「私の部屋まで来たのなら、入ってくればよかったのに」

 石切丸に拗ねた声で言われ、縁側の隣に座っていた青江は顔を上げた。

「私の部屋の前で、私の名を呼んだろう?」

 それは僕じゃないと青江の心が凍りつく。

「ごめん、聞こえていた?」

 青江がそう返すと、あれだけ何度も呼んでおいてと石切丸が軽く青江の頭を小突く。

「夜中だったけれど、青江くんの声ならすぐわかる。君が来てくれたのかと嬉しくて戸をあけたのに、君はいなかった」
「ごめんね。部屋の前までいったけれど、戦帰りで疲れているだろうから、やっぱり悪いと思って」

 青江は本当のことを言わず、石切丸に話をあわせてにこやかに笑ってみせた。
 僕以外の誰が夜中に石切丸の部屋を訪ねたのかと思うと、心の底を炎の舌で炙られたような気がした。

「君の声を聞いた後の一人寝は寂しかったよ」

 そう言うとぷいと向こうを向いてしまった石切丸が可愛くて、膝の上の手をとる。

「ごめんごめん。償いはするから」

 君の名を呼んだ、それは僕ではないけれど、石切丸に償いをしていいのは僕だから。
 だからその声は僕じゃないとは言わない。

「青江くんの声がなんだか悲しそうで、心がざわざわして、君の事をずうっと考えていたよ」

 石切丸の言葉に、おもわずふうんと声が出た。

 君は僕じゃない誰かの声を聞いて、ずうっと僕のことを考えていたんだ?
 それは腹立たしいような、ざまあみろというような、複雑な気持ちだね。

「それで青江くんはそんなに私の名を呼んで、私にどうして欲しいんだい?」
 怒っていたはずなのに、石切丸は心配そうに青江の顔を覗き込む。

 それは今夜また、君に会いに行った時に教えるよ。
 
 青江が囁くと、石切丸が赤くなったあと恥ずかしそうに笑った。

 か細い声が石切丸の名を呼んでいるのを青江も聞いた。
 石切丸の部屋の前に、細身の影。
 
 いしきりまる。
 いしきりまる。

 縋るような声で、影は石切丸を求めてその名を呼んでいる。
 ああ、かわいそうに。
 石切丸は御神刀、穢れた存在には、見ることも、触れる事もできない。ただ名を呼ぶだけ。
 どんなに姿を見たくても、どんなに近くにいても。
 それを知らぬわけでもないだろうに。

 そう思いながら、青江は手にした脇差を抜く。
 それにしても、石切丸は、戦場で憑かれてくるなんて間が抜けてるなぁ。
 目に殺意を宿らせながら、石切丸を想ってくすりと笑う。
 いや、気づかないのも無理は無い。
 だってそれは僕と同じ気配を持つものだから。
 青江の耳に、もう一度、いしきりまる。という小さな声が聞こえた。
 大丈夫、君の声はちゃんと届いているよ。
 愛を乞う哀れな声は優しい石切丸の心をざわつかせたよ。
 だけどね。
 青江が腕を伸ばし、そっと影を引きよせる。優しく寄り添うように刺す。
「ごめん。君の石切丸はもう僕のものなんだ」
 影を抱きしめて耳元で囁く。腹に突き刺した脇差をもう一度深く突き上げ、手首を捻る。
 影はうめき声もたてずに膝から崩れ落ち地に伏した。
 二度も折れるのは辛いだろうけど、石切丸に近づくようなら容赦はしない。
 まあ、でも。
 僕も折れれば、同じことをするだろうけど。
 地に広がる死装束に一瞥をくれると、青江は刀を鞘に納めた。
 
 石切丸の部屋の戸をたたくと、待っていたのか、すぐに戸がひらく。
「石切丸」
 青江が名を呼ぶと、石切丸がはにかんだ笑みを見せる。
 君はきっと、どんな僕にも優しい。
 そう思った瞬間に青江の心が刺されたように痛み、石切丸の肩を掴むと部屋へ押し込んだ。
 強引に口付けても、石切丸は怒らずに、青江の貪るような求めに戸惑いながらも答えてくれた。
 ほら、やっぱり君は優しい。

「どうかしたのかい?」
「なんでもないよ、つまらない嫉妬さ」

 石切丸の部屋の明かりが消え、夜の闇が広がる。
 崩れ落ちた影も、石切丸を呼ぶ声も、今はもう無い。



2016.06.26 UP
発出 2015.08.18 にか石交換会奇譚

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