Catcher in the racetrack








 ネオンがちかちかと瞬いている飲み屋街。

表通りには、いわゆる高級クラブの看板が軒を並べている。開店祝いの花輪に、タクシーに乗り込む酔っ払い親父を見送る夜の蝶。華やかできらびやかな夜がそこにある。

だが、一歩裏道に入れば、そこは薄暗くて汚い。片言の日本語の立ちんぼが、安っぽい服を着てたむろっているような場所。

欲望が闇と溶け合い、綺麗なもの、華やかなもの、汚ねえものと貧しいものが同時に存在する、そんな場所に俺たちはいた。

残念ながら、楽しみに来たんじゃない。仕事だ。

今夜は、ある男がなじみのクラブに入るのを待ち伏せている。

億単位の金が飛び交い、仕手戦だの、代議士だのと、一見派手に見えるが、銀さんはどうか知らないが、俺や巽さん、安田さんがやる普段の仕事はずっと地味だ。

どんな世界だろうと、パアーっと魔法のように金が儲かる。なんてうまい話はどこにも無い。勤勉で頭が良くなければ、悪党の世界も生きていけないのだ。

「がっかりしたか? 森田」と銀さんに笑いながら聞かれたが、俺は首を振った。

銀さんと一緒に行動できる。それだけで俺は興奮していた。

時間つぶしに自販機で缶コーヒーを買って戻ったら、銀さんは明らかにホームレスと思われるオヤジと話している最中だった。

 二人で煙草をふかしながら、世間話でもしているのか、楽しそうに笑っている。

 普通の人間だったらそんな事はしない。この汚くて臭えオヤジをまるで居ないかのようにふるまうか、酷い奴はあからさまに嫌悪を示す。

 だけど、銀さんは違う。

なんというか、この人は、見ためとかそういったものに全く偏見を持たない。どんな奴にだって平等に接する。ホームレスの前だろうが、俺の前だろうが、首相の前だろうが、変わらない。

 もちろん、口調などの違いはあるが、誰の前であろうと平井銀二は平井銀二なのだ。

 何気なくそれはすごい事だと俺は思う。

「お、森田、すまんな」

 俺の差し出すコーヒーを受けとって、銀さんは笑った。じゃ、またなにか良い情報があったら教えてくれよ。とホームレスのオヤジに声をかけ、歩き出す。

 俺は慌てて銀さんの後を追った。

「あのオヤジさんが愚痴ってたんだが、昔は飲み屋からのゴミに、手をつけてないメロンやら、封を開けただけの酒瓶やらがごろごろしてたのに、最近はさっぱりなんだと。こんな所に不況ってのは如実に現われるもんなんだよなぁ。安全なところでぬくぬくしている役人なんかより、経済なんてまるで縁のなさそうなあのおっさんの方が今が大変だって事を判っている。おもしれえもんだな」

 コーヒーを手に歩きながら、銀さんがそう言った。

「知り合いなんですか?」

「いいや。でも煙草が欲しいというからやったよ。そしたら、Kが常連だっていう店を教えてくれたよ。まあこれからいい情報源になってくれるかもな」

 これだ。

 銀さんはあっさりと言ったが、Kは、俺たちが今狙っているヤマに関わる重要人物だった。Kに関する事なら、俺たちはどんな情報でも欲しい。

 銀さんは恐らく、あのオヤジがそんな情報を持っているとは思わなかっただろう。ここらへん界隈を根城にしているホームレスなら、何かを知っているかもしれない。その程度は思っていたかもしれないが。

 だが、さっきみたいに銀さんはクズ山の中から宝を引きあてる。

 銀さんには磁力があるようだ。モノも、ヒトも、カネも、情報も、銀さんに引き寄せられるように集まってくる。

 俺が色々ぐちゃぐちゃ考えていると、銀さんは横道へ入った。街の雰囲気ががらりと変わる。

「銀さん、張り込みは……?」

「ああ? あれはもういい。用は済んだ」

 俺はそう言われ、おもわず、ハァ? と口に出すところだった。聞かされていた当初の話とまるで違う。張り込みはどうなったんだ? 俺がコーヒーを買いに行っている僅か数分の間に、何が終ったってんだ?

 今みたいに、俺は、自分のしている事さえ全く判ってない事も多かった。あれをやれ、これをやれと指示されたことをこなすだけで精一杯で、自分が何のためにそれをしているのかは全く判らねえ。でも、銀さんや安田さんからは、「よくやっている」と言われている。

 何でだよ……。

 判らねえよ、本当。

 それよりもっと判らないのは、銀さんだ。

 俺は、前行く銀さんの広い背中を見ながらそう思った。

 銀さんと俺は、こじんまりとした安っぽい店が続く界隈に出た。バー純子、幸子の店、同じようなみすぼらしいはげた看板が続く。どこを見ても、おっかさんが女手一つでやっているような小さな店だ。築何年経っているんだかわからねえ店の扉の奥から、おばはんの嬌声と、酔っ払ったおやじの歌うカラオケが漏れてくる。

 銀さん、何だってこんな所に……。

 俺はそう思ったが言い出せず、ただ銀さんの後ろをついていった。

「お……」

 先を歩いていた銀さんが急に立ち止まり、小さく声を上げる。

「なんですか?」

「ねずみだ」

 立ち止まった銀さんに問いかけると、そう言って銀さんが屈みこむ。

「ねずみぃ?」

 なんなんだよ。こんな所に来て、ねずみって……。

 俺が不審そうな声を上げると、銀さんが足元から摘み上げた白いものを手のひらに載せて俺に差し出した。

「ハムスターじゃないですか、それ」

 見ると、白くて小さなハムスターが、銀さんの手のひらの上をうろうろしている。せかせか動いていたかと思ったら、急に二本足で立ち上がり、今度は一生懸命顔を洗い始めた。

 この暗闇の中、幾ら白くて目立つとはいえ、そんな小さなものを見つけてしまう。銀さんはそういう男だ。

 人が気がつかないものに気がつき、人が見えないものを見ている。

 まあ、今は何でハムスターなんだと思うのだが。

「ねずみだろ? 可愛いもんだな、ねずみも」

 せっせと顔を洗う愛くるしいハムスターを、そう言って銀さんが指の背で撫でている。

 銀さんにとっては、ハムスターだろうとねずみだろうと同じようなものなのだろう。それにしても、銀さんとハムスター、あんまり考えられない取り合わせだ。というか、ハムスターを可愛がる銀さんって、なんだか可愛い……などと馬鹿な事を思ってしまう。

「まぁ、そうですけど」

 でも、普通の人にとっては、ねずみとハムスターじゃ偉い違いだよなぁ……。と思いながら俺はもごもごと言った。リアクションに困っているのだ。

「野良ハムスター……ですかね?」

「違うだろ。あの子のだ、多分」

 何でこんな所にハムスターがいるんだ? と思って俺はそう言ったが、銀さんが指差す一角を見て納得した。

 一軒の飲み屋の裏口から、小学生くらいの女の子がじっと俺たちを見ている。

 店の中の黄色い光を背にして、その子は心配そうな顔をしていた。開いたドアの奥に見える店内はやっぱりみすぼらしくて、やっぱりオヤジの歌うカラオケが煩い。こんな遅い時間にこんな所にいる女の子に、少しはっとした。

「ほら、大事な友達だろ」

 銀さんはそう言って、ハムスターを女の子に差し出した。女の子は小さな両手を広げ、受け取ったハムスターを大事そうに手のひらで包む。

 ありがとう……と俯いて小さく呟く女の子の頭を、銀さんがくしゃっと撫でた。

女の子にかすかに微笑み、また何事も無かったかのように歩き出す。

「ありがとう!」

 銀さんの背に、少し大きな声で女の子はそう言った。銀さんは振り返り、どういたしましてという感じに笑って手を上げる。

 俺は、その時の銀さんの顔がなんだか凄くいいと思った。

 悪巧みをする時の銀さんのニヒルな笑みもかっこいいんだが、小さい女の子に見せる銀さんの優しい笑みも凄くいい。

 なんだろう? どっちが本当の銀さんなんだろう? と思う。不思議な人だ。多分どっちも本当の銀さんなのだ。いろいろな顔を持つ謎の多い人なのだ。

 俺は、もっと銀さんの事を知りてえなぁ……などと思いながらさっさと先を行く銀さんの後をついていった。

 

それからどれだけ歩いただろうか、今度は、道の向こうから小さな影が転がるように走ってきた。

「犬か……」

 銀さんがそう呟くと、犬は銀さんの足元を、構え構え! と言わんばかりにぐるぐる回っている。足の短い、ダックスフントってやつだ。首輪をしている。

 迷い犬か? それにしてもなぜ銀さんに向かって一直線に走って来るんだよ……。

「おまえ足短かいな」

 銀さんは、そう犬に声をかけながら屈んで犬の頭を撫でた。犬は嬉しそうに銀さんに飛びつく。犬にケツを向けられた俺は、犬のぶんぶん振っている鞭のような尻尾がぴちぴちと足に当たり、犬の尻尾も結構痛いものなんだなぁとそんな事を思っていた。

 犬は全く俺を無視してひとしきり銀さんに撫でてもらうと、満足したのか、来たときのようにいきなりだーっと駆け出して消えた。

 実はちょっと俺も触りたかったんだけどな、犬。

「銀さん、動物好きなんですか?」

「いや別に。ガキの頃は飼ってたけどな」

 俺がそう問いかけると、銀さんはぱんぱんと手を払いながら立ち上がる。

「へぇ? 何飼ってたんですか?」

 好奇心で俺がそう聞くと、銀さんは俺のほうをちらっと見て言った。

「レース鳩」

「レース鳩ぉ?」

「小屋まで作ってはまったなぁ……」

 銀さんはしみじみとそう言い、煙草に火をつけた。

「そんなにはまってたのに、なんで飼うのやめちゃったんですか?」

 俺が何気なくそう言うと、銀さんが俺の顔をじっと見て口を開いた。

「レース鳩はな、何百キロ、時には一千キロを越える距離をそりゃもう命がけで必死で帰ってくるんだ。迷っちまったり、隼にやられちまったりで帰ってこない奴も珍しくねえ」

 何も知らない俺に銀さんが色々説明する。俺は銀さんの簡単な説明の後に、判ったというように軽く頷いた。

 鳩レースとは、鳩の帰巣本能を利用したもので、レースに参加する鳩を同じ場所で放し、鳩舎に帰ってくる早さ(分速)を競うものなのだそうだ。銀さんによると、鳩レースは、血統を考えていい鳩を作る事と、レースや天候、鳩のタイプを考えて、餌や訓練によっていかに鳩を最高に仕上げるかという、飼い主の知恵と工夫とカンが試される知的なものらしい。競馬の鳩版みたいなもんだろうと俺は理解した。

 にしてもガキの頃の銀さん、ずいぶんマニアで渋い好みをしている。ガキの頃からアタマ良かったんだろうな、俺と違って。

「俺がまだ十三だか十四だかのガキの頃、これ以上ねえってほどいいレース鳩を作ってな、俺はそいつに入れ込んでた。最高の相棒だった。だけどな、ある時そいつは運悪く台風に巻き込まれて戻ってこなかったんだ。そのせいだな、止めちまったのは。そいつが居なくなってから、憑き物が落ちたように熱が冷めちまった」

「へぇ」

 目を細めて話す銀さんに、苦労を共にし、夢や希望をかけた最高の相棒を失った幼い頃の銀さんを想像して、俺は妙にしんみりしてしまった。

 残った鳩と鳩小屋売って得た金で最初の商売始めた。というオチに、転んでもただでは起きない人だよなぁ……と思ったのだが、思い出話をする銀さんの顔が心なしか少し寂しそうで俺はそう口にするのを止めた。

 強くて、何もかも勝ち取ってきたような銀さんだが、悲しい思いや辛い思いもたくさんしてきたのだろうと、ふと当たり前の事に気が付かされた。銀さんがあまりにも超人みたいだから、ついその当たり前の事を忘れそうになる。

 それにしても、俺は、また一つ銀さんの事を知ったが、ますますこの人が判らなくなった。




 もう、何が来ても驚かねえと思った。

 銀さんはそういう人なのだ。

 俺たちのような凡人が道を歩いていても、何か起こるなんてほとんどねえ。

 だがこの人は違う。ただ道を歩いているだけでも、いろんなものにぶち当たる人なんだ。




「人懐っこいな」

 だから、そう言って銀さんが足に擦り寄ってきた猫を抱きかかえてももう俺は驚かねえ。

「ほら森田、白足袋はいてるぞこいつ」

 そう言って、銀さんに抱っこされて差し出された猫が、一生懸命突っ張って前に出してる前足と握手する余裕もあるくらいだ。

 黒い毛皮を身にまとい、四本の足に足袋を履いた猫は、なーと鳴いて銀さんの腕からするりと抜け出し、夜の闇に消える。

「なかなか俺のところには居着いてくれねえな」

 去っていく猫の後姿を見ながら、銀さんはそう言って苦笑した。

 冗談じゃない。

 銀さんに拾って欲しい奴なんて幾らでもいる。今のは犬猫だからいいが、銀さんに拾われて居着くやつなんて俺一人で十分だ。

 俺は銀さんの言葉に内心そう思っていた。

 

なので、銀さんが道端で寝てる女を構いはじめたときは本当にハラハラした。

「おい姉さん、こんなとこで寝るなって」

 そう言って銀さんは、スカートで大股広げてパンツ丸出しにしている女を起こし(美人だった)住所を聞き出した。

 泥酔状態の女はもごもごと住所を言うと、子供がぐずるように銀さんを手で押しのけようとした。左手の薬指に指輪が光り、既婚者がこんな所でなにやってんだと俺は少し呆れた。

 女の住所を聞き出すと、銀さんは女の抵抗をまるで無視して、その女を軽々と肩に担ぎ上げた。

 おいおい、それ拾っちゃうの不味いんじゃない? と思って俺がはらはらと見ていると、銀さんはタクシーを拾い、後部座席に女を押し込む。

 酔っ払いを嫌がる運転手に金を押し付け、住所を告げてドアを閉める。全てを終えて銀さんが俺の所に戻って来た時に、俺は何かを確信した。




「銀さん、動物が好きっていうよりか」

 俺は確信を確かめるべく、そう口を開いた。

「そこらへんフラフラしている生き物に弱いんでしょ……」

 俺が銀さんを見て言うと、銀さんがククっと笑う。

「そう言われてみるとそうだな……」

 目を伏せて言いながらスーツの裏ポケットから煙草を取り出し、咥えて火をつける。

「まぁなんだ、ついちょっかい出しちまうんだよ、野良みたいな奴には。拾ってかまいたくなる」

 そう言って、俺を見てにやっと意味深に笑った。




「銀さん」

 俺は、一つ不安に思い、恐る恐る銀さんに声をかける。

「なんだ森田」

「俺も競馬場でフラフラしてたから拾った?」

 多分俺はその時、凄い情けない不安そうな顔をしていただろう。

 競馬場で、負けてやけになってた情けない俺、迷った犬猫やハムスターや道で寝てる姉ちゃんと、フラフラしてる野良っぽさはいい勝負だ。

銀さんの気まぐれで俺が拾われたってのは判っているが、俺は銀さんにとって、拾われた犬や猫やハムスターや、酔っ払った姉ちゃん(美人)以上の値打ちがあればいいなぁ……と思う。

「ん……、お前は……。拾ったというかだな……」

 そう言って、銀さんは俺の肩に腕を回し、内緒話でもするみたいに俺に顔を近づけた。

「狙った」

 俺の目を銀さんがじっと見つめる。心の奥まで見透かされそうで、俺は余計ドキドキした。夜だから、顔が赤くなっているのまでは判らないだろうと思うけど、銀さんの事だ、多分何もかもお見通しだろう。

「捕まえたんだよ、お前を」

俺を見つめながら、息がかかりそうなほど近くでそう言う銀さんに、俺はなんだか嬉しくて気恥ずかしくて余計赤面した。

俺、銀さんに拾われたんじゃなくて、捕まえられたんだ。

ちょっとだけ、自惚れてもいいかな?

「何的外れな心配してんだ、森田? 俺にとって森田はな、俺から逃げなかった貴重な存在なんだぜ? 逃げちまったり既に誰かのものだったさっきの犬猫と違ってな。それだけでも貴重なんだよ、俺には」

 独り言のようにそう言う銀さんの言葉の意味が俺にはよく判らなかったし、判ろうともしなかった。銀さんの言葉が嬉しくて浮かれてた俺は、その言葉の意味を深く考えなかったのだ。

俺のことを銀さんが必要に思ってくれている。こんな俺に何で銀さんが……と感激する気持ちの方が強かったのだ。


 その時の俺はまだ、銀さんと一緒に生きていくって事の意味を半分も判っていなかった。


 銀さんが俺を捨てる事はあっても、俺が銀さんから離れるなんて事は考えもしなかった。


 俺はただ、競馬場で俺を捕まえた平井銀二という男に酔い、浮かれていた。


 やがてくる二日酔いの朝をまだ知らなかったのだ。



ENDE

20041101 UP

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