魔王の瞳
気難しい自分がなにかと目をかけていたのは、奴が底抜けに明るかったからだ。
なぜ自分のような回りから倦厭されているような男に懐こうと決めたのか不思議なほど。
降り積もる雪の向こうに、散るために往った後輩の背を思いながら新城は内心で思った。
裏表が無く、素直で明るい。
先輩、新城先輩と楽しそうに自分を呼ぶ。
ほら先輩、梅が花を咲かせました。見てください先輩、猫が子を産みました。
他愛ない話をそれはそれは嬉しそうに自分に話す。
性善説を形にしたような後輩に懐かれるのを、内心とても嬉しく思っていた。
人として欠けたところの有る自分が、一人前に慕ってきた後輩を可愛がるなんて芸当が出来たのは、ひとえに西田の性格のおかげだと思う。
教えを乞われれば、自分の出来る限りの事を教えてやった。
初めて色町に連れて行ってやったのも自分だ。
風邪でも引いたのか、猫が元気が無いと涙ぐむ西田と、一晩中猫に付き添ってやった事もあった。
柄にも無く青い悩みを聞いてやり、励ましてやった。
長く付き合えば情もわこう。
まして手塩にかけた育てた後輩だ。
思い出を仕舞った箱を空けて覗き込み、くく……と新城が喉の奥で笑う。
でもあいつ、信じられないことを言ったな。よりにもよってこの僕に。
「好きです」だなどと。
よく素面で口にする。
目を閉じて、新城は後輩の姿を瞼の裏に浮かべた。
「先輩、好きです」
何かのついでのように、西田は新城にそう言った。
「ああいいえ、どうこうしてくれってわけじゃないんですけど」
鳩に豆鉄砲を食らったような新城の顔を見て、西田はつけたした。
たしかなにかの帰り道。
並んで歩く長い影。
夕日は血のように赤くて、川沿いの土手にさしかかったところだった。
「気が向いたら口付けくらいはしてください」
なぜあんな顔で笑う事が出来る?
にっこり笑って言った西田に、僕はなんと答えたか。
ああ、そうだ、思い出した。
「莫迦を言え」
そう言ったのだった。
「こんなことなら口付けくらいしておくのだったな」
もはやどうにもらなぬ独り言を呟く。
西田のために?
いや違う。と新城は思いなおした。
愛していたよ、お前を。
多分僕は、この後悔を一生心に抱えて生きてゆくのだ。
想いに答えてやれなかったから余計に。
お前は僕を手に入れた。果たされなかった願いゆえに。
むずがゆいような、泣きたいような思いが新城の胸を満たす。
このやりきれない思いをどうすればいい?
最後に見た西田の姿を忘れまいと、胸に刻み付ける。
恨み言も言わず、素直に、西田は命令に従った。素直すぎるほどに自分の使命を果たしに往った。
「導術兵! 西田小隊はどうなっている!?」
不意に西田を捨て駒に使った男の声が耳に入り、新城の甘やかな感傷を打ち破った。
若菜は、僕が西田を可愛がっていたことを知っていたな……。
とたん、先ほどの優しい気持ちが嘘のように、新城の胸中を憎悪が染める。
西田小隊、全滅。
隊長、西田少尉戦死の報が届いたのは、それからまもなくだった。
「何もかも無駄になったな」
西田戦死の報を耳にした時、わざとそんな言い方を新城はした。まるで、作品を大事に作り上げてきた自分の労力を惜しむかのように。もっとも、言われた猪口はそのようには受け取らなかったが。
新城は恐ろしい男だが、少なくとも心から自分を慕ってくる人間に関して、その生き死にを損得勘定で片付けるなど出来ない事を猪口は知っている。誠意には誠意をと頑ななまでに思っている節がある。
それでも、そのような言い方しか出来ない人だということも知っている。
猪口の顔を見ると、自分の気持ちを見透かされているという事実を突きつけられるので、新城は背を向けて歩き出した。
そんな言い方しか出来ない自分に嫌気が差す。だがそれが、戦争という不条理に対する、新城の精一杯の反抗だった。
たかが中尉に軍隊は動かせない。そう言ったときも、西田は笑っていたな。
足元の雪を見ながら、新城は思い出していた。上官の点数稼ぎに、死にに往かなきゃならないってのに。
「なにもかも、無駄に……」
無意識のうちに呟き、歩みを進めていた、さく、さく、と軍靴が雪に沈む。
「無駄に……」
どのように死んだのだろう、西田は。
北領の空を見上げる。この空の下で西田は死んだ。
信じたくない事だが、あの笑顔はもうこの世にはないのだ。
西田、西田、やはり僕は人間失格なようだ。
お前にしかあんな気持ちは抱けない。
お前が居なくなった今、僕は鬼か魔王にでもなるしかない。
僕は若菜への憎悪を胸に刻み込んだぞ!
再び瞼を開けた新城の目は、暗い感情に支配されていた。激しい憎悪に突き動かされながらも、冷静さを失わない、魔王の瞳。
「フフフ……」
思わず笑みがこぼれた。
思考が妙にはっきりとしている。暗い衝動に突き動かされ、楽しい気分だと言っても良いほどだ。
再び猪口の元へ戻った時、新城の顔はいつもの無表情だった。猪口は、すっかり何事も無かったように振舞う新城をしばらく見ていたが、少し肩をすくめ、新城から目を離した。
誰も、魔王が一人紛れ込んだ事を知らない。
終
20080628 UP
初出 20070317発行「一期は夢よ、みな狂え」
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