◆Ambivalence Duelist◆



「マ・クベ!」

 その声を聞いたとたん、雷に打たれたようなショックを受けた。

 しまった。と思ってももう遅い。

起さぬように細心の注意を払いながら、こっそりと同じベッドのキシリアの隣という最高の空間から理性を総動員させて抜け出し、シャワーを浴びてコーヒーを淹れ、さあ準備万端と鞄を手に、ドアノブに手をかけたところで全ては水泡に帰すのだ。

「もう行くのか?」

 ベッドルームから気配を察したらしいキシリアが呼びかけた。マ・クベに向けられたそれは質問ではなく、弁明しろという確かな命令だ。

 思わず鞄をその場に落とし、今、正に玄関を出ようとした所をくるりと踵を返して、急いでベッドの上におわす女王様の下へ駆けつける。

「はい、もう行きませんと、間に合いませんし……」

 キシリアに気付かれないようにちらりと時計を見る。本当は少しなら時間に余裕が有るはずだ。

キングサイズのベッドの上で、キシリアはだらしなくうつ伏せに寝そべり、上半身を少しだけ起して顔だけこちらを向いている。普段の彼女らしくない、そんな気だるい姿もとても魅力的だった。

乱れた長い髪の毛が、シーツから出た裸の肩とすらりとした腕が、マ・クベの決心を激しく鈍らせる。

「私を置いてか?」

 拗ねたようなキシリアの台詞に、思わずくらりとした。本調子ではない朝のキシリアは時折吃驚するくらい可愛く、マ・クベを喜ばせるのだ。

 このようなキシリア様を置いていくなんて、どうかしている。

 反射的にそう思ってしまい、慌てて自分の今日のスケジュールを思い出してその考えを頭から追い出した。

「目が覚めた時、一人だと寂しいじゃないか。お前、私をその様な目にあわせても平気なのだな。薄情者」

 キシリアがそう言い捨てると、マ・クベの顔を見ようとせずにごそごそと頭までシーツの中に潜り込んだ。そのまま丸くなる。

「いえ、決してその様なつもりでは……。昨晩ちゃんとお話したではありませんか」

「もういい、早く行け」

 慌ててマ・クベが言いかけると、シーツから白い手だけが出された。ひらひらと野良猫でも追い払うような仕草をし、またシーツの中に引っ込む。

 昨日そう言ったときは、「ああ」とか気の無い返事をしていたくせに、土壇場になって急に拗ねだす。マ・クベが朝一番の難題に直面した。

「キシリア様……」

「行けったら」

 マ・クベの声に、キシリアが冷たく言うと、肩の辺りに不意にあたたかいものが触れた。マ・クベの手が乗せられたのだなと思う。

「行けませんよ。不機嫌な貴女を置いて行ける訳が無いでしょう」

 困り果てたマ・クベの声に少し満足して、シーツをずらし、そっと目まで姿を現した。声だけでなく、表情も困惑したマ・クベがキシリアを見下ろしている。

「ならどうするのだ」

 勝ち誇ったキシリアの声に、マ・クベが完璧な敗北を予感する。最初からそんな事は判りきっていたのだが、少しは期待していたのだ。毎回毎回、少しは期待して、マ・クベの思い通りになったためしは無いのだが。

 だからこそキシリアの目覚めぬ前にと画策したのだが、そんなマ・クベの小細工でさえも、易々とキシリアは破ってしまうのだった。

「お心のままに……」

 自分の首をしめる言葉を、キシリアの為に口にした。遅刻をする事は必死だが、キシリアが少しだけ機嫌を直した事に安堵する。

 まだ大丈夫……。とマ・クベが自分に言い聞かせる。少し時間を取られてもいいように出ようとするなど、このようになる事を期待していたのではないか? と言い訳されたマ・クベの理性がじろりと睨みつけた。

「遅刻するぞ」

「はぁ……」

 間抜けな返事を返しながら、誰のせいだと思ってるんです……。という恨み言を飲み込んだ。
 その恨み言さえも歯が浮きそうなほど甘い。
 マ・クベにとってはたとえどのような我侭でも、キシリアが言うのなら、甘いお菓子のように沢山欲しいのだ。
 但し、甘いお菓子は食べ過ぎると後が怖いと言う事を忘れてはいけないが。

「念のため言っておきますが、私は貴女の為に行かなくてはならないのですよ。ご命令をお忘れではないでしょう?」

 床に膝をつき、ベッドの上のキシリアと視線の高さを合わせて、「しかたがない」というように表面上は渋面を作って苦言を呈したが、内心ではこうなった事を喜んでいるマ・クベが確かにいる。どちらに転んでも構わないアンビバレンスに苦しむのは、真に幸運と言えるかもしれなかった。

「行きたかったら行けば良いと先ほどから言っている。私は引き止めてはいない。なんなら、お前が私をほって行ってしまっても怒らぬと約束するぞ」

 キシリアがそう言い、うつ伏せからあお向けに向きを変えて、機嫌を直したかのように笑いながら上半身を起した。

嘘つき……。と思っても、勿論内心での呟きに止める。
 女王の表面的な言葉に惑わされて、その内心が伺えぬようでは、優秀な下僕とはいえないのだ。

キシリアが動くと、豊かな乳房がシーツの隙間からこぼれる。
 思わず目を奪われたマ・クベをふふんと鼻で笑い、マ・クベの首に腕を回して口付ける。
 何度も深く口付け、離れ際、キシリアがマ・クベの下唇に悪戯するように軽く噛み付き、引っ張って名残惜しそうに離した。

「でも誘ってらっしゃる」

 熱いキスの後、マ・クベがせめてもの抵抗としてポーカーフェイスでそう言うと、勝ち誇ったようにキシリアが笑った。熱っぽい瞳が、マ・クベが挑んでくるのを待っている。

 自分の心を上手に隠し、些細なほころびから相手の本心を探る駆け引き。それは予告無く突然始まる。
 言葉、表情、仕草。甘え、恫喝、嫉妬に怒り、それらを武器に変えて手にし、相手の纏う銀色の甲冑の隙間を狙って振るう。
 力が足りなければ刃は滑り、会心の一撃で鎧は粉々に砕け散る。
 相手から本音を引きずり出し、参りましたと言わせるまで、知力と体力の限りを尽くして戦うのだ。

相手の攻撃を如何にセンスよく切り返し、屈服させるか。それは最高にスリルがある知的な遊びだった。
 二人でいる時は一時も油断できない。なんせ、お互いを倒そうといつでも隙を狙っているのだから。

「乗るか乗らないかはお前の自由だ」

 今更平静を装うとしても無駄だ。キシリアの剣は厚い甲冑を貫き、マ・クベの心臓に深々と突き刺さっているのだから。敗者がいくら負け惜しみしようと、勝敗はもうすでに決まっている。

「判っていらっしゃるくせに……」

 最後の足掻きをかわされ、マ・クベがため息をついた。

完敗だ。もっとも、この美しい女騎士に倒されるのならそれも本望なのだが。

「私も言っておくが、お前が勝手に乗ったのだぞ。くだんの件、期日に間に合わなければ許さぬぞ」

 それだけは抜け目無くきつく言い置くと、マ・クベがわざとらしく大きくため息をついた。マ・クベの相手は、真に手ごわく容赦ない。

「承知いたしました……」

がっくりとうなだれるふりをして、内心では素早く今後の算段をつけるため脳細胞が激しく活動しだした。
 キシリアのわがままの為に頭脳を働かせるのが大好きなくせに、その様な事はおくびにも出さない。
 強かでなければ、勝者に何もかも奪われて捨てられてしまう。敗者が勝者に正直でなければならないというルールは無いのだ。

「私の、負けです。お好きなようになさいませ」

ぐったりと目を閉じ、諦めきって呟いたマ・クベは時計を見るのを止めた。

完全降伏し、大人しくなったマ・クベのシャツのボタンを、勝ち誇った顔をしたキシリアの細い指が外してゆく。その何処までも傲慢な指にマ・クベは逆らえない。勝者は敗者を奴隷にし、奪う楽しみは強い者の特権で、奪われる快感は敗者の喜びだ。

 跪き、剣の切っ先をおのれの心臓に向け、愛するひとに柄を預ける快楽にマ・クベが震え、キシリアが男の生殺与奪を手に握った快楽に笑って、ベッドの中では新たな勝負が繰り広げられるのだった。

 デュエリスト達の戦いはエンドレスに続く。


                                    ENDE

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