ジオンの系譜



 瞼の上で光がゆらゆらと揺れる。窓から入ってきた陽光だ。コロニーの均一化されたものでない地球の日の光。目を開けると、出会った頃のみずみずしい美しさを湛えた妻の顔が自分を覗きこみ、微笑んでいる。

理知的な光の宿る瞳に惹かれた。その激しい性格にも。

何度もぶつかり合って涙を流してお互いを責め、そうするたびに今まで以上に分かり合った妻との思い出が一気に蘇る。

激しい女だった。ナルスの与えてくれたような安らぎは無かったが、共に泣き、支えられ、笑った戦友のような仲だった。この女がいたからこそ、今の自分がいると言えるような素晴らしい女だった。

妻の顔に触れようと手を伸ばした。すると急速にその姿が薄れていく。焦って行くなと叫ぼうとしても、求めて手を伸そうとしても、体が動かない。不意に妻はもう居ないのだと思い知らされた。



「父上、お目覚めですか?」

 夢と現実の狭間の覚醒していく意識の中で、妻がそう呼びかけた。ああ、そこに居たのかと安堵し、ぼやけた焦点を合わせると、そこに居るのはやはり妻ではなくて、娘が微笑んでいる。

「キシリアか……」

 思わず呟いた。夢の中で会った妻の面影と娘がふと重なる。デギンの顔を覗き込んでいた、先に逝ってしまった妻の忘れ形見が、傍らの椅子に座りなおした。

「ご気分はいかがです? 何か欲しいものはございませんか?」

「ああ、悪くない」

 ため息をついてそう答えた、不意に老いた自分を感じる。老齢と過労のためか、執務中に不意に意識を失って倒れてしまったのだ。自室のベッドの上にいるという事は大した事は無かったのだろうが、体力と気力の衰えは否めなかった。

「ご無理はなさらないで下さい。あなたの子供達はまだ父上の事を必要としているのですよ」

 デギンの落胆した内心を察したのか、キシリアがそう言った。娘に気を使われたのがよけい自分の老いを感じさせ、肩を震わせて少し笑う。だが、そう言ってくれた娘の心使いは嬉しかった。

「……よく言う、キシリア」

 言外に父親の言う事など聞きもしない子供達へ軽く皮肉をこめ、そう言った。そんな言葉の奥にも、父親として、子供達への愛情がにじみ出ている。

大きくなったものだ。と思う。若い娘の華やかさに加え、大人の女としての深みを身につけ始めたキシリアを愛おしそうに目を細めて見る。

「あら? 本当ですよ、父上」

 キシリアがそう言って悪戯っぽく微笑み、父親と目が合ってふふと華やかに笑う。不詳の子供達で申し訳ございませんと軽口を叩くと、デギンも声を立てて笑った。

「その服は……」

 笑いを収め、ふと気が付いてデギンがそう言った。淡い薔薇色の、シンプルなデザインのワンピースには見覚えがある。遥か遠い昔の、デギンがまだ若かった頃の思い出だ。

「母上が下さったものです。似合いますか?」

 父を喜ばせるためにキシリアが選んだのは、母の形見のワンピースだった。二十年以上も前の物にもかかわらず、上等な生地とデザインのいいワンピースは古さを感じさせなかった。かっちりとしたややクラシックなデザインがキシリアの整った顔を引き立たせ、首に巻かれたスカーフが女らしさを添えている。

まだ地位も金も何も無い、ただ野望と若さだけあった頃のデギンとデートする時に、やはり妻が同じようにそのワンピースを着て、首にはスカーフをしていた。誰に教えられたわけでもないのに同じ着こなしをするのはやはり娘だからなのだろうか?

「よく似合っているよ。髪も下ろしなさい、その方が良い」

 愛情に満ちた瞳でキシリアを見つめ、デギンがそう言った。

「はい」

 キシリアが素直にそう言い、髪留めを外した。流れるように豊かな髪がキシリアの肩の上へ落ちてくる。背にした窓から、夕方近くの波長の長い光がさしこみ、落ちる髪の間からきらきらとこぼれ、キシリアの内側からあふれ出る若さと美しさが具体化したかのようだった。

「もう軍服など着るのは止めたらどうだ?」

「またそのお話」

 さりげなく話を持ち出すと、キシリアが顔を顰めた。

「お前を妻にと望む男などいくらでも居ろう」

 かまをかけるようにデギンがそう言うと、キシリアが大げさに肩を竦めた。

「居りません。こんなじゃじゃ馬を欲しいという男なんて」

 言いながらちらりと青髪の男と赤髪の男が胸を掠めたが、あえて自分の内心を追求しない事にする。

「お前の母には私が居たがな」

「……父上や兄上のような男が近くにいる女は不幸です。他の男がつまらなく見えます」

「喜ばせてくれるな」

「本当ですよ。自分の子供は親に嘘ばかりつくと思っているのですね、父上」

 拗ねたようにキシリアがそう言うと、しゃがれた声を上げてデギンが笑い、それ以上娘を追及するのは止めにした。急かさずとも、いずれキシリアも生涯の伴侶にと選んだとっておきの男を連れて来るだろう。それまでは娘は父のもので居て欲しい。急ぐ事は無い。

 公王という立場ではなく、すっかり父親の気分になったデギンがそう思った。満足そうに一息つき、話題を変える。

「お前が見ていてくれたのか?」

 キシリアの傍らにある汗を拭くタオルや水差しを見てそう尋ねた。キシリアの顔色が看病疲れで少しくすんでいる。

「はい」

 デギンが倒れ、一大事と慌てる部下たちを叱咤し、指示を与え、キシリアも疲れきっていたが、看護婦の申し出を断り、父親の側に付き添っていた。その自分の負担を父に知られたくなく、曖昧にキシリアが頷く。父の負担に比べれば、なんでもないのだ。こんな事は。

「多忙だろうに。そんな事をしている暇は無いのではないか?」

 案の定、デギンが心配する素振りを見せたので、キシリアが安心させるようにデギンの手を握った。

「……親不孝な娘です。せめてこれぐらいはさせてください」

 父の望まぬ生き方をしているのは承知している。それに加え、自分が、支配する一族という特殊な立場から肉親の情を殺さなければいけない時が来るのを判っていた。薄情と言われようと、別の事を優先する事の多い中で、娘としてできる事はなるべくしたかった。

「ガルマがとても心配しておりました。あとでお顔を見せてあげてください。ドズル兄上にも」

「ほう、そうか……」

 わざと明るくキシリアがそう言うと、デギンの顔がほころんだ。デギンの一番可愛がっている末息子のガルマはまだ二十歳になったばかりで、ガルマの事を考えると、まだまだしっかりとせねばいけないという気力がわいてきた。

ドズル兄上が大げさに騒いで大変でした。と思い出して可笑しそうに言うキシリアの声に、情に厚い、大岩のような次男が慌てふためくのを想像し、愛情に満ちた苦笑を浮かべる。

「ギレン兄上には私から父上がお目覚めになったと伝えておきます」

 なるべくさりげない様子を装って、キシリアが手短にそう言った。

ギレンとデギンの軋轢は日増しに大きくなっている。キシリアがデギンの様子を報告しても、顔色一つ変えず、万が一の事が無い限り連絡無用と返され、もしや兄上は父上を疎ましく思っているのではないか? という疑念が増すばかりだった。

「……そうしてくれ」

 デギンも短く返したが、その声に隠しきれない深い苦悩が篭っている。急に疲れたようにぐったりとし、キシリアも何も言えずに気まずい沈黙が続いた。

「……キシリア」

 不意にデギンがキシリアの名を呼んだ。

「はい」

 椅子から立ち上がり、枕もとに跪いてデギンの顔を覗き込む。デギンの顔は苦悩に満ち、急に十も老いたようだった。

「ガルマを、頼む」

 目を閉じたまま、ぽつりとそう呟いた。

「はい」

 はっきりと返事をしながら、安心させるように父親の手をぎゅっと握り締める。

「ギレンもだ」

「……はい」

「わしにはもう、ギレンを止める力が無い。できれば父親として最後にギレンを止めてやりたかったが、それも無理なようだ」

対立し、いがみあっても、それでも、デギンは息子のギレンを愛しているのだと、ギレンのためにも止めてやりたいとデギンが苦悩した。だが、もはやその力は無い。何も出来ぬもどかしさ、憎しみと愛情が交差し、デギンを疲れさせる。

「父上、弱気を仰いますな」

 老いた父を見て、キシリアがやりきれない気持ちを内心に抑え、父親を励ますようにそう声をかけた。

 デギンがキシリアに与えたのは、キシリアにとって特別な意味をこめた言葉だった。デギンの後継者たるは、長男のギレンであることは自他共に認める事実であるはずだったのだが、そのギレンを止めよ。とデギンはキシリアに言った。

 キシリアが背筋を伸ばし、目の中に険しい光が宿った。その瞬間、キシリアはギレンに対する大義名分を手に入れたのだ。公王であり父親であるデギンから命じられたというはっきりした理由と後ろ盾を。

 ギレンの力は今や誰にも止められないほどに増大している。だが、公王である父の力を借りれば、自分の力と合わせてなんとか止められるかもしれない。

 その思いが、燃え広がる炎のように心の中を熱くする。

「女のお前に頼むのは親としてすまぬと……思う。お前の母にもあの世で謝らなければな」

 そう言って、デギンが自分の手を握るキシリアの手にもう一方の手を重ねた。

 本来ならば、父親として女のキシリアをこのような事に巻き込みたくは無かった。今は政治や軍事の世界に居るが、何れは結婚して子を産む、女としての幸せを手に入れて欲しいと思っていたのだ。

 だが、公王として冷静な目で判断するに、皮肉な事に、どの部下よりも、他の息子達よりも、別の道を歩ませたかったキシリアの才覚が一番優れている。だから、ドズルでもガルマでもなく、キシリアを選んだ。

 お前にしか頼めぬ。どうか許してくれ。と言うデギンに、キシリアがきっと表情を硬くして言った。

「いいえ。私にも責任がありますゆえ」

 自分を責めるキシリアの口調に、思わずデギンがキシリアを見た。

「ギレンがあんな男だと見抜けず、増長に手を貸した罪は私も同じ」

 燃えるような目でキシリアが宙を睨んだ。睨みつける先に居るのは、恐らく、ギレンに協力していた昔の自分か。

「お前はギレンを慕っていたからな」

「仰いますな、昔の事です」

 キシリアがくっと細い眉をひそめ、耐え切れないというように目を閉じて顔を背けた。ギレンを信じ、喜んで力を貸していた昔の自分の過ちをできれば消したいが、そうはいかない限りこれからのことを考えなければならない。

「父上、グラナダを私に下さいませ」

 決意を込めた声でキシリアがそう言った。まっすぐ射るような目でデギンを見つめる。キシリアもまた心を決めたのだ。ギレンに逆らう事を。

今のままでは到底あの兄に勝つ事は出来ない。いずれ兄の太い首に噛み付いて引き倒すまで少しづつ力を蓄えるのだ。そのためにはグラナダが要る。

「グラナダを、か……」

 独り言のようにデギンが呟いた。

「本気なのだな、キシリア」

 今更何をと言われても仕方が無いが、自分が言った事とはいえ、やはり兄妹同士でいがみあわせるのは気が重かった。

 わしは一体何を手に入れたのだろうか?

 ふとそんな思いに囚われた。ジオンの後を継ぎ、公王となってその結果がこれだとしたら、運命というものは皮肉なものだと思う。

「ザビ家がまいた種は、ザビ家の者が刈り取るのが筋」

 キシリアの凛とした声が夕闇の忍び寄る室内に響いた。

「その役目、私がやりましょう。命に代えても、お約束いたします」

父親の願いを果たすため、自らの過去の清算と未来のため、そう言ったキシリアの目は悲壮なまでの決意に満ち、はっとするほど美しかった。


ENDE


150427 UP

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送