軒先から滴る雨を恨めしげに見ていた三日月の唇が、水溜りに大きな輪を作った水滴が最後の一粒だと知ると、うすく笑った。
雲が晴れ、日が差して、初夏の風がいきいきとした庭の木々の鮮やかな緑の上を吹き抜ける。
「みどりが濃いな。雨のあとはとくに」
「新緑が綺麗で、旅立つにはいい季節だね」
さわやかな風に髪を揺らし、縁側に立つ三日月が呟くと、部屋の中で手元を見つめて縫い物をしながら石切丸が応じた。
柔らかく小さい若芽が、ぐんぐん伸びて葉を広げ、たくましさと勢いを増して命をきらきらと輝やかせている。
ちょうど、強くなりたいと旅に出ることをきめたあの短刀のように。
「雨は止んだよ、少しは落ち着いて座ったらどうだい?」
三日月は、出立が雨に祟られてしまうのではないかと気が気ではないのだと石切丸は知っている。
拝んだところでご利益はないと言い切る自分が空を眺めたところでどうにもならないと分かっているだろうに、しとしとと降る雨が止むのをずっと立ち尽くして待っていた。その後姿を何も言わずに眺めていた石切丸にそう言われ、三日月がばつが悪そうに振り返る。
「俺は落ち着いているぞ」
石切丸の隣に座りながらまだそんな事をいう三日月に、石切丸が針仕事の手をとめて目を合わせる。
「鏡で自分の顔を見てみるんだね」
ほらと石切丸が化粧に使う鏡を押し付けられ、思わず受け取った三日月が素直に鏡を覗き込む。
「美しい刀しか映っていないぞ」
「そうかい、私には、自分で言った言葉に自分で落ち込んでる刀が映ってるように見えるよ」
そのうち帰ってくるだろう。のたれ死ぬならそれまでだ。
旅立つと決めた短刀の顔が曇るほど心配してうろたえる審神者の前で言い放った三日月の言葉。
はいと力強く返事した短刀に頷いた三日月が、ひどいと畳に突っ伏して嘆く審神者の頭を、せっかく決めたことをこれ以上邪魔してやるなと白足袋の足で踏んだので審神者の顔にも笑顔が戻った。
それで一件落着のはずが、三日月の顔が冴えない。
「落ち込むくらいなら言わなければよかったのに。大丈夫だよ、彼は強い」
「落ち込んでなどいないぞ。生まれる時は一人だ。死ぬ時も一人。最後に自分を救えるのも自分のみ。他人の言う事に振り回されることはないと言ったまで」
自分のことは自分で決める。たとえその結果のたれ死のうとも、それは自由だ。自分で決めたことの責を自分で負っただけのこと。
責任をとってくれるわけでもない他者の優しさや哀れみなど邪魔なだけ。とやかく言うことではない。
「正論だね」
正しすぎて冷たいほど。
「だから心配なぞしていないぞ」
ならいいけどと石切丸は頷き、金糸を織り込んだ美しい布で作った袋に飾り紐と房をつけながら口を開いた。
「でも、出立の前に美味しいお茶を一杯出すくらいは邪魔にならないのではないかな」
「ふむ、石切丸の言う事も一理あるな」
難しそうな顔をして頷くと、三日月はそわりと視線を動かし、やおら立ち上がった。
「厠へ行ってくる」
「お守りを渡したいから、私も一緒にいこうかな」
そそくさと廊下へ出た三日月の背を石切丸の声が引き止め、三日月がぴたりと立ち止まった。
「なぜおぬしがついてくる……」
不満そうな顔をした三日月を無視して、石切丸は出来上がったばかりのお守りを手に立ち上がると、三日月を呆れたように見た。
「では聞くけれど、君は懐に入れた茶筒を厠でどうするつもりなんだい」
むしろ旅立つ短刀の部屋へいくより言葉通り厠へ行くほうが問題だと石切丸の目が告げている。
追い詰められた三日月が、袖を口元にあてて目を細め、蠱惑的な笑みを浮かべた。
「それは私に通用しないよ」
石切丸が、意味ありげに微笑んでいれば勝手に相手が誤解してくれることを学んだ三日月の厄介な技をぴしゃりと封じる。
「大体、君が行こうとしてる方向は短刀部屋だよ」
完全論破されてぐうの音もでない三日月の傍を通りぬけざまに、石切丸がちらりと三日月を見た。
「あんなことを言った手前、声をかけづらいというのなら私がさきに声をかけてもいいけれど?」
反抗せず、無言で石切丸のあとをついてきた三日月の気配を感じてふふっと笑みを浮かべ、石切丸は歩みを進める。
「主に言ったあれは、君の本心だろう? のたれ死のうとも誰にも構ってほしくはないんだね、三日月は」
「はは、己が選んだ道ならば卒塔婆三日月になってもかまわんさ」
かつて絶世の美女だった小野小町が落ちぶれた老婆になる話を自分になぞらえ、三日月は笑った。
一見冷たく見えても、三日月宗近の皮膚の下には熱い思いが流れている。他人は自分を犠牲にしてでも救おうとするくせに、三日月が三日月へ向ける想いは冷たすぎて、石切丸からすると達観しているというよりも投げやりなほどに見える。
「楽にのたれ死ねると思わないでほしいな」
石切丸の言葉の底に、すこし、怒りのような、恨みのような感情がこもる。
「三条にはおせっかいが多いからね。寝るといったのに岩融のところへいった三日月宗近を筆頭に」
石切丸が振り向かずに言う言葉を聞き、三日月が口を開こうとすると、突然石切丸が立ち止まって振り返った。
「私はのたれ死んだりしないよ」
突然そう言われて驚いた三日月にぐいと顔を近づけ、石切丸が一言ずつはっきりと三日月へ言い聞かせるように言葉を放つ。
「私は、絶対、大丈夫」
手出し無用。
大丈夫だと言い切るのも同じではないか。
三日月はそう思い、言うだけ言って再び歩き出した石切丸の自信はどこから来るのかと問い詰めたかったが、正面からかかっても無駄だと知っている。
……三条には頑固者が多いからな。
「その言葉が嘘でないかそばで監視させてもらうぞ」
そう言うと石切丸には振り返っていやな顔をされたが、三日月はお互い様だと笑みを返した。
終
2016.06.26 UP
発出 2016.05.21 じじ石創作発表会石 お題「新緑」「鏡」「すくう(救う)」
三日月さんの見送りボイス妄想。
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