あ……と小さな声が漏れた。空を見上げる石切丸が、欠ける月の光を浴びて不安げに眉をひそめる。
 足元を照らす昼のように明るい満月の光が、月蝕で失われてゆく。
 石切丸の目線がさまよっている。
 石切丸の目がじっと見つめる青江を素通りした時、脇差の青江にとってはほんのわずか暗くなったていどが、大太刀にはもう何も見えないのだと気づいた。
「……さぁ。僕に身を委ねてくれ」
 ふざけたような青江のセリフに、石切丸は素直に手を差し出した。
 青江を見つめる紫色の目に、自分は映っていない。
 そう思うと、青江の心臓の鼓動が早くなる。
 だから、僕が、君を見ても君は判らない。
 青江が石切丸の手をそっと取ると、石切丸がほっと安心の息をはいた。
「よかった」
 石切丸の体の緊張が緩み、わずかに声が弾む。
「君に嫌われているのかと思っていたから」
 見えない青江に柔らかく笑いかける石切丸に胸が痛んだ。確かに、青江は石切丸を避けていた。
「そんなに僕に触れたいのかい?」
「触れたいよ」
 青江がふざけたふりをして言った言葉に石切丸が即答した。
 きっぱりとしたその声の前に青江は無力で、いつものように混ぜ返してやることもできずに黙り込む。
 このうるさい胸の鼓動が聞こえやしないかと青江は不安に思った。見えずとも、聞こえてしまえば知られてしまう。石切丸が好きだと。


 無言で歩く青江と石切丸の頭上で、月がどんどんかけてゆく。

 見える?
 見えるよ。

 青江に手を引かれる石切丸が、子供のように無邪気に問う。
 
 見えるよと青江はもう一度心の中で呟いた。
 僕を見つめる、君の紫の目。
 君に知られるのが怖くて、見ることができなかった。 

 判る?
 判るよ。

 何も見えず不自由なはずの石切丸の声がいつもより弾んでいる。触れた手から青江に対する信頼が伝わってきて、胸が苦しくなった。
「あまり僕を信用しないでよ」
 思わず呟くと、石切丸が不思議そうに首をかしげた。
「信用しているよ。それとも、君に私の身を委ねてはいけない理由でもあるのかな?」
 青江は安全だと信じきっている石切丸に、苛立たしいような、甘くうずくような気持ちがこみ上げる。
 好きだと言って、君をめちゃくちゃにしてやったら、どんな顔をするかな?
「油断してたら……」
「油断してたら?」
 楽しそうに問い返してきた石切丸の前に、再び青江は無力になる。
「なんでもない」
「そう」
 石切丸の声が、わずかに残念そうな色を帯びる。知ってか知らずか、青江の歩みが少し速くなった。
「青江くん、ゆっくり歩いてくれるかい」
「あ、ごめん」
 青江の手が石切丸の手をきゅっと握りなおし、君は何も見えないんだったねと青江は呟いた。
 すっとこうしたいと思っていた僕の欲望が月を蝕む。月が消えた夜を何も知らない君と歩く。
 それだけでいいと思った。
 君はなにも見えないから、僕は君に優しくしてもいいんだ。
 青江の手を握り返してきた石切丸の手が愛しくて胸が痛い。





2016.06.26 UP
発出 2015.12.12 にか石ワンライ お題「蝕む」


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