◆A Day in the Life◆
夜明け前のほの明るい部屋で人影が動いた。外では早起きの小鳥が朝の歌を口ずさみ始めている。その声に起こされる訳では無いが、マイクロトフはこの時間になると自然と目がさめる。
心地よい睡眠と目覚めのまどろみの中にいる事も無く、目が覚めたらすぐに裸のままベッドから身を起こし、少し離れた窓際に歩み寄ってカーテンの隙間をそっと開いた。
夜の領分からは幾分抜け出せたものの、外はまだ暗い。朝日が上るまでにはまだずいぶん時間がある。まだほとんどの街の人々はベットの中で優しい眠りについているはずだ。
マイクロトフはこの時間が好きだった。空はまだ夜から抜け出しきってはおらず、西の空はまだ蒼い闇に支配されている。けれども、東の空はうっすらと白み始め、夜と朝との領域には美しい紫のグラデーションが広がっている。朝の清冽で冷たい空気の中でそれを見るのは、たとえ様も無く美しく、清々しくて身が引き締まる。
もうすぐすれば、ほの明るい朝もやの中で訓練を始め、しばらくすると朝日が昇る。濃いオレンジ色の円盤が少しずつ上昇しながら光を投げかけると、神々しいその姿に自然と少し訓練の手を止め、誰からとも無く祈りを捧げた。黄金の光に照らされながら神に祈りを捧げるのは、厳粛で荘厳な気分であり、騎士としての責任と誇りを感じる瞬間だった。
マイクロトフはしばらく窓の外を見ていたが、身を横たえていたベッドに視線を移し、先ほどまでマイクロトフがいた隣で気持ち良さそうな寝息をたてている、最高の友にして最愛の恋人を見おろした。キングサイズのベッドの乱れたシーツの間には、カミューがマイクロトフと同じく裸で心地よい眠りの中にいる。
カミューのいつもはきちんと整えた前髪が幾分寝乱れ、白い頬にかかっている。その顔をもっとよく見ようとマイクロトフがベッドの端に腰掛けて顔を近づけた。そうしてしばらくカミューの寝顔を見つめていたが、やがてそっとその無骨な指でカミューの頬にかかる美しい亜麻色の髪をかきわける。
「ん……」
マイクロトフの指が頬を滑る感触に、敏感なカミューが反応した。安らかな寝顔が少し眉をひそめ、小さく声を出す。マイクロトフが起こしてしまったかと慌てて指を引っ込め、真剣な面持ちでカミューの様子を伺う。息をひそめてしばらく見ていると、マイクロトフのした事は幸いにもカミューの眠りを妨げるほどではなかったらしく、またすぐにカミューが規則的な寝息をたて始める。
カミューが目を覚まさなかった事でほっとすると同時に少し寂しさも覚えた。子供っぽい我侭だとは思うが、眠りから目覚め、閉じたその瞳を開けて自分を見て欲しかった。そしていつものように優しく微笑んで欲しい……。そう少しだけマイクロトフは思ったのだ。
そうは思ったものの、眠ってるカミューを見るのも嫌いではない。いつもきちんしていて隙の無いカミューの無防備な寝顔はいつもこの朝の一瞬でしか見れなかったし、それを見る事ができるのも、カミューが見せてくれるのも自分一人であると言う事が、カミューにとって自分が特別な人であるような気がして嬉しかった。それに、赤騎士団団長としていつも誰かに囲まれているカミューを一人占めしている気にもなれる。
カミューの寝顔を見るのも好きだが、カミューがそこにいるのに、その瞳に自分が映らないのは寂しい。
相反する二つの我侭な思いに気がつき、朝の薄闇の中でマイクロトフがかすかに赤くなった。自分では断じてそうではないと思っていたが、こんな子供みたいな事を考えているようでは確かに子供だの単純だのカミューに言いたい放題言われても否定できない。
カミューに比べて随分早起きであるマイクロトフにとって、カミューより先に起きてその寝顔を見るのはいつもの事だが、二人で幾日共に夜を越し、何度朝を迎えても同じ事を考え、同じ衝動を抱いてしまう。ささやかな独占欲を満足させつつ、その瞳が自分を写さない事に不満を抱きながらカミューを起こさないように毎朝そっとベッドを出るのだ。
いつものように幾分寂しさの入り混じった幸福感を感じながら少しため息を付き、マイクロトフが熱いシャワーを浴びようと座っていたベットから立ち上がろうとしたその瞬間……。
「マイクロトフ」
不意に後ろから声をかけられた。ぎくりとして慌てて後ろを振り返ると、先ほどまで眠っていたはずのカミューがシーツの中でうつぶせに身を起こし、悪戯っぽく微笑みながらマイクロトフを見ている。
「カ、カミュー! 起こしてしまったか? すまん!」
マイクロトフが飛びあがるほどに驚いて、朝の静かな雰囲気に似合わない大声を出した。その姿を見て、カミューが可笑しそうにクスクス笑いながら優しい瞳でマイクロトフに言う。
「いや、今朝は君より先に起きてたんだ。たまたまね」「え……、だが」
眠っているとばかり思っていたカミューの声にマイクロトフが起こしてしまったかと思い、慌てて謝ったのだが、カミューの口ぶりではどうやらそうでは無いらしい。マイクトフが怪訝そうに首を傾げるのを楽しそうにカミューが目を細めて見ている。疑問の答えを簡単には教えてくれなさそうなカミューの様子に余計疑問が深まり、マイクロトフが男らしい眉をひそめた。確かにさっきは眠っていたように見えたのだが、一体どういうことなのだろう? ますます気になって首を傾げる角度を深くすると、カミューがすました顔で再び声をかけてきた。
「ところでマイクロトフ」
「なんだ? カミュー」
「君はいつも毎朝私の寝顔をあんな風に見つめているのかな? 君があんまり見つめるものだから、起きてると言い出せなくて困ったよ」
「あっ! 済まない……。つい」
カミューの意地悪な問いかけと疑問の答えに、マイクロトフが悪戯を見つかった子供のように「しまった!」という表情をしてますます狼狽する。困った表情のマイクロトフにまたカミューがクスクスと楽しそうに笑った。マイクロトフの困った姿は、まるで大きな犬が叱られてしゅんとしているようでとても可愛い。その顔が見たくてついいつもいつも困らせてしまう。
「すまん! 今度から見ないようにする」
マイクロトフがそう言い、勢い良く頭を下げた。朝の楽しみが無くなってしまうのは悲しかったが、人の寝顔を見つめるなんて確かに誉められた事ではないし、第一カミューの嫌がる事はしたくない。
生真面目に頭を下げるマイクロトフにカミューの唇が微笑みのかたちに緩む。
「いや、怒ってる訳ではないよ。私だって君の知らない所でいつも君を見てる」
多分、君が私を見てるよりずっとね。
そう心の中で付け加えながらカミューがゆっくりそう言った。
「えっ、そうなのか?」
カミューの言葉にマイクロトフが驚いて頭を上げる。マイクロトフの射るような力強い視線がカミューを見た。まっすぐなマイクロトフの視線に、底の見えない謎めいた微笑みでカミューが返す。
「ふふふ、どうかな?」
「……おれはちっとも気がつかなかった」
カミューが自分から話を振ったくせにわざとはぐらかそうとしている雰囲気を感じ取り、ますます気になる。マイクロトフが心当たりはないかと腕を組んで少し考え込んだ。
「見てるかもしれないし、見てないかもしれないな」
その様子を見て、カミューが笑いながらマイクロトフから視線を外し、また焦らして誤魔化すようにあいまいに答える。そうマイクロトフに答えた後、カミューが一瞬軽く目を閉じて再びマイクロトフを見上げると、思った通りに不満そうにこちらを見る。その表情がおかしいのと、余りにも予想どおりなのにまたカミューが笑ってしまった。
私は君が私を思ってるよりずっと君の事を思ってるんだから、このくらいの意地悪はしても良いだろう? マイクロトフ。
「いつ、どこでおれを見てるのか?」
カミューがそう思っていることを露ほども知らないマイクロトフが、じらされて気になるらしく、意地悪なカミューに不満半分、期待半分の声で問いかけてくる。
「そんな顔をしても教えないよ」
マイクロトフに甘いカミューが珍しくマイクロトフの期待を裏切って笑いながらそう言った。口元で笑っていても、瞳に切ない光が揺らめいてあったのをマイクロトフは気が付いただろうか?
君は私を見てないから、私が君を見てる事に気がつかないんだ。
カミューの好きなマイクロトフの瞳がまっすぐ自分を見るから、また甘やかせて答えを教えてしまわないように、マイクロトフの視線を避けてカミューがまた軽く目をつぶり、悪戯っぽくそう心の中で呟いた。マイクロトフの期待は十分承知していたが、なんとなく言ってしまうのは癪だった。自分で言うのではなくて、マイクロトフに気がついて欲しい。そう思ってあえてはっきりとは答えない。
意地の悪い微笑みさえも、カミューがすると艶やかで美しかった。意地悪されてるにも関わらず、カミューの微笑みに一瞬マイクロトフが息を飲んで見とれる。
どうしてしまったのかな? 今朝は。
普段よりも意地悪な自分にカミューが苦笑した。プライドが高い事と、マイクロトフを大切に思う余り、マイクロトフに関しては本当はかなり自分を押さえて優等生を演じている。普段はマイクロトフに向かって子供だのなんだのと言っているが、本当は自分が一番独占欲が強くて我侭な事を知っている。いつもは鉄壁の意思で押さえているが、ほんの少し心に隙ができると、今朝のようについ自分の本性が出てしまう。
「早くシャワーを浴びなくても良いのかい? マイクロトフ。早朝練習を言い出した団長本人が遅刻してしまったらどう言い訳するつもりだ?」
「ん……」
カミューの声にマイクロトフが不承不承そう返事した。はっきりした答えを聞き出せぬままカミューに上手くあしらわれてしまい、答えが得られなくて不満だった。もっと問いただしたいところだったが、これ以上ここにいると確かに訓練に間に合わない。早朝練習することを提案した団長自身が遅刻していては示しがつかないだろう。もう行かなくてはならない。そう思って不満そうな表情でしぶしぶ座っていたベットから腰を上げた。
カミューがその後姿を頬杖をつきながら見送っていると、まだ迷いながらもシャワールームに向かって歩き出そうとしたマイクロトフの動きがぴたりと止まる。おや? と興味深く見守っていると、カミューから見えるマイクロトフの後姿がしばし迷っていたが、おもいきったように振り帰って口を開いた。
「なぁ、カミュー、やっぱり教え……」
言いかけたマイクロトフの言葉が途中で遮られた。
カミューが言いかけたマイクロトフの腕をいきなり掴み、ベッドの上に押し倒したのだ。マイクロトフが何が起こったのを理解する間もなく、カミューがマイクロトフの唇に唇を重ねた。
外ではオレンジ色の円盤が少しづつ姿を見せはじめ、二人に朝日を投かけてきている。カミューの瞼は閉じられ、長い睫が触れそうなくらい近くに有る。顔を傾けたカミューの髪の毛がさらりと動き、少し長めの乱れた前髪がマイクロトフの頬に触れた。最初は状況が飲みこめなかったマイクロトフも次の瞬間には反射的に瞼を閉じ、自分を求めるカミューに答え、舌を絡ませる。
舌を絡ませ、唇に軽く口付け、お互いの顔や体にキスの雨を降らせながらお互いを求め、むさぼり、与え合う。
しばらくそうしていたが、ようやく互いの唇を離し、マイクロトフがカミューを見上げ、カミューがマイクロトフを見下ろした。カミューが苦しそうに少し息をつき、軽く目を閉じてキスの余韻を楽しむ。唇の端の方から透明な唾液がこぼれ、妖しく濡れている。かすれた声と淫らな表情は、マイクロトフを逃がさないように妖艶な糸で絡め取るかのようだった。
「カミュー……」
カミューに組み伏せられたままマイクロトフも小さく呟いた。その声にカミューが閉じていた目を開いてマイクロトフの方を見下ろし、マイクロトフも自分を見上げているのが判ると、かすかに微笑む。
「私を見てくれ。そうすればどんなに私がおまえを見てるか……、判る」
私はいつでもお前を見ている。お前が私を見れば、見るのはいつでもお前を見ている私。
カミューがそう言うと、ほんの一瞬だけまたマイクロトフに口付けた。一瞬の激しいキスの後、カミューがいきなりマイクロトフの体を力いっぱい突き飛ばした。一瞬の後、マイクロトフの体がベッドから突き落とされる派手な音が響く。
「早く行かないと本当に遅刻するぞ。まだこんな時間じゃないか、私は寝る!」
先ほどの甘い余韻をかなぐり捨て、うって変わった態度でカミューがマイクロトフをベッドから突き落してそう言い放つと、マイクロトフの方を見もせずにシーツの中に潜りこんだ。頭まですっぽりとシーツをかぶってしまい、カミューの姿は枕の上に亜麻色の髪の毛がすこし覗くだけだ。突き飛ばされたマイクロトフがあっけに取られて呆然としていると、カミューがシーツの中から手だけ出し、ニ、三度早く行けという風に手を振った。
一瞬の後、何をされたかようやく気が付いたマイクロトフが激怒してカミューに食ってかかる。
「カミュー、お前!」
「遅刻するぞ」
だが、思いっきり食ってかかろうとしたマイクロトフの抗議はカミューの冷静な声であっさりと中断させられた。
「っつ……、覚えてろ!」
怒りで顔を真っ赤にしながら、まるで三流の悪役みたいなセリフをマイクロトフが言った時、復讐に燃える騎士の目にふとなにかが映った。
さっき頭までシーツを引き上げたからだろう。カミューの白い足首から先が乱れたシーツから覗いている。それを見たマイクロトフが良からぬ仕返しを思いつき、怒りで無表情のままがっしと白い足首を掴んだ。
「うわっ! や、止めろマイクロトフ」
早朝にもかかわらず、思わず出してしまった冷静沈着な赤騎士団団長の悲鳴が部屋中に響き渡る。めったに聞けない貴重な声だ。
マイクロトフがどっかとベッドの端に腰掛けたかと思うと、素早くカミューの足首を掴み、くすぐり出したのだ。
「頼むから止めてくれ!」
この攻撃は敏感なカミューにはたまらない。今までの済ました態度をかなぐり捨てて悲鳴を上げながらマイクロトフに懇願する。
「謝るまで許さん!」
カミューの足首をがっちりと掴み、怒気を含んだマイクロトフの声が無常にも頭上から降ってくる。虐めすぎて切れてしまったらしく、そうなったマイクロトフはカミューでも手におえない。墓穴を掘ってしまったようだ。誰もが憧れる天下のマチルダ騎士団の青騎士団団長殿がまさかこんな子供じみた仕返しをしてくるとは思わなかった。どうやらマイクロトフを甘く見すぎていたようだ。自分とて数千の騎士団員を任され、幾多の死線を乗り越えてきた身だが、この攻撃にはくすぐったくてとても辛抱できない。
「判った判った! 私が悪かった」
「よし、許す」
あっけなく白旗を上げ、くすぐったさから逃れ様とじたばたと暴れながらカミューがそう言うと、カミューに参ったと言わせたのがよっぽど嬉しかったのだろう、満足そうな声でマイクロトフが言い、ぱっと手を離した。
「…………」
色々と複雑な思いでカミューが黙っていると、自分の足元の方で真剣になにかを考えこんでいるらしいマイクロトフの声が聞こえた。「カミューがおれを見てるだろう? それでおれがカミューを見てる」
なんだろうと声をかけようとした瞬間、マイクロトフかなにかを思いついたらしく、ぽんとひざを手で打つと、ベッドの上のカミューの顔を身を乗り出して覗きこみ、満面の笑顔と力強い声で言った。
「目が合うと良いな!」
そう言ったマイクロトフの屈託の無い明るい声にカミューが脱力する。しばらく再起不能なほど力が抜けながら、同時に幸せでいっぱいになる。他人には判らないだろうが、他愛の無いやり取りのなかで相手がとても愛しく思える瞬間が有る。ふとした一言に愛されている幸せを噛み締め、自分もとてもマイクロトフのことが好きなのだと実感する。胸が甘く疼き、少しでも動くと自分が溶けて崩れてしまいそうだ。
「そういえばおれ達、よく目が合うと思っていたがそのせいか! ん……? どうした、カミュー?」
「……何でもない。幸せを噛み締めてるだけだよ、マイクロトフ」
マイクロトフの脳天気で大真面目な声に精も根も尽き果てて、カミューがぐったりとベッドの上にうつぶせになって脱力する。ベッドの端から力無くたれている手が痛々しい。だが、マイクロトフに答えた声は呆れたように投げやりだったが優しかった。マイクロトフには見えないように向こうを向いたカミューの顔は、満足そうに軽く目をつぶり、口元には笑みが浮かんでいる。
その表情は、大真面目に言ったのになぜ呆れられたのか判らなくて眉をひそめるマイクロトフには見えない。「本当に、早く行くと良い……」
カミューの幸せな気持ちが込められた、優しい声がマイクロトフを気遣ってそう言った。誰か他の人が見たら、その声だけでカミューがどれだけマイクロトフを大事に思っているか判るだろう。
「ん……」
カミューの声にマイクロトフも応えた。いつもは固く結んだ唇が微笑んでいる。カミューの優しさがマイクロトフにも判る。だから、その頬笑みはカミューに向けられているのだ。マイクロトフは、裏表の無い純粋な好意をまっすぐカミューに向けてくる。それはカミューにとってとても嬉しかったが、時に心配になり、時にその素直さとまっすぐさに嫉妬して意地悪したくなってしまう。
自分に覆い被さるようにして顔をのぞきこみ、身を乗り出していたマイクロトフが起きあがろうと体を起こした。再びベッドの端に腰掛けて、立ち上がろうとするその背中を眺める。急にマイクロトフはこのままいなくなってしまうのだと感じた。ここで別れてしまえば、お互い忙しい身だ、今度は何時会えるか判らない。
そう思うと、マイクロトフの気配が遠ざかっていくがとても名残惜しく思えた。
「マイクロトフ!」
思わずカミューが声をかける。カミューの声にマイクロトフが体の動きを一瞬止めて顔だけ振り帰った。カミューがその目を見ながら、ゆっくりとマイクロトフの目を意識して微笑む。マイクロトフが自分に見とれるのが判った。
本当に、今朝は猫の目のようにくるくると気が変わる……。
先ほどまでマイクロトフを行かせてやろうと思ってたのに、今は急に行って欲しくない。
カミューにとってそれは一種の賭けだった。そのままマイクロトフが自分を振り切って行くのならば、邪魔はしない。でも……。
答えは最初から判りきってる。マイクロトフが自分を無視する訳が無く、どんな手を使ってでも無視などさせない。
せっかく二人なのに、練習になど行かせるものか。
先ほどとは打って変わってそう思いなおしたカミューが、ゆっくりとしたしぐさでマイクロトフの後ろから首に腕を回した。突然の事にマイクロトフの体が驚いて硬直するのが、素肌で触れた体越しに判る。その様子を微笑ましく思いながら、たくましい肩に顎を乗せて目をつぶり、マイクロトフの耳元で囁く。
「愛してる」
甘い声と共に軽くマイクロトフに回した手に力を入れると、鍛え上げた筋肉と体のラインを感じる。ふと昨夜自分がつけた赤い跡が目に入った。それに再び軽く口付けながら満足げに余韻に浸っていると、マイクロトフの白い肌が見る見るうちに真っ赤になっていく。
「な、なんなんだいきなり!!……おれもだ!」
マイクロトフの変化にカミューが気がつき、おや? と思ってると、照れ隠しかのように大声でマイクロトフがわめく。思った以上に有る自分がした悪戯の効果にカミューが可笑しくて笑っていると、一瞬の後にマイクロトフが俺もそうだと付け加える。幸せで涙が出そうだった。今、自分は余りにも人に見せたくない顔をしているだろう。幸せでたまらなくて、マイクロトフが愛しくてたまらないという顔。
悔しいからこんな顔は絶対にマイクロトフには見せない。
ここはマイクロトフに見えないから。
そう思ってカミューがマイクロトフを背中から抱きしめる手に力を入れた。マイクロトフの背に触れるように顔を寄せ、体重を預ける。ここだと絶対に見えないから、幸せに緩んだ顔を隠さなくても良い。
「さっきのキスの続きは……してくれないのか?」
欲張りだと自分でも思うが、悪戯半分本気半分でそう囁いてマイクロトフを誘う。マイクロトフには悪いな。とは思っているのだ。本当に、自分の誘いを断るつもりならそれで構わない、行かせてやるつもりだ。等といちおうは考えはいる。
むろん……、マイクロトフがどうするかは判ってそう思っているのだが。「ッツ、お前、本当におれを遅刻させるつもりだろう!」
魅力的なカミューの誘いに苦悩しながら、恨みがましくマイクロトフがそう言った。
「たまには良いだろう?」
遅刻など到底考えられないマイクロトフを堕落させようと、尻尾の無い悪魔がそう囁く。マイクロトフが迷っているのを悟ると、止めの一撃を出そうとマイクロトフの後ろでカミューが微笑む。
後ろから身を乗り出してマイクロトフの顔をのぞきこむと、怒ったような困ったような表情のマイクロトフが目に入った。その顔に内心少しだけ胸が痛む。だが……。
全てはマイクロトフが決める事さ。
次の瞬間にはそう開き直り、誘惑を止めない。
到底抗える訳の無い魅力的な微笑みを浮かべ、彼の最高の友人にして最愛の恋人は選択を迫る。
「さぁ、どうする?」
カミューの眠りを邪魔したくないが、起きても欲しい。
毎朝そう思っていたマイクロトフの願いは聞き届けられた。だが……。
眠ってるカミューは無害だった……。マイクロトフがそんな事をちらりと考える。目覚めたカミューは、眠り姫のように愛されるのを待ってるだけでもないし、都合よくも無い。欲しければ奪い取るし、それはマイクロトフにとって都合のいいことばかりではない。
……それでも目を覚ましてくれて嬉しいが。
それでもそう思った当たり、マイクロトフもかなり重傷のようだ。
そんなマイクロトフの内心を悟ったように、カミューがマイクロトフの顔を見て勝ち誇ったかのように微笑むと、両手でマイクロトフの頬を挟み、キスをしようと顔を近づけてきた。
もう、逃げられない……。
マイクロトフの一日は、こうして苦悩の海に沈む所から始まったのだったのだった。
今日の早朝訓練が中止になったのは言うまでもない。
ENDE
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