたばた足掻いていると、ガイアの嬉しそうな声がまたマ・クベを刺激した。
「おお! キシリア様のナンバー」
ガイアがそう言ったとたん、オルテガがマ・クベを放り出し、マッシュと一緒にガイアに詰め寄っている。軍の連絡用の物とは違い、全くプライベートな貴重な代物だ。
「ガイア、俺にも教えてくれ!」
「俺も!」
ようやく自由を取り戻し、馬鹿どもから端末を奪い帰そうとした瞬間、ガイアが恐るべき身軽さと動体視力でマ・クベのアタックをかわした。同時に、すばやく通信ボタンを押す。
「ちょっと待ってろ! お仕事お疲れ様ですキシリア様! ガイアです!」
運がいいのか悪いのか、あっさりと通信回路が開き、「マ・クベか?」と問い掛けてきたキシリアの声にガイアが嬉しそうに答える。
奴め、よりにもよってキシリア様に! とマ・クベが血が凍る思いでガイアを睨みつけた。ミノフスキー粒子が濃かったり、太陽の活動が激しいと使えなかったりするのだが、こんなときに限って音声もいいらしい。こうなっては、迂闊に邪魔も出来ない。音声のみだったのがせめてもの救いだ。恨めしげなマ・クベの視線など全く視界に入って無いらしいガイアは、調子よく嬉しそうにキシリアと話をしている。
「は、は、はあ、連邦の馬鹿どもを蹴散らして見せますよ、がはははは、ありがとうございます! ええ、ご連絡いたしましたのは他でもない、マ・クベ大佐が閣下に重大な報告があると申しまして、はあ、お時間取らせて申し訳ありませんが聞いてやってください」
嫌な予感がする……。と思う間もなかった。一方的に向こうにそう言うと、ずずいと端末をマ・クベのほうに差し出し、キシリアに聞こえないように小声で囁く。
「おい、食事にでも誘ってみろ!」
「なんだと!?」
何言ってるのだこの馬鹿は! という気持ちをあからさまに出しても、ガイアには通じない。にやりと歯を剥き出しにして笑い、ウィンクして(あれがウィンクといえる代物なら)言う。
「チャンスを作ってやったんだ。言うなら今だぜ?」
「ばば、馬鹿者! 言えるか」
卒倒しそうになって、先ほどあれほど返してもらいたがった端末をガイアの手ごと押し返す。
「早くしろ、キシリア様をお待たせするな!」
マ・クベの態度に、ガイアが苛々して唸った。自分でやったくせに逆切れなどいい度胸だが、ここは常識のある方が負けだ。こわばった顔をしながら、恐る恐るマ・クベが端末を受け取った。
「マ・クベです、閣下……」
「何用です?」
訳がわからず、少し苛立っているらしいキシリアの声が、さらにマ・クベを動転させた。冷や汗が脇のあたりからだらだら出てくる。腹のあたりにある、氷のような冷たい塊がきゅーっと胃を締め付けた。
絶体絶命の恐怖にさらされながら、それでもキシリアの声が聞こえたとたん、心が弾む自分も何処かにいる。
「あ、ええ、その……。作業は、順調に進んでおります……」
「……そんな事を言うために私に時間を取らせたのですか?」
何を言っていいのか判らずに、ついその場しのぎで適当な事を言ってしまった。言った後にしまった! と思ってももう遅い。
周りでは、三連星がにやにやしながらマ・クベの奮闘を見守っている。がんばれよ! という風にオルテガがマ・クベの背をばんと叩いた。
それで脳みそが揺さぶられておかしくなったのか、あまりの非日常に一瞬正常な判断ができなくなり、ええい、どうにでもなれ! と開き直る。馬鹿な事をするなと止めている自分は勿論いるのだが、なぜだか暗示にでもかけられたかのように三連星の言うとおりにしてしまう。
「き、キシリア様、オデッサで我が軍が勝利いたしましたら、お食事にお誘いしても、よ、よろしいでしょうか!?」
渾身の勇気を振り絞ってそう言うと、大きく息を吸い込んだ。こんな事でもなければいえないのだから言ってやれ! とやけくそになったマ・クベの耳に、キシリアの不信そうな声が入ってきた。
「…………何を言っているのです? お前は」
「!?」
パニックになった頭脳が、激しくはずしたという悲しい事実だけは瞬時に理解した。現実からの逃亡を図ったマ・クベの意識が一気に引き戻され、自分の失敗を悟って真っ白になる。
「申し訳ございません、今言った事お忘れ下さい」
うろたえてそう言うと、マ・クベの手からいきなりガイアが端末を取り上げ、キシリアと話し始めた。マ・クベにはそれを止める気力はすでに残っていない。奴には何故あそこまでクソ度胸が有るのか? と羨ましくさえ思えた。
「は? はあ、はあ、判りました、伝えます」
数十秒会話を続けたあと、通信を切り、茫然自失の体で立ち尽くしているマ・クベの手に端末を持たせる。
「おい、あまりに大きいプレッシャーがお前の精神に悪影響を及ぼしてるんじゃないかとキシリア様が心配してたぞ」
「!?」
遠まわしにかなり悲しい事を言われ、さらに意識が遠くなりそうになる。それはプレッシャーからではなく、黒い三連星という馬鹿共のせいです! とキシリアの誤解を解きたいが、今は無理だ。何も考えられない。
「食事に誘うのはOKだとよ」
マ・クベの顔をにっと笑って覗き込み、ぽんと肩を叩いた。マ・クベが大きなため息をつきながら思わずふらついたのを慌ててガイアが支えた。
お前の世話になるか! とすぐに手を振り払い、今度こそ三匹の馬鹿どもにはっきりと言い渡す。
「出て行け! 今すぐ出て行き給え!」
マ・クベの声に、三連星がぶうぶう文句を言いながら近づいてきた。
「なんだよ、ノリ悪い奴だな。恩を忘れやがって」
「カルシウム足りないんじゃないのか?」
「何が恩だ! 貴様らは疫病神だ!」
「おい、悪かった、やりすぎた」
本格的に激怒しているマ・クベを見てしゃれにならない事を感じたのか、ガイアがぽんぽんとマ・クベの肩を叩いて言った。邪険にガイアの手をマ・クベが振りほどき、大股で部屋のドアの所まで生き、出て行けとばかりにドアを開けた。
「判った判った。出て行けばいいんだろう?」
大げさに肩をすくめ、マ・クベに睨まれながらガイアがしぶしぶ部屋の外に出て行く。にやっと笑いながら、側を通り過ぎる時またマ・クベの背を乱暴に叩いていった。続いてマッシュも音高く叩いた後「頑張れよ!」と意味不明な言葉を残していく。まだやり足りないのか、かなり名残惜しそうだったが、ようやくぞろぞろと三人が部屋から出て行くと、部屋のドアを開けながら、三人を睨みつけていたマ・クベが、最後に出て行ったオルテガの尻を思いっきり蹴飛ばした。
普段の彼からは想像もつかない暴行だったが、それだけにマ・クベの怒りのほどが伺える。
「痛え!!」
オルテガが悲鳴をあげて飛び上がり、思いっきり蹴飛ばされた尻を撫でている。
「せっかくグラナダからわざわざキシリア様のメッセージを届けに来てやったのによ!」
可哀想なオルテガの姿を見て、捨て台詞のようにマッシュがそう言うと、マ・クベの顔色が変わった。
「ちょっと待て!」
「ああ?」
「何故それを先に言わないのだ!」
がしっとマッシュの肩を掴んでマ・クベが詰め寄ると、意地の悪い笑みを三連星が浮かべた。
「いらないんだろう?」
見事にハモった三連星の台詞に、自分がまんまと三連星の思惑にはまった事を知るが、それでも背に腹は変えられない。だって大佐は何の用かと聞かなかったじゃねえかとしらじらしく言っている三連星を睨みつけながら、しばしの沈黙の後口を開いた。
「ワインセラーにヴィンテージ物のワインがある。一本開けてもかまわん」
苦渋の決断。こんな奴らには一滴も渡したくなかったが、血を吐くようにそう言うと、マ・クベの大盤振る舞いに、ヒュウ! とガイアが高い口笛を吹いた。
三連星からやっとの思いで手に入れた薄いカードをセットし、再生ボタンを押すと、キシリアの姿が画面に映った。マ・クベの熱い視線を受けながら、魅惑的な赤い唇が言葉をつむぎ出す。
「マ・クベ、お役目ご苦労。お前一人に苦労をかけて申し訳なく思っています」
食い入るようにマ・クベが画面を見つめる。画面の中のキシリアが、何時ものように厳しくマ・クベを叱咤激励した後、ふと優しい表情に変わった。
「……連邦との関係が切迫している今、私は月を動く事が出来ません。お前だけが頼りです。必ず勝利の報告と共に無事な姿を私に見せるように。……武運を祈っています」
キシリアがそう言い終わると、メッセージは終わった。心の残る余韻に甘く酔いしれながら、また再生ボタンを押す。あの馬鹿どもにこれを託したのはキシリア様らしからぬ失敗だが、その内容はかなりいいものだ。これまでの出来事を帳消しにして余りある。
「おい! 何百回聞いてるつもりだ」
呆れてガイアが文句をつけた。全神経を集中しないともったいないと、マ・クベはちらりともガイアを見ようともしない。ようやく再生が終わると、やっとガイアに言い返した。
「まだ五十六回しか聞いてないが?」
マ・クベの言葉に、肩をすくめ、ガイアがワインを煽る。気がつけば、ワイン一本どころか、秘蔵のブランデーやらウィスキーのビンまでもが転がっている。その上、よく見ると最高級のキャビアとフォアグラの瓶詰めまでもが開けられていた。絶対に貴様らの給料から引いてやる。とマ・クベが心に誓った時、まだめぼしい物でも探しているのか、クローゼットを漁っていたオルテガが不信そうな声を上げた。
「なんでこんな所にノーマルスーツがあるんだ?」
「ギャンと一緒に作って頂いた特注品だ」
何着か作ったうちの一着を記念にと渡され持ち帰っていたのだが、MS乗りにとっては結構気になるらしく、三人でじろじろ見回している。
「大佐、思ったよりガタイいいな。着やせするタイプなのか?」
ノーマルスーツを見て、ふと思いついたようにオルテガがそう言った。そんな事、どうでもいいだろう……と無視していたら、マッシュがいきなりノーマルスーツを脱ぎだし、上半身を露にする。
「俺のほうがガタイいいぜ?」
ぐっと力こぶを作るポーズをして見せ、後の二人をからかうようにそう言った。
「いや、俺だ!」
案の定対抗して、オルテガが脱ぎだす。
なぜ汗臭い男の裸など見なければならんのだ……。とマ・クベが内心舌打ちする。筋肉むんむんの二人の隣で、ガイアが何か考え込むようにじょりじょりと髭を撫でている。
「ふーむ……。ま、大佐を脱がしてみりゃ判るだろう」
ガイアの台詞に、マ・クベが思わず口の中で転がしていた高い赤ワインを思わず吐き出しそうになった。なにをどうなったらそんな台詞が出てくるのか理解もしたくないが、理解しようがしまいが被害だけは被るのが世の理らしい。
「貴様ら、何を考えている……」
じりじりと近づいてくる上半身裸の熊男二人の異様な雰囲気に、マ・クベが思わず立ち上がり、後ずさる。
「まあまあまあ、減るもんでもないから見せてみろよ」
おまえたちは男の体をみて嬉しいのか! と問い詰めたかったが、たちの悪い酔っ払い特有の悪乗りをしている奴らには通用しない。
「やめんか! 馬鹿者! 私は上官だぞ!」
「ジェット・ストリーム・アタックだ!」
酔っ払いのわけのわからない掛け声で羽交い絞めにされ、乱暴にボタンやベルトがはずされる。スカーフが解かれ、クリーム色の軍服の上着の下から、白いシャツが引きずり出された。オルテガが羽交い絞めにし、マッシュがフンフンフンと鼻歌を歌いながら、シャツのボタンを無骨な太い指が器用にはずしていく。
「剥け剥け、剥いちまえ〜〜」
その様子を見て、ガイアが馬鹿笑いをしてスラックスに手をかけた。何が可笑しい! と蹴飛ばしてやりたいが、スラックスを引きずり下ろそうという手に抵抗するので精一杯の情けない状態だ。
「ええい、この……ッ」
ふと苦し紛れに振り上げた手に、何かが触れた。この際、武器になるのなら何でもいい。手に触れたそれをぐっと握り締め、馬鹿三人組みにむかって振り下ろす。
「馬・鹿・者・が!」
ごん! ごん! ごん! とリズミカルな鈍い音がした。
「痛え!」
「痛え!」
「痛え!」
殴られた順に、三連星が仲良く間抜けな声を上げる。はあはあと荒く息をしながら、マ・クベが手にしたものを見て仰天した。三人の頭を一発ずつぶん殴った武器は、先ほど避難させておいた大切な大切な北宋の壷ではないか!
ひびが入ってないだろうな!?
マ・クベが黒い三連星の頭蓋骨そっちのけで壷の心配をしていると、壷で殴られてさすがに頭を抱えていた三連星が早くも復活し、復讐にぎらぎら光る目を二対と一つ向けている。
「ってえ! この野郎!」
俺たちに逆らった奴は三倍返しだ三人分で九倍だという計算をしているのは考えなくても一目で判る。この場合その計算が正しいのか正しくないのかは三人には関係ない。
「貴様らをまともに相手にするのが間違いだったのだよ!」
「あ、逃げやがった!」
北宋の壷を小脇に抱え、そう言って栄光あるジオン軍大佐は逃亡を図った。大切なコレクションのために部屋をあえて死守していたが、戦況は著しく不利な状態にある。この部屋はもともと休憩用なのでまた別に部屋があるのだ。一時ここを手放し、改めて休養と補給をし建て直しを図るべきだとマ・クベは判断した。
敵前逃亡ではない、戦術より戦略をとった名誉ある撤退なのだ! 戦いは駆け引きなのだよ!
……と乱れた着衣で撤退したマ・クベのはだけたシャツから覗く胸筋が立派だったのかそうでないのかは三連星が知る事は無く、マ・クベもまた月から来た災厄の星を撃退する事は出来なかった。
翌日、よく晴れたオデッサの空の下、アッザムリーダーに追いかけられる三機のドムが多くのジオン兵に目撃されたが、訝しがる兵どもにマ・クベが理由を説明する事は無かった。
ENDE
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