◆Russian White&Little Red◆



「おい、メガネボウズ」

 背後から声をかけられた小柄な少年は、一瞬体の動きを止めた。声をかけたイリューヒンがこちらを振り向くのを待つが、声をかけられたミートは一瞬立ち止まりかけただけで無視してすたすたと歩き始めた。赤いマントがミートが歩くたびゆらゆらと揺れる。

「おい!」

イリューヒンが大股で何歩か歩くと、小さな歩幅のミートなどすぐに追い越してしまう。無視したことを責めるように目の前に立ちふさがったイリューヒンをミートが上目使いで睨み付けた。さすがに目の前に立ちふさがれては無視もできない。

「何ですか?」

 小さい体に似合わずキツイ目でミートが睨むと、イリューヒンが一瞬はっとしたように息を呑んだ。その隙を突いてミートがまたすたすたと歩き始める。超人オリンピックの予選で、彼がミートにしたことを思えば、普段は礼儀正しいミートのその態度も当然だったかもしれない。

 何も言えずにイリューヒンがミートの背中を見つめた。その無表情からは彼が何を考えているか伺うことはできないように見える。

「……なんですか?」

 そのまま行過ぎていくかに思われたミートが不意にイリューヒンを振り返ってそう言った。やはりそのまま無視して行けるような性格ではないらしい。

「……」

 イリューヒンが無言でミートを見つめる。何か言いたそうだが、きっかけがつかめない。そんな風だ。

「僕に何か用があるんでしょ?」

 ミートがそんなイリューヒンをみて態度を軟化させた。そもそも人がいいのだ、この子は。自分がされた事も忘れ、自分からイリューヒンに話し掛ける。

「……」

「……そんな顔をしないで下さい、僕が悪かったです」

無言でミートを見つめるイリューヒンの無表情はいつもと同じだった。見ようによっては怒っているようにも何も気にしていないようにも見えたが、この少年にはその中にある微妙な感情を判っているらしく、冷たい態度を取ったことを素直に謝った。

「……あのな、メガネボ」

 ミートのその言葉にきっかけを与えられたのか、何度か言葉を出そうとしてはためらった後、イリューヒンがそう言い掛けた。

瞬間、ミートがぴしゃりとイリューヒンの言葉を遮る。

「僕はミートです」

「……ミート」 

「ハイ」

二メートルも優に越す超人が、小さなミートにそう言われて気圧されたように素直に名前を呼んだ。他人から見ればどこかほのぼのとした光景だったが、当のミートとイリューヒンはもちろん大まじめだ。

奇妙な雰囲気の中、イリューヒンがゆっくりと背中に回していた手を動かした。なんだろう? と思いつつも、気おされまいと精一杯イリューヒンを睨むミートの目の前に、何か白い箱がぬっと突き出された。面食らうミートがイリューヒンを見上げると、イリューヒンがその表情と同じ硬い声で言った。

「受け取れ」

「何です?」

 ミートの言葉には直接答えず、イリューヒンは背中に隠していたらしきその箱をミートにぐいぐいと無理やり押し付ける。

「あ!」

箱の上部は半透明になっており、そこから箱の中身を見ることができた。訝しがりながらもイリューヒンから両手で箱を受け取ったミートが中を見て思わず声をあげる。

「ケーキだ!」

ミートが再びイリューヒンを見上げると、イリューヒンが曖昧に頷いた。イリューヒンの表情を確認すると、ミートがまた箱の中を確認する。そこには、真っ白なクリームに真っ赤なイチゴがたくさん乗った大きなケーキがホールのまままるごと一個入っていたのだ。

「わぁ〜、おいしそうだなぁ! どうしたんです、これ?」

「礼だ」

嬉しそうなミートを見て、照れくさいのか視線を合わそうとはせずにイリューヒンがそう言った。

「それと……」

 言いにくそうなイリューヒンの言葉を、ミートがさっきとは打って変わったニコニコとした表情で待つ。

「はい」

その表情に勇気が出たのか、イリューヒンがぽつりと呟いた。

「……悪かったな」

 一瞬、メガネの奥のミートの目が真ん丸く見開かれた。その後、先ほど以上の満面の笑顔でイリューヒンに笑いかける。

「イイエ! もう気にしてませんから! ありがとう」

「あ、ああ……。そうか、ありがとう」

「いえ、こちらこそ! ケーキまで頂いちゃって」

「何を礼に贈れば良いか判らなかったんだが、気に入ってくれたか?」

「ええ、もちろん! 綺麗ですねぇ、まるで貴方みたいに真っ白だ」

 ケーキをまるで宝石を見るかのように覗き込んでミートが嬉しそうにそう言った。

「イリューヒン」

 片手でケーキを大事そうに抱えて、ミートがイリューヒンに向かってもう一方の手をさしだした。

「?」

「握手です。貴方はなぜ僕が怒っていたのかもう判ってくれたはずですから、僕がわだかまりを持つ必要は何処にもありません。だから、改めて貴方と握手です」

 ミートの言葉に、イリューヒンの口元がほんの少し緩んだように見えた。微笑みなどとは程遠かったが。すっとイリューヒンもミートに手を差し出した。ミートが満足そうにイリューヒンを見ながらその手を取り、何かを確かめるかのようにしっかり握って二、三回上下させた。

「不器用なんだなぁ、ロシアの超人って!」

 イリューヒンの大きな手に自分の手を預けながら、ミートがおかしそうに笑って独り言のようにそう言った。

「なんだ?」

「貴方といい、ウォーズマンさんといい、不器用だけど、ホントはとっても優しい人なんですよね! ホント、貴方はウォーズマンさんにそっくりだ」

 ミートが、イリューヒンがどんな顔してケーキを買ったのだろうと想像してくすくす笑った。イリューヒンが自分のためにいろいろ考えて慣れない事をやったのだろうと思うと素直に嬉しくて笑みがこぼれる。

「……」

 ミートの言葉に、何を言っていいのか判らないらしいイリューヒンが少し困ったような表情をした。もっともそれはやっぱり普通の人が見たらいつもと変わらないような無表情に見える微妙な変化だったのだが。

「僕、ウォーズマンさんのこと大好きだから、きっと貴方も大好きになりますよ」

「あ、ああ」

 他人から好意を寄せられるのは慣れてないのか、どうしていいのかわからないらしいイリューヒンがミートにたじたじになる。

「ねぇ! せっかくだからこのケーキをみんなで食べましょうよ。二世と、キッドと、ジェイドも凛子さんもマリさんも呼んで! 僕紅茶入れるの上手いんですよ」

「あ、いや、俺は……」

「何遠慮してるんですか! さ、行きましょう」

 今度は、超人オリンピックとは逆の立場で、ミートがイリューヒンをぐいぐい引っ張って行く。だが、その強引さをイリューヒンは嫌だと感じなかった。


「イリューヒン、貴方の遺伝子飛行機、ホントに凄いですよね」

「ああ、ありがとう」

「貴方と一緒だったら、どこでも行けますね」

「ああ、どこでもつれてってやる」

「本当ですか!? 約束ですよイリューヒン」


 楽しそうに話すミートと、まだ戸惑っているイリューヒンの二人の声がだんだん遠ざかって行き、白い大きな超人と赤いマントをつけた小さな超人の姿が会場の長い廊下の角を曲がって消えた。

後日、万太郎が大騒ぎして空を指差した先に、白い飛行機に乗って手を振るミートの赤いマントが上空にひらひらとはためいていた。二人は万太郎やキッド、ガゼルやセイウチンの上空をぐるりと旋回した後、さらに高度を上げてミートの赤いマントも赤い点となり、イリューヒンの白い機体もやがて青い空に吸い込まれていった。


ENDE

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