◆鬼人月光如◆



「ねぇ、再不斬さん」

そう言いながら白が手を伸ばして暗い部屋の障子を少しだけ開いた。月の光が差込み、白の白い肌を照らす。ところどころに紅いあざがついた裸身は、月明かりに照らされてなまめかしく白い。

「なんだ……」

白の隣で仰向けに寝て、軽く目をつぶった再不斬が返す。目を閉じているが、白が何をしているかはその気配で手にとるように判った。

「もしボクが……、もし怪我とか、毒とか……、いろんな理由でボクが貴方の足手まといになったら……」

さらさらという衣ずれの音が聞こえる。先ほど再不斬に愛された体を白い夜着に包んでいるのだろう。
 白の声が少し緊張しているのが判る。睦みあった後の気だるくて甘い雰囲気の中で、閨房の睦言にまぎれて言おうとしている事が、本当は白にとってずっと聞きたくても怖くて聞けなかった事である事ぐらい再不斬にも判る。

「もしボクが貴方の足手まといになったら……」

「心配するな。殺してやる」

言いにくいのだろう、回りくどい白の言葉に、再不斬が目を開けてぎろりと白を見て言った。射抜くような鋭い眼光。常人なら恐ろしくて震えあがるその眼光が白はとても好きだった。

「ウフフ……、よかった。再不斬さん優しい」

にっこりと笑う白の横顔を月光が照らす。真っ白な柔らかい笑み。

「優しい?」

再不斬が眉を上げて問い返した。
 「だって殺してくれるって言ったじゃないですか。ボクが殺す価値も無い足手まといになっても殺してくれると言ってくれるなんて、今日の再不斬さん優しい。ねぇ、約束ですよ?」

「そうだな……、俺とした事が足手まといをわざわざ殺すなんて甘いな」

「でも、なるべく再不斬さんに迷惑がかからないように自分でどうにかしますね。あ、その前に再不斬さんの足手まといにならないようにするのが先ですね」

「殺してやる」と言われた事がよほど嬉しかったのだろう。喜びを押さえているみたいだがいつもおとなしい白にしてははしゃいだ声と明るい表情で再不斬を見る。
 怖いのだ。再不斬に必要とされなくなるのが。誰にも必要とされなくなるのが。再不斬の足手まといになると言う事は、強い武器たれという再不斬に必要とされなくなると言う事。それなのに、わざわざ殺してくれる。という再不斬の言葉が心底嬉しかった。

まるで、自分が再不斬にとって道具以上の存在であるかのように錯覚できるから。

「そうでないとボクの存在価値が無くなりますからね……」

白の声の調子が少し下がった。しょせん自分は再不斬にとっての道具。それは承知している。道具として必要としてくれ、愛してくれるだけでいい。だが……、今夜のように再不斬に愛された夜は辛い。白の体と心が身のほど知らずに再不斬に愛してもらいたがる。

「そうだ。強くなれ、白。誰よりも強い俺の武器となって俺を助けろ。俺の役に立つのならおまえを愛してやる」

再不斬の裸体にも月が柔らかい光で陰影を作る。まるで鋼の鞭のような細くて鍛えぬかれた体に、幾多の闘いで負った無数の傷がある。白がその一つ一つに丁寧に口付けて行った傷。夢を叶えるために負った犠牲の証。

「ボクの血は貴方のもの、ボクの体は貴方の物。ボクの心は貴方の物。再不斬さんだけがボクを必要としてくれる」

少し悲しげな白の笑み。何もかも受け入れて諦めた笑み。だが、諦め切れずに苦しむ笑み。

もし、再不斬さんが僕の血だけじゃなくてボク自身を愛してくれたら……。

それは思ってはいけない甘い想像。再不斬に知れたら自分は即座に切り捨てられるだろう。道具は何も迷わないからこそ強いのだ。そんな思いを持ったできそこないの道具と知れたら、少しでも再不斬の負担になると知れたら……。そう思うと怖くて再不斬の負担にならないように必死だった。

だが、いくら自分を殺しても思わずには居られない。求めれば求めるほど隠さねばならぬ想い。いくら思っても出せぬ禁断の想い。想いを隠すのは苦しくて辛い。辛いと言うならば、本当は闘うのも辛い。だけど闘わねば貴方の側にいられない。だからボクは闘う。だからボクは気持ちを押し殺す。

貴方のそばにいられぬ方がもっと辛い。

「何故俺を選んだ?」

再不斬がむくりと起きあがった。白が伏せた目を上げれば、白の事を再不斬がじっと見ている。月を背負った再不斬の姿。ぎらぎらした目がいつもよりほんの少し違う。

「え?」

言ってる意味がわから無くて白が目を丸くした。ボクを選んでくれたのは再不斬さんであって、自分ではない。そう思ったのだ。

「判ってるのだろう? お前は俺と来ない方が幸せだったと」

白からは、再不斬の表情は逆光でよく見えない。再不斬の唇がゆっくり動くのだけが判る。

再不斬は思う。優しくて闘うのが嫌いな白。白を血なまぐさい修羅の道に巻きこんだのは自分だ。白が心を痛めながら人を殺め続けている事を知っている。どんなにそれが白にとって苦しいか知っている。だが、それを自分の為に我慢している。そう思うと、奇妙な満足感を覚えるのだ。

何故俺なんかを選んだ?

白に犠牲を強いるたびに心の中で問いかける。

何故辛い思いを我慢する?

それは……俺のためなのか?

そう思うたびに、その想いを握りつぶす。鬼人には不用の甘い感情だ。目標達成の邪魔だ。何よりも、この俺にそんな資格があろうはずが無い。

人に……、白に愛されようなどと。

判っている、白が自分を慕うのは、刷りこみのような物だ。まだ真っ白だった白に無理やり自分しか見えないように刷りこんだのだ。白は絶望の淵で初めて自分を必要としてくれた者をすべてだと想い込んでいるだけだ。俺がそう育てた。

白が再不斬に向ける想いは、その言葉を使うのが許されるならば愛にとても似ている。だか、それは愛ではない。いや、そんな物必要無い。俺の野望のためにその身を犠牲にしている白が俺がそんな甘い心を持ってると知ったら失望するだろう。

だが、いくら偽物の想いでも、人の生涯でここまで深く想ってもらえる事があるだろうか。そこまで想ってくれる人間に出会える者がこの世に幾人居るのだろうか?

そう思うたび再不斬は思うのだ。何故こんな俺を選んだ? と。
 俺が白の側に居るのではない、白が俺の側に居てくれるのだ。

「再不斬さん、何を言ってるんですか? 僕を選んでくれたのは再不斬さんの方でしょう? ボクには再不斬さんしかいないのに、どうしてそんな意地悪を言うんです?」

不満そうに唇を尖らす白の綺麗な顔。結った髪を下ろすとまるで女のようだ。

違う、そうじゃない。俺がそうおまえに思いこませただけだ。

「……そうだな。おまえは俺のものだ」

だが、それを口には出さなかった。俺はもう白を離さない。ずるくて汚い手段でおまえを手に入れた。だがもうおまえを離しはしない。いまさら善人ぶってももう俺の手は血でべったりと汚れているのだ。鬼人なら鬼人らしく落ちるところまで落ちていこう。

白、おまえと一緒に。

「ボクは再不斬さんのもの……」

そう言って白はまたにっこりと笑う。どんな形であれ再不斬に必要とされているのがただ嬉しかった。呪うべきこの血も、再不斬が必要としてくれるのなら誇れる。善悪も何も無い。ただ再不斬の存在を何もかもすべて受け入れる白の笑み。何色にも、再不斬の思う通りに何色にも染まって行く白の笑み。そして本当は何色にも染められぬ真っ白な笑み。

「再不斬さんの夢をかなえる事がボクの夢。再不斬さんが必要としてくれる事がボクの存在理由で存在意義なんですか……」

言いかけた白の頭を不意に再不斬の大きな手が強引に引き寄せ、驚いた表情の白の唇を奪う。

「再不斬さっ……んっ!」

白の言葉が再不斬にはたまらなかった。だから黙らせた。道具のくせに自分の心を乱れさせる白が許せなかった。

俺の夢をかなえるのがお前の夢だと? ならば、俺の夢が叶ったらお前はどこへ行くのだ? 

俺の……、お前の夢が叶ったら、お前は俺から離れていくのか?

そう思うと強烈なジレンマに襲われる。夢が叶えば白が行ってしまうと言うのなら……、それだけではない、もし白が闘いの中で死んでしまうような事があるのならば。白と離れるぐらいなら。

夢など叶わなくても良い。

この負け犬のままで、一生夢が叶わぬまま白とともに生きていくのがいい。

矛盾したその思いに身が引き裂かれそうになるのだ。俺の夢を叶えるために犠牲になっている白をも裏切っているその矛盾した思いがどす黒く心の底で渦巻くのだ。

「んっ……は……あ。再不斬さ……ん?」

思う様口腔を嬲り、白の唇をむさぼっていた再不斬がようやく白を離した。白が少し苦しそうに息を吐き、それでも再不斬を見てにっこりと笑う。

「再不斬さん欲張りですからね、夢を叶えてもどうせまたすぐ次の何かが欲しくなるでしょう? ねぇ、再不斬さん、今の夢を叶えたら、次は何をするんです? ずっとお側に置いてくださいね。再不斬さん欲張りだから、ずっと一緒にいられますよね? フフフ」

そう言って微笑った白の言葉に再不斬の目が細められた。まともに白を見ることができなかった。白のその想いを跳ね返すには、再不斬はあまりにも……。鬼人はあまりにも……。

白を愛していた。

白と再不斬を銀色の月光が照らす。

再不斬は返事の代わりに、もう一度白を引き寄せた。

 月は、正しいものにも、正しくない物にも等しく光を与える。

                                                       
ENDE

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