真夜中は狂乱









「…………」

「赤木さん、どうしたんですか?」

 僕は、急に無言になった赤木さんの様子に気がつき、そう声をかけた。



 僕は久しぶりに、天さん、原田さん、赤木さんで集まり、天さんの家で飲んでいる。

 天さんの奥さんたちはつまみを並べた後、こっちは女同士で楽しんでくるとさっさと出かけてしまい、その後は、赤木さんの若い頃の話とか(点棒の代わりに血を抜く麻雀だのヤクザに切られただの僕には怪談にしか思えなかった)勝ったら酒を飲めて負けたら酒を飲まされる麻雀勝負(結局飲む)やら、童貞時代の思い出やら、お前の下の毛も金髪に染めてやるだのの話で盛り上がり、いい年をした男が乱れに乱れ、秩序も何も無い無法状態が続いている。


 今、天さんと原田さんは、高い酒をオンザロックでかっくらい、ああだこうだとくだらない事を討論している。いろいろ議論は白熱しているようだったが、その時はなぜか、キダタローはズラという事で意見は一致していた。

 さっきまで赤木さんはそんな二人を面白そうに見ているだけで、あまり口を挟まなかったのだが、同じ無言でも様子が違うのが気になったのだ。



「んー」

 僕をちらっと見て、赤木さんがかすかに笑った。赤木さんばっかり気にしている事知られたなと、顔が少し赤くなるのが自分でもわかった。

「煙草が無え」

 赤木さんは僕についてはそれ以上つっこまず、からの煙草の箱を逆さにして、寂しそうにそう言った。ヘビースモーカーの赤木さんにとって、よっぽど辛い事らしい。普段の強気な姿とはかけ離れたその姿がおかしくて思わず笑いそうになったが、ぐっと堪える。

「あ、じゃあ僕が買ってきます」

 すかさず僕はそう言った。例えお使いでも、赤木さんの役に立てるのならなんでもしたい。

「悪いな」

 赤木さんはポケットに裸で突っ込んでいるお金を取り出しながらそう言い、お金を僕に渡そうとした。その瞬間。

「ひろー!」

 陽気な声と共に、後ろからがばあっと抱きつかれた。なんなんだと慌てて振り返ると、酔っ払って上機嫌の原田さんが、僕の手に万札を押し付けた。

「俺のも買うてきて!」

「お前のはまだ有るだろ」

 浮かれている原田さんに、赤木さんが冷静に突っ込んだが、原田さんは引き下がろうとしない。

「俺はひろに俺の煙草を買うてきて欲しいんや!」

 多分、原田さんは、煙草を買ってきて欲しいのではなく、我が侭を言いたいのだろう。

「はいはい」

 僕はそう軽く受け流し、原田さんの手から一万円札を受け取った。酔っ払いヤクザの言う事に逆らっても緑な事は無い。

「釣りはやる! お駄賃やで。帳面代にしいや!」

 原田さんはそう言い、手にしたグラスの酒を上機嫌にくーっと飲み干した。

 ああ、強い酒をまたそんなに……。

 今でさえ大した酔っ払いの原田さんが、この先どんな大トラに化けるのだろうと僕は心配した。まあ、天さんと赤木さんが居るから、対処しきれないというような事にはならないだろうけど。

「けちけちすんな原田」

 赤木さんはそう言って原田さんの財布を勝手に奪い、中身をごっそりと取り出して僕に渡した。

僕が楽に一か月、いや下手したら二か月暮らしていける分くらいはある。

それでも、原田さんの財布の中身がまだけっこう残っているところがすごい。 

「あ、赤木さん……」

 僕が対処に困っていると、原田さんが豪快に笑った。

「ええわ貰っとけ! その代わりこっち来て酌せいや!」

 そう言って、僕の体をぐいっと引き寄せる。

 煙草を買いに行くんじゃなかったのか、僕は……。

 原田さんの膝の上に乗せられ、仕方なく僕はグラスに氷を入れ、水割りを作る。原田さんのはともかく、赤木さんの煙草は早く買ってこなければいけない。赤木さんの機嫌が悪くなる前に。

「名前なんて言うん? ん?」

 内心焦る僕の気持ちなど知らず、ぎゅっと僕を抱きしめ、耳元で原田さんがそう囁いた。

かなり酒臭い……。

「ひろゆきです」

「ひろか。可愛くてエエ名前やな」

 僕相手にキャバクラ(原田さんが行くのはもっと高級な所だろうか?)ごっこをして何が楽しいのだろうと思うのだが、酔っ払いのする事に意味などあろうはずが無い。

「年は?」

「十九……」

 原田さんが僕を抱きしめるので、とても水割りが作りにくい。原田さんのキャバクラごっこに適当に付き合いながら、僕は悪戦苦闘していた。

「へー若いなー。付き合ってる彼氏おるん?」

「いません……」

 彼氏という単語に、ちらっとある人の顔が思い浮かんだのだが、僕は反射的にそう言った。ここで彼氏いますなんて言ったらどんなツッコミを入れられるか判ったものではない。

だが、言った後、軽く罪悪感にかられる。

ああ言わずになんとか誤魔化せばよかったと心がもやもやした。

でも、彼氏と友達と微妙だし……と僕は自分に言い訳した。

「ほんなら俺と付き合おうや」

 そう言って、原田さんは僕にキスしようとしてきた。よっぽど気持ちよく酔っているらしい。

「うわっ原田さん酔いすぎですよ!」

 僕は危機一髪のところで原田さんの顔をぐいっと押しのけた。

明日、昨日原田さんが僕にキスしようとしました。と言っても、男相手にそんな事するかボケェ! で終るだろうという気がひしひしとする。やはり、赤木さんが原田さんの財布から抜いて僕に渡してくれたお金は迷惑料としてもらっておくべきかもしれない。

「普段ストレス溜まってる奴が酔うとみっともねえなぁ……」

 少しいらついたような赤木さんの声に、はっと自分のなすべき事を多い出す。これ以上煙草の供給が遅れると、赤木対原田の凄まじい戦いが始まりそうな気がする。ただでさえこの二人は相性が悪い。それだけは避けなければいけない。

「僕煙草買いに行ってきますから!」

 作った水割りをテーブルに置き、そう言って何とか原田さんの膝の上から脱出して立ち上がる。

「俺も行く」

 原田さんの隣で飲んでいた天さんもなぜかそう言って立ち上がり、ジーンズの尻ポケットに自分の財布を突っ込んだ。

「いいですよ天さんの分も買ってきますよ?」

「あ、いい」

 僕は親切心でそう言ったんだけど、天さんは無表情で手をふった。かなり酔っている状態の原田さんに対して、天さんの足取りはしっかりしている。天さんも相当飲んでいるような気がしたのだが、どうやらそうじゃなかったらしい。飲んでるふりして、原田さんにガンガン飲ませてたのだろう、多分。何のためだか知らないけれど……。








「どうせついでなんだから天さんの分も買ってきたのに」

 狂乱の宴が繰り広げられていた部屋を出て、二人で夜道を歩きながら僕はそう言った。

 冷たい夜風が酔いに火照った体に気持ちが良い。

「鈍いなー、お前は」

 天さんは、僕を見てそう呆れたように言った。

「え?」

 僕も天さんを見上げてそう言うと、天さんが少し表情を曇らせたまま口を開いた。

「二人になりたかったんだよ、お前と」

「あ……」

 そうだったのかと気がつき、僕は思わず声を上げた。

 確かに、天さんと会うのは久しぶりだった。

東西戦の直後は、色々盛り上がってまた昔みたいに毎日天さんといたのだけれど、ここのところ、僕は大学の試験で忙しくて、一ヶ月ほど連絡もとってなかったのだ。

 もともと、頻繁に連絡を取るような間柄ではなく、昔は行動範囲が一緒だったから街でふらふらしててもばったり会って一緒にいたのだが、僕が引っ越してからはそれも無くなってしまった。

 僕の方としては、天さんに会いに行けばいつでも会えるという安心感があったんだけど、天さんはそうじゃなかっただろう。一度だけかかってきた天さんからの電話を、忙しいからまた連絡しますと言ったきり、ずっとほっておいたのを思い出した。

 僕、天さんに甘えすぎだ……。

「久しぶりに会ったのにずーっと皆と一緒だったからな」

 天さんのその言葉に、胸がずきっとした。

 忙しかった僕にとってはあっという間の一ヶ月だったけど、待つほうはきっと長い。天さんは僕を責めたりしなかったけど、試験の後の打ち上げに行く時間があったら、電話の一つでもすればよかったと凄く後悔した。

 会いたくなかった訳じゃない。だけど、いつでも会えると後回しにしてしまった。

冷たい奴と思われても仕方が無い。

 天さんと目があった時の目配せに、無邪気に笑い返してた自分の鈍さに嫌になる。

 今日も、赤木さんと原田さんの相性が悪いので、自然と、原田さんと天さん、赤木さんと僕という組み合わせになってしまい、なかなか天さんとゆっくり喋れなかった。

 せめて、早く天さんにごめんと言えばよかった。

 僕が天さんに申し訳無い事をしたなあと反省してしょんぼりしていると、天さんが口を開いた。

「赤木さんには気を使わせたかな? まああの人は面白がっているだけかもしれないけど」

「赤木さん?」

 まさかここで赤木さんの名前が出てくるとは思わなかったので、僕は不審に思ってそう言った。

「俺があんまりイライラしてたからさー、見かねてお前を煙草買いに行かせてくれたんだよ」

「ええ!!」

 事の真相を告げられて、僕は素っ頓狂な声を上げた。

 まさかまさかまさか、赤木さんが僕と天さんの事を知っていたなんて!?

 しかもそんな気を使ってもらっていたなんて!?

 僕は頭がくらくらした。赤木さんのために……なんて思ってた僕はアホだ。本当に、自分の鈍さ加減には嫌になる。

「赤木さん、知ってたのか……」

「嫌か?」

「嫌じゃないけど……」

「俺って、お前の彼氏じゃ、無い?」

 天さんが寂しそうにそう言ったので、僕はまたドキッとした。ますます胸が痛くなる。

「え……」

 僕が天さんの顔をみると、天さんがじっと俺を見返した。

 僕が、「彼氏はいません」と原田さんに言った事だとすぐ判った。

 普段、天さんはこういう風に言わない人だけに、よけいに胸が痛む。二重三重と、天さんには本当に悪い事をしてしまった。こんな顔でこんなこと言わせるほど、僕は天さんに酷いことをしたのだ。

「いや、あれは……。つい……。ごめんなさい」

 しどろもどろになりながら、僕はそう言い訳した。

 本当に僕は冷たい奴だ。

 知られたくないととっさに口に出した言葉に、天さん、奥さん二人もいるし……。だとか、男同士のじゃれあいの延長みたいなセックスだから……とか、自分に言い訳した事を恥じた。

「俺は思ってたなー」

 そう天さんがいうと、僕は変な言い訳をするのをやめた。これ以上天さんに酷いことを言えるわけがないし、自分を誤魔化すのも嫌だ。

 そうだ。

 彼氏だとかはっきり確認した事は無いけど、好きだから一緒にいたし、セックスもしたのに。


 やっぱり、僕と天さんは「友達」とは違う。僕にとって天さんは友達以上の特別な人だ。天さんも僕の事をそう思っていてくれていたら、天さんは、あの時その特別な気持ちを否定されたみたいに感じただろう。

 セックスの前や最中だったら、間違いなく、「彼氏います」と言ったに違いないのに、普段は言わないのは変だし酷い。

 僕があの時言った側じゃなくて言われた側だったら、やっぱり怒る。

相手に否定されただけでなく、自分の気持ちまで認めてもらえなくて、多分ものすごく傷付いただろう。なのに、天さんの気持ちなんか考えずに、知られたくないという自分の都合だけで言ってしまった。

 馬鹿だ、本当に。

 何であんな風に言っちゃったのだろう。

 天さんがいる事があたり前になっていて、色々大切な事を忘れていた。

「ごめんなさい。僕、自分が構って欲しい時だけ天さんに頼ってた。天さんはそういうの平気だろうと勝手に思って……。さっきの事も、すごく無神経でした。ごめんなさい……」

「俺寂しがり屋なんだよー」

 拗ねたような天さんの声に、この埋め合わせは必ずします。と言ったら、払いは高いぜと天さんが冗談めかして言う。


 天さんに申し訳なくて、償うにはどうしたらいいだろうと、そればっかりを考えていた。

 ずっと俯いて歩く。

アスファルトに映る、並んで歩く二人の影。

僕は、僕の隣の僕より背が高い天さんの影にむかって、ずっとごめんなさいと心の中で繰り返していた。


「ひろ、俺の事好きか?」

 しばらく無言で歩いていると、天さんが唐突にそう言ってきた。

普段聞かれたら、素直に答えることができなかったかもしれない。照れ隠しでウザイとか言ったかもしれない。でも、今そんな事したらマジで洒落にならない。

「うん、スキ……」

 俯いたまま、僕は素直に、心からそう言った。唇からこぼれ出るように、自然にその言葉は出た。

「すごく好きです」

 立ち止まり、俯いていた顔を上げ、僕は天さんの目を見ながら真剣にそう言った。

「じゃ、許す」

 天さんはとても優しい目でそう言って、手を出した。僕もそっと手を出し、二人で手を繋いで歩く。

 どこから見ても立派なホモカップルだ。

 夜中に犬の散歩をさせている人とすれ違っても、僕達は堂々と手を繋いで歩いた。

 天さんの手は暖かくて、天さんはとても優しくて、僕はちょっと涙が出そうだった。

 天さん、何でこんなに優しいんだよ……。

 こんな人が僕の事を好きだという事が嬉しくて、僕を許してくれた事が心からありがたくて、僕は天さんの手をぎゅっと強く握った。

 隠す事など無い。むしろ、こんなにいい男が僕のものなんだと自慢すればいい。

 普段の僕は、天さんとのことを隠したいと思っていたのだけれど、この時僕は、この人が僕の男ですと全世界に言い回りたい気分だった。




 小さな明かりの灯る煙草の自動販売機でいくつか煙草を買い、来た道をまた戻ってアパートの前まで来ると、天さんが急に立ち止まった。

 なんだろう? と思っていると、天さんがいきなり俺の顔を見て言った。

「ひろ、キス!」

 天さんのセリフに、僕は目を丸くする。

「ええ、ここで!? 人に見られますよ」

 僕は素早く辺りを見回した。夜も深けたとはいえとはいえ、ここは住宅街だ。窓に明かりの灯っている部屋はまだたくさんある。

 今は道に人通りはないけど、誰かに見られている可能性は十分だ。

「良いからキスしろってば」

 駄々っ子のように天さんがそう言い、唇を突き出した。

「しかも俺からするのかよ!」

 自分がキスしたいくせに、僕にさせるのかと突っ込んだが、キスを急かす天さんが可愛い。僕にキスして欲しいとねだる天さんが可愛い。

 天さんの気持ちは僕も痛いほど判る。また部屋の中に戻れば、キスなんかとうていできない。

 せいぜい、見えないようにテーブルの下で指を絡ませるくらいだ。

だから、まあ、もったいぶってはみたがキスするつもりだったんだ、僕も。ちょっと踏ん切りがつかないだけで。

「いいから早く、早く!」

 天さんが僕を急かす。何がいいんだかさっぱり判らない。

 僕はしばし躊躇っていたが、観念して背伸びをした。



 天さんが、僕にキスされて蕩けそうなほど嬉しそうな顔をするので、僕はもう、道の真ん中で天さんを襲ってしまいそうだった。







「早かったな」

 部屋に戻ると、赤木さんが煙草をふかしながらそう戻って来た僕たちに言った。

 あれ? と思いながら、頼まれていた煙草を手渡す。

「二時間は帰ってこないと思った」

 僕と天さんを見て、赤木さんはにやりと笑った。

 実を言うと、このまま家へは戻らずに天さんとあのままどこかホテルにでもしけこもうかと思っていたのだ。

やはり、なにもかもお見通しだ、赤木さんは……。

「赤木さん、その煙草……」

「ああ、原田から貰った」

 僕がそう聞くと、赤木さんは、原田さんの吸っている銘柄の煙草の箱を投げて寄越した。

「もう一回買いに行くか、煙草?」

 帰ってこなくて良いぞというニュアンスで、赤木さんはそう言った。

 思わず、天さんと顔を見合わせる。

 お言葉に甘えてそうしよっか……と、お互いの顔が言っているだろう。


 だが……。


「いかんといて!! 俺とこのおっさんを二人にせんといて!」

 悲鳴のように原田さんが叫び、僕の背中にしがみついた。

 天さんが小さく、こいつ大人しく潰れとけばよかったのに。と呟いた。

 僕の背後に隠れながら、原田さんが赤木さんを指差す。

「このおっさん頭おかしいで!!」

 尋常じゃない原田さんのおびえっぷりに、僕は赤木さんに向かって言った。

「何したんですか赤木さん……?」

「いや、煙草よこせっつってもこいつがなかなか言う事聞かないからよ……」

「嘘や! 俺すぐに渡したやん!!」

 多分、僕達が煙草を買いに言っている間に何かあったのだろう。それだけは間違いない。だけど何があったのかは、正直……聞きたくない。多分、聞いたら後悔しそうだからだ。

「ひろ〜〜」

 原田さんが、苛められた子供(実際苛められたのだろう)が母親に助けを求めるように、僕にすがり付いてきた。

 だが、とばっちりを食らうのも、巻き添えになるのもご免被りたい。

「彼氏が誤解するんで止めてください」

 天さんを横目で見ながら僕がそう言うと、僕の言葉に天さんがにやっと笑った。

 僕は、心の中で原田さんに謝りながら、原田さんを赤木さんに引き渡す。

「嫌や〜、このおっさん変な事するから嫌いや〜〜」

 赤木さんはそう泣き叫ぶ原田さんを押さえつけ、服を情け容赦なく脱がし、おもむろに背中の龍に落書きをしだした。

 まるで、保育園生の落書きのような渦巻き太陽と、ちゅうりっぷと、龍に鈴と猫ひげを描きフキダシをつけて「ぼくドラえもん」と書いている。しかも油性のペンで。


 赤木さん、素面に見えて相当酔っているらしい。


 原田さんの悲鳴が響く中、やはり赤木しげるは恐ろしい男だと天さんと目配せで伝え合った後、僕達はそっと部屋を抜け出した。


ENDE



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