◆Love Education◆
これは夢じゃないかとずっと思ってた。
だって、俺はガキの頃からずっと貴女に憧れてたし、貴女に憧れて軍に入り、貴女の役に立ちたくてモビルスーツのパイロットになったんだ。
軍に入れば貴女に会えるなんて、ずいぶん不純な動機だとは自分でも思うけど。
それでも貴女は遠すぎて、滅多に会える人じゃなかったけど。
あなたの姿を遠くから見たり、ほんの一言二言声をかけてくれるだけが生きがいだったのに。
それが、信じられるか?
キシリア・ザビが俺の腕の中に居るなんて。
何か天変地異の前触れじゃないかと俺は本気で疑った。
やっぱり、夢か……。
ほっとしたような残念なような気持ちで俺は目を覚ました。
そりゃそうだ、そんな訳があるはずが無い。
そうだそうだと自分を納得させながら、ベットを降りた。見慣れた散らかった部屋。置きっぱなしのカップ、散らばった服。いつもの通り。こんな汚い部屋にキシリア様を通せる訳が無い。そう思いながら一つ大きな欠伸をし、うーんと伸びをした。時計を見ると、すでに時刻は十一時を回っている。非番だからって、ちょっと寝すぎたかな。と思ってると、ふと鏡に映った自分に違和感を感じた。
鎖骨の辺りに赤いあざ。
なんだこれ? 俺こんな所ぶつけたかな? と思って鏡に近づいたとたん全てを思い出した。
俺はバカか!!
あまりの事に現実逃避している場合じゃない!
昨日の事は夢じゃない。夢じゃないんだ。俺は確かにこの部屋でキシリア様を……えーっと。そうだ、抱いた。切なそうな表情も、柔らかい体の感触も、いい匂いのする長い髪も。俺は覚えている。絶対に忘れない。忘れるもんか。
……えー!! 俺がキシリア様を抱いた!? どういう事だ!?
まだ現実を上手く理解できなくて、俺はまたパニックに陥った。
……いや、やっぱり夢かも。リアルな。
わしわし頭を掻いて俺はそう思い直した。だって、俺の部屋にはキシリア様がいないじゃないか。
キッチンに形ばかり置いてあるダイニングテーブルの椅子に座り、俺は深く苦悩した。昨日の事は夢じゃない……はずだ。ならキシリア様は俺に何も言わずに何処へ行ってしまったのだろう?
一、怒って帰った
二、リアルな夢だった
三、無かった事にしようとしている
……できたら、二で。じゃなかったら俺が辛すぎる。
明日から俺はどんな顔をしてキシリア様に会えば良いのかと頭を抱えた。キシリア様は平気でも、俺が、俺が平気でいられる訳が無い!
ジーザズ。俺はどうしたら良いんだ……。
がっくりとうなだれる俺の耳に、ドアが開くがちゃっという音が聞こえた。
何事だ? と玄関まで行くと。
なんと、
大量の買い物の袋を下げたキシリア様がそこにいた。(なんてこった)
「やっと起きたのか? 良く寝ていたから起こさなかったが」
起こしてください、キシリア様……。
「シャワーを借りた。あと服も」
そう言われて、なんとか見た目を普通に見せているが、キシリア様が俺のワイシャツとジーンズ姿なのに初めて気がついた。
なんてこった!
「少し片付けようかとも思ったが、他人のものをあまり勝手に触るのも気が引けてな」
キシリア様の言葉に、汚い自分の部屋の事を思い出し、血の気が引いた。固まってる間にキシリア様はさっさとキッチンへ入っていき、シンクに買ってきた袋の中身を次々と出していく。答えは、番外の「買い物に行った」だったなんて、想像できなさすぎる……。
ジオンの公女がそんな事をするなんて、誰が想像できるだろうか? それを当の本人があっさりやってしまう所にキシリア様の凄さが有ると思う。
しまった、重かっただろうに荷物持てばよかった。と自分の気が利かなさに舌打ちした。どうしていいか判らなくて、キシリア様の後ろでうろうろしていると、キシリア様がくるっと俺を振り返って言った。
「もうちょっと小さいサイズは無いか?」
俺のジーンズは当然女性のキシリア様にとっては大きかったらしい。バンダナをベルト代わりにしていたが、動きにくそうだった。
「ありません……」
ご要望にお答えしたかったのだが、無いものは無いので申し訳なく思いながらそう言った。
「そうか、じゃあ、いい」
そう言うなり、キシリア様は俺のベッドルームへ消えていった。なにか着るもの買ってきた方が良いかな? と考えていると、キシリア様が戻ってくるのを見てまた仰天した。
「ききき、キシリア様!?」
「この方が動きやすい」
キシリア様の姿は、ジーンズを脱いでしまい、俺のワイシャツだけ。白くて長いすらりとした足を惜しげもなく晒している。ああ、ほんと、綺麗だ。
「こんな時ぐらい『キシリア様』は止めて欲しいな。キシリアでいい」
モデルのように綺麗な足が俺の前を通って向かいの椅子に座る。俺の動揺した様子に笑いながらそう言った。
とんでもない! 俺にキシリア様を呼び捨てにできるものか。恐れ多い。ぶんぶんと首を振っていると、テーブル越しにぐいとキシリア様が身を寄せて、俺の唇に人差し指を当てて言った。「言ってみろ」
ああ、キシリア様、見えます、胸の谷間が。
少し前のめりになった体勢からでは、きちんと閉めていないワイシャツの合わせ目から、キシリア様の白い胸の谷間が覗く。思わず目線がキシリア様の顔と谷間を行ったり来たりしながら俺は狼狽しまくった。
「キシリア…………様。すいません自分には無理です」
なんとか気を落ち着かせて、キシリア様の仰る通り言ってみようとしたけれど、予想通り到底俺には呼び捨てになどできない。
自分にはキシリア様は憧れの人で、決して他人行儀なつもりは無いのですが呼び捨てになどできません! と俺が必死になって言うと、キシリア様は呆れたように肩を竦められた。
「……お前にはいろいろ教育が必要なようだな」
そう言うと、組んだ長い足を持て余すように解き、キッチンに立った。教育って、どんな教育だろう? と期待半分、怖さ半分の複雑な気持ちでキシリア様の後姿を眺める。
キシリア様が意外にも慣れた手つきで料理をし始めた。
もちろんエプロンなんて気の効いた物は家に無い。買っとけば良かったとまた後悔した。
こんど買っておこう、こう、白いフリルのついた奴。
「あっ、自分も手伝います!」
慌ててそう言い、隣に立ってはみたが、料理なんてしたこと無い俺は何をしていいか判らない。
「いいから、お前は座ってろ。遠慮するな」
そう言いながら濡れた手で水を弾かれ、細かい水滴が顔に跳ねた。わっと驚いて変な顔をすると、キシリア様がくすくす笑っている。悪戯な仕草と笑顔に胸が甘く締め付けられる。本当に俺はこの人が大好きなんだ。と改めて思う。ひっそりと胸の内で想うだけは許されるだろうと思っていたのに。その人が目の前で笑ったり、俺のために料理を作ってくれたりしている。
本当に俺は幸せ者だ。そう思うと、情けないことに涙が出そうになりぐっと堪えた。
潤んでしまいそうな目でキシリア様を見ると、何時ものように結い上げてはいないが、髪の毛を綺麗に纏めているおかげで見える白いうなじにどきどきした。こんなにまじまじと見られる機会なんて滅多にあるもんじゃない。白い指がレタスの葉をちぎったり、手際よく材料を火にかけたりしている。全く信じられない。キシリア・ザビが俺の家の台所に立ってるなんて……。
「料理、お上手ですね」
俺が話し掛けると、振り返らすにキシリア様が答えてくれた。
「ああ、一通りは習った。ガルマに食べさせていたから……。小さい頃ガルマは我侭で、拗ねて食事をしない時は私が作っていたのだよ。そうしたら大人しく食べたからな」
多分母がいなかったからだろう。とキシリア様は付け加えた。俺は意外な感じにちょっと感動してしまった。雲の上の人の生活って料理なんて全くしないイメージがあったが、(議員の妻である俺の母もあまりしなかったし)優しいお姉さんだったんだな。と思うと、急にキシリア様が身近に思えてきた。上手く言えないんだけど、雲の上から降りてきた天女が、急に人間になった感じ?
俺のぶかぶかのワイシャツを着て腕まくりをしているキシリア様、軍で見る時は凄く大きく見えるけど、やっぱり、俺より小さいんだなと思う。二の腕があんなに細い。首筋も、肩幅も思ったよりずっと細い。こんな細い体で、よくあの重圧に耐えてるものだと思う。キシリア様は鉄で出来てるんじゃないかと言った奴がいたけど、俺はこんな細い体でジオンを支えているキシリア様はとても健気だと思う。
急に、後姿を抱きしめたくてたまらなくなった。俺は、絶対、この人のために頑張ろうと思った。
目の前に出来上がった料理に、俺は目を見張った。凄い。あんなに殺風景な俺の家の台所で、こんな本格的な料理ができるなんて……。
テーブルの上にはテーブルクロス、花瓶に花まで活けられている。そして俺の目の前には美味しそうな料理の数々が。コンソメで茹でられた色鮮やかな温野菜、綺麗な焦げ目がついた鴨肉とオレンジソースの食欲をそそるいい匂い。ああ、ドレッシングって家で作れるんだと変な感動までした。
「どうした? 美味しい……と思うが」
あまりにも俺がフォークとナイフを持ったまま料理を感動して見つめているので、キシリア様が誤解してそう言った。ソースをぺろっと舐めて味を確かめている。貴女の作った料理が不味い訳ないじゃないですか!!
「いただきます!」
「はい、どうぞ。召し上がれ」
キシリア様がごく自然にそう仰ったので、俺はまた悶絶しそうになった。きっと小さい頃のガルマ様も毎日食事の前にこういう会話を交わしてたんだろうな。
俺は急いでジューシーな肉を一口頬張った。ああ、美味い。涙が出そうだ。
「美味しいです!」
俺がそう言うと、心配そうに俺が料理を口に運ぶのを見ていたキシリア様の表情が緩んだ。
「そうか、よかった」
嬉しそうにそう言うと、やっと自分も料理に手をつけ始める。美味しい料理とキシリア様との会話に俺はこんなに幸せで良いのかと思った。宝くじがあたってビリオネイアになった奴でもこんなに幸せじゃないだろう。
なんと驚いた事にデザートのティラミスまで出てきてさらに俺を驚かせた。知ってたか!? ティラミスって自分で作れるんだぜ!?
「すいません。こんな事までして頂いて」
食器を洗うキシリア様の隣で皿を拭きながら、俺はそう言った。
「何故謝る?」
キシリア様の声が水音に混じって聞こえる。キシリア様の綺麗な手が荒れないかとても心配だ。
「だって、下っ端の自分に、突撃機動軍司令官の貴女にそこまでしてもらうのって、申し訳ないです」
多分、俺にこうしてくれている間もキシリア様にはもっとやらなきゃいけないことが沢山ある。俺はジオンにどれだけ損害与えているのだろう? と思って俺がそう言うと、キシリア様の手が止まった。
「好きな男に自分で作った料理を食べさせたいと思って何が悪い?」
俺の顔を見上げ、苛立たしそうにそう言った。しまった! と思う。とんでもないミスを犯してしまった。俺はキシリア様の機嫌を損ねてしまった。俺にここまでしてくれたのに、俺はキシリア様を喜ばせるどころか、反対に不快にさせてしまった。
「お前はそういう目で私を見ていたのか?」
キシリア様が俺の目を睨みつけるように見つめた。その目の奥に悲しい光があるのに俺は余計狼狽した。何か言おうと言葉を捜すが、こんな時に限って何も出てこない。口下手な自分が心底嫌になった。とにかく「違う」と言いかけるのを遮って、キシリア様がゆっくりと言った。
「私だって、お前の前では忘れたい事だって有る。ただの女でいたい時だってあるのに、お前は違うのだな?」
俺は驚いて目を見張った。違う違うと頭の中でぐるぐる回る。
……いや、違わない。俺は確かにキシリア様のことをそういう目で見ていた。キシリア様が折角俺の前に降りてきてくださったのに、俺は自分に自信が無くて、キシリア様を信じる事ができなかった。キシリア様が怒るのも当たり前だ。
自分のバカさ加減がつくづく嫌になった。「申し訳ない」なんて思わずに、「ありがとう」と言えばよかったんだ。
「お前がそう思っているのならば、もう、ここには来ません。その方がお互いの為だ」
キシリア様の冷たい最後通告。失態を繰り返す愚か者の俺には貴女を止める術が無い。きっと呆れられたに違いない。自分のバカさ加減が招いた自業自得。一億分の一のチャンスをみすみす不意にした馬鹿な男。
また自信の無い弱気に取り付かれ、俺は打ちのめされた。
だけど、その弱気がキシリア様に嫌われた原因じゃないのか? 一度しかない人生それでいいのか、ジョニー・ライデン! ここで引き下がったら一生後悔する。ブロンコ・ビリーも決めたんだぜ!
幸運の女神が腕の中から逃げて行くその瞬間、俺は必死で女神のスカートの裾を掴もうと手を伸ばした。
「待って! お願いだから、キシリア!!」
一瞬のうちにそう考えたけど、そんなのは言い訳だった。半ば反射的に俺は叫び、離れていこうとしていくキシリアの体を後ろから抱きしめた。そうだ、俺はずっとこうしたくて、でも自分に自信が無くて、拒否されるのが怖くて自分を誤魔化してた。
「行かないでください。愛してる」
そう囁き、細い体を逃がさないように、確かめるように抱きしめ、いい匂いのする首筋に口付けて、顔をうずめた。
ああ、神様、どうかまだ間に合いますように。
今まで生きてきた中で一番真剣に神に祈った。永遠のように長い沈黙。本当は二、三秒だったのだろうけど、許しを待つ俺には気が狂いそうに長かった。
「……それでいい。その言葉を、待っていた」
キシリア様がそう仰り、体をひねり、笑いながらキスをした。キスの後俺の顔を見て微笑むのを見ると、全身の力がどっと抜けた。思わず泣き笑いの変な顔になってしまう。
機嫌を損ねたはずのキシリア様の優しいキスに、あれ? と思う。
「よくできたな。ご褒美だ」
満足そうな顔でそう言いながら、俺の首に腕を回して啄ばむようなキスを何度もしてくれる。
俺、もしかして教育された…?
がくっと倒れこみそうになった。本当に、キシリア様には敵わない。
ぐずぐずしている俺に比べて、好きだという感情を隠そうとしないキシリア様は、本当に、素敵だ……。
でも、気を抜けばさっきのようにキシリア様は本当に居なくなってしまうんだろうな。と気合を入れなおす。地位も、名誉も、金も、貴女の前では意味が無くなる。勝負できるのは俺のハートだけ。なら、もしかして心がけ次第で俺にも勝ち目があるって事じゃないか?
「お前、ベッドの中では遠慮なんてしないくせに、ベッドの外ではびくびくおどおどしおって……、気に入らぬから意地悪してやった」
くすくす笑ってそう言うキシリア様に、俺は心の中でふかーく頭を下げた。
その効果は絶大です、キシリア様。十分反省いたしました。
ああ、でもキスだけじゃなくてもっといろんな事をしてみたい、です。
「明日の朝までは一緒にいられる、から……」
逃げられないようにぎゅっと抱きしめ、キシリア様の首筋や、耳の後ろにキスをし、舌を這わせると、甘い吐息をつきながらキシリア様がそう言った。
俺は明日の夜明けを凄く憎むだろうな。
そう思いながら、キシリア様の言葉の続きを埋めようと、深く口付けた。
ENDE
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