7、ニューイヤーパーティ







「何? 本当か?」

 常に冷静なマ・クベの声が微妙に揺れた。

 一月、サイド6で開催されている遅いニューイヤーパーティの席で、あたりは美しく着飾った貴婦人や紳士や、機能的で美しい軍服に身を包んだマ・クベのような軍人が、美酒と美食に酔っている。

「はい……」

 贅を凝らしたパーティの席で、誰もが華やいでいるのに、マ・クベに報告をしにきた兵はうろたえた様子でマ・クベの指示を待っている。

 その兵にすがるような目で見られながら、キシリア様にどのように報告しよう……。とさすがのマ・クベも一瞬考えた。

「何事か?」

 うろたえた様子の部下を見咎め、マ・クベの報告を前にキシリアがそう聞いた。マ・クベが意を決したようにキシリアに近づき、耳元で囁く。

「キシリア様、こちらにギレン総帥がいらっしゃるそうです」

「ギレンがか! 聞いていないぞ」

マ・クベが小声で囁いた言葉に、キシリアが振り返って、目に鋭い光を浮かべて言った。

「艦にトラブルがあり、先ほど急にサイド6へ入港してきたとか」

 その理由の真偽の程は確かではありませんが……とマ・クベが付け加えた。


 デギン公が不審な引退をし、その理由を巡ってキシリアとギレンが袂を分かった。疑惑と憎しみが甘い感情を上回り二人は離れたのだ。

表面上はまだギレンに従ってはいたが、キシリアはグラナダに篭って独自路線で動くようになり、なにかと理由をつけては再三のサイド3への召還にも応じようとはしない。

 日系の者が、天岩戸に篭った天照大神だと揶揄したが、ギレンとキシリアの不仲は決定的になり、どちらも譲らぬ膠着状態が続いていた。

そんな状態で一ヶ月近く、通信ですらここしばらくお互いの姿を見ていないというのに、今、いきなりギレンと会う事になったのだ。

 キシリアの体に緊張が走る。胃のあたりがぎりっと捻り上げられる気がした。

「ここにとっては、招きたくない客だが、招かないわけにはいかないという訳か……」

 それでも、気弱な様子など見せずに、なるべく自分を落ち着かせてそう言った。

キシリアとギレンの不仲は公然のものだったが、少なくとも表面上は中立を宣言しているサイド6では、パーティにどちらかを招いて、どちらかを招かないという事はできず、ギリギリまで迷った挙句、直前になっていきなり双方に知らせる。という手段をとった。

サイド6の執政官たちこそ、胃に穴があくような心境だろう。

だが、キシリアにはサイド6の思惑などどうでもいい。

ギレンがここに来る。

そう聞いた瞬間から、心の奥から熱いものが溢れてくる。心がざわめき、自分が自分でないように浮き立つのを必死に押さえた。

「他意はなく偶然だとは思いますが……」

 ギレンがサイド6へ急に入港してきた理由を、マ・クベにしては珍しく、自信なさげに進言した。

あまりにも判断材料が少なすぎる。万が一、ここでギレンが何かを企んでいたとしたら、事前に少しはマ・クベの耳に入っていただろうし、第一、不仲の二人を鉢合わせるなどと異常な事態にはしないはずだ。危険が大きすぎる。

そう、これは異常な事態なのだ。

ここがサイド6でなければ、キシリアがニューイヤーパーティに出席していなければ、ギレンの艦に異常が起きなければ、全ての偶然が重ならなければ、ありえない事だったのだ。

もし、ギレンのほうが、何か意図があってこうしたのでなければ、だが。

新しい年を祝うどころではない、これでは、年の初めからけちがついたようなものではにないか。と、マ・クベが心の中で毒付いた。

「道理で厳重にチェックをされた訳だ。まあ、ここで良からぬ事を企まれてはたまらぬ。という所か」

「お察しの通りかと」

「ギレンは私がここに居る事は知っているのだろうか?」

 キシリアがマ・クベにそう問うた途端、人々のざわめきが一層大きくなった。

「ギレン・ザビ閣下ご到着!」

 声と共に、キシリアも見知っている、デラーズなど数人の部下を従えて、ギレンの堂々とした体躯が赤い絨毯のひかれた階段を降りてくるのが見えた。

 考えをめぐらす前に、再会の時が来てしまったのだ。マ・クベが内心舌打ちした。何をするにも、時間がなさすぎる。用意周到なマ・クベとしては、頭を抱えるような展開だった。

「お出ましだ、マ・クベ」

 マ・クベの苦悩を他所に、キシリアが嬉しそうにさえ聞こえる声でそう言った。キシリアの好戦的な血が疼いたのか、それとも他の理由か?

キシリアのその声が、奇妙な期待と興奮に彩られているのをマ・クベは感じた。



「久しぶりだな、キシリア」

 取り巻きも連れず、足音を立てぬ猫化の肉食獣のように、ギレンがゆっくりとキシリアに近づいた。

「兄上もお変わりなく」

 キシリアの方も、まるで自分の恋人を迎えるかのように、仇敵に嫣然とした微笑みを浮かべた。どこか余所余所しく、しらじらしい会話の奥で、心に潜む期待がうずうずしている。

 何を求めているのだ? 私は。とキシリアが自問自答した。

「暫く見ぬうちに美しくなったな、重畳だ。我が妹との再会を嬉しく思うぞ」

 皮肉か本心か、そう言ってギレンが手袋を取った。その手でキシリアの白い手袋に包まれた手を取る。キシリアの瞳から目を離さずに、ギレンの唇がそっと手の甲に触れて離れた。

「ハッピーニューイヤー」

「……ハッピーニューイヤー」

 キシリアもギレンから目を離さない。ギレンの口付けをうけたその瞳には、隠し切れぬ熱病のような光が浮かんだ。

 愛し合いながら憎しみ合う、兄と妹が久しぶりの再開を果たしたのだ。

そこは奇妙な空間だった。憎しみ合うジオンと連邦、そして同じ血を持つジオンとジオン、それらにくっついて甘い汁を吸おうという者。それらが腐った本質を隠して美しく着飾り、キラキラと輝くシャンデリアの光の下で笑いさざめいている。

どのような馬鹿が、もしくは皮肉屋が催したのか、中立という建前の元に集められた憎しみ合うピエロが、腐臭を発しながら上辺だけを取り繕っている。

新年を祝うニューイヤーパーティの会場は、正常な意識の者ならば耐え切れぬであろう、鬼どものうろつく百鬼夜行の宴の場だった。

ギレンとキシリアの緊張を他所に、ダンス曲の演奏が始まる。あちこちで踊る男女の輪が出来た。

不意にギレンがキシリアの腰を攫った。息も出来ぬほどきつく抱き寄せられる。

ギレンの意図を察して、キシリアもギレンにしがみついた。

出会えば、罵りあうかと思った。冷たく無視するかと思った。だけど、本当は判っている。会えばお互い求め合うと。

お互いの瞳の中に同じ光があるのを知ると、もう我慢ができずに体に触れ合っている。

体を密着させ、軽やかなステップを踏んで二人が滑り出た。

踊る男女の輪をすり抜けながら、くるくると回る。黒に金のギレンの軍服と、紫に金のキシリアの軍服が残像に溶けて一つの模様になった。まるで、絡み合いながらけして交じり合う事の無いインヤンのように。

激しい憎しみと激しい愛とは表裏一体なのだと思い知らされる。殺したいほど憎かった相手が、今は殺されたいほど愛しい。

感情の海をくるくると回れば、愛も憎しみもかき回されて、一つに溶け合う。ターンを繰り返せば周りなど見えない。

ギレンの目にはキシリアしか、キシリアの目にはギレンしか映っていない。 

「お前は私の女だ。キシリア」

 ギレンがキシリアにそう言って、のけぞったキシリアの白いのど元に噛みつかんばかりに身を被せた。

「わたくしの愛しい良人! 貴方ともども地獄に落ちる覚悟を決めております」

 それでも体勢を崩さずに、キシリアがギレンの厚い胸板に乳房を押し付けながらそう言い返した。密着した体がとても熱い。

「フフフ、それでこそ私が選んだ女だ」

 心底愉快そうにギレンが笑った。挑発するように急にターンし、キシリアの身が折れるほど仰け反らせても、キシリアはギレンに応えた。まるで相手が何を考えているのか全て判るかのように何をしてもぴったりとくっついてくる。打てば響く、それ以上のものを返してくる。たまらなく愉快だった。心地よかった。

 ギレンと同じ物を見ることが出来、ギレンについてくる力量を持った女。キシリアが女の形をもってこの世に生まれたのは運命だと思った。それを掴まねば天に反する。

 百万分の一のチャンスをみすみす逃すことができるだろうか?

 それが妹であろうとなんであろうと、手に入れる。

 この手で抱きしめ、その肉を味わい、憎しみと愛しさとでその心を奪う。

 ギレンが、キシリアの熱い体を抱き、たまらなく愉快に思った。一度は離れたが、この女は、やはり自分のものになる運命だったのだ。幾度離れようと、何度でもこの腕の中に取り戻す。

くるりくるりと回るたび、相手の体温に溶かされて余計なものが剥がれ落ちる。男と女、兄と妹、剥き出しの感情が二人を支配する。

「私が堕ちるときは貴方も道連れ! 貴方が堕ちるときは私を抱いて堕ちてくださいませ」

 この男からは逃げられない。キシリアがそう確信して言った。ならば共に堕ちるまで。

 甘く残酷な約束をキシリアがねだった。

「私は貴方の首を望みます。血まみれの貴方の首にキスをしましょう。貴方は私の冷たい屍を抱かれませ。この世でではなく、あの世で結ばれましょうぞ!」

 ただ憎しみ合う事も、ただ愛し合う事も敵わない。どちらか一つを選ぶ事はこの二人にはできぬのだと思い知らされている。今日は愛し合っても、明日は憎みあう。どちらかが滅ぶ事でしかこの恋は成就しない。自分が殺した愛しい相手の傍らで、泣き崩れる事しかできない。

「馬鹿な、キシリア」

 言い放ったキシリアの耳元で、ギレンが熱く囁いた。

「血の通わぬお前の体を抱いてどうする? お前の顔を快楽に歪ませ、その身体を震わせ、絶叫を聞く事こそ我が望み。現し世だろうと、あの世だろうと、私はお前を離しはせぬ」

 ギレンの言葉に、キシリアの目頭が熱くなった。

 私は愛している。この男を愛している。殺したいほどに愛し、殺されたいほどに愛されている。

 眩暈がした。

目を閉じ、ギレンのたくましい腕に身を任せる。目が回る。ギレンに翻弄される。ダンスは続く。

「ああ、ギレン、強く抱いてください」

うわ言のようなキシリアの言葉を合図に、ダンスがぴたりと止んだ。二人を見つめていた群集が、二人の動きが止まるや否や視線を外し、今見た事についててんで思い思いにぺちゃくちゃ喋りだした。

その時不意に、窓の外でひゅうっと空気を切り裂く大きな音がした。

その音に人々のおしゃべりが止まった。何事かと人々が窓の外へ目を向けると、黄金色の光が夜空を駆け上り、ぱぁっと大きく広がる。ぱらぱらぱら……と軽い音をたてて、光の粒がシャワーのように降り注いだ。

「花火だ!」

まるで子供のように、紳士淑女の間から歓声が上がった。もっとよく見ようと、どっとバルコニーへ出ていく。

まあなんて美しい。うっとりと夜空を見上げながら、一人の婦人がそう言った。赤、青、黄金色、くるくる回るもの、まるで銀の糸のようなもの。さまざまな美しい花火が夜空を彩り、人々をとりこにした。誰もが子供のように興奮して夢中になる。

だから誰も気がつかない。

そっと消えるギレンとキシリアを。

冷ややかな瞳で二人を見つめるただ一人を除いては。


目配せをしただけで、お互いが何を求めているのか判る。無言のまま花火に夢中な人々を背にそこを抜け出し、人目の届かぬ死角に滑りこんだ。床まで垂れ下がった、窓際の大きなカーテンを止める紐をギレンが後ろ手でするりと外し、そのままわが身とキシリアを素早くカーテンの陰に巻き込み身を隠す。

窮屈な薄闇の中で、キシリアの腕が性急にギレンの首に回された。キシリアの足の間にギレンの足が入り込み、ぐいと突き上げる。体をぴったりと密着させ、どちらからともなく激しく唇を求める。

ここを出ればまた憎みあう。せめて今だけ。

人々が気付かぬ間のほんの一時の逢瀬。

刹那の恋に燃え上がり、もどかしさに身を焦がす。

入り込めぬ血の束縛。奇妙な恋の本質にマ・クベが嫉妬した。



 同じ血を持つジオン同士、一度は判れた筈の道が、また交差する。




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