Mysterious Beauty



 偉い人の考えというものは良く判らないもので、雲の上の人が時々気まぐれに俺たちのいるような下界へ降りてきたりする。

 普段は適当に敬礼なんかしていれば偉い人というのは通り過ぎてくれるものだが、ふらりと俺たちの日常生活の中へ入ってきたりしたものだから、俺たちは扱いに困っておろおろしてしまう。

事に、それが俺たちの憧れの人ときた時には、クリスマスとニューイヤーがいっぺんに来たような大変なイベントだ。

 だから、キシリア閣下が、しかもお一人で、俺たちが普段いるMS庫に来た時は、そりゃあもう、皆がフライパンの中のポップコーンになったような大騒ぎだった。



「ジョニージョニージョニー!!!」

 同じMSパイロットのユーロウが、泡食った表情で俺の名前を連呼した。

「どうした?」

 俺がのんきにそう言うと、ユーロウは信じられないといった顔で、無言で向こう側を指差した。その指差した先を見ると、向こう側の通路を歩く紫のスラックスと白のブーツが並んだザクの隙間からちらっと見えた。

 思わず奴と俺は顔を見合わせる。言いたい事はだいたい判った。

「まさか、な。アハハ」

 俺は現実逃避の乾いた笑いを浮かべた。

 ジオンの軍服は緑が基本だ。黒や紫なんてのもあるが、それは、ごく一部の限られた人しか着ない。

 しかも、ここで紫の軍服を着た人なんて、一人しかいない。

いや、だが……。

 まさか、キシリア閣下がこんな油臭くて小汚い所へ来るわけが無いだろう。今見たのは何かの間違いだ。うん。

 俺は同じ思いであろうユーロウと微笑みあい、何かの間違いだ。と整備を続けようとした。

「馬鹿たれぇ!!」

 途端に、後ろから罵声が飛ぶ。振り返ると、顔を真っ赤にし、額に青筋をたてたナカタ大尉がブルブル震えている。

「きききき、キシリア閣下がいらっしゃったんだぞぅ!!」

 医者から興奮するなと言われているはずのナカタ大尉は、激しく拳を握りしめ、頭からは今にも蒸気が噴出しそうだ。俺はナカタ大尉の健康を心配したが、それができたのは俺が情況をまだ良く判っていなかったからだろう。

 現実逃避していた俺とユーロウとは反対に、興奮しやすい性質のナカタ大尉は、うおおおお、どうしようどうしようと言いながら壁に頭を打ちつけ始めた。あぶない! と他の仲間が止めに入る。いや、そこまで興奮する気持ちは判る。

「こっち来る。来るよ!!」

 情けない表情と泣きそうな声で、童顔のマイケル少尉が俺達の方へ走って逃げてきた。一人でキシリア閣下に遭遇するのが怖くて、人が多い所へ避難してきたのだ。

どうする? どうする? と皆がうろたえるなかで、悲鳴のような声が響いた。

「やばい、俺のお宝隠さないと!」

 ラウがそう言うや否や駆け出し、貼ってあったセクシーなポスターを剥がした。近くに散乱している、彼の「お宝」を急いでかき集め、とりあえずそこらへんに見えないように隠す。

「き、キシリア様が来たぞーーー」

その側を、戦場の先触れのようにリーが小声でそう言いながら駆け抜けていった。辺りを走り回りながらキシリア様の来訪をみんなに伝えているらしい。 

「エッ、嘘なんで?」

 リーのその声に、エドワードが見ていた漫画から顔を上げた。

「やばいよ、どこかで足止めしてもらえ」

「誰が止められるッてんだよ!!」

 突如起きた緊急事態に、あたりは急にざわざわとし始める。

 独身男の巣窟であるMS庫には、いきなり来られるとなにかと困る事が多いのだ。三日前のサンドイッチの食べかすとか、エッチな本とか、色々……。MS庫全体が。予想外に部屋に来てしまった憧れの女の子の対応に苦慮する男と化し、泡を食っている。

「ジョニーお前いけよ、止めて来い!!」

無責任な奴がその声と共に俺を突き飛ばしたのと、紫の軍服を着た人影が角を曲がったのは同時だった。

俺が突き飛ばされて思わず前のめりに二三歩前へ出ると、ぷにんと柔らかくてイイニオイな物にぶつかったのだ。

「楽しそうだな……」

 顔を上げると、整った端正な美貌が冷たく俺を見下ろしていた。

 いや、まさか、そんな……。これはないだろう。酷い、酷すぎる。俺が何をしたって言うんだ。

俺がぶつかったのは……。

よりにもよってキシリア様だったのだ。

後日になって「もろに顔を埋めていた」「嬉しそうだった」などの証言が寄せられたが、その時は誰もが俺の明日はないと確信したという。

あまりの事に、一瞬辺りの空気が凍った。 

「MS庫のご視察でございますかぁ!」

 その緊迫した状態を破ったのは、ナカタ大尉だった。緊張に耐え切れなくなって切れたのか、首をしめられたニワトリのような大声が響く。

「そんな所だ」

「お一人でですかぁ?」

「悪いか?」

「いいいい、いいえ!!」

 ナカタ大尉は、もげそうなくらいぶんぶんと首を振った。

「そ、それならば、ジョニー・ライデン少尉がキシリア様をご案内いたします。彼はここを知り尽くしておりますのでぇ、なんでもご質問ください!」

「うむ」

 如才の無い奴がとっさにそう言う。キシリア様も鷹揚に頷いた。

 おいおいおいおいおいおいおい。そりゃないよ!!

 と血の気が引く俺をよそに、周囲はあからさまにホッとした空気が流れた。なにもかも俺に押し付けて、自分たちは高みの見物を気取るつもりだ。

「我々は仕事がありますのでぇ、失礼させていただきます!」

 そう言うと、ナカタ大尉は右手と右足を同時に出しながら、ぎくしゃくとキシリア閣下の側を通り過ぎていく。

「じゃっ、ライデン少尉、粗相のないようにな」

 ナカタ大佐を先頭に、仲間たちはぞろぞろと脱出していく。口々にわざとらしい言葉を俺にかけ、ニヤニヤしている奴もいる。くっそ〜〜。

「うまくやれよ」

そう小さくユーロウが囁き、俺に向かってウィンクした。一体何を上手くやれというのか。

最後の一人が向こうに消えたとき。俺は緊張に張り裂けそうな胸を抱えてキシリア閣下を振り返った。

「あの、キシリア様、本当は何のご用でこんな所へいらっしゃったのですか?」

 恐る恐る、そう聞いてみる。

「私がここの視察に来てはいけないのか?」

 キシリア閣下は、ちらと俺を見て済ましてそう言った。

「あ、いいえ。でも、ここはMS以外には何も無いですし……、お世辞にも、あの、綺麗とは言いがたくて、貴女のような人の来る所では……」

 そう言っている間にも、黒い小さなゴキブリがちょろりと姿を見せた。幸い、キシリア閣下は気がついていない。さかさかと走ってそのうち消えた奴に対し、俺は二度と姿を現してくれるなよと真剣に願う。

「なら、ほかに理由があるのかもしれないな」

 俺の内心のドキドキを知らず、キシリア閣下がそう仰った。え? と思わず頓狂な顔をしてしまう。自分で聞いておいてなんだが、MS庫にMSを見にくる以外に、どんな目的が有るのか?

「例えば……」

 からかうようにゆっくりとキシリア様はそう仰り、意味有りげに俺を見た。

「お前に会いに来たとか」

 そう言って、ふふっと唇に笑みを浮かべた。

 キシリア閣下のお言葉に、俺の心拍数が一気に上がる。みるみるうちに顔が血が上るのが自分でも判った。今の俺はトマトのように真っ赤だろう。

 からからになった口で何か言おうと口を開いた途端。ばさばさばさぁ! と俺の後ろで乾いた音がした。

 何事かと振り向くと、さっきラウが急いで隠した、「お宝」が、詰め込みすぎたのか隠し場所から床へぶちまけられているではないか!!

 俺は、慌ててキシリア様の様子を見た。キシリア様の視線は、しっかりとラウのお宝に向けられている。

「すすすすす、すいません」

 俺は慌てふためき、きわどい水着のグラビアページが開いているのを閉じ、オッパイ丸出しで「カモ〜ン」と言っている表紙の雑誌をかき集めて、まとめて乱暴にゴミ箱に突っ込んだ。

 泣きたい。マジで。

「お前もこのような雑誌を読むのですか?」

 キシリア様が冷静にそう仰った。その冷静さが怖い。

「はい。あ、い、いいえ。あ、いえ。少しだけ」

「ふうん」

 狼狽して何を言っているのか判らない。情けないやらなにやらで頭がパニックになる。

 ああ、ほんと、泣きたい。何故俺は尊敬している女性の前で、他人のエロ本を片付けたりしなきゃいけないんだろう。

「あ、あの、なにかお望みの事がございましたら、どうぞ仰ってください。MSのご説明でもしましょうか? ザ、ザクの動力パイプの話とか」

 自分で言っていて、なんてつまらない男なんだ俺は。と本当に自分が情けなくなる。気の効いたジョークで場を和ますとか、そんな事は出来ない。無理だ。そんな話、誰よりもMSの導入に積極的だったキシリア閣下は知っているだろうに。と思ったが、苦し紛れにそう言うしか無かった。

「そうだな」

 だが、キシリア様は俺の言葉に少し首をかしげて考え込まれた。

「では実際に乗った者の意見が聞きたい。……MSに乗って、楽しい事は何だ?」

 キシリア様が仰った事が少し以外だったので、かえって俺はさっきの失敗を忘れて質問の答えを探す事が出来た。

「え? やはり、自分より大きな存在になれることでしょうか? 速さや力なんかの感覚が何十倍にもなるのは、MS乗りにしか判らない快感です」

 キシリア閣下のような上の人に、MSに乗ったときの気持ちなんて知る必要はあるのかな? と思ったが、俺は正直にそう答えた。もしかして、MSに乗って前線に出ることなんて絶対にない事なのだからこそ知りたいのかもしれない。

「私も、知りたい」

 俺の返事に、即座にキシリア様はそう仰った。俺はまたキシリア様の真意を測りかねて頓狂な顔をする。

「ザクに乗りたいのです」

 目を輝かせ、好奇心に溢れたお顔で、キシリア様がそう仰ったのだ。

「え?」

 思わず口に出してそう言ってしまい、慌てて言い直した。

「あ、はい今準備させます。でも、あまり乗り心地がいいとはいえませんよ」

 俺たちパイロットにとっては、MSに載るのは至福だ。だが、キシリア閣下のような女性には、恐らく苦痛でしかないだろう。

コクピットの中は狭いし、歩く時の振動もきついと一応断っておく。それでも、キシリア様は乗りたいと仰った。「そなたたちが普段どのような事をしているのか、知りたいのです」という言葉に、俺たちのようなパイロットの事もキシリア様は気をかけて下さっているのだと思い、少し嬉しくなった。

 どうせなら新型を……と思った俺だったが、キシリア様は意外な事を仰った。

「いや、お前のザクに乗りたい。見せてくれ」

 なんでだろう? と思いながら、キシリア様が仰るのなら……と俺は自分のザクにキシリア様を案内した。

 俺専用の赤いカラーリング、ショルダーにはユニコーン。たしかに他のザクと比べたらかわいい……かもしれない。

 キシリア様は赤が好きなのだろうか? もしかして。

「今から俺のザクを出すから、準備を頼む」

「ハァ?」

 管制室にいるオペレーターに通信でそう伝えると、オペレーターの怪訝な声が受話器の向こうからした。

「いいから後で説明する。今は何も言わずに従ってくれ」

 あまり詮索されるのも面倒なので、俺はそう言い、格納庫の扉を開き、ザクを固定しているジョイントを外すように頼んだ。

「操縦は、できますよね?」

 受話器を戻し、俺はキシリア様にそう言った。お一人にするのは少し不安だったので、すぐに俺も他のザクで出るつもりだった。

たしか、MSの操縦は士官学校の必修科目だったはずだ。ザク自体も歩く程度ならオートでなんとかなるものだし、士官学校卒のキシリア様なら、上手い下手は別にして操縦は出来るはずだ。

「できない」

 俺の問いにキシリア様は即座に答えた。予想と正反対の答えに、え? と、俺は目を丸くした。そんなはずは無いと思うのだが……。

「私一人ではMSには乗れない」

 俺に理解させるように、キシリア様が繰り返しそう仰った。

「酔うのだ。だからMSにちゃんと乗ったことが無い。だから一人では乗れない」

 えーっと……。それって、どういう……事なのだろうか?

「だから、お前が操縦してくれないか?」

「あ、ハイ」

 一体、どういうことなのだろう? キシリア閣下が乗りたいと言っているのに、俺が乗ってもしょうがないだろう。キシリア閣下の本意を探りかねたが、とりあえずご命令に従った。頭の中が疑問符でいっぱいになりながらコクピットの座席に座る。

 瞬間、ぴりっと体が引きしまる。半ば無意識のうちにシートベルトを締めた。

 その時、ふと視界が翳った。

あれ? と思うと、キシリア様がコクピットの入り口から身を乗り出していた。

え? と戸惑っていると、

「こうすれば、いい」

声と共に、キシリア様が狭い中へ入ってきたのだ!

 窮屈そうに身をかがめてコクピットの中にはいってきたキシリア様は、くるりと後ろを向いて、

なんと、

俺の、

膝の上に、

横座りに座ってしまった。

 あっけに取られた顔でキシリア様を見ると、キシリア様は俺の首に腕を回された。

あまりにも近くにあるキシリア様のお顔に、頭がクラクラした。なんだこの幸せすぎる状況は……。夢でも見ているのか、俺は。

「しっかり掴まってないと、振り落とされそうだな」

 そう言って、ぎゅっとキシリア様は俺の首にしがみついた。ふわっとキシリア様のいい香りが鼻腔をくすぐり、天国かここはと思った。

「あっ、危険ですよ」

 あまりの事に呆然としていたが、慌てて俺はそう言った。宇宙ではともかく、地上を歩いている時などはコクピット内は結構揺れるのだ。シートベルト無しでは危ない。

「お前が優しく扱ってくれればいい」

 キシリア様が耳元で囁いたので、え? 俺が、キシリア様を?? と一瞬そう考えて、心臓が大きく脈打った。

いや、単に俺にしがみついている関係上、キシリア様のお口が、俺の耳元にあっただけの話なのだが、これでドキドキしないと男じゃない。

「モビルスーツを」

 一瞬変な事を考えたのを見透かしたように、キシリア様がそう仰った。

 ああ、そうか、モビルスーツを。……何を考えてるんだ、俺は。いや、キシリア様があんまり俺の近くにいらっしゃるものだから……。

「二人で乗れるな」

 心の中で誰にとも無く言い訳している俺の内心など知らず、キシリア様は無邪気にそう仰った。

「で、でも、狭いですよ」

「狭いからいいんじゃないか……」

 なぜか言い訳のようにそう言った俺に、キシリア様が小さくそう呟いた。

 そ、それって……、どういう……。

「構わぬ、出して」

 俺が先ほどの言葉の意味を理解する前に、キシリア様はすぐにそう仰った。俺は、キシリア様にMSの良さをお教えして、なおかつ守らなければいけないのだ。という自分の使命を思い出し、気持ちを切り替えた。

「はい。あの、でも危ないですから、しっかり掴まっててくださいね」

「うん」

 キシリア様が、俺の首に回した手にぎゅっと力を入れてしがみついた。密着度があがる。胸が、太股が、そして、お尻が、薄い布ごしに柔らかさと体温を伝えてきて、また俺は自分の使命を忘れそうになった。だめだだめだだめだ。と頭を一つ振り、気合いを入れなおす。

 だけど、俺に返事をしたときのキシリア様のお声が、どことなく嬉しそうだったのは、俺の気のせいじゃなかったと思う。



「出るから、開けてくれ」

 俺は、コクピットの中からオペレーターにそう伝えた。

「おい、何でカメラ切ってるんだよ? 見えねぇぞ」

 目の前にあるモニターに、不満そうな顔をしたオペレーターが映る。俺はザクのコクピットを映すカメラを切ったのだ。まさかキシリア様とこんな事をしている映像を出すわけにはいかない。

 だが、コクピットの中とパイロットを確認するのは、オペレーターの仕事の一つでもあるのだ。そう言うのも当然だったが、頼むから黙って従ってくれ。と俺は心の中で願った。

 誰かがオペレーターの耳元に何かを囁く。とたんに表情が変った。

「……失礼しました。どうぞ」

 多分、キシリア閣下がご視察にいらっしゃっており、その関係だということを伝えてくれたのだろう。俺はその誰かに深く感謝した。

 格納庫の扉が開く。俺はゆっくりとザクを歩かせた。

「なんだ、ジョニーのやつ、へっぴり腰でザク動かしやがって」

 まだ切っていなかった通信回路が、通信室であがったそんな声を丸聞こえにした。だ、ま、れ! と俺は心の中で毒づき、急いで通信を切る。これ以上キシリア閣下の前で醜態を晒したくない。

 俺はゆっくりと格納庫から出て辺りを歩き回った。

「凄いな」

 目の前に映る風景、歩く時の振動、計器の音や他のもろもろの事が、キシリア閣下にとっては新鮮だった様で、ただ歩いているだけなのに嬉しそうにそう仰った。

「気持ちいい」

 そう言って、俺ににっこりと微笑みかける。

 ああ、俺も凄く気持ちいいです。

「あまり動くのは止しましょうね。気分が悪くなったらすぐに言ってください」

「フフ、相変わらず優しいな」

 そう言って、キシリア様が俺にきゅっと抱きついた。いや、キシリア様はそうしないと体を支える事が出来ないのだから、そうしただけなんだろうけど。



「楽しかったぞ。ここの事が気に入った」

 キシリア閣下が、まだ興奮に頬を上気させながらそう言った。俺たちは、あれから30分ほどMSの散歩を楽しんだ。キシリア様はそう仰って下さったが、俺のほうも、ザクマシンガンを撃ってはしゃいでいるキシリア様とか、意外と子供っぽくて可愛い面を見ることが出来たので、大満足だった。

 だけど、俺たちが楽しい時を過ごしていた間、キシリア様がいないと一部では大騒ぎだったそうで、MS庫にいるとばれた途端にキシリア様は叱られてしまった。

 迎えにきたトワニング准将は、ひとしきりキシリア様に泣き言を述べられ、今後こういう事はお控えください。と涙ながらに言った。お忙しいキシリア様の時間を無駄に使わせ、危険な目にあわせたと俺もお叱りを受ける。調子に乗ってお引止めしてしまった……と、しょぼんとしている俺に、お前は悪くない。とキシリア様が仰って下さったのが嬉しかった。

 トワニング准将に急かされて歩き出しながら、キシリア様が俺をじっと見た。俺がその視線に気がつき、じっと見返すと、キシリア様のお口が動いた。

「また来る」

 キシリア様はトワニング准将の説教をまるで無視したように、俺を見ながらそう仰ったのだ。嬉しくなって俺は思わず微笑んだが、トワニング准将の恐ろしい視線に気がつき、慌てて表情を引き締める。

こうして、来た時と同じようにキシリア様は唐突に去ってゆかれたのだった。



「よう! 上手くやったな、キシリア様のバンビちゃん!」

 キシリア様の後姿が消えても、まだ呆然としている俺に、後ろからユーロウが飛びついてきて頭をはたかれた。

「ここが気に入ったと仰って下さった。よかった」

 まだ感動でぼうっとしながら、俺は半ば無意識のうちにそう言った。あとで変なあだ名をつけられたのに気が付いたが、その時はそれ所では無かった。

「馬鹿、気に入ったのはお前に決まってんだろうが」

 にやにや笑いを浮かべ、ラウが俺にそう言った。

「オイオイオイオイ、我らがジョニー・ライデンにも遂に春が来たな!」

 ハウゼンがばんばんと俺の背中を叩きながらからかうようにそう言い、俺の顔を覗き込んでにやっと笑った。

「これで相手がキシリア閣下じゃなきゃ、おれが絶対女を落とせるデートスポットを教えてやったのになぁ」

 変な雑誌の読みすぎで、やたら知識だけは自慢のラウがそう言ったが、奴の知識は当てにならない。それに、俺は奴のお宝に酷い目に会ったのだ。

 まあ、ラウが言うように教えてもらってもしょうがないのが空しい所だ。俺とキシリア様がデートだなんて、悲しいほどありえない。

 せいぜい、昔のよしみでキシリア様が気まぐれに俺に会いに来て下さる位だ。

「いや〜、でもキシリア閣下はすげーいい匂いだったなぁ〜」

 うっとりとラウがそう言う。やはり、こんな時でもポイントを押さえるのは忘れていないようだ。

いつの間に嗅いだんだよ! と心の中で突っ込みをいれた。

「思えば惜しい事をした。びびらないでもっと近くで見ておけばよかった」

 いち早く逃げ出したマイケル少尉が、安全になったとたんそんな事を言い出した。キシリア様は珍獣か! とムカッとしたが、確かに、キシリア様ほどの女性にはおいそれと近づけないだろう。許してやる事にする。

「ジョニー、閣下をもう一回呼んでくれ。今度はちゃんとお出迎えするから。垂れ幕とか作って」

 心底悔しそうにハウゼンがそう言った。今回はあまりにも突然の来訪でびびってしまったが、元々キシリア様は、俺たちの憧れなのだ。

もっとちゃんと歓迎すればよかった、こうすればよかった。と言う声があちこちであがる。ハウゼンのその言葉に、男子校みたいな変なノリで、MS庫の皆が張り切って、「じーく きしりあ」とか「ウェルカム」とか手に手に汚い字の垂れ幕をもって大喜びする様がまざまざと浮かび、頭が痛くなった。今度こんな機会があったらこいつらは本当にやりかねない。俺は、キシリア様が今度来る時も突然に来て下さることを説に願った。

「お前、マ・クベ大佐に知られたら命は無いぜ、バンビちゃん!」

本当に、そんな恥ずかしい事は頼むからしてくれるな! と奴らに言い聞かせた後、意味有りげにゲイブにそう言われた。

どういう事だ? と首を傾げたが、ゲイブは意味有りげに笑っただけで離れていく。一体なんなのだ。

「俺はお前を応援するぜ! 一般兵士代表としてガツンといけ! 玉砕したってかまわねぇ」

 いや、俺は困る!

がっしと肩を捕まれ、今度はアマノにそう言われた。ぐっと拳を作ってそう言い、アマノはウィンクした、玉砕するのはお前じゃなくて俺のほうなんだぞ!!

「マ・クベなんかに負けるな」

 お、お前ら、人ごとだと思って!! と思ったが、俺の内心なんて無視して、あちこちでそんな声があがった。誰かが俺の体をぐいっと引っ張り上げる。体がふわっと宙を舞った。なぜか俺は胴上げされてしまったのだ。

 要するに、奴らは暇で騒ぎたいだけなのだ。俺はその良いだしなのだ。

 胴上げが収まり、ふらふらとしている俺にラウが近づいてきた。にやにやと笑いを浮かべ、もみ手している。

「だから、またキシリア閣下、ヨロシクね」

 結局俺を応援してるんじゃなくて、キシリア様が目当てかよ! と俺は盛大な音を立てて奴の頭を拳で殴ったのだった。



 本当に、偉い人が考える事というのは、よく判らない。



ENDE

20040325 UP

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