恋人はモンスター







「今夜、泊まっていけば……?」

 部屋を出ていきかけたひろゆきの背に、アカギの口からその言葉がかけられた。

 言葉の意味が判らないひろゆきではない。その証拠に、言われた瞬間、一瞬ひろゆきの動きが完璧に止まる。

「……いえ、帰ります」

 暫しの沈黙の後、ひろゆきは振り向きもせずそう言って靴を履く。声は平静を保っていたが、アカギには、ひろゆきの背中からかわいそうなほど動揺しているのが見て取れた。

 ドアを開けながら、じゃ……と小さく言った時、ようやくひろゆきはアカギのほうを見たが、目を伏せており、アカギと目を合わせようとはしない。

 ひろゆきがあんまりうろたえていたので、強引に引き止める気も失せてそのまま行かせてしまった。

 あいつ、もう来ないかもな。

 やり取りの後、一人になった部屋でなんとなくアカギはそう思った。





 アカギの予想に反して、次の日もひろゆきはアカギの部屋に来た。

 昨日の事はまるで無かったかのようにふるまっている。

狭い部屋の真中で、二つ折りの座布団を枕に寝転がっていたアカギに「アカギさん、どいてください」と声をかけて掃除をし、料理の本とにらめっこしながら夕食を作って二人で食べる。

 夕食の後は、ひろゆきは大抵勉強していたが、アカギはふらっと外に出ることも多い。帰りが遅くなればひろゆきはいないし、珍しく早く帰ってくればひろゆきはまだアカギの部屋で勉強している。

二人で何をするわけでもない。お互い好き勝手な事をして時間を過ごしている。

 もう何日こんな生活が続いているだろう。

 アカギはひろゆきにそんなことを頼んだわけではないし、ひろゆきも頼まれたわけではない。

 だが、ひろゆきは日課のように毎日アカギの世話を焼いて、自分の部屋に帰る。

 今までにもアカギの世話を焼こうという男や女は居たが、ひろゆきとそいつらが決定的に違うのは、ひろゆきはアカギに何の見返りも要求しないという事だ。

 金も、セックスも、愛情も要求しない。してあげたという恩着せがましい言葉も口にしない。

 ただ淡々と、アカギの世話を焼く。






「泊まっていけば……?」

 ひろゆきの帰り際、またアカギはそう口に出した。

 セックスがしたくてそう言っている訳ではない。ひろゆきの真意が知りたいのだ。

「……いえ、帰ります」

 だが、ひろゆきの返答は昨日と同じだった。

 二度目ともなると、さすがに昨日ほど動揺はしていない。目は伏せていたが、はっきりとそう言って拒絶する。

 何も変わらない。

 このままだと、ひろゆきの帰り際にその会話を交わす。というのが一日の日課に加わるだけだ。そうアカギは直感的に悟る。

 以前、酔って帰ったアカギがひろゆきにキスした事があった。

 もちろん、酔っていたからといってアカギが自分を見失う事など無い。ひろゆきがどうするか試したのだ。

 アカギがひろゆきから唇を離した瞬間、ひろゆきに睨みつけられた。「試すの、止めてください」そう一言だけ言い、ひろゆきはアカギの部屋を出ていった。

怒ったかな? と思ったが、翌日、何事も無かったかのようにひろゆきはアカギの部屋に来た。

 あの時と全く同じだ。

 出ていきかけたひろゆきの腕をアカギが掴んだ。

「なんでだよ?」

 アカギの言葉と共に腕を掴まれたひろゆきが振り返ると、無表情でひろゆきを見るアカギと目が合った。

「学校がありますから」

「お前の部屋、すぐ側だろうが。朝帰ればいいだろ……?」

「でも帰ります」

 そう言葉を交わし、ひろゆきは腕を掴むアカギの手をやんわりと外そうとした。だが、アカギは逆にひろゆきの腕を掴む手に力を入れる。

「お前、何のつもりで俺の部屋に来てるんだ……?」

 そう言ったアカギの表情が少し険しくなった。

「来たいから来ています。それじゃいけませんか?」

 ひろゆきは落ち着き払ってそう言い、アカギの目をじっと見る。

「甲斐甲斐しく俺の世話やいてるかと思えば、セックスもしねえで、帰る。お前、一体何が目当てなんだ?」

「アカギさんこそ、セックスの相手に困ってる訳じゃないでしょう?」

 質問を質問で返し、のらりくらりと返答を逃げるひろゆきに、ちっと面白くなさそうにアカギが舌打ちした。

 これがひろゆき以外なら、手っ取り早く殴って真意を聞き出すところだ。

 いまいちひろゆきに甘い自分に気がつき、それも苛立たしい。

「お前、俺のこと人間扱いしてないだろ?」

 ひろゆきの体をぐいと引き寄せ、目を覗き込みながら唐突にアカギはそう言った。

「え?」

 アカギの言葉に、ひろゆきが目を丸くする。

何今更驚いたふりしてるんだよ。とアカギがひろゆきを睨む。

「お前、俺を飼ってるつもりなんだろ……?」

 アカギがそう言うと、ひろゆきの体がびくっと動いた。動揺したようにアカギから視線を外し、そっぽを向いている。何かごまかしの言葉を言おうと必死で考えているのだろう。目がきょろきょろと落ち着き無く動く。

「俺と居るスリルを楽しんでるというか、蛇とか、タランチュラとか、虎だとか、ゲテモノだの猛獣だの飼ってる奴と同じ気持ちなんだろ、お前は」

 ひろゆきにとって、アカギは刺激そのもの。

 昔アカギは辻斬りをして憂さを晴らしたが、ひろゆきはアカギと居る事で刺激を得ている。

 それをお見通しだとアカギが言うと、ひろゆきが観念したようにアカギを見た。

「そういう気持ちが無いとは言いませんけど、それは言いすぎです」

 素直に認め、ひろゆきはそう言った。

 思っていてもそういうこと言うか、普通。

 アカギはひろゆきの言葉に半ば呆れながら口を開いた。

「お前としちゃ、檻に入っている猛獣を安全だと思って見ているつもりなんだろうが……。言っとくが、その檻の戸、全開だぞ」

「でも、猛獣は腹が減らない限り獲物を襲わないでしょ?」

「腹が減ってたらどうするんだよ?」

「俺の知っている猛獣は、自分の口に合わないものなら一口も食べません。例え餓死しようとね」

 そう言いきったひろゆきに、アカギがため息をつく。

 ひろゆきは、比較的「まともな」状態のアカギしか知らないからなのか、アカギの闇を知っていながらそう言うのか。どちらにしても、少しでもアカギを知る者が聞いたのなら、震え上がるような態度だ。

「お前のその、自分だけは大丈夫って自信はどこから来るのかね……?」

 別にそんな自信はありませんけど? と首をかしげるひろゆきを、剣呑に目を細めたアカギが見ている。

「アカギさんが、俺にもうここへ来るなと言うのなら来ません」

 自分の感情を押し隠すように淡々とそう言ったひろゆきの言葉に、アカギがちょっとむっとした。

「ほら、これだよ」

 ひろゆきは檻に入った猛獣にしか近づかない。(実際は安全でもなんでもないが)

 聞き分けのいいふりをして、その実逃げる。

「おまえ、どこか安全を抱いてるんだよな。思わせぶりな態度を取るくせに、自分が傷つかないように、いつでも俺から撤退できる距離をおいてる」

 アカギにしては珍しく、苛々したようにそう言った。

「なんかそれが気に食わねえんだけど……?」

 横目でひろゆきをにらみつけ、目が合うとひろゆきが目を伏せた。

「それは……」

 口篭もったひろゆきに、さらにアカギが畳み掛ける。

「それにお前、俺より天の方が好きだろ?」

 アカギの言葉に、慌ててひろゆきが顔を上げるが、アカギは相変わらず不機嫌なままだ。

「俺といてどこが楽しいんだ? お前いつも俺の気配ばっかりうかがって、ビクビクしてる。天といる時の方がずっと楽しそうじゃねえか」

 実際は、アカギのことをじっと見ている事に気付かれたひろゆきが、気恥ずかしくて逃げたり近づいたりを繰り返しているのだが、アカギにはそれが自分の機嫌を伺ってビクビクしているように感じるらしい。そう思われても仕方の無い事だが。

「それも気に入りませんか?」

 アカギが思うほど、ひろゆきはアカギを怖がってないし、びくびくしてもない。

 それはなぜか? というと、ひろゆきとアカギとの相性がいいから。としか言いようがない。妙に相性が良すぎて、前に進めなくてもどかしいぐらいだ。

「ああ、気にいらねえな」

「意外と素直なんですね。びっくりしました」

 他の人間が言ったら睨み殺されるようなセリフを平気で言い、ひろゆきはアカギをじっと見つめた。

「じゃあ、いいんですか? 今よりもっと好きになっても。アカギさん、嫌いでしょ、そういうの」

 ひろゆきの言葉に、今度はアカギが何も言えなくなる。思いがけないひろゆきの逆襲に戸惑い、二、三度瞬きした。

 逃げるひろゆきを追いかけるのに夢中で、自分がひろゆきをどう思っているか考えていなかった。

 セックスに誘ったって事は、嫌いじゃねえんだろうな。

 なんとなくそう思った。

 じゃあ、好きかと言えば多分好きなんだが、世間一般の好きとはまたちょっと違うような気がするのだ。

 束縛したいとか、されたいとか、そういう気持ちは一切無い。たまに思い出しはするだろうが、一年会わなくても平気だろう。その代わり、どれだけ離れてようと気持ちは変わらず、会えば抱ける気がする。

 だが、はたしてひろゆきがそれで納得するかどうか……。

 まあ、納得しないならしないで丸め込んでしまえばいいのだが。

「さっきのアカギさんのセリフ、俺がアカギさんより天さんのほうが好きって、天さんが聞いたら大笑いすると思いますよ」

 アカギの内心を知らず、ひろゆきがそう言うと、アカギがひろゆきを不思議なものでも見るかのようにじっと見た。

 アカギは自分が外道である自覚がある。その自分を、なぜひろゆきが好きになるのか理解できないのだ。まだ、刺激を得る道具に……という方が理解できる。

「お前、俺が怖いんじゃないのか?」

「怖いと思う時もありますけど、アカギさん、けっこう優しいから」

「あ……?」

 アカギは一瞬顔を顰めると、ひろゆきの頬を両手で挟み、引き寄せた。何か言いかけたようにかすかに開いたひろゆきの唇を塞ぐ。

ひろゆきの目が見開かれる。

アカギも目を閉じずに、じっとひろゆきの事を観察するように見ながらキスをする。その目は凍りつくように冷たくて、普通ならまず怖気づく。アカギに寄って来る勘違いした奴らなら、この後「こんな人だと思わなかった」とふざけた事をぬかしてアカギに追い払われるのだ。

「これでも?」

 強引なキスの後、アカギがひろゆきの目を覗き込みながら意地悪く問い返す。前にも強引なキスをしてひろゆきを怒らせた。アカギはあれをもう一度やったつもりだったのだ。

 だが、ひろゆきは今度は抵抗しない。

 それどころかアカギに向かって微笑んでみせたのだ。

「ええ。アカギさん今手加減してくれたでしょ?」

 得意そうに言ったひろゆきに、ちっとアカギが舌打ちする。ますますひろゆきが根拠のねえ自信つけちまうじゃねえか。と思うが、自分が掘った墓穴なのだから仕方が無い。

「今度は抵抗しねえんだな」

 せめてもの仕返しにそう言うと、「前のキスとは違いますから」とまた生意気な答えが返ってくる。

「……帰ります」

 ひろゆきが気を取り直してそう言うと、アカギが頷いた。

 どんな気まぐれか判らないが、アカギはひろゆきの甘えを容認してくれたのだ。

「明日も来る……?」

「来ます」

 ひろゆきはそう言い、小さく会釈をしてドアの外へ出る。

 ドアが閉まる軽い金属音の後一人になったアカギが、ふっと自嘲気味に笑った。

 ひろゆきを引き止めなかった自分と、引き止めなかった事情に。

 おもむろに拳を作り、ガンッ! と大きな音を立てて壁を殴りつける。

「天っ! 出歯亀してんじゃねえぞ……っ!」

 壁を殴りながらそう大声を出すと、でかい音と振動に壁の向こうでうわっと天が叫ぶのが聞こえた。隣の部屋で、天とその嫁達が息を殺して壁に耳をつけ、二人の会話を盗み聞きしていたのだ。続いて、ごめんなさ〜いと女の声がハモる。どうせああだこうだと自分とひろゆきを肴に酒を飲んでいたのだろう。いつ自分とひろゆきがヤるかで賭けでもしてたに違いない。

「おい、明日は静かにしてろ」

 アカギがそう言うと、隣がわっと盛り上がった。

明日決めるらしーぞ! キャ〜やだぁ! 少年明日食われちゃうんだぁ〜!

そんな盛り上がりを聞きながら、明日はひろゆきつれて外へ出ようとアカギは心に決めた。


 アカギが出歯亀を懲らしめ、明日はどんな手を使ってでもひろゆきを丸め込もうと考えている頃。







「こっ、怖かった……っ」

 なんとか平静を装ってアカギの部屋の外に出たものの、緊張の糸が切れ、自分の部屋でへたり込んで真っ青な顔でひろゆきが呟いた。

 アカギといる時は夢中で何がなんだか判らなかったのが幸いして、なんとか虚勢を張ることが出来たが、安全な所に来てようやくアカギの恐ろしさがじわじわとを感られる。 

やっぱアカギさん怖いよ〜と心の中でぼやくひろゆきは、アカギが天に明日決めると言って盛り上がっている事を知らない。



ENDE



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