字音着物騒動記
部屋に入って仰天した。
そこは、昨日までヨーロッパ風の部屋だったはずなのだ。
絨毯がひかれ、猫脚のソファーがあり、装飾の入った暖炉や何やらがあったはずなのだ。
それが、今はどうだ? 映画の中でしか見た事の無い畳が広い絨毯の上に一面に敷かれている。私が見た中で、その光景に一番近いものは柔道の道場だ。
その畳の上に、大きな箱が所狭しと積み上げられ(着物の入った箱だそうだ)、色鮮やかなKIMONO、いや着物が、柄がよく見えるように、専用のハンガーにかけられていてあちこちに展示されていた。畳の上にも布がひかれ、その上に幾つも反物や畳んだ着物、帯が並べられている。金や銀、黒、赤の鮮やかな布が視界いっぱいに飛び込んできて、目も眩むような豪華絢爛の雰囲気が漂っていた。
あるのは着物だけじゃない。帯もだ。帯だけじゃない、色鮮やかな紐が、いや、帯締めが何本もかけられた衝立みたいなのがあったり、バッグや草履、かんざしなどが並べられていたりで、そこだけ何がなんだか判らないワンダーランドだ。
着物が欲しい。というキシリア様のご要望に、マ・クベ大佐は即座に答えた。その結果が今のこの有様という事らしい。
「凄い……ですね」
やりすぎではないか……と思いながら、壮絶な光景にあっけに取られてそう言うと、マ・クベ大佐が心底嬉しそうな表情をしてちらっと私を見た。お好きなのだ。こういうのが。こう、古いものとか、綺麗な物とか、美術工芸品の類が。
「感心している場合じゃないぞ。お前も着るのだ」
完全に他人事だと思っていたので、ええー! と私は間抜けな叫び声を上げた。驚いている間もなく、私は畳の上に引っ張り上げられる。呉服屋の人に、早くブーツを脱いで! と急かされるままになっていたら、今度はあれよあれよと軍服を剥ぎ取られてしまう。
綺麗な着物は、女性が着るから美しいのだ。あれを俺が着たらどうなってしまうのだ? 綺麗な女性ならともかく、俺が着たら化け物そのものじゃないか。
どうなってしまうのだ!? と思っていると、飾られていたようなキラキラしいものではなくて、地味な着物を持ってこられた。シュラインで神に仕える、牧師のような、神父のような、何とかという人が着ているような格好をさせられる。上は着物で、下はだぶだぶのズボンのようなアレだ。ただ、あれは、上は白で下は水色だったが、私の場合は、上下も濃い藍色だ。
ああ、こういう着物もあるのか……とほっと一安心する。考えてみれば、あれらはキシリア様に用意された物なのだから、女物じゃないか。私が着るはずが無い。変な心配をしてしまった。
「よく似合うぞ、ウラガン」
普段着慣れない着物に着替えて、変な気分で出てきた途端、笑いを含んだ大佐の声が私にかけられた。
大佐の趣味を押し付けられた挙句、笑われる私はなんなのだ。
「道場破りか田舎侍のようだな。チェストー! と言ったら似合うかもしれんぞ。作務衣にしてやった方が良かったかな?」
そう仰って、くっくっと声を殺して笑う。
何か言い返したかったが、言い返せなかった。
私は、思わず大佐に見惚れていたのだ。
大佐は、シルバーグレー、いや、大佐の言い方に従うのなら、銀鼠の着物をすらりと着こなしておいでだった。
だぶだぶのズボン、いや、袴なしの着流しで、衿はこころもちゆったりとしており、帯は少し低い位置、下腹部に締めているのがまた格好よく見えた。横から見ると、立ち姿がうっとりするほど綺麗だったのだ。
女物ほど派手さやきらびやかさは無いが、男物の着物も十分美しいと私は大佐を見てそう確信した。(この際田舎侍? のような自分の姿は忘れておく事にする)
「もうすぐキシリア様がいらっしゃるはずだ。それまで自由にしておけ」
と大佐が仰い、「たすきを」と呉服屋の女主人に声をかけた。女主人は、大佐に輪にした紐を渡す。私が「?」と思っていると、大佐はその輪になった紐をひねって、小さな輪を二つ、丁度メビウスの輪のようなものを作り、輪の一つずつに腕を通して袖をからげた。
ほう、このようにして使うのか。と感心する。露になった大佐の二の腕が、またなんだか格好良い。大佐の和服にたすき姿に、同じ男ながら、色っぽいと思ってしまった。
大佐は、そのまま女主人と箱を開けながら、早速着物の物色に入っている。
手持ち無沙汰な私はそこら中にある着物や帯を見て回る。金銀、黒、赤、青、幾何学模様、兎、花、それは、今まで今まで考えていた「着るもの」に対するイメージからかけ離れた物だった。
ただ着るだけではなく、季節や風情を感じ、表現する作品として、着物は作られたのではないか。そういう気がした。
その中でも、一つの帯に目がいく。金と銀を使っているのに、派手にならず、逆に押さえた感じの落ち着いた雰囲気になるのは何故だろう? 不思議だ。と思っていると、大佐が近づいてきた。
「それはな、盆に描かれていた模様を帯にしたものだ」
「盆? あのコップとか皿を載せる……?」
「そうだ、その工芸品に描かれていた文様を帯にしたものだ。見ろ、この美しい流水模様を」
そう大佐が仰ったので、私は、改めてまたまじまじとその帯を見た。
淡い金と銀が地で、美しい水色の模様が、金で縁取られて入っている。先ほどの大佐の言葉から、この青は流れる水をイメージしたものなのだろうと判る。
「ほら、同じ青でもここの部分がグラデーションになっているだろう。こういう所も織りで表現しているわけだ。素晴らしいな」
楽しそうに大佐が仰った。
「大佐は物知りですなぁ」
「まあな」
「中国の壷にも精通してらっしゃるし、着物にもお詳しいのですなぁ」
「……あれは『中国』、これは『日本』の民族衣装だがな」
「そこらへんはよく判りませんが、流れる水をこのように表現しているのは面白いと思います」
中国だろうが日本だろうが、私にはどっちでも良かったので、素直にそう言うと、大佐がまじまじと私の顔を見た。何かおかしな事を言ったかと焦っていたら、大佐がポツリと呟かれた。
「素直だな、お前は」
また大佐が口を開こうとなさると、キシリア様がご到着される。と先触れの者が告げたので、私は大佐の言葉のその先を聞くことが出来なかった。
「キシリア様には、こちらの方がお似合いか?」
そう言いながら、またマ・クベ大佐が新しい振袖をキシリア様に羽織らせた。赤と黒を基調にした、ちりめんの着物だ。可愛らしい花の絵柄が沢山描かれており、華やかで豪華な中に、若々しさや可愛らしさも感じさせる。鏡の中にあるキシリア様の姿は、とてもよくお似合いだった。
帯はこれで、と大佐は、黒地に金の大きめの模様の入った帯をキシリア様に見せた。キシリア様が、軽く頷く。
着物を着付けるのには時間と手間がかかる(そうだ)、だが、大佐はキシリア様に、マントと肩の金具を外させただけで、軍服の上から、さっと着物を羽織らせた。いちいちきっちりと着せるのではなく、簡単に形を作り、手早く紐やクリップで形を整えている。その鮮やかな手つきに、私は感心した。
帯も結ばすに簡単に巻いて留めるだけにして、一旦鏡で確かめている。その顔は、かなり真剣だ。
なんでそんな事ができるのだ。という問いは、大佐には意味が無い。できる物は出来るのだ。そういう人なのだ。もしかしたら、私も事前に色々と勉強させられたし、今日の日のために大佐も特訓でもしたのかもしれない。
だが、思うに、着流しの着こなしといい、着物を見る目といい、かなり手馴れていたので、前から着物がお好きで、色々勉強されていたのだろう。なにしろ、そういう努力は惜しまない方だから。
鏡の中の大佐は、鏡の中のキシリア様を見て満足したように頷くと、キシリア様の後ろに回り、しゅるしゅると小気味良い音を立てて帯を結び始めた。
「これはいい帯です、柔らかくて結びやすい。結び皺もつきにくい筈ですから。文様も流水で、お着物の花と被りません。先ほどの帯でもよろしかったが、あれは少し柄が被るので、こちらにしましょう」
そう説明している間に、あっという間に帯を結び終わる。
その次に、側にあるたくさんの帯締めの中から、鮮やかな緑をした帯締めを迷わず手にとる。
「このお着物にこの帯でしたら、帯締めはこの緑がよろしいですな、お色が映えます」
マ・クベ大佐はそう鏡の中のキシリア様に言い、帯締めを締めると、今度は帯揚げを選び始めた。
たしかに、マ・クベ大佐の言う通り、その緑は、着物の中でピリッとしたアクセントになっている。なるほど。と私は感心した。
やがて大佐は、ピンクと緑、白のグラデーションの鹿の子絞りの鮮やかな帯揚げを、キシリア様の帯の上のほうにはさんでいく。
「この帯揚げで、お着物と帯の区別をはっきりさせるとよろしいです、ほら。この帯揚げは、緑色の部分と、ピンクの部分もありますから、お着物に合わせて色を出すとよろしいでしょう」
大佐の言葉に、またキシリア様はうんと頷いた。鏡に映るキシリア様のお顔を見ると、なぜだか神妙な顔つきで、マ・クベ大佐のなすがままにされている。
お着物を着るご自分のお姿に戸惑っているのか、それとも、着せてもらうというなすがままの自分がこそばゆいのか。
キシリア様のために、着物を選んで着せる大佐と、大人しく大佐に着せられているキシリア様の間に、なんだか濃密な繋がりがある。着付けに必要な、抱きつくような格好をする、というような直接的な密着があるだけじゃない、それだけじゃなく、なんだか精神的にも近くなっている気がするのだ。
大佐は、キシリア様をいかに美しくするかという事で頭がいっぱいで、キシリア様はそんなマ大佐をなすがままに受け入れている。
なんだかお二人の世界に入っていらっしゃるので、私はなんとなく二人から視線を外し、ぐるっと周りを見回した。
ちりめん、染め物、絣、織り、畳の上に、それはもう沢山の着物が畳の上に無造作に放り出されている。大佐は、キシリア様のお好みを取り入れつつ、着物を取り出してさっと当てては、ああでもない、こうでもないと言っている。
今度は、金や赤など、美しい大きな鳳の柄が入った着物を手にとり、キシリア様に着せた。
「昔は、背の高いお人はお着物が着られないなどと言われていたのですが、今はそんな事ありません。逆に、背のある方は柄が良く出るので、今大佐がお選びになったようなものが良くお似合いになるんですよ。これは私みたいな小さい者には着られませんから、お羨ましい」
少し小柄な呉服屋の女主人が、鏡の中のキシリア様を見ながら、にこにこと微笑んでそう言った。
ではこれも。と事も無げにキシリア様は仰り、はしたなくもちらりと見た値札に、私はうへぇと思った。
「だて衿は、キシリア様のお顔には赤もよいですが、紫にしましょう。女らしくお綺麗に見えますよ」
とりあえず一式着せて、最後の仕上げと大佐はだて衿を慎重に選んでいたが、紫で決めたようだ。衿にもう一色重ねると、ぱっと華やかになった。
着物も、帯も、帯揚げや帯締めなどの小物も、全ては大佐の計算通りに組み合わせられたキシリア様のお姿は、それはそれはお美しかった。
ただでさえ美しい物が好きな上に、センスや教養を問われるこの作業は、かなり大佐の好きそうな事ではある。しかも、着せる相手がキシリア様というのだから、大佐にとってはかなり楽しい一時だろう。
私の予想を裏付けるように、大佐もキシリア様を満足そうに眺められている。今、キシリア様は大佐の作品でもあるのだなぁと何となく思った。
面白いものだ。着物も、帯も、帯締めも、単品だけでなく、その組み合わせで色々と印象が変る。何気ない様でいて、その美しさは選んだ者のセンスで計算され尽くしているのだ。
「どうだ?」
と、キシリア様が少し誇らしげに両手を広げ、袖や前の文様がよく見えるようにしてみせた。
裾に大きな鳳凰が、存在感たっぷりにその鮮やかな羽を広げている。堂々としたそのお姿に、なんだかへへぇっと頭でも下げたいような気になる。
「大変お綺麗ですよ」
大佐が優しくそう仰ると、キシリア様が嬉しそうにふふふと微笑まれた。
その時、入ります! という元気な声と共に、部屋のドアが開けられた。空けられた瞬間に、感嘆の声が響く。
「わぁ、姉上、お美しい!」
子供のように目をきらきらさせて、ガルマ大佐が駆け寄ってきた。土足は困ります。という言葉に、慌てて履いていた草履を脱いで畳の上に上がる。
綺麗です、綺麗ですとはしゃぎながら、ガルマ大佐がキシリア様の周りをくるくると回った。キシリア様も嬉しそうに、マ・クベに選んでもらったのです。と答えている。
「マ・クベが、な」
唐突に低い声で後ろからそう言われたので、飛び上がるほど仰天しながら後ろを振り向くと、ギレン総帥がキシリア様の着物姿を見つめている。総帥はキシリア様から視線を外し、今度は意味有りげに大佐をちらりと見た。
大佐はギレン総帥にも少し会釈をしただけで、顔色一つ変えない。
「馬子にもなんとかというやつか?」
そう言って、ガハハと豪快に笑ったのはドズル中将だ。
三人は、既に仕立てあがった、ジオンマークの紋(?)入りの羽織袴を身につけている。どうやら、着物ブームは、ザビ家全体に巻き起こった事らしい。
「ドズル兄上のは、反物を倍以上使って大変だったそうですよ」
からかうようにガルマ大佐がそう言うと、お前のような細い男は、普通の半分で間に合ったんじゃないのか? と言い返されて頬を膨らませている。
「キシリア、これを着ろ」
そうにやにやしながら、ドズル中将が何やら模様が入った赤いものを差し出した。
キシリア様が不思議そうにそれを手に取ると、見る見るうちに表情が怒りに変る。
それもそのはず、キシリア様に手渡されたのは、どこから見つけてきたのか、好事家が好みそうな四十八手の柄の入った赤い長じゅばんだったのだ……。
「ガルマがな、姉上に似合うだろうと」
「えええ! そんな事言ってませんよ! 『男性にご縁が出来ますよ』って呉服屋さんが言っていたから、ドズル兄上がキシリア姉さんにって言ったんじゃないですか! そ、それにこれはギレン兄上が買ったんですよ」
「私はおまえたちが欲しそうだったから買ってやっただけだ」
互いに罪をなすりつけあうご兄弟に会話が続けられたが、キシリア様の手にある男女の絡み合う赤い長じゅばんがぶるぶると震えてきた。
まずい……。
「そんなに気に入ったのなら、貴方が着なさい!」
キシリア様のお声と共に、ばさぁ! とガルマ大佐の頭から、卑猥な柄の赤い長じゅばんがかけられた。
ふわっと宙を舞う男女の和合姿、頭からそれを被るガルマ大佐の泣きそうな顔。お怒りのキシリア様。
「がはははははははは!!」
そしてドズル中将の地を揺らすような笑い声。
「ひ、ひどいですよ姉上〜」
ガルマ大佐が、情けない声を上げるその声があんまり可笑しくて、ドズル中将の笑い声があんまり豪快だったので、みなも耐え切れずに思わず大笑いしてしまった。
涙を流し、おなかを抱えて笑い転げる者までいる。だが、ご兄弟はお怒りになるでもなく、場は一気に和やかになってしまった。
下手したら大修羅場だったが、こうなったのもご兄弟の人徳の賜物なのかもしれない。
ご兄弟はキシリア様に追い出され、これでもう終わりか。と思ったが、それは大変甘い考えだったようだ。大佐は、では今度は訪問着を……とまた別の着物を出しはじめてきたのだ。
振袖、付け下げ、訪問着、春の着物、夏の着物、一口に着物といっても、季節や場所によって色々な種類があるのだ。と大佐は仰っていたが、私にはなにがどうなのだか区別もつかない。着物を着て雰囲気作りに一役買っているだけだ。
「ウラガン、帯だ!」
なので、不意にかけられた大佐の声に、私は飛び上がるほど緊張した。
大佐は私を試していらっしゃるのだ。私が選んでくる帯次第では、大目玉を食らってしまう。今までのほほんと正座をして、大佐の薀蓄を聞くだけだった私に、途端に試練が与えられて焦った。
「顔を見れば、すぐにどんな着物が似合うか判る」
……と大佐は仰るが、私にはまだとんと判らない。帯だってそうだ。その人の顔や雰囲気、着物に合う帯をもってこいと簡単に言われても、困惑してしまう。
私は、私なりに無い美意識をうんうん絞りながら、そこら中に並べられている帯を順に見回った。
一つ、面白い柄の帯が目にとまる。黒と芥子の十字模様が小気味よく並んだもので、私は思わずそれを手にとった。
キシリア様のお着物姿を一生懸命思い浮かべ、そこにその帯を締めてみる。
結構面白いと……思う。
「大佐、これを」
教授の元に口頭試験を受けに来た学生のように、私は、おずおずと帯を大佐の所に持って行った。
「うむ……」
ちらりと大佐が帯に目をやった。もし駄目なら、二度と目をくれないだろう。そっぽを向いたまま、「もう一度選んで来い」と冷たく言われてしまうに違いない。
そしてそれは、結構私の心にこたえるのだ。
なぜか、出来る限り体を縮こませる。その方が受けるダメージが少ないように思えるからだ。笑われそうだが、こんな時ほど自分の体が大きい事を呪わずにはいわれない。
「面白い柄だ」
そう言って、大佐は、キシリア様にその帯をくるっと巻いた。
なんとか合格を貰えて私はほーっと大きなため息をつく。
「良いではないか、これは」
ありがたいことに、キシリア様も気に入って下さったようだ。お言葉に、ついやったとニヤニヤしてしまう。
自画自賛するわけではないが、鏡の中で、大佐の選んだ訪問着と、私の選んだ帯をお召しになったキシリア様は、私の想像した以上にお似合いでお美しかった。
それでいいじゃないですか。と私が心の中で呟くと、大佐が口を開いた。
「だが、これは十年後には着られないな」
唐突な大佐の言葉に、はぁ? と目が丸くなった。
「確かにこの柄は面白い。だが、キシリア様の十年後には着られない。キシリア様に十年後に文句を言われたくなかったら、こちらにしたほうがいいな」
そう言って、大佐はキシリア様にご自分で選ばれた帯を合わせられた。
確かにお似合いだが、十年後のキシリア様。などと言われてもぴんとこない。
「十年後、でありますか……?」
「そんな事まで考えるのか?」
キシリア様もそう思ったのか、口を挟まれた。
「そうですよ。十年後のキシリア様がお召しになることまで考える。他の着物に合わせることも考える。それだけじゃありません。この帯を、キシリア様のお子様がお召しになることも考える。良いお着物とは、そういうものですよ」
大佐の言葉に、なんとなく感心してしまった。着物選びに、そこまで考えるとは思わなかった。代々大切に、母から子へ、子から孫へと受け継がれる着物というのも、なんだかいいものだ。
「だが、お前のセンスも中々のものだぞ」
くるりと私の方を向いて大佐がそう仰ったので、わたしはまた嬉しくてにんまりと微笑んだ。
長かった着物選びも、それで終わり、キシリア様は満足そうにマ・クベ大佐にお声をかけていた。「やはりお前に任せてよかった」とのお言葉は、マ・クベ大佐にとって何よりも嬉しい報酬だっただろう。
そのままお忙しい身のキシリア様はすぐにオフィスに戻っていかれ、後には大量の放り出された着物と私たちが残った。
「やはり、いい着物は畳む時も気持ちが良いな」
そう言いながら、大佐が正座をし、着物をたたんでいる。他人に任せればいいものを、この人はよっぽど美しい物が好きなのだろうと思う。
私はと言うと、袋から出しただて衿を、折り目を目印に、元のように戻して袋に入れようと四苦八苦しているありさまで、もちろん着物など畳めない。正座だってできないので、あぐらをかいている有様だ。
だが、そうですね。と一緒に言いたくて、そっと、大佐の言う「いい着物」に触れてみた。
……わからないであります。
しょうがないので、私は大佐に別の事を話し掛けた。
「大佐、大佐がキシリア様に選んだ着物は、どのような基準で選ばれたのですか? 顔を見れば判ると仰っていましたが、私にはさっぱりです」
そうすると、着物を畳みながらちらっと大佐は私の方を見た。何をばかな事を言っている。とその目が語っている。
「決まっているだろ」
「ハァ」
「私が脱がせたいと思う着物だよ」
……絶句した。
まあ、大佐が神をも恐れぬ神経の太さなのは知っている。ようやく、あの時のギレン総帥の意味ありげな言い方の意味が判った。
それでも平然としているなんて、なんてお人なのだ、この人は。
呆れたような、感心したような変な気持ちのまま、私は無言で着物を着せる時に使う紐を手にとった。それを、ある一定の規則に従いながらくるくると回して器用に畳むと、丁度、ニンジャが使う手裏剣のような形になるのだ。私は、やりかたを大佐に教えていただき、早速作業に取り掛かった。
紐が、ニンジャの手裏剣になるはずなのだ。
何故、ならない……。
私の手元に、出来そこないのいびつなひとでが載っている。
「何をしている……」
「あ、いや、畳み方を間違ってしまったようで……」
私がそう言うと、大佐が無言で私のひとでを奪い取った。ぱっと紐に戻すと、くるくると器用に畳みだす。あっというまに、大佐の手にはニンジャの手裏剣が乗っていた。
「器用ですねぇ……」
「お前が不器用なのだ!」
最後の最後にヘマをしてしまった……。としょんぼりしていると、私の頭に、柔らかいなにかがぽこんとぶつけられた。
布製のニンジャの手裏剣だ。
「いいか、もう一度だけ教えてやる」
そう言うと、大佐はわざわざ結び終えたそれを戻し、また私の目の前で畳んで見せた。
今度こそ。と私は真剣に大佐の手元を見つめる。
「わかりました」
わざわざ教えてくれるなんて、優しいなぁ、大佐。と思いながら、私は頷いた。
だが。
「ではやって見せろ」
そう言って、また大佐はぱっと紐に戻してしまったのだ。
あっ! と思わず声を上げてしまった。完成品をじっくり見て復習する機会も奪われてしまったのだ。前言は撤回する事にする。大佐、意地が悪い……。
最後の一つを畳み終えたのだから、もう私はやらないでもいいだろう。という楽観的な目論見は脆くも崩れ去ったのだった。四苦八苦する私を見るのが大佐は何よりもお好きなのを忘れていた。
二度目はなんとか合格点を貰い、大佐はようやく立ち上がった。
「では、お仕立てあがりは一ヵ月後ですので、その時にお届けいたします」
私も大佐も軍服に着替え、帰り際、女主人がそう大佐に言うのを横目で見ながら、私は最後にぐるっと部屋を見回した。このキモノワールドとも最後かと思うと、少し名残惜しい。
「あっ、大佐、あの黒い着物破れてますよ! 欠陥品ではないですか?」
帰り際、私は大声を上げて大佐に一つの着物を指差した。
よく見えるように着物用のハンガーにかけられていたその着物の胸元には、なんと二箇所も穴があいているように見えた。なんだか白い布が挟まっている。
こりゃなんだ? 欠陥品なのだろうか。
呉服屋がザビ家に持ってきた着物に、そんな欠陥品があるのが信じらない。そう思って大佐を見ると、顔を赤くして私を睨んでいる。
「馬鹿者! あれは、あそこに紋を入れるからああなっているのだ! 破れているのではない!!」
あ、そうなんですか……。と頭を掻くと、周りからくすくすと笑い声が起きた。「破れていませんよ、今からお仕立てするのです。欠陥品ではなくて未完成品ですね」と、女主人が笑いながら説明してくれた。
着物にも色々格式があり、着物の種類や幾つ紋を入れるとかで変るのだそうだ。あれは黒留袖というもので、私が穴があいていると思ったところには、「紋」を入れる場所だったのだ。紋にはいろいろ有って、買った人が選んでそれから入れるのでああなっている……ということだった。
全く、お前のせいでかかなくていい恥をかいたぞ。と仰る大佐にすいませんでしたと謝りながら、私はそそくさと部屋を後にした。
着物から、いつもの軍服に着替えてしまった大佐をやや残念だと思いながら。
ENDE
151106 UP
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