咲き始めの桜の花へ手を伸ばした。
 花びらに触れた石切丸の指先に、冷たい雨がおちる。
 空を見上げれば、空は灰色の濃淡を描き、遠くから雷の音が近づいてくる。
 空からいっせいに銀色の糸を垂らしたような雨が天を仰ぐ石切丸の頬をぬらし、石切丸さんと名を呼ばれて振り返った。
 前田籐四郎が石切丸を見あげ、もう一度石切丸さんと呼ぶので、膝をついて目線を合わせた。
「どうかしたかい?」
 石切丸が首をかしげると、前田が手にしていたマントを石切丸の頭にふわりと被せた。
「どうぞ、これを」
 石切丸が驚いていると、目があった前田がにっこりと笑った。
「綺麗な石切丸さんが濡れてしまいます」
「それでは前田さんが濡れてしまうよ」
 石切丸が慌ててそう言うと、マントを返されると思った前田がぱっと石切丸の手をとった。
「私はいいのです! 雷が来ますから、ここにいるのは危ないですよ。あの岩陰まで走りましょう」
 小さな手に導かれるまま、春の冷たい雨と雷の中を石切丸が走る。頭上では稲光が空を伝い、追ってごろごろと巨大な猫が喉を鳴らすような音が響く。
 前を行く前田は石切丸の手をしっかりと握り、迷うことなく安全な岩陰まで石切丸を連れていく。
「ここなら大丈夫でしょう」
 前田が一息つくと、石切丸が前田の顔を覗き込んだ。
「桜が咲き始めたとはいえ、まだ寒いよ。前田さんの体が冷えてしまう」
 小さく、か細い体で石切丸をかばった前田をたしなめるような気配を感じ、前田は石切丸を真っ直ぐ見上げた。
「はい、ですが、石切丸さんに濡れてほしくなかったのです。出すぎたまねでしたでしょうか」
 きっぱりと言い切る前田の言葉に、石切丸がはっとする。
「石切丸さんよりずっと小さい私が、石切丸さんのことをお守りしたいと思うのは、体は小さくとも、心は大きく持ちたいと思っているからなのです。お許しください」
「ご好意をありがたくお受けするよ」
 見た目で判断しようとしてしまった自分を反省し、石切丸がそう言うと、前田は嬉しそうに笑った。
その笑顔が、空から落ちてきたものがばらばらと地面を叩く音を聞き、ふと曇る。
「ああ、雹です」
 悲しい声をあげて前田が空を見上げた。つられて石切丸も空を見上げる。
「畑がだめになってしまいますね。ようやく芽がでたとみな喜んでいたのですが」
 さぞがっかりするでしょうねと、兄弟たちを案じぽつりと呟いた前田の悲しそうな横顔を石切丸がじっと見つめる。
「私がお願いしてみよう」
「え?」
 きょとんとしている前田の隣で、石切丸がすっと前へ出た。
 その瞬間に、のんびりとした、みんなに優しい大太刀が、御神刀へと変わる。
 まとう空気がぴんと張詰め、神の前に畏まる清浄で美しい姿と、満面の笑みで団子を頬張る姿。どちらも石切丸さんなのだと、戸惑いのような気持ちを抱いて石切丸の背を見つめる。
 深く頭をたれ、手を合わせるだけの簡素な祈りに、心をこめた祝詞が重なった。独特の抑揚をつけた、その厳かな声に自然と前田も頭を下げる。
 どうか、私たちを災厄からお守りください。
 どれくらいそうしていたのか、石切丸の心地よい声に身をゆだね、一心に祈りを捧げる前田の周りの空気が動いた。清らかで優しい風が吹き、前田の冷えた体がふわっと暖かくなる。
 思わず顔をあげると、石切丸がいっそう深く頭を下げているのが目に入った。
 ごろごろと響く春雷の音が潮が引くように遠ざかってゆく。
「……雹がやみました」
 まるで神話の一部に入り込んだような、厳かで不思議なひと時だった。
 夢見心地のまま前田が呟くと、前田に向き直った石切丸がにっこりと綺麗に笑う。
 ああ、いつもの石切丸さんだ。
「誰も泣きません」
「よかった」
 前田の言葉に石切丸も表情を緩める。君たちが悲しいと、私も悲しいからねと石切丸が言うと、前田が頷いた。 
「大きな刀も、小さな刀も、得意な事があって、不得意なことがある」
 みんなちがって、みんないいだねと石切丸が笑った。






2016.06.26 UP
発出 2015.04.30 石切丸ワンライ お題「春雷」


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