災厄という名の男













 日常に現れた非日常。


 大金を拾う、事故にあう、満員電車で美人の隣になる、コンビニ強盗に出くわす。


 いい事も、悪い事も、それはいろいろなケースがあるだろう。

 俺がその日出会った非日常は、災害のように確実に良くないものだった。文句なしに百パーセントよくない。

 誰もが「それ」避けて歩く。目を伏せ、道の端により、ただひたすら通りすぎるのを待つ。関わりあうのは真っ平だ。


 災厄が形になればこんな感じだろうか。

 そう俺は「それ」を一目見た時思った。


 会社帰りのサラリーマンでごった返すその間に、その男は立っていた。


 金色の派手な頭、真っ白なスーツ。周りより頭一つ抜けた長身。


 なんでこいつがこんなところにいるのだろう?


 明らかに周りと違う雰囲気。纏う空気の色までも違う。

 しかし、妙に絵になるのが腹立たしい。


 嫌な事を思い出し、苦い気持ちになった。この男と思い出したくない記憶はセットになっている。できれば今後一生見たくなかった男に出くわし、俺は思わず歩みを止めた。


 群衆の中のかすかな動き、黒灰色のスーツを着た大勢の中の一人が立ち止まったのに、なぜ気がついたのか分からない。


 とにかくその非日常、災厄、原田克美は、呆然と立ち尽くしている俺をすぐに見つけた。


 原田さんは俺を見ると、にやりと唇を片方吊り上げて笑った。

 獲物を見つけた顔。


「久しぶりやな」


 有無を言わさず、俺をあの頃に引き戻すこいつの関西弁。

 

 なにが久しぶりだ。こっちは会いたくなかった。

 俺は内心毒づいた。


 もうずいぶんと前に思える……。東西戦の時、さんざこいつに嬲られ、利用された。

 精神的にも、肉体的にも。

 優しい言葉に丸め込まれ、僕が気を許した時、原田さんは本性を現した。

 男を受け入れて喜ぶ体に変えられ、奉仕する事を覚え、そして放り出された。

 それを恨みに思っている訳ではない。あれは俺が未熟だったからしょうがない。

 騙された方が馬鹿なのだ。

 だが、嫌な思い出と、徹底的に刷り込まれた苦手意識は消えない。


 あれから数年。

 なぜこの男が再び俺の前に姿を現したのか、理解できない。


「東西戦以来やな、元気やったか」

「……ええ」


 原田さんがゆっくりと近づいてくる。その威圧感に、ふいに嘔吐しそうなほど気分が悪くなった。

 なんなんだ?

 俺は少し混乱した。

 昔馴染みが目の前に現れただけだ。それなのに、なぜ俺の本能はこんなに危険を告げているんだろう?


「顔色悪いな」


 原田さんは俺の顎を掴み、そう言ってくいと持ち上げた。俺の顔を舐めるように見る。

 サングラス越しの原田さんの視線を感じ、俺は思わず目をそらす。

 獲物を値踏みする目。

 俺を裸にし、じろじろ見回す無遠慮な目。

 何も知らなかった僕を弄んだあの時と同じ目。


「疲れてるんとちがうか? 体、大事にせなあかんで」

 原田さんのエセ親切な言葉に、俺は顔を引きつらせて頷いた。この男、どうしてこんなにも心配そうな「ふり」だという事が分かるのだろう? わざとか?


「俺んとこで養生したらええ」

 原田さんはそう言って、俺の背に手をまわし、そのまま歩き出そうとした。


 何なのだこの男は、おかしいぞ。

 唐突に現れて、何を言い出すんだ?


「意味が分かりません、原田さん」

 僕は原田さんの腕を振り解いて立ち止まり、原田さんを睨んだ。

 嫌な予感は、確信へ変わろうとしていた。

「なんも心配する事はあらへん」

 原田さんは気持ち悪い猫なで声を出し、オーバーに手を広げる。

「なぜ貴方がいきなり俺の前に現れたのか、俺をどこに連れて行こうというのか」

「そら、俺、お前に説明しよなんて思ってへんからな」

 くっくっくと笑いながら、原田さんは僕にそう言った。

「は?」

「弱者は強者に搾取される。それだけの話や。お前の意思なんて関係あらへん、俺がしたいと思ったらするだけや。俺はできる、ひろは俺を避けられへん。恨むんやったら、自分を恨むしかないで、無力な一市民になるのを選んだのは自分なんやから」


 ふざけた傲慢な言葉を吐き出すと、タバコを取り出す。

 とたん、さっとそばの黒服が火を差し出す。

 それが当たり前の男。

 いきなり人の平和な日常を壊す事に罪悪感を覚えない男。

 僕を踏みにじり、狂おしいほどの快感を与え、支配する男。


「変わらないと?」

 僕は、原田さんを目で殺せそうなほど睨みながら、低い声でそう言った。声に悔しさがにじむ。

「んー?」

 タバコの煙を吐き出し、原田さんは僕のほうを見た。

「アンタに馬鹿にされてコケにされて利用されるだけされたあの頃と変わらないと?」

 僕が繰り返すと、原田さんは、さもおかしそうに体を震わせて笑った。

「せや!」

 僕をバカにしたかのように明るく言って、まるで子供にでも話しかけるように僕の顔を覗き込む。


「せやから分かってるやろ? これから自分がどうなるか」


 その言葉に、ぞく……と体が震えた。

 原田さんに叩き込まれたものは、あれから何年も経つのに、まだ僕の中にある。それに気がつき愕然とする。


「俺は原田さんに拉致されて、原田さんのおもちゃに逆戻りって訳ですか」


 朝から晩まで原田さんの体を嘗め回し、原田さんが欲しいと思えばどこでだって服を脱がされ、足を開き。バカのように快感に喘いで、女みたいに原田さんを受け入れる。


 狂おしく甘く、死ぬほど屈辱的な、記憶に焼き付いた日々。

 あの日々を思い出し、声が震えるのを必死で堪えた。絶対に弱みを見せたくない。


 ようやっと日常に戻ってきたのだ。


「クク……、ちょっとは賢なったようやな? 分かってるのに、どうしようもない。ってのはどんな気分なんや? 俺はそんな気持ち味わった事ないからよう知らんねん」

「アンタどうしようもないくずなヤクザだな」

「クズにコケにされるマヌケが俺の目の前におるで」

 原田さんは口の端を吊り上げて、俺を見下して笑った。


「なんで俺なんだよ」

 

 退屈だが平和な日常が壊される。


「ひろ、お前、犬にいきなり噛み付かれてな、犬になんで噛みよるんかって聞くか?」


 俺は、目の前の男を考え付く限りの言葉で罵倒した。……心の中で。 

 

「ええ顔しよる。ぞくぞくするで」

 原田さんは笑い、僕の顔にタバコの煙を吐き出した。死ぬほど嫌な奴だ、こいつは。


「まー教えてやるとな、東京来たついでに思い出しただけや、ひろの事」


 そんなくだらない理由で、俺の人生をめちゃくちゃにするつもりなのだ、この男は。


「久しぶりにお前に会いたいと思てな」


 そして原田克美はそれができる男。

 俺はこの男の侵入を防ぐすべを知らない。


「東西戦の時みたいに、仲ようしようや」

 原田さんはそう俺の耳元に囁いた。

 俺はため息をついた。

「聞いた俺がバカだった」

「せやろ?」

「俺ももう若くないし。あの頃みたいに純粋でもありませんよ」

「これぐらい腐った方が食べごろや」


 この男が油断している隙に、別の男の名前を呼んでやろう。と俺は思った。天さんなんかいいかもしれない。

 こいつが俺に乗っかっていい気になって腰を動かしている間中、僕は天さんの事を考えてるって訳だ。ざまあみろ。


「久しぶりや、ひろ抱くのも。楽しませてや。俺が飽きるまで帰れへんで」


 二ヶ月でも、三ヶ月でも。

 原田さんはそう付け加えて笑った。

 

「その前に、ま、ちょっと打ってもらうで。ま、お前なら楽に勝てるレベルや。大金かかってるから頼むで」 


 ついでのように付け加えられた言葉に、俺はやっぱり。と思った。それだけの理由で、このヤクザがわざわざ俺の前に現れる訳ないと思ったのだ。


 とことん俺を食い尽くすつもりだ。

  

 そうだ、これは原田を見返すいい機会だと思えばいいのだ。

 普通に生活していれば、原田克美に会うこともできない。それが、向こうからのこのこやってきたのだ。


 必ず後悔させてやる。

 俺の日常を壊した事を。


 俺は、ほんの少し、こうなるのを望んでいたのではないだろうか?

 退屈な日常を壊す災厄が俺を巻き込むのを、ずっと待ってたのではないだろうか?


 綺麗に整えた金髪を乱れさせて。血相変えて怒鳴り散らせばい。

 苛ついて無理やり俺を組み伏せればいい。


 そうすれば俺の勝ちだ。



 非日常が日常になるなどと、五分前まで俺は思いもよらなかった。

                   

                                       


                      


                                              ENDE


初出 2005夏コミ発行 「火の粉を散らす昇竜」
20071102 UP
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