白化迷宮

 




 白いシーツが風にあおられた向こう側にも白いシーツがはためいていた。そのシーツの先にも、また白いシーツ。
 洗濯したばかりの真っ白なシーツが太陽の光を反射して眩しい。青江は思わず金色の目を細めた。
 ぬけるような夏の青空の下で、何十枚ものシーツが青江をかこんで波のようにうねる。中に入り込むとまるで迷路のようだと思った。
 寄せては返すシーツの迷宮のどこかにいる石切丸を探さなければ。
 すぐに見つかるだろうとたかをくくっていたが、白いシーツが石切丸を隠す。
 ひときわ大きな風がシーツを何枚も吹き上げた瞬間に、洗濯物を干す石切丸のたすきがけをした背がちらりと見えた。
 いた!
 なぜか気が急いて、早足で近づいていこうとするが、青江の邪魔をするかのように風がやんで降りてきたシーツが前へ立ちふさがる。
 ここはなんだか変だ。早く石切丸のところへ行きたい。
「石切丸……!」
 最後のシーツを捲り上げるのももどかしく声をかけたが、先ほどまでそこにいたはずの石切丸の姿がない。
 洗濯ロープには水気を含んだシーツ。
 確かに石切丸は先ほどまでここにいた。
 石切丸 、どこにいるんだい?
 妙に不安になって周りをぐるりと見渡しても、太陽に照らされたシーツの白さが目を焼くだけ。
 再び大きく風が吹いた。思い思いに吹き上がるシーツの隙間、いっぱいの洗濯籠を手にした石切丸が歩いていく。
 もうあんな遠くへ?
 青江がいぶかしむと、すぐ後ろでばさっと音がした。干す前に濡れたシーツを広げる音。
 振り返ると視界の端を緑色の着物がかすめた。後に残るのは、ぱたぱたと洗濯物がはためく音だけ。
 呆然としている青江の近くを袴から伸びた小さな足が駆けていく。上半身はシーツに遮られているので、スニーカーをはいた足だけ見えた。
 三月ウサギを見つけたアリスのように急いでシーツをかき分け行く先を追うと、向こうで石切丸が笑いながら小石切丸が運んできた洗ったばかりのシーツを受け取っている。かわりに空の洗濯籠を小石切丸に渡しているのを見て、声をかけようとした。
「いしき……」
 名を呼び終わる前に、青江の視界を風に吹かれたシーツが遮った。
 ああ、嫌な予感がする。
 青江を邪魔したシーツがゆっくり下りて向こう側を見渡せるようになった時、二人はもういない。
 石切丸がいない。いるけどいない。
「石切丸!」 
 いるなら答えてくれるだろうと声を張り上げるが、返事は無い。
 シーツの迷宮へ入ったときから、世界がほんの少しずれているような違和感を感じていた。
 やはりここは変だ。空気が違う。そう確信し、焦ってあたりを見渡す。
 後ろを振り返ると、青江の真正面に石切丸が立っていた。
 はためく白いシーツの中、緑色の着物にたすきがけをして、洗濯籠を持った石切丸が青江をじっと見つめている。
 いつからそこに居て、いつから僕を見ていたんだい?
 頭がくらくらした。
 石切丸は青江に向かって微笑んだ。青江が自分に気づいたと見て、微笑みながらゆっくりと手招きする。
 白いシーツがはためく。空が青い。太陽の光が眩しい。石切丸のところへ行きたい。
 走り出した青江に、横からばさっとシーツが覆いかぶさった。
「わ、っ!」
 目の前が真っ白になり慌ててシーツを払いのけたが、誰もいない。
「酷いじゃないか……」
 なんだか泣きたいほどの喪失感に襲われて、崩れ落ちそうになりながら呟くと、後ろからひょいと顔を覗き込まれた。
「青江くん、こんな所で何をしているんだい?」
 途方にくれて立ち尽くす青江に、のんびりした声で話しかけてきた相手の顔をじっと見つめると、不思議そうに首をかしげた。青江がゆっくり三回瞬きしても、石切丸はそこにいる。
 ああ、石切丸だ。消えない石切丸だ。
 どっと安堵すると共に、理不尽な事をされたという怒りが青江を襲う。
「石切丸、君、ひどいじゃないか!」
 いきなり食ってかかってきた青江に石切丸が目を白黒するが、青江は構わず怒りをぶつける。
「手招きしておいていなくなるなんて!」
「手招きなんてしていないよ?」
 困惑した石切丸の顔がよけいに青江の怒りに火を注ぐ。
「したよ!」
 噛み付きそうなくらい顔を近づけて断言した青江に驚いていた石切丸が、あ、と呟くとにっこり笑った。
「ああ。判ったよ」
 何がと問い詰めようとしたが、石切丸のすまなそうな顔を見てついその言葉をぐっと飲み込む。
「ごめん。それは私だけれど私ではないんだ。一人で全員分のシーツを干さなければいけなかったから、つい、ね」
 そう言うと悪戯を見つかった子供のような笑みを残し、青江に背を向けて歩き出す。
「つい、なんだい? 今は元に戻ったけれど、さっきは空気がおかしかった」
「君、よく気づいたね」
 青江の言葉に石切丸が振り返り、目を丸くする。
「あっちの私をこっちに重ねて、そっちの私もこっちに重ねて、う~ん、なんと言えばいいんだろう」
 あごに手を当て考えこんだ時間は短かった。
「ごめん、説明できないな!」
「…………」 
 にこやかな笑顔で言い放った石切丸を見て、青江はそれ以上の答えを諦めた。
「雨が降るから、乾いているものは先に取り込んでおこう。ちょうど人手もあることだし」
 雨?
 突然石切丸がそう言い出したので空を見上げたが、青空には雲ひとつ無い。まあいい。石切丸が変わった事を言いだすのはいつもの事だし、石切丸が降るというのだから雨は確実に降るだろう。
 君も手伝ってくれるかい? と聞かれたのでいいよと頷くと、石切丸は乾いたシーツを一つとって広げ、青江に向かい合って端を持つように指示する。
「畳んだシーツをこれに包んで運ぼう」
 そう言われても意味がわからないまま青江が石切丸とシーツを広げていると、すうっと空気が変わるのを感じた。
「石切丸……」
 言いかけた青江の言葉が途切れ、目の前に現れたものに釘付けになる。
 ゆっくりと石切丸が近づいてくる。
 白い布の間から、一人、また一人。現れて列を成す。
 そうして青江の前まで来た石切丸は、重ねて持つ畳んだシーツを次々に置いては背を向け、いずこかへと消えてゆく。
 一人の石切丸がやけに意味深に青江に微笑みかけて、この石切丸が先ほど手招きした張本人だと確信した。
「なんだかやたら僕を挑発してくる君がいるんだけどなぁ」
「君に構って欲しい私なんじゃないかな」
 てきとうに聞こえるような返事をすると、よいしょ。と掛け声をかけて、石切丸は風呂敷代わりのシーツを背負って歩き出す。
 後ろから見るとまるまるとした巨大なシーツの包みから足が生えて歩いているように見える。非現実的な光景だと思いながら、青江は急いで石切丸の横へ歩みを進めた。
「君の偉いところはさ、あんな凄い事ができるのに、自分で雑用を働くところだよね……」
「私は、偉くも、凄くもないよ? ただ手伝ってもらっただけだよ」
 何を言っているのだという顔で、石切丸は大きすぎる荷物を軽々と背負って歩きながらそう言った。
 平行世界の自分を召還して使役するなんて、たいした事ない。
 世間知らずの御神刀である君にとっては本当にそうなんだろう。僕は御神刀ではないからそうは思わないけど。
 違いすぎて、胸が痛くなる。
「君たち御神刀は、突然現世からいなくなってしまいそうでたまに怖いよ」
 青江が口の中だけで小さく呟いた。
 目の前で次々に消えていった石切丸のように、ある日、突然に。今のように、当然だという顔をして。
「暑いねぇ。洗濯も終わったし、何か冷たいもので休憩したいなっ!」
「だから呼びに来たんだけどなぁ!」
「あっそれはますます失礼したね」
 また少し怒りがぶり返した青江に石切丸が謝るが、青江が石切丸の着物の袖をそっと掴んでいるのに気づいてかすかに苦笑する。
 「大丈夫だよ」とは言わない。
 青江の独り言に気づいていても。
 青江の独り言を知ってなお、大丈夫だよ、とは言わないことに青江が気づいていると知っていても。
 見知った本丸の前に来てようやく青江は石切丸の着物の袖を離した。





2016.06.26 UP
発出 2015.8月ごろ ウェブ拍手お礼

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