エピローグ




「美しいな」

 大きな花器に活けられたたくさんの赤いバラを見て、ギレンが不意にそう呟いた。

「え!」

 ギレンのあまりに意外な言葉に、セシリアが驚いて素っ頓狂な声を上げた。

少しでも雰囲気のいい空間にしようと、セシリアはいつも花を活けていたのだが、部屋の主であるギレンは、あまりに多忙なせいか、元々興味が無かったのか、今まで全く顧みる事のなどなかったのだ。

「何を驚いている?」

 年に似合わず、落ち着いた有能な秘書が珍しく狼狽するのに、ちらとギレンがセシリアを見た。

「あ、いえ、赤いバラ、気に入っていただけたでしょうか?」

 みっともない所を見せてしまったと一瞬赤くなったが、素早く立ち直ってギレンにそう問いかけた。

「うむ」

 再びバラの花に視線を移し、ギレンがセシリアに返事を返した。バラの花の美しさを愛でるギレンの表情が心なしか優しい。

「セシリア、君はずっとここに花を活けてくれていたのだな」

「はい」

 自分のギレンへの気遣を知ってもらえたことが嬉しく、思わず顔が綻んだ。それよりもっと嬉しかったのは、ギレンが、「そこに花がある」事実に気がついた事だ。

「気が付かなくてすまなかったな」

「いいえ!」

 返事を返す声が思わずはずんだ。ギレンに生まれたかすかな変化が、まるで我が事のように嬉しい。

「一本貰っていこう」

ギレンがそう言いながら、バラの花を一本花瓶から抜き取った。その仕草に、セシリアの心臓が一瞬大きく脈打つ。

ふとしたギレンの仕草や表情に男の色気を感じてしまうのだ。

バラの香りを楽しむギレンの姿は、求め、求められて、満たされている男の自信と余裕に溢れ堂々としている。

恋をしてる男って、素敵だわ。

ギレンと真紅のバラの組み合わせにセシリアが一瞬見惚れた。

恋をする女は美しいというけれど、恋をする男も負けず劣らず魅力的だわ。と心の中でセシリアは呟いた。この男が、目も眩むほど誰かを求め、身を焦がしているのだと想像するだけでドキドキした。そんな総帥の姿を間近で見られて幸せだと思う。

「あら? 総帥、どなたにですか?」

 セシリアがそう冗談めかして聞くと、ふっとギレンが笑ったが、セシリアの問いには答えなかった。だが、元々答えは求めていない。その笑みだけで充分満足する。

「総帥、色は見つけられましたか?」

 バラを手に、執務室を出ていこうとするギレンの後姿にセシリアが問いかけた。ギレンの動きが止まる。

「何?」

 振り返り、訝しげな顔をする。

「以前、総帥の世界は色がないと仰っていたから」

「そんな事を言ったかね?」

「仰いましたわ!」

 誤魔化そうとしているのか、本当に忘れてしまったのか、本心を明かさないギレンに、拗ねたようにセシリアがそう言った。

「そうだな……」

 そう言いながら、ふと、一瞬ギレンが遠くを見た。また視線をセシリアに移す。目が合った。自信に満ちた表情は以前と変らないが、以前に時折感じた危うい空虚さは払拭されている。この国の権力を一手に握り、沢山の人々に囲まれ、民衆の熱狂を受けながらも、昔のギレンは空ろだった。どこか背筋をぞっとさせるような空虚さや無機質さを感じていたのだ。だが今は命を吹き込まれて活き活きと動き出した感じがした。

足りなかった何かを得て、また一回り精神が強固になったのだとセシリアは思う。確かに何かを掴み、確実に何かを築き始めている。

「見つけたよ」

 目を伏せ、バラの香を楽しみながらそう言って、ギレンは口元に笑みを浮かべた。

 


 バラを手に部屋を出ていったギレンの後姿をセシリアが見送った。一瞬だけ少し寂しい顔をして、ため息をつく。

 色を見つけた貴方は、今よりずっと大きな人になる。今よりもっと私の手の届かない所へ。

 寂しさと嬉しさがセシリアの心をいっぱいにした。

 仕事の手を休め頬杖をついて、キシリアの執務室に赤いバラが一輪大事そうに飾られているのを想像した。

 セシリアの想像の中で、執務室でペンを紙に走らせるキシリアも幸せそうな笑みを口元に浮かべている。きっとそうに違いないと思う。

 ふと、昔読んだギリシャ神話、ヘラとゼウスの物語を思い出した。

 喧嘩をしていたヘラとゼウスの仲直りの交わりによって、冬が終わり春がくるのだという。どんなに諍いをしていても、ヘラとゼウスは本当は愛し合っていて、必ず仲直りをするのだとその物語は伝えていた。

ヘラとゼウスだって、喧嘩が多いけど、彼と彼女は本当はちゃんと愛し合っているわ。

だからきっと……。

ほんの少し、セシリアは空想の世界で意識を遊ばせる。

ほんの少しだけ心が痛む。

これでよかったのだわ。と総帥の幸せを祈り、セシリアはまたすぐに有能な秘書の顔に戻った。 



ENDE







20040926 UP

ようやく終りました。
一年かけて連載したと言うのも、こんな長さのものを書いたのも自分的に初めてだったので、感慨深いです。一旦書き上げたあと、史実エンドでは絶対にギレキシハッピーエンドはないと思い直して色々勝手に捏造したり、その他至らない点がたくさんあったと思いますが、ここまで読んで戴いてありがとうございました。
また、連載中に感想を下さった皆様、とても励みになりました。重ねてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

シスターS
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