Good conversation




「サクラ、サクラ、サケ」

 拙い日本語がオールグレンの唇からこぼれた。

氏尾との厳しい剣の稽古の後、村を一望できる高台に座って打たれた体の熱を冷ましているところに、何を思ったのか急にオールグレンがそう口に出したのだ。

「ん?」

 側にいた氏尾が思わずオールグレンを見る。あまりに唐突にそんな事を言い出すので、稽古の途中に頭でも打ったかと思ったが、どうやらそうではない様子だ。剣の稽古が一息ついたから、今度は言葉の稽古らしい。氏尾の心配を他所に、オールグレンは得意げな顔で下に見える家々を指差す。

「ヨシノ」

 オールグレンはそう言うと、誉めてくれといわんばかりの笑顔で氏尾の顔を見た。

 オールグレンがここに来てから、まだそれほど月日は経っていない。村の皆は勝元を除いて英語が判らず、オールグレンもまだ日本語を理解する事も喋る事も出来ない。

だが、雨の中で氏尾に打ちのめされたあの一件以来、頼んだわけでも頼まれたわけでもないのに、なんとなく氏尾がオールグレンの剣の稽古を見てやっていた。稽古場にふらりとやって来たオールグレンを、当たり前のように氏尾が受け入れたのだ。

「言葉の練習か?」

「アルグレンはたくさん言葉を覚えたんだよ!」

 オールグレンの代わりに、飛源が得意げにそう言った。そう言うなりぱっと駆け出してオールグレンの隣に行き、「ウマ、ケン、クサ、サケ」など楽しそうに言葉を教えている。

その姿を、口元にだけかすかに笑みを浮かべながら氏尾が見守った。その目はとても優しく、稽古のときの厳しい目をした男とはまるで別人のようだ。

「痛い?」

「イタイ」

 飛源が、オールグレンの腕に出来た青あざを見て顔をしかめた。意味が判っていないオールグレンは、飛源の言葉を鸚鵡返しにしてにこにこしている。

 氏尾による居残り個人レッスンは特に厳しかった。練習と言えど叩きのめされた個所は熱を持ち、後で酷く青あざになる。特にオールグレンの肌は鬱血しやすく、あまりにも酷いあざを見た皆がオールグレンの稽古を止めさせようとするのを、逆にオールグレンが怒った事もあった。

 オールグレンは、氏尾が自分を憎くてそうした訳ではないことを良く知っていたから。今日だって、稽古の後、景色の良いこの高台へオールグレンと飛源を連れてきてくれたのだ。

 オールグレンが立ち上がり、氏尾の側へ近づいた。

「ウジオ」

 微笑みながら、オールグレンが感情を込めて氏尾の名を呼んだ。オールグレンの声に熱が篭る。

 言葉が伝わらないのがもどかしい。氏尾には伝えたい事が沢山あるのだ。だが、伝える事ができない。

 オールグレンに一番反発をしていたのは氏尾だった。だが、一度心を許すと、わだかまりを捨て、誰よりも率先してオールグレンを受け入れたのも氏尾だったのだ。

 氏尾は特にオールグレンを特別扱いする事はなかった。迫害するでもなく、恐れて腫れ物に触るように接するでもなく、ただ皆と同じに平等に扱った。だがそれこそがオールグレンを真に受け入れる早道となったのだ。

村人がこれほど早くオールグレンを受け入れたのも、氏尾がそうしているのを見ての部分が大きい。

 「ありがとう」という日本語なら判る。氏尾に伝えたいこの気持ちは、「ありがとう」というのが一番近いと判っていたが、「ありがとう」の一言だけではこのたくさんの思いは伝えられない。

そのもどかしさが、「ウジオ」という三文字に込められている。

 オールグレンが氏尾の名を呼び、想いを込めてじっと見つめるが、氏尾はオールグレンの気持ちに気付かず、苦笑して腕を組んだ。

「お前に名前を呼ばれると、妙な気分だな。何か落ち着かん」

 少し前までは、こんな毛唐に名を呼ばれるなど我慢できないと思っていたはずなのに、今こうして名を呼ばれると、くすぐったいような気持ちになった。片言の日本語で「ウジオ」と呼ばれると、思いがけない可愛らしさのようなものを感じてしまうのだ。

「氏尾……だ」

 名を呼ばれ、少し照れたように氏尾がそう言いなおした。オールグレンが呼ぶのは氏尾ではなくてウジオ。かすかなアクセントの違い。

 その違いは、氏尾に微妙な違和感を感じさせた。こそばゆいような変な感じ。心を擽られるような、どうして良いのか判らない妙な気持ちをかき立てられる。

「ウジオ?」

 だが、オールグレンにはそのかすかな違いが判らず、語尾を僅かに上げ、確認するようにもう一度言うが、やはりそれは村の中でオールグレンしか使わない呼び方だった。

 オールグレンだけの呼び方。

 特別な何か。

「……ウジオでいい」

 何が特別なのか自分でも良く判らぬ、胸になにかもやもやしたものを抱え、ウジオがそう言いなおした。

「お前の名は何だったかな?」

 いつのまにか辺りでちょろちょろしていた飛源の姿が消え、オールグレンと氏尾は二人きりになっていた。だから少し、氏尾も大胆になっていたのかもしれない。意地になったようにオールグレンの名を呼ばず、お前、とか貴様と呼んでいた氏尾が少し考え込むような顔をして、神妙な顔でオールグレンを見て言った。

「……アルグレン。ネイサン・アルグレン」

 氏尾がそう言った途端、オールグレンが爆発した。

「Yes!」

 喜色満面で心底嬉しそうな声でそう言い、氏尾の手をがっちりと握ったのだ。

「うわっ! なんだ、何か間違っていたか?」

 いきなりフレンドリーになったオールグレンに戸惑い、思わず氏尾が身を引いた。だが、オールグレンはお構いなしに氏尾にぐいぐいと近づく。

 この国の者は、自分の気持ちをあまり言葉で現そうとしない。氏尾は特にだ。氏尾が自分を受け入れてくれたのは態度で判っていたが、その氏尾が自分の名を呼んだのは、自分が氏尾に認められ、心から自分を受け入れてくれた証のようで嬉しかったのだ。氏尾の呼んだ自分の名は、正しいアクセントではなかったが、氏尾が氏尾の呼び方でオールグレンの名を呼んでくれたのだ。

「It’s my name !  My name is not Kisama.」

 英語でそうまくし立て、目を見てにっこりと微笑む。手を握り、顔を近づけてくる。氏尾が自分の名を呼ぶだけで、なぜこんなに嬉しいのか自分でも良く判らない。なぜかただただ嬉しい。

「ん……、うむ」

「Please call my name more. Ujio !!」

「なんだ、何を言っておるのだ!」

 豹変したオールグレンに耐え切れず、ついに氏尾が悲鳴を上げた。

「貴様ッ、これ以上訳の判らぬことを言うと叩きのめすぞっ」

 怒り顔でそう言い、脇に有ったはずの木刀を手で探る。だが、その手は空しく空を掴んだ。

「何いッ!?」

 有るはずのものがそこにない驚きに声を上げ、木刀があったはずの場所に目をやるが、やはりそこには何も無い。

 まずい……っ。

 戦場で鍛えた氏尾の本能が危険を告げた。

 喜びの奇声を上げながら、オールグレンががばあっと氏尾に抱きつく。氏尾の全身が総毛立った。

「やめんか貴様ぁっ!」

 大声を上げて振り払おうとするが、哀しいかな、言葉の通じぬ異国人はまずます氏尾を強く抱きしめた。オールグレンとしては、喜びと感謝の表現としてそういう事をしただけなのだが、男同士でそういう事をする習慣の無い国で育った氏尾にとっては、オールグレンの取った行動は恐怖でしかない。

 氏尾が力いっぱいオールグレンを突き飛ばしても、オールグレンの喜びを止める事は出来なかった。

「Ujio called my name. I’m impressed very much now. Wow !!」

「やめろと言っているだろうが! ついて来るなっ!!」

「Once again. Please call my name once again!」

 高台から麓へ降りる間中、不機嫌な顔で怒声を上げる氏尾と、訳の判らぬ言葉を喋りながら喜色満面で氏尾を追い掛け回すオールグレンのコンビに村の人々は首をかしげた。

 村人に混じって不思議そうな顔で二人を見るたかの後ろで、人影が動いた。自分のものと氏尾のもの、二本木刀を持った飛源と弟が、きしししし……と顔を見合わせて笑った。仲が良いのか悪いのか良く判らない氏尾とオールグレンを二人きりにしたら面白かろうとは思っていたが、案の定期待通りにやってくれた。

飛源の笑いがおさまらないうちに、平和な村に「ノォーー!」というオールグレンの悲鳴が響き渡った。

 飛源が何事かと慌てて目を声のした方向へ向ける。

「Stop! Please stop Ujio !!」

「うるさい問答無用じゃ無礼者めがぁ!」

 誰かの木刀を強引に奪い取った氏尾が、今度は反対にオールグレンを追い掛け回している。追いかける氏尾と逃げるオールグレンの後姿をまた村人がぽかーんとした顔で見送った。

「なんなんでしょうね?」

 たかの声に、飛源が心の中でぺろっと舌を出した。

「もうすぐ夕餉なので呼んできます!」

少々責任を感じ、そう言って飛源が勢いよく二人を追って駆け出した。


 ぐっどかんばせーしょんの道はまだまだ遠い。



ENDE

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