ランドセルと一緒に肩にかけた紺の竹刀袋には、四角形を四つ組み合わせた紋が白く染め抜かれている。
「初宮詣で行った神社に君を見つけたときは驚いたよ」
 道場の帰りなのか、袴に道衣姿の男の子が妙に大人びた口調で隣を歩く背の高いセーラー服の女の子に話しかけた。
「君、女の子なんだもの」
「私も驚いたよ」
 そう言って笑いながら首をかしげると、短く切った髪がさらりと頬にかかる。
 始めて見たときから、立派な大太刀にもかかわらずふしぎと美少女めいた顔立ちをしていると思っていたが、今は正真正銘の美少女となった石切丸が青江を見下ろしている。
 僕も石切丸を初めて見たときはこんな子供の姿をしていなかったからお互い様かと思い直し『ここで』はじめて石切丸を見たときの事を思い出す。
「大勢の男に囲まれて遊んでる幼女の君を見たときは、周りの男どもを石灯籠みたいに斬ってやろうかなあっ……と、鶴の晴れ着を着ておばあちゃんに抱かれながら思っていたよ」
「物騒な赤ちゃんだね」
 くすくす笑う石切丸をちらりと見て、青江は前を向き直った。
「笑わないでほしいねぇ。僕は本気だったんだからさ。一人で神社まで行けるようになるまでは、もどかしくて死にそうだったんだ」
 石切丸が初めて見たときよりも、ずいぶん短いポニーテールを揺らして歩く青江が、親が奉職する神社で遊ぶ石切丸の前に再び現れたのは、青江が小学校に入ったばかりの頃だった。
 見つけたよと悪戯っぽく笑っていた青江が、そんなに長い間一人で石切丸を想っていたことを、石切丸は初めて知る。
 慌てて石切丸が謝ると、君のほうが長く僕を待っていただろうと格好をつけ、青江はにっかり笑った。
 青江は子供になった今でも刀であった頃のような色気で石切丸を惑わせてくる。しなやかで長い筋肉質の腕に抱かれて眠った夜がふと頭をよぎり、石切丸の顔が赤くなった。
「でも、あれは、社の裏が雑木林だったから男の子が虫取りなんかで集まってきただけだよ」
「ほらねぇ、やっぱりだ」
 心配する事はないと思うけどとのんきに呟いた石切丸を見て、青江が盛大なため息をついた。
「気づいてないと思ったよ。あの子達はみんな、君のことが好きだったんだよ」
「私、子供と遊ぶのは好きだから、子供に好かれるとうれしいね!」
「そういう好きじゃないよ。君はいま素敵な女の子なんだからね、自覚してもらわないと困るな」
 う~んと首をかしげ、ぴんとこない顔をしている石切丸に痺れを切らし、青江が立ち止まった。
 石切丸を見上げると、石切丸も青江と目を合わせる。
「君がたくさんお見合いを申し込まれているのも知っているよ」
 このあいだ来た人は、大きな神社を継ぐ予定なんだってねぇ。
 僕は神社の掃除も行事の手伝いもよくしているから、君の両親に、礼儀正しい良家のぼっちゃんだと信用されているんだよ。
 にっかりと笑う青江の表情は、戦場で見た、あの顔。
「にっかり君、それはね!」
「今はにっかりは無しだよ」
 石切丸が慌てて言いかけると、青江は冷静に指摘して石切丸がはっと口を押さえた。
「慌てなくてもいいよ。君がお見合いを断っていることもちゃんと知っているからねぇ」
 石切丸は思わずごめんねと言いかけたが、謝るのも青江を傷つけるような気がして、言葉を見失う。
 よほど複雑な顔をしていたのか、石切丸を見て青江がくすくす笑った。
「君はほんとうにかわいいなぁ。我ながら君が十八になるまで手を出さずにいたのは偉いと思うよ」
「……いや、それはどちらかというと私のほうが捕まるのではないかな」
「あ~あ、早く結婚したいねぇ。僕が結婚できる歳になるまであと何年もあるよ……」
 目を伏せて大きくため息をついた青江を見て、石切丸がぴんとひらめく。
 家に帰ってからにしようかと思ったが、今にしてしまおう。
「青江くん、渡したいものがあるのだけれど」
 なに? と子供らしいまるい顔で石切丸を見上げた青江に、石切丸がにこっと笑った。
「今日はバレンタインデーだろう。私のチョコレート、君に受け取ってほしいんだ」
 石切丸がかばんから大事そうに取り出した、綺麗な包装紙にリボンがかかった箱を青江に差し出す。
「本命だよっ!」
「へぇ……僕にかい」
 石切丸の輝くような笑みと、チョコレートを交互に見ていた青江が、そう言って両手でチョコレートの箱を受け取る。
「せっかくだし頂こうかな」
 クールに笑った青江が、急に石切丸に背を向けた。
「青江くん?」
「……ごめん。嬉しくて顔が笑ってしまうんだ」
 嬉しさを噛み締めているのか、小さな肩をふるふると震わせる青江がかわいくて、石切丸は思わずしゃがんで青江を抱きしめた。
「石切さん?」
 青江の顔を見ようと強引に覗き込もうとした石切丸が、知っている声を耳にして固まった。
「そういうのに興味ないかと思ってたけど、その子にチョコあげたんだ?」
 石切丸と同じクラスの女子たちが、そんな事を口々に言いながら二人に近づいてくる。
「小学生? かわいいね」
 そう言って笑う女の子の声と表情に、わずかな棘。
 彼女たちと同じ、黒く重たい色のセーラー服を着た石切丸が口を開きかけると、青江が石切丸の前にすっと出る。
「こんにちは」
 元気よくにこやかに、青江は女の子たちにそう挨拶した。
 石切丸が見た事のない、大人に好かれる完璧な子供の笑みに驚いて固まっていると、青江が子供の無邪気な笑顔で女の子たちにチョコを見せる。
「僕が石切おねえちゃんにチョコちょうだいってお願いしたんだよ。いいでしょう?」
「あー、そうなんだ」
「石切さん学校でけっこうもてるのにぜんぜん相手にしないから、そういう趣味なのかと思った」
 きゃははと無神経な笑みをあげた女の子たちが青江に手を振って立ち去るのを、姿が見えなくなるまでかわいい男の子の顔で見送ると、青江はがらりと表情を変えて石切丸に向き直った。
「じゃ、行こうか石切丸」
 青江がそう言っても、石切丸は立ちすくんで青江を悲しそうに見ている。
 言おうと思っていたのに言えなかった言葉がしこりのように石切丸の心に残っている。
 大事な人を自己保身のために裏切って、傷つけてしまったという自己嫌悪に足が動かない。
「次に聞かれたら、言ってもいいかな? 私は君の彼女だって」
「え?」
「……青江くん、ごめんね」
 どこか悲しそうに眉を寄せ、ありがとうと小さく呟いた石切丸に、ごめんねとはさっきのことかなと青江が首を傾げる。
「いや、どうして謝るんだい? あえて言うなら遅く生まれた僕のせいじゃないかな?」
 男が髪を伸ばしたいと言うだけでやいやい言われる世界だからさ、目立たぬに越した事はないよと、ずいぶん短くなってしまった髪を揺らして青江はそう言った。
 立ちすくんでいる石切丸の手をとり、安心させるようにぎゅっと強く握る。
「僕はまあ、今はこんななりだが、君の事を守ってあげたいと気持ちだけは思っているつもりだよ。君を苦しめるすべての事からね」
 石切丸の手を引いて歩みを促しながら、青江はもう片方の手で貰ったチョコレートを大事そうに胸に抱く。
「僕のことなら気にしないでよ。このチョコレートのお返しさ。これは、世界で唯一つの、貴重な君の本命チョコレートだからねぇ、ッフフ」
 だからお返しも大きいんだと青江が妖しく笑う。
「君が僕のことを好きなのは、僕だけが知っていればいいことだよ。今はね!」
 ようやく石切丸の顔に笑みがもどり、二人で歩き出しながら青江が悪戯っぽく石切丸を見上げる。
 いずれ堂々と石切丸は僕のものだと言えるようになるまではねと青江はにっかり笑った。




2016.06.26 UP
発出 2016.02.13 にか石ワンライ お題「チョコレート」


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