We are Wanderer









「天さんに聞いたんやけど、おまえ、代打ちになる気無いんやって?」

 サングラスの奥で不機嫌そうな目をして健はそう言った。表情は伺えずとも声が十分不機嫌だったので、ひろゆきは健が機嫌があまりよくないという事が判る。

「あ、うん」

 健の機嫌が悪い理由が判らず、ひろゆきは言葉少なに返事をした。

ひろゆきにとっては、この事は余り触れて欲しくない話題だ。

 思い出すたび傷口から血が流れるような生々しい痛みが蘇る。

 ほんの一時間前、原田と天の最終決戦が終った。そのすさまじい闘牌を見て、ひろゆきは絶望していたのだ。

 俺は生涯、赤木さんや天さんのような麻雀は打てない。

 俺は一生かけても二人に届かない。

 眩暈がするほどその絶望は強烈で、どこまでもひろゆきにまとわりついた。

 天に祝いの言葉を述べ、勝利に興奮しながらも、心の奥底ではもう一人の自分が冷ややかに自分の限界を感じている。

激闘に勝利した喜びの影でひろゆきは麻雀を捨てた。

 東京に戻ったら、どうするんだ?

 その天の含みのある言葉に、ひろゆきは笑って答えた。

真面目に勉強して、良い会社に就職します。

 ひろゆきの言葉を聞いて天は複雑な顔で頷き、後は何も言わなかった。その事にひろゆきはずいぶん救われた。天に、それでいいのか? などと聞かれていたら、いたたまれなかった。

「なんでや?」

「……欠けてるんだ。俺には。才能無いんでね」

 言いたくない。という雰囲気を出しながら、ひろゆきはなるべく無表情を装ってそう言った。遠慮会釈なしにずけずけものを言う健の事は嫌いではなかったが、今は癇に障った。ほっといてくれよと思う。

「本気で言うとるんか?」

「ああ。俺には、天さんや赤木さんのような麻雀は……打てないよ」

 ひろゆきが健に素直にそう言うと、健がぎゅっと拳を握り締めた。顔がみるみるうちに真っ赤になり、いきなりひろゆきを怒鳴りつける。

「ドアホ!」

 大声でつばを飛ばしながら、健は思いっきりひろゆきに罵声を浴びせた。

「アホアホアホアホ、いっぺん死ね!! お前いっぺんヤらせろや! いやちゃう、お前いっぺん殴らせろや!」

「なんだよいきなりっ! どっちも嫌だ!」

 悪口雑言を怒涛の勢いで浴びせかけ、健は拳を振り上げた。

 いきなり罵倒されて、ひろゆきの頬にもすっと朱がさす。怒りにキラキラした目をして、激しい口調で健に言い返した。ひろゆきにしてみれば、健にいきなりそんな事を言われる筋合いは無い。

 このアホ、本当に何も判ってないんや!

 自分がなぜ怒っているのか、ひろゆきは全く理解していない。それがまた健の癪に障る。

「ええか、あの二人は別格や、自分を天さんや赤木はんと比べるほうが図々しいんやで!!才能がない? 舐めとんのかいおどれは。おどれがどんだけ恵まれてるんか判ってるんか?」

 振り上げた拳を理性でかろうじて下ろし、健はひろゆきにそう言った。そのまま殴っても良かったが、こいつには自分がどんな贅沢してるか判らせなあかん。そう思う気持ちのほうが強かったのだ。

「恵まれてる? 俺が? まさか!」

 本気でそう思っているらしきひろゆきの驚いた声が、健の理性をぶち切れさせた。

「あれだけ赤木はんや天さんに可愛がってもろて、なんやそのセリフは!」

 健の大声に、ひろゆきの顔がはっとした。

 なんや、やっぱり自覚なしやったんかこいつ。

 そう思って健の怒りがヒートアップする。

「お前の下にな、どんだけ今のお前の位置を羨ましがってる奴がおるのか判ってるか? お前は赤木しげるのお気に入りや。ってことはな、お前は太っといコネとチャンスを持ってるって事なんやで!」

「赤木さんはそんな……」

 健は誤解している。赤木さんはコネとかチャンスとか、そんな風に言われるような人ではない。

自分はともかく、赤木のことを誤解されるのは我慢できず、そう思ってひろゆきは口を開きかけた。

「エエから聞け!」

 だが、健からしてみれば、言い訳がましく口を挟もうとしているようにしか思えない。ひろゆきの言葉を続けさせず、健は一喝した。

「東西戦のメンバーにお前を入れへんって話してるときもな、俺には全く判らんかった。なんでおどれがお姫さんみたいに大事に扱われてるんか、さっぱりや! おどれがそんなコネを前から持ってるのに、大人しく大学なんかに通ってる事も理解できへん。なんもかんも理解できへん事だらけや」

 ひろゆきは、健の言う事を黙って聞いている。何か言いたそうに青ざめた顔で健を睨みつけているが、健はひろゆきを無視して言葉を続けた。

「俺はずーっと、ずーっと、こないなチャンス探してて、必死に東西戦の話に飛びついたんや。俺にとってはようやっと手に入れたチャンスやったんや。なまけもんでぐうたらの俺がどんな努力も惜しまんでつかんだチャンスやったんや! なのにな、お前は何や。俺より後に話に乗ったくせに、天さんにも、沢田さんにも俺より可愛がられとる。あの赤木しげるまで落としてきよる!」

 息継ぎもせず、早口で一気に健はそう言った。ぜいぜいと荒い息をつき、ひろゆきの顔をきっと睨みつける。

 ひろゆきと健の間に、険悪なにらみ合いがおきた。

「そん時俺が耐えきれたんはな、俺がおどれより実力では上や思ってたからや。俺がおどれより役に立てば、皆俺も見てくれると思ったからや。なのに、俺は負けておどれは最後まで残った! あの赤木はんや金光はん、鷲尾はんを差し置いて!!」

「それは……」

 それは、足を引っ張るひろゆきを残しておこうとする原田の作戦や、ひろゆきのミスがあって結果的にそうなったのだが、それを言っても今の健は納得しないだろう。

「そのおどれが才能がないなんて抜かしとったら、俺はどないなるねん!!」

 子供のヒステリーのように叫ぶ健に、ひろゆきがはっとした。

 悔しいのだ、健は。ひろゆきが感じたように、自分の不甲斐なさや見せ付けられた才能と自分を比べて、頭がおかしくなってしまいそうなのだ。

「俺は何を信じればええんや! ああ? あまり舐めた事抜かすといてまうぞ! あーっ、くそ!! 情けなくて泣けてきたわ」

 自分の言葉通り、健は涙ぐんでいた。サングラスを取ると、負けん気の強いガキ大将みたいな顔をしている。サングラスは健なりの虚勢だったのだろう。今はその虚勢もかなぐり捨て、涙ぐむのを隠そうともせず、健は目ににじんだ涙を拳でごしごしと拭った。

 ひろゆきがそんな健をじっと見る。

 健も絶望している。

 ひっそりと胸の奥に溜め込んだひろゆきと違って、健はうるさいほど騒いでいるが、二人の思いは共通している。

 ……だからって、俺が八つ当たりさせるいわれは無い!

一瞬同情しかけたが、すぐに自分が八つ当たりされていることを思い出した。

「勝手な事言うなよ。天さんと沢田さんは偶然前からの知り合いで、赤木さんだって……」

 ひろゆきにとっては、天に会ったのも、それから沢田や赤木に会ったことも、なにも特別な事ではない。単なる偶然だとひろゆきは言いかけたが、また健の怒声が被さる。

「それがお前の引きの強さやって言うとるんや!! これ以上ふざけた事ぬかすなや! 俺は必死でこの話を探した言うたやろ! それをお前は簡単に手に入れた。それがお前の運命なんや。なんでそれに逆らうねん! ばちあたるわ!!」

 ちっとも判っていないひろゆきに、健はイライラして叫んだ。

健から言わせれば、ひろゆきと天との出会いは偶然ではない。

 健は自分の才能と力を自負していたし、東西戦に加わる事ができたのも自分の力があったからこそだと信じている。

鬼のように勝ち続けるひろゆきから負けを取り戻す為に呼ばれたのが天。それが最初の出会いのきっかけだった。その出会いは偶然ではない。ひろゆきの力が引き寄せた出会いであり、掴まなければならないチャンスだ。健はそう思う。

たとえあの時二人が出会わなくても、いずれひろゆきは天と出会っただろう。ひろゆきには力があるからだ。力のあるもの同士は必然的に引き合う。

ひろゆきの力が天を引き寄せ、そして沢田を引き寄せ、赤木を引き寄せた。それが判らず一人でうじうじしているひろゆきに、健はイライラして仕方が無い。

「俺の気持ちがお前に判るか!」

 ひろゆきも負けじと健に向かって言い返した。

ひろゆきにはひろゆきの苦悩がある。

誰がどう思おうと関係ない。他の誰に勝ったって、天や赤木のようになれなければ意味が無い。

天や赤木の領域まで行きたい、でもきっと自分はきっと行く事が出来ない。そう思うのはとても苦しかった。

「そんだけ恵まれてるのに運を掴もうとせんヘタレの気持ちなんか判るか、ドアホ」

 ひろゆきの言葉を乱暴に健が一蹴した。健の返答に、ひろゆきが健を睨みつけた。お互い、自分の気持ちをぶつけるだけで、全く分かり合おうとはしない。

「俺はっ、俺は悔しいんや。お前が羨ましいんやっ! ボケェ!」

 駄々っ子のように健が叫ぶの見て、ひろゆきも思う。俺こそ、健の大胆さが羨ましかった……と。

お互い、拗ねてるだけなんじゃないか? そう思った。恐らくそれは正しい。だが、理由は何だろうと苦しさは消えない。

逃れるには、麻雀を捨てるしかない。

「だからやめるとかそんな事言うなっ! 俺はな、この世界で今度こそお前を倒したいねん。お前としのぎを削って今度こそどっちが上か決着付けたる。だからお前も代打ちになれっ!」

 健は、単に自分のためだけにひろゆきに麻雀を止めさせたくないのではないのだが、照れくさくてそれを素直に伝えられない。こんな言い方しか出来ず、余裕の無いひろゆきも健の気持ちに気がついてやれない。

「黙れ、勝手な事言うな」

 何で俺がお前のために人生変えなきゃならない?

 健への反発が、ひろゆきの口を動かす。意地の張り合いが止まらない。

「代打ちにはならない」

 かたくなにひろゆきはそう言った。

「俺の苦しみは俺にしか判らない。口を出すな!」

 ひろゆきの勢いに、さすがの健も一瞬黙った。

「無理なんだよっ、俺には」

 一呼吸置いて、ひろゆきはやけになったように叫ぶ。

 健と同じ、俺は無いものねだりして拗ねてるだけだ。そう思うが、どうすることもできない。

 ひろゆきの悲痛な叫びに、健が怒りで震えた。

 アホかッ! おまえ、そんな辛そうな顔しよってからに、麻雀捨てる事の方がお前にとって辛い事って事くらい見ててすぐ判るっちゅうねん!!

 そんな顔する位やったら、大人しく代打ちなったほうがええんじゃ!!

 つまらない意地を張るひろゆきに健が切れた。

「このアホンダラぁ! 甘えんなや!」

 健が叫び、とうとう上げた拳をひろゆきめがけて振り下ろした。



「なんや、子犬がじゃれあってるみたいで微笑ましぃーなー」

 立派な日本庭園で取っ組み合い始めた健とひろゆきを座敷から遠目に見て、原田がのんびりとそう言った。傍らの天も、無言で二人の様子を見ている。

 全身全霊を賭けた勝負が終わり、二人の間には、勝負の最中の殺気が信じられないほど和やかな雰囲気が流れる。戦いを終え、二人の間には戦友の連帯感がいつのまにか生まれ、お互いの存在が古くからの友人のようにしっくりとなじんだ。

「あー、手ぇ出しよった」

 原田がそう言うと、あぐらをかいていた天が立ち上がった。

「止めてくる」

「ほっときや、子供のケンカなんやし」

 野暮な事はするなと顔を顰め、原田は煙草を一本取った。すかさずお付の黒服が火を付ける。

「話し聞いてたら、なんや、ひろゆきは代打ちにはならへんのか?」

「ああ」

 原田が向こうの話題をこちらにも持ち込んだ。

「向いてない、あいつには」

 原田と目を合わせようとはせず、なるべくそっけなく天が言った。

含みのある自分の問いに、麻雀で生きる道には進まないと、遠まわしに答えたひろゆきの顔が脳裏に浮かぶ。

ひろゆきの無理している笑顔が痛々しかった。笑顔の下にある苦悩と絶望に天は気がついていた。

だが、天はあえてそれに触れなかった。

これでひろゆきが裏の世界から遠ざかるのなら、その方がいいと思ったからだ。

だが、それが本当に正しかったのか? という思いがつねに天に付きまとう。

ひろゆきはこの先ずっと絶望と苦悩を抱いたまま生きつづけなければならない。

それが果たして幸せか……?

「お前が要らんのなら、俺が……」

 冗談めかしていたが、原田は半分本気だった。

 原田の言葉に、天がゆっくりと振り返り、原田をぎろりと睨みつける。

「ひろゆきに手を出すな」

 声に静かな怒りを滲ませて、天は原田に言った。静かな分、天の怒りの重さが伝わってくる。

「そないな怖い顔するなや」

 おどれは俺に八つ当たりかい。

 内心でだけそう呟き、原田は口にはそう出した。

「過保護すぎやぞ」

 そう言って煙草の煙を吐き出した原田が言いたかったのは、喧嘩の仲裁の事か、それとも……?

 同じく苦悩している内心を見透かされた天が、無言で原田に背を向けた。





ENDE



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