いしきりまる、と囁くような声に顔をあげた。
 遠慮がちに部屋の戸に手をかけ、青江がこちらをのぞいている。どうやら、札を書くのに夢中になって名前を呼ばれているのに気づかなかったようだ。
 お入りと声をかけると、青江が石切丸の前までやってきてすとんと正座した。 
 正面からじっと見つめられ、笑いながらどうしたんだいと言おうとした石切丸の表情がはっとした。
 青江の美しい切れ長の目のふちに涙がたまっている。
 背の高い石切丸の顔をじっと見あげる青江の透き通った涙の玉が大きくなり、やがてついと落ちた。
「石切丸」
 名を呼びながら天井を仰ぎ、青江が辛そうに目を閉じると、涙がいくすじも滑らかな肌を伝って落ちる。
 ぱたぱたとジャージの上に落ちた涙はいくつもしみをつくり、石切丸は思わず手を伸ばして青江を抱き寄せ、ぎゅうっと胸に抱きしめた。
「青江くん。何があったんだい?」
 悲しいのかい? 辛いのかい? それとも、痛いのかい?
 落ち着かせるようにゆっくり頭をなで、石切丸が低く落ち着いた声で青江の耳元で囁く。
 青江を気遣う声はとても温かくて、石切丸の優しさにふんわりと包まれるのは心地よくて、いつまでもその腕のなかにいたいと思ったけれど、青江は意思の力を総動員して誘惑を断ち切る。
「なんてね、玉ねぎだよ?」
 石切丸の胸から顔をあげ、悪戯っぽくにっかり笑った。
 「玉ねぎを切っていたら涙が出てきたから、君をびっくりさせようと思って。僕もヒマだよねぇ」と続けようとした青江がぎょっとして言葉を飲み込む。
「いっ、石切丸!」
 青江を抱きしめていた石切丸の目が潤んでいる。
「ごめん!」
 僕が泣き真似なんかしたせいだと青江が慌てて謝ると、うっすら目元を濡らした石切丸はにっこりと青江に笑ってみせる。
「よかった」
 青江の悪戯に怒りもせず、石切丸はほっと安堵の表情を浮かべた。
「悲しい青江はいないんだね」
 涙を滲ませたままの笑顔がとても綺麗で、思わず見とれる。惚けた青江の顔がおかしかったのか、石切丸がふふふと声を出して笑った。
「どうりで君から玉ねぎのにおいがすると思ったよ」
「こ、今夜はハンバーグだよ!!」
 嘘がつけない真面目な性格なのか、声を上ずらせた青江を石切丸がちらりと意味ありげに見る。
「私のには目玉焼きも乗せて欲しいなぁ……」
「乗せるよ!」
 罪滅ぼしに必死な青江の様子に、石切丸がまた笑った。
「はは、驚かせてすまなかったね」
 でも、と言うと、青江の頬にそっと触れて視線を合わせた。
「君が悲しいと私も悲しいからね。覚えておいていてほしいなっ!」
「……うん」
 思わず、いつもの斜に構えた態度を忘れて素直に頷くと、石切丸も嬉しそうに頷いた。
「もし本当に悲しいことがあったら、必ず私に言うんだよ。何もできないかもしれないけど、君の気が済むまで傍にいるよ」
 青江を思う、心のこもった石切丸の言葉に胸が温かくなる。
 本当に涙が出そうになって、青江は慌てて口を開いた。
「石切丸、悪戯したお詫びにプリンがあるんだ。夕食の前だけど、こっそり食べないかい?」
 夕食の買い物ついでに、燭台切くんお勧めのパティスリーまで行って買ってきたんだよ。すごく美味しいんだって。 
 青江の言葉に、石切丸の顔が輝いた。
 燭台切くんお勧めのプリン……!
 さぞかしかっこよくてお洒落な味がするのだろうと考えただけで石切丸の胸が高まる。
「青江くん、君はなんて悪い刀なんだ」
 夕食前にそんな事を言うなんてと、禁断の果実を勧める蛇の誘惑の如き青江の誘いに、節度を守るべき御神刀の石切丸は苦悩した。
「でも、この罪は見逃してさしあげるよ」
「あっ、うん。じゃ取ってくるよ」
 悩むの短かったねと言おうと思ったが、やめてあげた。
 そんなにも美味しいプリンなら仕方が無いと御神刀のお許しを貰った青江が、罰が当たることなく堂々と夕食前にプリンを食べようと冷蔵を開けると、入れておいた箱が消えている。
「あれ? ここに入れておいたんだけどなぁ。ねぇ歌仙、僕のプリンを知らないかい?」
 冷蔵庫を覗き込んでいた青江が、ハンバーグの付け合せにと雅な花の形に抜いたにんじんをバターとオレンジジュースで煮る歌仙を振り返った。
「すまない。あれは君のプリンだったのか。主に急な来客があったから、茶菓子として出してしまった……」
 心底申し訳なさそうな歌仙の言葉を聞くや否や、石切丸がさっと袖で顔を隠した。
「……うっ」
「あああああ、いしきりまるーーーー!!!」
 袖に隠された石切丸の表情は見えないが、それはきっと泣き顔。思わず漏らした悲しみの声が如実に表している。
「ハンバーグ僕の分もあげるし、パイナップル焼いたのも乗せてあげるからー!」
 艶よく仕上がったにんじんグラッセに満足の表情を浮かべる暇もなく、パニックになった青江に背を向け、厨を出て行った額に青筋立てた歌仙が、説教の後にプリンを差し出し、御神刀と霊刀に狂喜の胴上げをされて雅じゃないと叫び、鶴丸には羨ましがられた。



2016.06.26 UP
発出 2015.08.27 にか石ワンライ お題「泣き顔」


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