千早は何でも知っている










 集中力が続かない。

 導術で何度か通信を試みるが、上手く波が拾えない。

 疲れが溜まっているせいもあるが、気分が乗らないのだ。何とか上手く気分転換せねば。と思うが、何も思いつかず、陰鬱さが募るばかり。

 調子悪いなぁ……。

 閉じていた目を開けると、そこにあったのは北嶺の雪景色ではなくて、獣の恐ろしい顔のどアップだった。

 思わずぎょっとすると、べろんと暖かい舌で顔を撫でられる。遊んでほしいのだ。

「ち、千早、あの、ぼく今忙しいから……」

 済まなそうに、その導術兵、金森が口に出すと、「そう?」と言いたそうに千早が首をかしげた。

 賢い獣だ。金森の言う事を理解したのか、そのままのっそりと側を通りすぎて行ってしまう。

 どうせ上手くいかないんだから、千早と遊べばよかったかな?

 そう思いながら、再び目を閉じる。

 ズボッ!

 ええっ!?

 後ろから脇の下に突っ込んできた何かに驚いて、金森はぱっちりと眼を見開いた。

 慌てて脇の下を見ると、千早が自分の顔を覗き込んでいる。

「あ・そ・ん・で」

「だ、だめ!」

 千早のあまりの可愛らしさに誘惑され、おもわずふらふらと頭を撫でるところだった。金森は魅力的過ぎる誘惑を振り切り、立ち上がる。

 歩き出そうとすると、くんと後ろから引っ張られた。

 え? と後ろを振り返ると、軍用コートの裾を千早が咥えて離さない。

「千早、わっ、やめろってば、わーっ!」

 千早がぐいっとコートを引っ張ると、ふかふかの雪の上にひっくり返る、

「もー、判ったよ!!」

 金森が諦めたように言うと、千早に飛びついた。

 人虎一体になってごろごろと雪の上を転がる。事情を知らぬ人が見れば、剣虎兵に襲われる少年の図だったが、大きな子猫とじゃれるのに危険なことなど全くない。

 しぱらく夢中になって千早と遊んでいると、頭上から声が降ってきた。 

「猫は好きかね?」

 かけられた言葉に慌てて上を見ると、一服していたのか、煙草を手にしていた新城が自分を見下ろしていた。思わず夢中になって千早とじゃれていたところを尊敬する大隊長殿に見られ、金森が赤面する。

 慌てて立ち上がろうとすると、新城に、そのままで。と留められる。

「はい」

 子供っぽい所を見られてしまったと恥じらいながら頷く。急に構ってくれなくなった金森に、千早が首をかしげた。

「千早はかわいいです」

 雪まみれの体を真っ赤にして、金森が言った。その言葉に、新城がくすりと好意的な笑みを浮かべた。

 大隊長殿に笑われた!!!

 恥かしさにますます真っ赤になる。新城はますます彼には珍しい優しい笑みを浮かべる。

 遊びを中断させられたせいか、千早が、やってきた自分の主人に、何か言いたそうな顔をした。

「おや? 千早が何か言いたそうだぞ」

 新城が屈んで、雪の上に座り込む金森と視線を合わせた。自分の頬に千早が顔を近づけるのを、新城が横目でちらりと見る。

「金森二等、千早はこう言っているようだ」

 何を言い出すのかと、息を呑んで新城の言葉を待っていた金森に、悪戯っぽい顔をして向き直った。

「可愛いのは千早じゃなくて金森だと」

「ええーっ」

「僕も同感だね」

 金森の反応に、くすくす笑いながら、新城が煙草を咥えた。

「ご両親は息災かい?」

「はい、元気です」

 煙を吐きながら問いかけると、金森が頷く。

「手紙を……書きました。自分が、素晴らしい大隊長殿の元で頑張っていると。きっと喜んでくれることと思います」

「……君のご両親はさぞ良い人だったんだろうな。君を見ていれば判る」

 そう言って笑った金森の顔があまりにも無邪気で、自分に寄せられた絶大な信頼があまりにも純粋で、新城は、金森の視線から逃げるように思わず天を見上げた。紫煙が空へ昇ってゆくのを見送り、再び金森を見る。

「……と千早が言っている」

 自分をからかう新城に顔を真っ赤にしながら、金森が口を開いた。

「ち、千早はなんでも知ってるんですね」

「そう」

 真面目ぶった顔で頷く新城に、金森が警戒している。まだ絶対からかわれる。と緊張する金森を見るとますますからかいたくなるのだが、金森本人はそれに気がついていない。

「千早は何でも知っている」

 千早の頭を撫でながら言うと、千早はきょとんとした顔で新城を見上げた。

「例えば……」

 もったいぶって、新城が腕を組み顎に手を当てる。考え込むようなふりをして、ちらっと金森を見た。

「僕が、金森二等導術兵の事をとても大切に思っている……。とかね」

 新城の言葉に、ドキンと金森の心臓が大きく脈打つ。

「じゃぁ、自分が……」

 恥かしさと誇らしさ、そして嬉しさに爆発しそうになった。

 ぼくの気持ちをお返ししなきゃ。と思うと緊張で手が震える。

 おもいきって顔を上げると、新城と目があった。「ん?」と目で言葉を促される。

「自分が、大隊長殿の事をとても尊敬している。ということも知ってますか?」

 新城の目を見ながら、一生懸命自分の気持ちを伝えてくる金森に、嬉しさがこみ上げる。思わずにやけそうになるのをぐっと堪えた。

「うん、それは知らないな、多分」

 仏頂面で、わざとらしく重々しい態度で頷く。

「だから、そういうことは、金森が自分の口で僕に伝えなくちゃァならない」

 次の瞬間、不敵な顔でにやっと笑う新城に、またからかわれたと金森が赤面した。

「君もどうだ?」

 懐から取り出した煙草を金森に差し出すと、金森の顔がと惑う。

「あっ、自分は」

「ん?」

「煙草は、初めてで……」

 しかしせっかくの大隊長殿のご好意をお断りするのは申し訳ない。という顔をしている金森。

「何事も経験だ。試してみるかね? もちろん、嫌でなかったら、だが」

 なるべく重荷にならぬよう、軽い口調で言う。

「はい、いただきます」

 新城の言葉に、金森が頷いた。

「ははは、余計な事を教えるなと金森のご両親に恨まれるかな」

 軽口をたたきながら、慣れない手つきで煙草を持つ金森に燐棒の火を近づけた。

「煙を吸い込むんだ。そう、肺まで。上手いじゃないか、金森」 

 息がかかりそうなほど近く、上手く出来るだろうかと不安そうな顔の金森の耳元で囁く。

 金森の煙草の先に火がつき、言われたとおりに息を吸い込むと、ジジッと音を立て、煙草の先が赤くなった。

「う……」

 煙を肺に吸い込んだ金森の顔色が変わる。

 次の瞬間、げぼげぼげほっと激しくむせた。

「やっぱりむせてしまったな。キツかったか? はじめは皆そういうものだ」

 笑いながら、優しく背をさする。

「も、申し訳ありません大隊長殿。せっかく頂いたのに無駄にしてしまって」

「別に無駄にはならんさ」

 涙目になりながら、まだせきをする金森がようやく言うと、新城が口元だけで笑った。

 ひょいと金森の手から煙草を取り上げる。

 え……? と金森が思うまもなく、新城は先ほどまで金森が吸っていた煙草をためらいなく口に咥えた。

「今日の煙草は、格別に美味い気がするな、ん?」

 片手を腰にあて、いつものように煙をくゆらせながら珍しく明るい顔で空を見上げ、次に金森の顔を見た。

「あのう、大隊長殿」

「なんだね?」

 目を細め、美味そうに煙草を吸う新城に、金森がおそるおそる口を開く。

「自分は田舎者の世間知らずです。ですから」

 一呼吸置いて、金森は新城を信じきった目で見ながら言葉を続ける。

「もっと、色んなことを教えてください、大隊長殿。大隊長殿のご迷惑でなければ、ですが」

 今度こそ、口元に笑みが浮かぶのを押さえきれなかった。

「ああいいよ」

 歓喜を表に出す事など絶対にしないが、ぎりぎりの線で自分の信条と感情に折り合いをつける。

「大隊長が教えてあげよう」

 新城の返事にぱっと金森の顔が輝く。千早は構ってもらえなくて不満そうだ。

「色んなことを、ね?」

 にたっ。としか言いようの無い品の無い笑いを新城は浮かべた。




20080410 UP
初出 20070317発行「一期は夢よ、みな狂え」



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